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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
四章/死霊宴舞
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十五/再戦

 カイネは鋭い差し脚でネイトとの距離を詰める。

 しかしネイトは獣のごとく四つ足を立ててすっくと立ち、糸のように細い目で少女を睨めつけた。


「味な真似をしてくださいますな」

「……おまえさん、その喋りが素なのだな」

「私は自らを偽りなどしませんから。……あぁ、ですが、えぇ、えぇ――あなたと交わした言葉はあいにくと嘘偽りに塗れておりましたが。娘よ」

「ずいぶんな言いざまよの」


 ネイトの語調や振る舞いは、以前魔術学院で手合わせをした時とほぼ変わりない。

 唯一大きく変わっているのはその呼び名――『娘』と言い捨てる語り口には、言外の侮蔑がにじみ出ていた。


「それというのもあなたがまがい物であるからですよ。それがために私は不本意ながら、陛下の御命とはいえども、あなたのような小娘を『カイネ様』とお呼びしなければならなかったのです。この屈辱、怒りがあなたにはお分かりになれますかな?」

「さっぱりとわからぬし、さりとておまえさんの長話に付き合うつもりもない」


 カイネは懐紙で黒月の刀身を梳いて一歩足を出す。

 ネイトが腰の湾曲刀を抜き払った刹那、彼のすぐそばに転がっていた魔狼の骸は幾匹もの魔犬の群れに変じた。


「結構。あなたがそれとお望みならば、私も疾くと用を済ませてしまいましょう」


 魔犬どもは恨めしげにカイネを睨めてから駆け出す――ジョッシュの駆る馬車の方角へ。

 カイネの読みは外れていなかったようだ。


「魔獣を飼い慣らしておるのも偽りに非ず、か」

「誤解ですよ。あの時は『千の魔獣』などと申し上げましたが――あいにく数に限りはございませんし、ましてやあなたでは私を斬り伏せることも出来やしません」

「……ほう」


 魔術学院では見逃したが、ここは森を切り開いて敷かれた道のど真ん中だ。周囲にはばかる理由も、相手を取り逃すわけもありはしまい。

 カイネはすぅと目を眇め、剣光瞬く白刃を正眼に構える。

 ごく自然に歩み寄り、彼我の間合いを詰めていく。

 一歩、二歩。


「試してみるか」

「いくらでも。無駄でしょうが――」


 三歩。

 ネイトは右手で湾曲刀をかざし、カイネの踏み込みとともに振り放たれた斬り上げ一閃が二の腕から先を刎ね飛ばした。

 掌が刀を握り込んだまま飛ぶ。切断面から飛沫をあげるものは血潮にあらず、それはさながら漆黒の泡。


「――――おっ」

「人並みには斬れるようだの――」


 あまねくこの世に斬れぬものなどありはしない。斬れぬものがあるとするなら、それはすでにこの世に無いものだけ――

 カイネ・イリアルテはその理を、カイネ・ベルンハルトの剣の理を脳裏に復唱する。もはやそれはカイネ自身の理にあらずとも、しかしその理はしかと少女の剣に生きていた。


 しかしネイトは薄笑いを浮かべながら距離を取るように後ずさる。

 カイネは追い打つべくネイトの胸元に剣閃を瞬かせ、


「来たれ〝狗神〟」


 宙空にあった湾曲刀がネイトの左手に吸い付くかのごとく飛来。刀身が放たれた矢のような鋭さで割り込み、カイネの一太刀はすんでのところで食い止められていた。

 キィン、とかん高い金属音。

 

「まだやるつもりかの。その腕で」

「ご心配には及びません」


 互いの刃を噛み合わせる刹那、ネイトの腕の断面がぼこっと盛り上がる。

 それは魔犬の恨めしげな(かお)によく似た紋様を描いていた。

 一瞬後には黒い泥のような塊が零れ、地に落ちた端からちいさな魔犬が『産まれ落ちる』――さらにカイネの切り飛ばした腕が粒子状の泥に還元され、ネイトの腕の断面へと吸い込まれていく。

