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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
四章/死霊宴舞
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十二/生霊退散

「なっ……何を抜かしおるかッ、この馬鹿者ッ!! どこの誰とも知れぬ馬の骨がッ、今すぐに撤回せよッ!!」

「しねェよボケッ! こっちこそどこの誰だか知らねぇがさっさと消えろッ、あんたの企みは破綻したんだよッ!!」


 静謐を破る死者の金切り声。

 ジョッシュは身も蓋もない言葉を吐き捨て、入り口をふさぐ死体を退かしていく。


 しかし相手がどこの誰か、少女――カイネ・イリアルテは確かに聞いていた。

 アーデルハイド・エーデルシュタイン。

 その名はまさにカイネが直感した通りだった。なぜ彼女が現世に生きているのか、その名乗りが真実であるかを確かめることまではできないが。


「ぐ、ぬぬッ……図に乗るでないうつけめがッ! 素人の付け焼き刃の呪言ごときッ、そう易易と効き目を表すはずもなかろうッ!!」

「ならば試してみるか」


 カイネは死者の山を退かしながらうそぶく。


「……なん、じゃと?」

「おい、待てカイネ。そんな挑発するこたぁ――」

「諦めがつくまでこやつは去らぬであろうからな。こやつが死者の口を借りておるからには、こちらから手の出しようもなし。好きなだけ名付けの(しゅ)を試してみるがよい」


 カイネはすでに、アーデルハイドの目論見にあらかた見当がついている。

 カイネ・ベルンハルトと少女をぶつけたのは、少女がカイネ・ベルンハルトではないこと――すなわち何者でもない名無しの少女であることを認知させるために他ならない。

 そこにアーデルハイドが死者の口を借りて現れた。少女に命名の呪をかけるために。


 命名の呪をかけるための前提条件。それは対象が『自分は何者でもない』という認識を持っていること――言いかえれば、生まれたばかりの幼子にも等しい状態であることなのだろう。

 そしてその条件は、ジョッシュの言ったとおり破綻したに違いない。

 彼の咄嗟の機転による呪術的介入によって。


「う……ぐ、ぬぬッ……!」

「どうした、試さぬのか。おまえさんの言う通り、ジョッシュは呪術に関してはてんで素人であるからの。そう簡単には新たな名を呑み込めておらぬかもしれんぞ?」


 カイネは挑戦的に眉を釣り上げて言う。

 新たな名前に戸惑いを隠せないのは事実だった。

 しかしながら、『何者でもない』という認識はもはや遠い。カイネは短い間ながら、幾多の人々と関わりを持っており――中でも最も長い時間をともに過ごしている人物こそ、ジョッシュ・イリアルテという男だからだ。

 カイネが紡いできた言葉は、考えてきたことは、カイネ・ベルンハルトという男あってこその借り物だ。

 一方で彼は、カイネ・イリアルテのような考えを巡らせることも無かっただろう――それは少女に与えられた器あってこその思索であるからだ。


「お……おぬしが、カイネを名乗るなど、ありえぬッ……!」

「あぁそうだの。おれはカイネ・ベルンハルトではないからな」

「き、詭弁をッ……!!」

「おまえさんの呪とやらも詭弁と似たり寄ったりであろうよ――どうした、試さぬか?」


 カイネは内心の畏れを押し殺して誘いをかける。

 彼女の呪いが通じないという確証はない。

 だが、自信はあった。

 カイネの立ち居振る舞いは、少女の赤い瞳に宿る眼光は――『何者でもない』という不安の色を一切残していなかった。


「……み……認めぬッ! 認めぬッ、認めぬぞ妾はッ!! おぬしがッ……おぬしはッ!!」


 アーデルハイドは、カイネの名を決して呼ぼうとしなかった。

 彼女は優れた呪術師であるからこそ気づいてしまったのだろう――もはや命名の呪は通じぬと。

 その上で〝カイネ〟の名で呼びかけることだけは頑なに拒んでいた。一度そう呼びかけてしまえば、ますます少女の認識――ジョッシュのもたらした〝カイネ・イリアルテ〟という呪を強化してしまうことになるだろうから。


