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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
四章/死霊宴舞
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十/カイネ・ベルンハルト

 男と少女が対峙する。

 壮年の男は、脇に控えるジョッシュに一瞥をくれた。


「そこのおまえさん、合図を頼む。よいな?」

「……本当にやんのかよ」

「邪魔立てなどしてくれるなよ。おれが逝くためなのだ」


 ジョッシュは複雑な気持ちで頷く。

 なにより気がかりなのはカイネ――否、カイネ・ベルンハルトならざる少女のことだ。

 少女は目に見えて意気消沈しているようではない。ただいつものような飄々としたところがなく、こわばった表情からは内心の苦悩がありありとうかがえる。


 この状態で『本物の』カイネ・ベルンハルトの相手などできるのか――

 ジョッシュのそんな懸念とは裏腹に、少女はあっけらかんと言った。


「ジョッシュ、いつでもよいぞ。始めてくれ」

「ッ……あ、あぁ」


 ジョッシュは深く息を吸い、対峙するふたりを眺め渡す。

 かたや壮年の男――三尺ほどの長剣を片手に。

 かたや矮躯の少女――見慣れた白刃〝黒月〟を両手に。


 男は自らの愛刀を求めなかった。

 自らの肉体とともに、その刀が少女の手に渡ったことをすでに認めているかのように。


 ジョッシュはふと目を眇め、


「用意…………始めッ!!」


 高らかに宣言する。


 一瞬、両者はぴくりとも動かなかった。

 お互いの視線だけが刃越しに交錯した。

 

