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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
四章/死霊宴舞
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十六/認識

 カイネは自らの推察を確かめるべく踏み込む。

 妖刀・黒月を上段に振りかざし、刹那ネイトはその一閃を受け止めようと曲刀の刃をかかげた。


「懲りませんな娘よ! もはやあなたの刃が我が身に届こうとも――」

「届かせるとも」


 カイネの鋭い振り下ろしが、曲刀の刃を打ち合う一寸手前を掠めていく。

 上段に警戒を向けていたネイトの反応は続く一太刀に間に合わない。

 カイネは瞬く間に手首を返して下段の剣先を跳ね上げる。瞬く剣光は地と垂直に伸び、ネイトの腕を肩口にえぐりこむがごとく両断した。


 敵手を受けに回らせたうえで誘いの一太刀を透かし、続く一太刀で急所をえぐり抜く型――ベルンハルト礼刀法〝霞〟。


「おぐぉっ――――」


 ネイトは低い呻きとともに後退りする。

 跳ね飛ばされた空の腕が、えぐり取られた肩の肉が漆黒の泥へと変じていく。


「……まだじゃな」


 カイネは離された間合いをそっくりそのまま埋め尽くして横殴りの一閃を払い抜く。

 刃がネイトの脇腹を五寸も刻み、すかさず切っ先を引いて心臓を突く――血肉に代わって溢れ出すものはやはり滑らかな黒い泥。

 残心とともに無形の位へと立ち戻れば、今度は休みなくえぐったばかりの肩口に刃を斬り込まんとする。


 ガチン、と金属の噛み合う音がした。

 それはまさにネイトの肩の切断面、産まれ落ちた魔犬の(かお)がカイネの刃を食い止めていたのだった。


「……無駄だ、と何度申し上げたらわかるのです小娘よ! いやはや愚昧もここまで来れば称賛に値しましょう――あなたの斬り落としたものどもがあなたを追い詰めるのですからなぁッ!」