「おれはカイネ・イリアルテだ。アーデルハイド、おまえさんのものにはならぬ。疾く失せよ」


 カイネは淡々と言い捨てる。

 アーデルハイドはいよいよ言葉を失い、死者の山がしんと静まり返る。

 ジョッシュは首をすくめてため息をつき、


「やっと消えやがったか――」

「許さぬッ!! 許さぬぞ貴様だけはッ!!」


 死者たちが怒号を張り上げる。

 彼らの声は、明白にジョッシュへと向けられていた。


「……俺かよ」

「逆恨みというやつであろ」

「黙るのじゃッ!! 名は覚えたぞジョッシュとやら――どこの馬の骨とも知れぬものがこの妾の邪魔をしてくれおってッ! 貴様は、貴様だけは必ずや末代まで呪い永劫の苦しみを与えてくれようぞッ!!」


 宣言とともに、死者の群れが起き上がるかと思われた。

 しかし声はそれきりだった。死体が起き上がることももはや無かった。

 アーデルハイドの意志はこの場から去っていったようだ。


 ジョッシュはまた大きくため息をつき、死体を退かす作業を再開しながら問う。

 まずはアーガストとの合流を図るべきだろう。


「なぁカイネ。アーデルハイドっつぅと……」

「そう。あのアーデルハイドであろうな」

「……本気かよ。えらいことになっちまったな……」

「まったくだ。おぬし、あれに一杯食わせるとは大金星ではあるまいか」

「冗談きついっての。馬の骨扱いじゃねェか、俺なんぞがどうしてこう大層な目に――」


 死者の壁の向こうに階段への入り口が見える。

 カイネは彼の腰を軽く小突いて言った。


「謙遜するでない。おれは、おぬしに救われたのだ」

「いちいち良いっての、んなこと――というか悪ィな、勝手に押し付けちまって」


 ジョッシュは足元の死体をかき分けて道を作りながら言う。

 押し付け、とはカイネの新たな名前のことであろう。


「かまわぬよ。というか、同じ姓を頂戴してよいのか?」

「いいも悪いもねェっての、それしか思いつかなかったんだって。……嫌じゃねえか?」

「特に悪い気はせんが。……おれとおまえさんを血縁関係で通すのは難しかろうが」

「そりゃまぁ」 


 ジョッシュはばつが悪そうに頭をかく。

 階段への道ができた。カイネは先を行くように地上への階段に向かって歩みだす。

 ジョッシュはその背に続きながらぽつりと言った。


「……養子とかになんのか?」

「おれが? ……おまえさんのか?」

「兄妹って風でもねェだろ」

「……そうか。おれが下なのだな……」


 カイネはしみじみとつぶやく。

 カイネ・ベルンハルトとしての記憶は依然としてあるのだが――少女の意識が覚醒した時点を誕生日とするなら、まだ年齢は一歳にも満たないことになる。


「……まだなんとも言えぬな。おれがこのまま学院におれるかというと……」


 カイネが学院に留まることを許されていたのは、カイネ・ベルンハルトとしての名声や功績も手伝ってのことだろう。その恩恵に少女が浴するのはいささか不当であるように思える。

 とはいえ、アーデルハイドにかけられた呪い――〝永劫不変(エターニティ)〟はいまだ残っている。カイネ・イリアルテがただの人として齢を重ね、老い、やがて死を迎えるためには呪いを打ち破ることが必要不可欠なのだが……。


「……あまり急ぐなよ。簡単に割り切ったみてェな面してっけどな」


 ジョッシュのつぶやきは正鵠を射ていた。今はやるべきことがいくらでもあるから考えずに済むが、『自分はカイネ・ベルンハルトではなかった』という事実は後々まで尾を引くかもしれないからだ。