 先に仕掛けたのは男の方だ。

 声も足音もない、風鳴だけを残す静謐な一振りを少女は刃で受けてさばく。

 キィン、とかん高い金属音が響く。


「……死ねればよかったのではなかったか?」


 少女は一歩退いてぽつりと一言。


「うむ。そう思っておったのだが――ちと、欲が出てな。愉しみとうなってきた」

「実に……性のないやつよ」

「わかっておるのだろう? おれのことは」

「……いやになるほど、な」


 ひゅん、と風を切る音が連なる。

 まともな打ち合いは一度としてない。

 刃先をそらし、いなし、微妙(みみょう)にかすめては外側にさばく――風に揺れる柳のような剣戟が連綿と続く。


 ジョッシュの目から見ると、少女はいかにも不利に見えた。

 外見や間合いだけを問題にするわけではない。

 得物の違いを差し引いても、男が精神的な優位を握っているためだ。


 死を前提にしているからこそ、恐れるものは何もなし。

 精悍な表情には楽しげな笑みすらうかがえる。

 子や孫と戯れる時の表情とでも言おうか。

 剣とともに死を隣にしながら、男はある種の余裕さえもまとっていた。


「なにが面白い」


 少女は刃をすべらせるようにして男の切り下ろしをいなす。

 どこか憂いを帯びた表情で、しかしその剣の冴えに衰えはない。

 男はすぐさまさばかれた刃を反攻に転ずる。


「面白くないわけがなかろう」

「技をかすめ取られてか?」

「おれの他におれの技を継ぐものがおるのだ――ああ、やはりおまえはおれではない。おれではないからこそ、面白い」


 男はこの状況をあからさまなまでに愉しんでいた。

 下方にさばかれた刃がすぐさま上方に転じて斬り上げられる――

 ベルンハルト礼刀法〝抜〟。


「あいにくだが、おれはおれの……おまえさんの技を伝えるつもりはない」


 少女は胸の前にかざした刃を降ろし、斬り上げの刃を遮るように止める。

 ベルンハルト礼刀法〝閂〟。


「おれもそんなことは望まんよ。だが……うむ、あの女の気まぐれとおれの剣がおまえさんを産んだのだ。大いなる偶然というやつよな」

「……ぞっとせぬ考えをするでない。らしからん」

「はは、ちょいと感傷的になってしもうたな――それと、おまえさんの技はすでにおまえさんのものだ。その由縁がいかなるものであろうとな」


 お互いの刃が噛み合う。

 鍔迫り合い(バインド)に移行。

 両者はすぐさま刃を打ち合わせて一歩退く。

 少女が間合いを測るようにまた半歩下がる。


「……おれに何を望むか」


 少女はぽつりと一言。


「おれは何であろうな。おまえさんはおれにとっての何だ?」

「おれは、おまえさんの……偽物であろうよ」

「そいつは皮相的な……自虐的に過ぎる考えであろうな。強いて言うなれば……うむ、我が子とでも言うが適当かの」

「……阿呆めが」


 少女の言葉は自らに向けられたものにも等しい。

 しかし男は笑ってのたまうのだ。


「このおれの血と肉のみならず技も分かつ娘とでも思わば愛おしいものよ。うむ、ちとおれのことを知りすぎてはおるがな」

「おれは――とてもそうは思えぬよ」


 少女から仕掛ける。

 肩口から抜けるように振り下ろされた黒月は刃先を絡め取られ、胴の手前に押し止められた。


「おまえさんの納得如何は問題でないからな。おれにとってはそうというだけ……おれが娘に望むものか。さて……」

「妻帯もせんかった男が何を言えようかというものかよ――」


 少女のつぶやきはそのまま己への呪詛として返る。

 カイネ・ベルンハルトであることを否定されてもなお、そのことを完全に飲み込めたはずもない。

 

「はは、いやまったくもって。ゆえに、おれがおまえさんに望めるものなどたかが知れておろう?」

「せいぜい言うだけ言うてみよ……ッ!」


 男が少女の剣先をかち上げる。

 少女は寸前で腰を落として大きな隙を晒すことを免れ、後方に滑るように身を引いた。


「生きよ」


 男の答えは端的だった。


「……それだけと?」

「願わくば楽しんで生きよ。うむ、その他に望むことなどありもすまいな――おれより長生きでもしてもらいたいところだが、おれはとうに死んでおるしな」

「戯けがッ……!」


 少女は口端を歪め、男と対峙しながら初めて感情をあらわにする。

 娘という例えもあながち外れちゃいないかもしれん――ジョッシュは傍目からいささか失礼なことを考えた。


 ***


 目的を失った今それを言うのか――――


 生きよ、という男の言葉が少女の脳裏に渦巻いていた。

 呪いを解き、元のあるべき形に――つまりは死に――還るということが少女の目的だった。

 目的は無に帰した。今この姿こそが本来の姿であり、元のあるべき形などありはしなかった。


 そのことが明らかになったのは収穫であれど、決して好転を意味しない。

 彼の娘などと思えるはずもなし。

 彼としての記憶があるからこそ、そんな認識を受け入れるくらいならいっそ腹を切る方がマシというものだが――


「ふむ。おまえさんの趣味には合わん望みかの」

「……おまえさんの望みに応える理由はないというだけのこと」

「ならば死ぬか」


 男はあっけらかんと言った。

 生きよと言った同じ口とは思えないほど――そして、彼自身が死ぬための立ち会いを望んでいたとは思えないほど気軽な口振りであった。


「お、おい待て。あんた、何言って――」

「邪魔立てはするでないと言ったろう」


 男は慌てふためくジョッシュを射すくめて長剣を両手に握り直す。

 ジョッシュは口を閉ざしながらも、〝筒〟をいつでも抜けるように手を伸ばす――男はそれに気づきながら咎め立てはしなかった。


「……本気で言うておるか」

「うむ。おまえさんを叩き斬ったところでそやつがおれを撃ち殺してくれるであろうからな」

「ッ、てめ……」


 ジョッシュの指先が筒の引き金にかかる。

 少女は彼を横目でちらりと一瞥した。


「よい、ジョッシュ。おれがやる」

「やれるか? もはや何者でもないおまえさんに」


 男は表情をぴくりとも動かさずに言い捨てる。

 少女からするとみえみえの挑発だ。こちらの意志を、意気を焚きつけるためのものに過ぎない言葉だ。

 しかしそれは紛うことなき事実であるからこそ、少女のかんばせを歪めさせるには十分な一言でもあった。


「生まれながら何者かであるように生まれいずる子などありはせぬ。それしきのことで生を望めぬというのならばいさぎよく逝け、魂の迷い子よ――――このおれが直々に引導を渡してくれよう」