 飛沫を上げた血肉が、跳ね飛ばした腕が、こぼれ落ちた肉片がまたぞろ魔犬へと転じる。

 それらはカイネに見向きもしないでジョッシュの駆る馬車へと向かっていく。


「おまえさんこそが魔獣(いぬがみ)であり、魔獣もまたおまえさんであるから……と、言ったか」

「まさしく――ぐぶっ!!」


 カイネは黒月から手を離し、腰に帯びていた鞘でネイトの頬を抜き打つ。その衝撃に吹き飛ばされる勢いで、魔犬の牙は刀神の愛刀をあっさりと解放する。


「そりゃおかしくないかの」

「……何をのたまいますか。あなたに見極められる瑕疵など――」

「そのふたつが同じものであるならば、おまえさんは要らぬだろう」


 カイネは宙を舞う黒月の柄尻に指を絡め、囁くように言った。

 それを聞いたネイトは依然として薄目も開けず――ただ、額に珠のような汗がびっしりと滲んでいる。


「……なんと、仰りましたか?」

「そのままの意味よ。人の世にまぎれこむための用でもない限り――おまえさんは、要らぬだろう」


 カイネに雑魚をけしかける意味は薄い。その点は確かに真実を突いている。

 しかし魔犬では相手にならないのならば、剣士としてのネイトを三人、四人とこしらえて一斉に襲いかかれば良いではないか。

 ネイト並みの剣客を何十人と揃えられれば、カイネとて苦戦は逃れ得まい。


 なぜネイトはそうしないのか。

 カイネよりもずっとずっと呪術に精通しているはずの彼が、そんな単純な戦術を思いつかない可能性はどれだけ甘く見積もってもありえないだろう。

 しかるに求められる答えはただひとつ。

 しないのではない。

 できないのだ。


「私が……私が不要ですと? ――そんなことはありえない。私があってこその魔獣であり、魔獣があってこその私なのですから――」

「ならばおまえさんはニ人三人とおってもよかろう。なぜおまえさんは一人なのだ? 魔獣どもはきりのないほどおるというのに、なぜおまえさんだけが一人に限られておる?」


 カイネの淡々としたことばを受け、ネイトの頬を滂沱の汗が流れていく。

 その胸中に去来するものが、カイネには手に取るようにわかった。


 自分が自分ではなくなってしまうかもしれないという恐怖。

 自らの血肉を獣に作り変えることさえ許容しても――自らを『複製』することは認知の外に置いていたのだろう。


「複製が導くものは拡散と散逸。その時おまえさんはどこにもいてどこにもないもの――不要物に過ぎぬものと転じる」

「――ははは、なにを抜かしますのやら。愚かな娘よ、私がまさに『そう』していない確証をどこで得たというのです?」

「ふむ。その話は一理あるのぅ」


 カイネはすぅっと刃をかざし、ごく自然にネイトとの間合いを詰める。


「ところで拡散といえば――これもまた『斬る』という行為の本質のひとつよな。どれだけ切り分けてやれば、おまえさんはおまえさんで無くなるかの」


 ネイトの身体はすっかり元通りになっていたが、その無表情に今まであった余裕はもはや皆無。

 剣先を向けながらのカイネの問いに、彼は覇気無く「……すでに確かめられたでしょう。どれだけやっても無駄だと――」と応えるばかりだった。


 ***


「アーガスト殿ッ、後ろはどうです!?」

「心配ない。だが、もう少しばかり脚を早められぬか――」


 駆ける馬車。後方から迫るは叢のような黒き魔犬の群れ。

 この状況下においては多少の揺れなど構ってはいられない。アーガストは杖をかざしたまま、席後ろの窓辺から御者席を振り返る。


「このままじゃあ厳しいですかね」

「なにせ数が多いものでな、十や二十では効かん。気が進まんわけでもあるのかね?」

「……いいや、問題ありませんよ。一向に問題ない――」


 ジョッシュは硬く手綱を握ったまま命を送る。高らかな嘶きとともに馬車が加速する。

 その時アーガストの脳裏をかすかな疑問がかすめた。本当に問題がないのならば、なぜ自分が言い出すまでそうしなかったのか――

 彼は緊張を解きほぐすように、思いつきと呼んで差し支えない答えを口にした。


「カイネ殿をひとり置いていくのに気後れでもしたのかね?」

「……その話は当座を凌ぎきってからにしませんかい、アーガスト殿。余計な動揺で手綱が狂っちまうなんて間抜けな始末はさすがに御免です」

「もっともだ。この馬車少し傷付けても構わんか――」

「あァ存分にッ、官給品ってなやつですからね!」


 脅威と緊張に晒されてなお零れる諧謔的な一言にアーガストは思わず苦笑。

 彼はローブの前を開き、裏地に数多縫い止められた羊皮紙の頁を手繰り出す――その一枚一枚には血色の魔術陣の断片が記されていた。


「この地を我が仮初めの城となせ! 簡易敷設陣――」


 アーガストの杖先をもってして虚空に陣が描かれる。

 宙にばらまかれた羊皮紙の頁は風に巻かれたかのごとく飛び、杖が描いた軌跡とそっくり同じように馬車の後方に並んだ。

 遅れて蒼黒ローブの懐から無数の釘が飛ぶ――カカカカッ、と音を立てて数十枚にも及ぶ血紋の紙片が固定される。


「――――閉ざせ〝血束の鎖界〟」


 瞬間、馬車の後方から何十本という真紅の鎖が伸びた。

 それはまさしくアーガストが縫い付けた紙片を依代として発せられていた。

 一本一本の鎖が絡み合うことなく乱れ飛び、魔犬をがんじがらめにしてその場に打ち捨てる。間近に迫っていたものには鎖の先端に備わっていた楔が打ち込まれ、地面やほうぼうの木々に縫い止められることと相成った。


「……見事なもんです。やつら一網打尽だ」


 ジョッシュは後ろを一瞥してヒュウと口笛を吹く。

 しかしアーガストは厳かに――普通にしていても他人からはそう見えるのだが――首を横に振った。


「おそらくは一時しのぎにしかならんがね」

「そうですかい? この調子なら効率よく減らしていけそうなもんですが」

「そうもいかんのだな。群れの数が一向に減らんとは思っておったが、どうも捕縛された魔獣は肉体を再構成して束縛を抜けているようだ――」

「はい? ……再構成、つったか?」


 ジョッシュはぱちぱちと目を瞬かせて驚愕する。

 ジョッシュ・イリアルテは魔獣使いだ。魔術師としての彼は年相応の経験しか持たないが、魔力を宿した獣――魔獣というものがいかに尋常な生物とはかけ離れているかよく知っている。