 カイネは答えず、早足で階段を登っていく。

 灯りひとつない真っ暗な通路は、これからの前途を思わせるものだった。


 ***


 それはこじんまりとした、しかし優美な家具や装飾を取り揃えた豪奢な一室でのことだ。 


「あああああああああああぁぁぁッッ!!!」


 ひとりの女が、天蓋付きのベッドで転げ回っていた。

 狂態であった。

 金切り声は、女が枕に顔を埋めているせいでくぐもっていた。


「あああああああああぁぁッッ!! ううううッ!!」


 女は腰まで届く長い銀髪に、血のような赤い瞳をしていた。

 美しい女であった。年の頃は二十か、多く見積もって三十そこそこであろう。

 身の丈は五尺七寸(171cm)ほどで、黒い法衣に包まれた身体は柔らかな印象を与える。それでいて視線は鋭さを絶やさず、どこか嗜虐的な色を湛えている。


「あの馬の骨ッ……許せぬッ……許せぬうぅぅぅッッ!!」


 女の表情は憤怒と怨嗟に満ちていた。

 女は、アーデルハイド・エーデルシュタインであった。


 彼女は誰の目をはばかることなくベッドの上を転げ回り、叫び、泣き狂い、ありったけの感情を撒き散らす。

 その最中に、部屋の戸をノックする音がした。

 アーデルハイドは構わずに狂態を継続した。

 きぃ、と音を立てて扉が開かれる。


「女王陛下――」

「ああああああああああああああッ!! やつは!! やつだけは妾がッ!! 妾があああぁぁぁッ!!」


 アーデルハイドの狂態を目の当たりにしたのは、漆黒のローブに身を包んだ長身痩躯の男だった。

 男は扉を開くのみで、部屋の敷居を跨ごうとはしなかった。


「アーデルハイド女王陛下」

「む……オグムか。どうかしたかえ」


 アーデルハイドは何事もなかったように顔を上げて男の方へ向き直る。

 オグムと呼ばれた男は身体のどこもかしこもがかぴかぴに乾いており、年は七十をゆうに上回っているかに見えた。まるで木乃伊のような男であった。


「カインド領に放っていた蟲が探知しました。奴らが出発したと」

「ほう、そうか。少し待つが良い」


 アーデルハイドはそう言ってオグムを制するように掌を突き出した。そして枕に埋まるように寝そべった。


「ああああああああああああぁぁぁッッ!! 殺す!! いや殺さぬッ!! 楽に殺してなどはやらぬッ!! あの馬の骨ッ!! ジョッシュとかなんとかいう馬糞めがッ!! 永代までじわじわと呪い嬲り殺してやろうぞ!! 絶対!! 絶対じゃぞッ!!」


 アーデルハイドはオグムの視線など少しも気にせずに狂を発した。

 オグムは特に戸惑うことなく跪き、床から仰ぐようにアーデルハイドを見上げた。

 ベッドに寝そべったままぴくぴくと痙攣した後、彼女はふと顔を上げた。

 その表情は平静そのものだった。


「うむ、待たせたのう」

「滅相もない。女王陛下の貴重なお時間を割いていただき感謝の極みです」

「うむうむ、苦しゅうない……で、どうじゃ。ネイトはすでに出ておるのだな?」

「は。陛下のご要請どおりに」


 ネイト・クロムウェルはアーデルハイドが発した刺客だ。彼は十二使徒の一門に連なる呪術師であり、一流の剣士でもある男だ。

 彼は純粋な剣術に限ればカイネには全く敵わない。不出来な人形に降ろされたカイネに勝てるかどうかという実力だ。〝何者でもない小娘〟にぶつけて実力を確かめたのはそのためだった。


 しかしネイトの呪術と剣が組み合わされば、その実力は決してあの小娘に引けを取らないとアーデルハイドは見ている。

 アーガスト・オランドはその場で殺害しても良し。小娘は肉体を多少破壊してても捕獲。ジョッシュとかいう馬の骨は生け捕りにせよ、というのがアーデルハイドの下した指令である。


「うむ、わかった。また報告しとくれ」

「差し出がましいことを申しますが、援護などはよろしいので?」

「あやつに雑兵をどれだけぶつけても無駄骨じゃからな。四騎士全員とぶつかっても勝負はわからぬ」

「それほどですか。では、ネイトは……」


 オグムは面を伏せたまま目をつむる。

 しかしアーデルハイドはあっけらかんと言った。


「いやいや、それがわからぬのじゃな。決して捨て駒などではないのじゃ」

「……何かお考えが?」

「うむ。あやつの術は、実に――〝剣士殺し〟には向いておるからなぁ。一人でやってのけるかもしれぬぞ」


 にまにまと口元に人の悪い笑みを浮かべるアーデルハイド。

 オグムは表情を変えずに淡々と言う。


「それは……少々無念ですな」

「ほう? ……そういえばおぬし、ファビュラスのやつを目にかけておったな?」

「ご慧眼です。あれは一介の魔術師でありながら独学で我が〝天涯蠱毒(ヴァルホール)〟に迫った逸材……失うには惜しいものでした」

「ほほ、それはそれは……そやつにも妾が築く千年王国の席を作ってやらねばのぅ?」


 アーデルハイドは微笑み、ベッドの上にごろんと寝転がる。

 オグムは頭を垂れて「それはとても良いお考えです」と追従するばかりであった。

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