「…………おれは」


 口の中がひどく渇く。

 掌をじっとりと濡らす汗を感じる。

 手に吸い付くような一振り――妖刀・黒月はいまだ少女の身に寄り添っている。


「ゆくぞ」


 男は――

 カイネ・ベルンハルトは抜き身の剣先をゆるりと掲げて歩を進めた。

 暗闇で満たされた視界にまたたく銀の刃。

 彼我の間合いはたった三歩。

 少女は全てが遅滞した感覚の中で、カイネの剣身が描く軌跡を読む。


 ベルンハルト礼刀法〝流〟。

 それは正面から向かい来る刃が転じて左右いずれかより迫る無拍子の一太刀であり、上段から小兵を刈るための型であった。


(このようなところで死ぬわけには――――)


 ――なぜ?


 咄嗟の思考を疑問が打ち消す。

 生き長らえねばならぬ理由がどこにあろう。

 自分はもはや何者でもないとすれば、その生を肯定するわけはもはや無い。


 カイネ・ベルンハルトは死を望む。当世にあり得べからざる命として、もはや生き長らえることを望まない。

 ならば少女もまた同じ。

 何者でもなければ何者でもないままに、綺麗さっぱり消えてしまえば産まれてこなかったも同じこと――


「カイネッ――――いや『あんた』だ、わかるかッ!?」


 ジョッシュの声。

 少女は迫る刃から一瞬たりと目を離さず、なんら反応を示さずにその声を聞いている。


「『あんた』はな、もう生まれてきちまってんだよッ!!」


 何者でもない少女はそれを聞き届けた。

 カイネの手元がふと揺るぎ、少女の眼前にまで剣先が『ぬるり』と伸びる。

 全ての時間感覚が早回しに動き出す。

 カイネの切っ先は少女の肩口に触れ、


 ――――渺。


 と、一陣の風が銀の髪先を揺らした。

 少女は男の右脇をするりと抜け、払い抜いた刃をぴたりと止める。

 男の剣は少女の肩口から首根にまで滑り込み、首筋を薄く裂いていた。


「――やりおるではないか」


 二者が互いに背を向けたまま、カイネは剣を握る手をだらりと垂らしてつぶやく。

 対する少女は円を書くように脚を踏み切り残心、剣先を宙に止めたまま男の背を振り返る。


「……しょせんはおまえさんの借り物に過ぎんがの」

「かまわぬさ。それだけ使えるなら文句も出んよ――おれの名は技に残りおるしのう」


 ベルンハルト礼刀法〝払〟。

 先手の刃を潜るように抜け、その一閃が落ちるより疾くすれ違いざまに払い抜く――振らせてから先を取るという返し技の極地。


 何者でもない少女は自らの首筋に触れ、首と胴がまだ繋がっていることを知る。

 男はゆっくりと少女を振り返り、掌からこぼれ落ちた剣がからんからんと空虚な音を立てた。


「生きる気には、なったか」

「気が進まんがな。……『生まれてきてしまった』からには仕方なかろ」


 それは、自らが何者でもないことを受け入れることだ。

 亡霊ならぬ身に死すべき理由はもはや無い。

 ゆえにこそ、生き長らえねばならぬ理由などそもそも考える意味がない――少女はもう、生まれてきてしまったのだから。


 ジョッシュ・イリアルテをちらりと一瞥する。

 少女の存在を認知するものは今ここにいた。

 カイネ・ベルンハルトとしてではなく、一人の名もなき少女として知る男。


「うむ、然り。おまえさんにもよい友がおるではないか――――ご、ぶっ」


 カイネは少女を見下ろしながら不意に呻く。

 腹から昇ってきた血塊を咳き込むとともに吐き出す。


 少女の振り抜いた剣は、男の脇腹を切り払いながら臓腑にまで食い込んでいた。


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