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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
四章/死霊宴舞
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十一/命名

「……これでよかったのか?」


 少女はふと視線を落とす。

 カイネは赤い水溜りに膝を突きながら呵々と低く笑った。


「よいも悪いもなかろうが。今さら死に様など選べはせんが――うむ、強いて言うならば望外であろうな」

「……斬られてんのによく喋る爺さんだな」


 ジョッシュは筒から手を離して目をつむる。

 呆れたような表情を浮かべつつも、安堵に息をつく様子までは隠せていない。


「おれが死ぬのはよいにしても、剣まで共に逝かせることは無かったしのお。これで託せる相手が見つかったというものよ」

「……おれが良いようにしてやれるとは限らんぞ」


 少女は彼から譲り受けたといえる一振り――黒月を一瞥して頭を振る。

 その刃は永い時の流れを耐え抜いたとは思えないほどまばゆく、一片の傷みもうかがえない。少女ともどもに呪われたようなその刀はもはや一心同体にも等しい有り様だ。


「そこまではどうこう言わぬよ――おまえさんがどう生きようとおれが知ったことではないのと同じことだ」

「そのような身体ではろくに動けもせんかったろうに」

「……どういうこった?」


 ジョッシュは怪訝そうに少女をじっと見る。

 カイネの魂が宿った肉体は作り物に過ぎないが、しかし少女の身体に比べればよほど堅牢にも見えるだろう。

 しかし少女ははっきりと首を横に振った。


「おれの――こやつの全盛期には程遠いからの」

「……どんな身体してたってんだよ」

「そうではない。果たして全盛期がいつだったか、という話よ」


 少女に言い添えられてジョッシュもぴんとくる。

 カイネ・ベルンハルトの生涯は百歳を上回る。さらにその剣が練達を極めたのは、余人が次々と死を迎えるような老境に至ってからだった。

 老衰など問題にもならない。

 むしろ筋肉など邪魔なだけ。

〝刀神〟の名をほしいままにした時期は老年に入ってからの方がよほど長く、ゆえにカイネの全盛期とは肉体がやせ衰えてからのことを言うのだ。


「……言っても詮無きこと。結局は無いものねだりに過ぎんからな」

「面白いことではなかろうに」

「仮釈、おれが万全であったとしても同じ結果だったであろうよ――おまえさんには一日の長があろうからな」


 カイネはごぽっと血泡を吐き、またくつくつと笑みを漏らす。

 生まれたばかりといっても過言ではない少女にしてみれば違和感がつのる言葉だが、それの意味するところは自ずと知れる。

 カイネ・ベルンハルトの時間は二百年前、彼が亡くなったその時から停まっていた。

 かたや、少女の刻は緩やかに流れていた。それが一年にも満たない短期間に過ぎずとも、彼我の差を分かつには十分であったろう。


 少女がカイネ・ベルンハルトの記憶をそのまま引き継いでいるからこそ。

 カイネもまた確信していたのだ――『己の記憶を継ぐものが鍛錬を怠っていようはずはない』と。


「……つまるところ、おれがこうして立っておるのは……剣を振るわずにはおられぬおぬしの業の賜物よな」

「おれの業でもあり、おまえさんの業でもあろう? ……おまえさんがどうするかはおまえさん次第、だがの」


 血塊に濡れた男の唇が愉快げに笑みを描く。

 招き寄せられてからあまりに短い間ではあるが――願わくば楽しんで生きよ、という言葉を身を持って表すかのようだった。

 剣に生き、剣に死んだひとりの男。

 我が物として感じられるこの男の魂は、また人形から離れゆこうとしている。


「さぁて……ちと、長居しすぎたかの」

「……亡骸は捨て置いていくぞ」

「いちいち言うまでもあるまい――ああ、その身体はせめて墓に入れるのだぞ。そのなりでもおれの身体であるからのう」