 腕の先から伸びた泥は瞬時に人の腕を形作り、十秒と経たないうちに元の形を取り戻した。


「いくら斬れども元通り、というわけかえ」

「再生? 馬鹿を言ってはいけません。私の血肉こそが魔獣(いぬがみ)であり、魔獣(いぬがみ)こそが私の血肉なのです。私は何も変わっちゃあいない――」


 ネイトは一歩引き、すかさず刺突一閃を放つ。

 カイネは半身をよじる最小限の動作でそれを避け、腰をひねり、返す刀でネイトの首を刎ねた。

 薄笑いを浮かべた顔がごろりと地に転がる。胴体がやにわに後ずさり、刀を握る手が垂れ下がり、そして転がっていた頭が黒い泥に溶けた。

 泥は瞬く間に魔犬の群れを形作り、黒い顎が開かれる。


「無駄だと言ったでしょう」


 ネイトの声だった。

 カイネがそれを一瞥する間もなく首の断面が泡立つ。

 頭部が『生え変わる』のを待たずにネイトの胴体はゆるりと湾曲刀をかかげた。


「これをあなたにけしかけても良いのですが……いえ、やめておきましょう。いくら雑魚をけしかけたところで時間の無駄でしょうからな」


 先頭の魔犬はそう言ったっきり馬車の方角へと駆け出す。もはや狙いを隠そうともしない。

 首を斬り落としてもなお死なない――ネイトの意識は連綿と続いている。


「斬れますまい、娘よ。カイネ様ならばまだしも、あなたではとてもとても」

「……面妖なやつよ」


 人の意識というものはどこにあるのか。少なくともネイト・クロムウェルの意識は脳に依存していないようだ。

 頭部の半ばが黒い泥のまま彼は語る。手にした湾曲刀が鋭く走り、カイネは一歩退いて刀身でそれを受ける。


「『斬る』という行為の本質を考えたことはございますかな、娘よ」

「……なにを言い出す?」

「無いでしょう、あなたには。さすれば私を切れようはずもない――」


 ネイトの問いかけはカイネに向けられているようで、どこか独語じみてもいる。

 カイネにはその言葉の意味がわからなかった――そして少女にわからないということは、おそらくカイネ・ベルンハルトの頭で考えてもわからないということだ。

 あるいは――


(……頭ではわかっておらずとも、身体ではわかっておったか……)


 記憶の外側にある知恵ならば、少女に引き継がれていないのは当然のことだろう。

 もっとも、そんなものが本当にあったとすればの話だが。


 カイネは剣先を滑らせて飛び退く。

 彼我の間合いを離し、俯瞰するようにネイトの姿を観察する。


「いいですか。『斬る』という行為は煎じ詰めれば、物の形を変えることです。物を加工するということです」

「……おまえさんの講釈に耳を傾けるほどのんびりはしておれんぞ」

「これがカイネ様に向けたものなら神に教典を紐解くようなものですがね。あなたは何もわかっておられないからこのような無為をしでかすのです」


 黒塗りの泥に人の皮が張られていく。全ての器官が生み出される。

 ネイトの頭部は全くの元通りに蘇った。


「『斬る』という行為は破壊に直結するものではありません。いえ、破壊を意味することもありますが、それは主観的な表現です。つまりあなたは、私という物の形を加工しているに過ぎないということです」

「……言いたいことはそれだけか?」


 カイネはすぅっと瞳を眇め、かすかな違和感を覚えた。

 怜悧な紅玉がネイトの薄笑いを捉える。

 糸のように細い彼の目が、カイネを見るともなく見ている。


「ここからが本題ですよ。カイネ様は斬れぬものなど無いと仰られたそうですがね――いやはや、カイネ様は少々言葉が過ぎる。この世界には変えられないものもあるのです。『斬る』という行為はつまるところ、物の形を変えることに過ぎないのですから」

「今のおまえさんがそうだとでも?」


 屁のような理屈だ。屁理屈であり、ごまかしだ。

 ネイトであっても例外たり得ない――彼の論理に則っても、一度変化してから元に戻しただけのものを『変えられないもの』と表現するのは無理がある。


「えぇ、えぇ。全くその通りです。この世界に変えられぬものなどいくらでもあるのです。そのひとつが私であり、女王陛下であり、そして――忌々しいことにあなた自身もそうなのですよ」

「……言うだけ言ってみるがいい」

「存じておられるはずでしょう? あなたに与えられた呪いの名――〝永劫不変(エターニティ)〟の娘よ」


 ――――それはおれを縛るための名前だったか。


 平時であれば衝撃をもって迎えたかもしれない一言を、しかしカイネはあっさりと聞き流した。

 少女の紅玉はただひとえに、ごく普通の人体を装っているネイトの全体像へと向かっている。


「……なぜだ?」

「語るまでも無いはずですがね。あなたのその呪は――」

「いやおまえさんには聞いておらん」


 彼はなぜわざわざ人間のかたちを装っているのか――思わず口をついた疑問はネイトに向けたものではない。

 人の目がある時は人間の姿をしている方が自然だが、今はその限りではない。どのような異形に变化したところで目にするのはカイネただ一人なのだから。


 しかし話の腰を折られたネイトは苛立たしげに眉根を寄せ、お互いの距離を一歩詰めた。


「……どうやらご自分の立場を理解されておられないようですね、娘よ。あなたのご友人方は今に――」

「おまえさん、なにか隠しておるな」


 カイネは手を下ろした自然体で一歩歩み寄る――無形の位。

 瞬間、ネイトはぴくりと頬を震わせた。

 それはカイネの観察眼をもってしても錯覚と見紛いそうな、あまりに些細な反応だった。

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