「その通り、再構成だ。このものどもはある程度、自らの肉体を作り変えることができる……」

「そりゃ妙だぜアーガスト殿。いくら魔獣っつっても獣だろ、生物としての枠を離れすぎてる。もしそんなことができるとしてだ、こいつらどうしたって犬っころの器に甘んじてるんだ? 俺らを追い詰めるのならもうちょっとやりようってもんがあるだろ――」


 ジョッシュのその言い分は、奇しくもカイネがネイトに抱いた疑問と同質のものだった。


「おそらくだが、魂の形と言うべきものが定められているのだろう。再構成はその鋳型に沿ってしか行えないのだな」

「魂の、かたち? ……あァそういえば、ルーンシュタットでそんな話を聞きましたがね」

「これは私の見解になるがね、ジョッシュ殿。魂とは多分に身体的なものなのだよ。魂とは心臓だの脳だのに宿っているのではない――全身体が発する無形の質量を、我々は魂と呼んでいるのだ」

「アーガスト殿。授業は学生相手によろしくお願いしますよ」

「あぁこれは失敬。つまりあれらは一定の形を取る魔獣であり――しかも、群体で動いている」

「……群体ってのは?」


 今度はなんです、とうんざりし始めたように顔をしかめるジョッシュ。


「一個体が群れで動く――統一された意志のもとに動いているということだよ」

「……そいつは魔獣使いの命令に寄るものでは?」

「さて、私としては……この場にいないはずの魔獣使いの指示で結界に対応し始めていることこそまさしく異様なのだが」


 アーガストは馬車に迫らんとする魔犬の群れを一瞥。

 乱れ飛ぶ鎖は着実に魔獣どもを足止めしていたが、鋭く加速するような機動で鎖の下を掻い潜るものもわずかに見受けられた。


「……なァるほど。状況は芳しからぬようで」

「今少しは保つだろうがね。どうかなジョッシュ殿、今のうちに手綱の迷いを断ってしまうというのは?」

「仕事ですよ。仕事をするのに迷いもへったくれもありゃあしない。私情ですからね」

「他人事というのは止めたのだね」

「……冗談にしちゃ笑えませんね、アーガスト殿」

「いや、全くの本気だとも」


 アーガストはくすりとも笑っていなかった。ジョッシュが気後れを感じたことについても、ある程度は見当がついていた。

 彼は深く、深くため息をついて瞑目する。いつもは軽口を叩いてばかりの口が今日ばかりは重い。

 

「……一線を越えちまいましてね。物の弾みってやつです。流石にもう他人のふりはしちゃいられない」

「察しは付いていたがね。……いやしかし、これは参ってしまったな」

「何がですかい」


 ジョッシュは怪訝そうな顔をしてアーガストを横目に見る。

 彼はその年経た口元に、初めてかすかな笑みを覗かせていた。


「私はどうやら警句を向ける相手を間違えてしまったようだな。罠にかかったのはもちろん私ではなく、ましてやカイネ殿でもない――私が相談を持ちかけた貴殿自身に他ならなかったというわけだ」

「……悪い冗談ですよ全く。そりゃ俺もこんなことになるとは思ってませんがね、アーガスト殿も少しはその可能性に触れてくれたっていいでしょう――あァいや、こんなもん八つ当たりだってのはわかってますがね」


 一度口を開けば後は流れるよう。

 ジョッシュは自らの心情を吐露しながら片手に筒を手にする。

 席の横から後方を軽く覗き、脇から押し寄せる一匹の魔犬を照準(ポイント)

 引き金を引く。筒先から射出された幽体(アストラル)弾が狙い過たず魔犬を射る――血しぶきのように黒い泥が弾け飛ぶ。


「しかしだね、私はこうも思うのだよジョッシュ殿。私が貴殿に警句を与えていたとして、この結果に何か変わることがあったと思うかね?」

「そりゃあもう。大違いも大違いですよ」

「ほほう。何が違ったというのかね?」


 アーガストが杖先を後方に向けた時、ジョッシュはまた別の魔犬に狙いを付けている。

 彼はにこりともせずに言った。


「俺の心の準備ができたでしょうね」


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