九/剣豪二人
がんっ、と音を立てて棺桶の蓋が蹴破られた。
中からむくりと身を起こしたのは、まだ壮年と言っていい齢の精悍な男であった。
つくりは、ソニア・アースワーズの手からなる人形にうり二つだ。
しかしその所作はまるで違った。
目の光が、立ち居振る舞いが、何もかもが人形とは違っていた。
「……なんじゃこれ」
男はがりがりと頭を掻き、白い死に装束に包まれた身体を見下ろす。
棺桶の中に収められていたのか、その手はごく自然に一振りの剣を握っていた。
「くっ……くく、ふふふっ! 成功だっ、成功しましたなぁ! これこそは真なる魂! 偽りの作り物ならざるカイネ・ベルンハルトその人ですっ! カイネ殿よ、これの意味することがおわかりですかねぇッ!」
ウィレムは満面の笑みとともに哄笑する。
カイネは、片手に黒月を手にしたまま半ば呆然と壮年の男を見る。
思えばウィレムは、カイネを〝カイネ殿〟と呼びこそすれど、ベルンハルトの姓では一度も呼んでいなかった。
知っていたのか。あるいはそう思わせたいのか。
この少女の身体に宿ったものは、カイネ・ベルンハルトの記憶を持ったいつわりの魂に過ぎないのだと。
「おい。そこのおまえさん」
「やぁ、いかがなさいましたかなベルンハルト殿! 現世に降り立った気分はどうです?」
「おれを呼んだのはおまえさんか」
「まさしく! 本物はご理解が早くて実に」
「ならば死ね」
ベルンハルトと呼ばれた壮年の男は音もなく床に降り立ち、抜き打ちを放った。
ウィレムの首が飛んだ。
笑顔を浮かべたままの首がころころと床を転がっていく。
ウィレム・カインドは笑いながら死んだ。
「阿呆が余計なことしくさってくれおって。冥府に堕ちよ」
男は忌々しげに吐き捨て、剣身にこびりついた血を払う。
カイネは一連の光景を見ていることしかできなかった。
(な、なにをしてくれおるこの男――結局こやつが何をしたかったのかさっぱりわからずじまいではないか――いやこの状況のおれならば確かにそうするであろうが――)
困ったことに、彼の行動は説得力をより高めた。彼こそが本物のカイネ・ベルンハルトの魂を宿したものであると。
彼はウィレムを見下ろしてつぶやく。
「……参ったのう。術者を片付けても術は解けんか……あぁ、やつの術もそうであったな。うっかりしておった」
魔術には疎いところも、微妙に抜けているところも含めてまさにカイネそのもの。
男はこきこきと首をならし、カイネ――否、少女の腰に帯びている鞘と手の中の剣に目を留める。
「む……おまえさん、その剣……どこかで拾いおったか?」
銘刀・黒月。
二百年以上の時を経て目覚めた男が最初に目を付けたのは、奇しくもカイネと同じく愛刀だった。
少女たるカイネは眉を寄せてつぶやく。
「……おぬし、おれの姿に覚えはないか」
「なに? おまえさんのような童女に覚えは……いや、ふむ……?」
彼はすぅっと瞳を細め、まじまじとカイネのかんばせを覗き込む。
そしてぽんと手を打った。
「なるほど。あの女に呪われたおれそっくりよな」
「……まさにそれだ。おれは、その身体で目を覚ましたのだ」
「そいつは妙な。おれが二人おるということにならんか」
「……だから困っておるのであろう」
少女と男の過去や考え方は全く同一のもの。
しかしカイネがここしばらく現世を彷徨っていた一方、彼は二百年前のままだ。
そして肉体の方はといえば、老年のカイネよりもいくばくか若いらしい。
「どうやらおまえさんの方が詳しそうだの。ちょいと説明を――」
「アアアアアアアアアアアアッッ」
まだ大広間内に残っていた死者の叫び声が男の声をさえぎる。
彼は眉根をひそめて刃を返した。
「なんじゃあれ」
「動く死体だ。大したもんではないがの」
「敵か」
「うむ」
「ではまず片付けるか。おまえさん、そのなりだが剣は?」
「おぬしも振るえておったろうが。そっちはどうだ」
「おれは……うむ、ちと硬いな。いまいちだが死体ごときに遅れは取らぬだろう」
「然らば」
「うむ」
少女と男は、お互い背中合わせに死者と対峙する。
(おれは〝カイネ・ベルンハルト〟ではなかった――少なくとも、その真物では――)
カイネは胸中を揺るがす衝撃を押し殺して剣を振るうことに集中。
二者の業前は一切の引けを取らず、死体の群れなど問題にすらならなかった。
先ほどまでと倍する速度で死体が床に転がる。
その時遠くから「カイネッ、無事かッ!」と声がした。
「なんじゃあやつは」
男は死者を斬り捨てながら問う。
「……おれに力を貸してくれておるものだ」
「味方か。よし、片付くまで寄るでないぞ!」
男が声を張り上げると同時、ジョッシュは彼と距離を取ったまま足を止める。
「……おい、どうなって……俺はいったい何を見せられてんだ……?」
「説明は後にするッ、手伝うが良いッ!」
「わーかったよ……っておい、ウィレムの野郎死んでるじゃねェかッ!?」
「なんじゃ、斬ってまずかったか?」
「……いや、もうよい。済んだことよ」
――本物を呼び寄せることが目的だったとして、こうなることを予想もしておらなんだと?