「あいにく、約束はできんな」

「これしきの約束もできんのか……うむ、まぁ、仕方あるまい……おれも保証はできんかったろうしな……」


 カイネは納得げにつぶやいて呵々と笑う。

 光の絶えた瞳がゆっくりと瞼に伏せられていく。


「……うむ、しゃあないのう。そこのおまえさんに頼むとするか……」

「俺にどうこうできる珠じゃねェよ、爺さん」

「よう言いおる。あれだけ気勢を張っておいてからに……」


 カイネにそう皮肉られ、ジョッシュはばつが悪そうに頭をかいた。

 少女がゆっくりと男のそばに膝をつく。

 頭で違うとわかってはいても、己の最期を看取るかのような奇妙な気持ちは拭いがたくある。


「なるべく悪いようにはすまいよ。……去らばだ、カイネ・ベルンハルト」

「……うむ、そればかしでも十全というもの。……去らば、名もなき娘よ……」


 骨ばった手が少女の頬にそっと触れる。

 と、男の腕が血溜まりに落ちる。

 それきり彼は動かなかった。

 カイネ・ベルンハルトは事切れた――その魂が現世に招かれることも最早あるまい。


「……終わったな」

「……う、む」


 万感のこもったジョッシュのつぶやき。少女は神妙に頷く。

 これで終わった。

 ウィレム・カインドのはかりごとが明らかになることはついぞ無かった。

 そして、少女の旅も終わった。

 この肉体が魔女の祖(アーデルハイド)の呪いを受けていることは依然として変わらないが――それでも、呪いを解くことを急ぐ理由はもはや無くなった。


「帰るか。これからどうするかも考えなきゃなんねェだろ?」

「……そうだの。おれはあやつではなかったのだし――」

「――終わったと思っておるのかえ?」


 その時、少女の感慨を妨げるように誰のものでもない声が聞こえてくる。


「なッ……!?」

「――何奴か」


 ジョッシュは咄嗟に筒をかかげ、少女は声がした方に剣先を向ける。

 その声は、ウィレム・カインドに酷似していた。

 しかしその声色は、あからさまにウィレムではない何者かのものだった。


「何奴かじゃと?」


 視線の先。

 声は、ウィレムの生首から発せられていた。

 カイネの斬り落とした生首が、ひとりでに何者かの声を紡ぎ出しているのだ。


「その言葉、妾がそっくり返そうぞ――おぬしは何奴か、何者でもない小娘よ?」

「……おまえさん、もしや……」


 少女はその声の主に思い当たる名がひとつだけあった。

 まさか彼女が、と思う。

 あの女がこの時代に生きているはずはない、とも思う。


 だが、今しがたカイネ・ベルンハルトがこの世に降り立ったように。

 彼の影写しのごとき少女が今ここにいるように。


 あの女が現世で暗躍していたとして、果たして何の不思議があろうか。


「くくく、答えぬか? 答えられぬか? ならば妾が――――」


 何かを言いかけた生首が不意に弾ける。肉片と血と骨が床に四散する。

 ジョッシュの筒から射出された幽体弾が、ウィレムの頭部を粉微塵にしたのだ。


「……撃つには早かろうに」

「悪い。嫌な予感がしたから撃っちまった」


 少女はじとりと睨めつけるが、ジョッシュはあっけらかんと言った。

 安全策を取るならば確かにその判断は正しかったが――


「……馬の骨の分際で妾の話を遮るかえ。無礼者めが」


〝彼女〟の干渉はそれに留まらなかった。

 周囲に散らばっていた死体が次々に起き上がり、何者かのことばを代弁し始めたのだ。


「くそッ、カイネ――じゃなかったッ、とにかく逃げるぞッ!!」

「ならぬわッ!!」


 死者の群れはふたりを見向きもしない。彼らは一目散に広間の入り口へと殺到、ちょっとやそっとでは取り除けないほど分厚い肉の壁を築く。

 死者の口を借りた声は、いまや大広間中に反響していた。


「くふふっ、逃がさぬぞ小娘よ! おぬしはすでに妾が術中、壷中にあり! おぬしは妾の所有物(もの)となるのだからのぅ!」

「……ジョッシュ、あれをどうにか退かすぞ。この場所はちとまずいらしい」


 ウィレム・カインドのはかりごとはまだ続いている――

 少女は死者の語ることばから直感した。彼は自らの命を費やし、少女を陥れるための罠を完成させたのだ。

 そうでもなければ、この女が今ここに現れた理由がない。


「あァわかった――いいか、そいつの話に耳傾けんじゃねェぞ!?」


 ジョッシュは幽体投射筒の引き金を何度も引きながら肉の壁を崩しにかかる。死体の数はざっと三桁を下らない――排除するのに数分はかかってしまうだろう。

 少女は頷き、自らも肉壁を手で退かしていく。こればかりは剣ではどうにもならない。


「滑稽なものよのぅ? おぬしはあの男ではないというのに、あの男の記憶の残滓にしがみついて……」

「……それがどうした」

「彼奴の記憶を除けばおぬしに何があろうな。何者でもない、名もなき小娘に過ぎぬおぬしに――」


 少女は死者のことばを左から右に聞き流しながら手を動かす。


「今のおぬしに人並みの生を送れるとでも思うてか? 彼奴のできの悪い模倣が精々であろうよ」

「何者でもないことなど承知のうえ。……今はそれで構わぬよ」

「ほほ、身の上を弁えておるのだのぅ? そう、おぬしはカイネ・ベルンハルトに非ず。……彼奴の名残が妾の手を離れて動き回っておるなど忌々しいにも程があるのでなぁ」

「……だめだ、聞くな。そいつは絶対なにか企んでやがる――」

「くく、呼ぶべき名も無くてはそこの凡骨もやり辛そうじゃのう?」


〝彼女〟のあざ笑うような声にジョッシュは歯噛みする。


(……何をたくらんでおる? あの時は……)


 少女はかつて、カイネ・ベルンハルトが呪いにかけられた時を思い返す。

 あの時、彼女はカイネのことばを絡め取って呪いをかけた。

 だがわからないのは、彼女がどのような呪いをかけようとしているのかということ。


「喜ぶがいい小娘よ。この妾が直々に、何者でもないおぬしに名を賜ってやろうぞ」

「いらぬ。おまえさんの考えた名前など――」

「母として名を賜るのは当然であろうぞ? おぬしの身体をくれてやったのはこの妾であるからのう……今こそ、それを妾のもとに返してもらわねばならぬ……」


 彼女の囁くような声に、少女はふと思い至る。

 

 名を与えられること。名付けられること。

 それは人生における初めの節目、ある種の儀式と言ってもいい。

 子どもは親に名を与えられ、その保護下/支配下に置かれる。

 あるいはそれが、呪術として重大な意味を持つ行為であるならば。


「断ることはまかりならぬ。受け容れるがいい、何者でもなき娘よ」


 自らがカイネ・ベルンハルトであるという認識は、呪的防壁としての機能を果たす。

 だがその認識はいまや剥ぎ取られた――その認識を剥ぎ取ることこそ、ウィレム・カインドの目的であったとすれば。

 少女はいまや、全くの無防備だ。


(……気づくのが、一手遅かったかの)


 読み切ったところでもはや無意味。

 自身による命名は対抗策になりえないだろう。名付けという行為は対象となる事物の外から行われるものであり、自己命名など蟷螂の斧にも等しい。


 ――大広間中に反響する死者の声が、少女に向かって宣言する。


「アーデルハイド・エーデルシュタインの名のもとに命名す。汝その名を――」

「――カイネ・イリアルテだッ!! いいなッ!?」


 そしてジョッシュの大音声が、死者の声をかき消した。


「……え」

「いいか!? いいよな!?」

「え……あ、うむ。いい……か? おまえさんはそれでよいのか……?」

「他に浮かばなかったんだからしょうがねェだろ!? 取りあえずだよ取りあえず!!」

「う、うむ。では、まぁ、よいか。それでよいぞ」


 少女は――――〝カイネ・イリアルテ〟はジョッシュの勢いに気圧されて頷く。


「……は……?」


 主人の意志を代弁する死者たちが、ふと呆気にとられたような声を漏らした。

 告げられるべき名は、告げられなかった。


 大広間に気まずい沈黙の帳が下りた。

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