カイネは疑問を覚えながらも群がる死者を一刀両断する。
崩折れた死体は物を言わない。
ウィレム・カインドの死体もまた、狂笑を浮かべたまま沈黙を守り続けるのだ。
***
山と積み上げた屍に囲まれ、ふたりのカイネは向かい合った。
男は片手の剣を提げたまま少女を見下ろす。
「つまりおまえさんは、おれの名を騙っておったというわけか」
「おい、いきなりそりゃねェだろ――」
「よいから」
少女はちいさな掌を突き出してジョッシュを制する。
彼は黙して二人の成り行きを見守るばかり。
もはや大広間内に動く死体はひとつもない。
――ただふたりのカイネを除いては。
「まさかまさかとは思うておったが、真物の魂が今ここに喚ばれてしまったからにはその通り。おまえさんこそが……偽りならざる本物、なのであろうな」
「そのなりで目覚めたと言うておったな。おまえさん、どこまで『おれ』なのだ?」
「……すべての記憶、ものの考え、それと……」
「剣の業、ということか」
男のつぶやきに少女はうなずく。
動く死体相手の剣さばきとはいえその業前を認めぬわけにはいかない。
なにせ自分の剣術なのだ。百歳の時を棒振りに捧げ、あらまほしく磨き上げてきた剣そのものなのだ。
「……ふむ。おれでもない誰ぞがおれのものを掠めていったというのはちと気に障るが」
少女は内心の動揺を押し殺す。
修練の精髄たる剣の腕は、しかし自らの修練によるものではなかった。
自分は、自分ですらなかった。
その衝撃はあまりに大きく、かえって現実感がなかった。まるで足の踏み場が急に失われていくかのような――
「まァ、悪いことばかりでもなし。しょせんは時代の仇花に過ぎぬとも、後に残るものがあればよしとするかの」
「……なに?」
少女は驚きを隠せない。
自分がもし男の立場であれば、果たして怒りを示さずに済ませることなどあり得ようか?
しかし男はあっさりと言った。
「ははは、なぜ驚く?」
「……おれならそれしきで済ませるとは思えなんだからよ」
「まァ、おれが生きておるならば叩き斬ってやるところだがの――結局おれは亡霊のようなものであろう?」
「……ぐ、む……」
それは――
その考えはまさに、かつて少女が抱いたものだった。
一度死んだ自分は亡霊のようなものであり、今を生きる人間の方を優先するべきであると。
やはり、同じだった。
この男はまさに自分であり――本物のカイネ・ベルンハルトなのだ。
「おまえさんは……ふむ、察するにその身に生まれた魂のようなものであろう。器物とて幾百の時を超えれば魂を得るものもある、元よりおれの肉体であるからにはおれの記憶なんぞと紐付いていたとして不思議ではない……」
「……ずいぶん、おれより、察しがよいな」
「外から見てこそわかることもあろうな」
男はくつくつと笑い、少女は神妙に眉根を寄せる。
ジョッシュはふと、男に鋭い視線を投げかけた。
「あんたは……これから、どうするつもりなんだ」
「どうする? ……ふむ。さて……どうしたものやら……」
男は思案するように顎髭を撫で、ぽつりと言った。
「死ぬか」
それはあまりに呆気なく、潔い一言だった。
ジョッシュは愕然と目を見開き、少女は納得感を持って目を伏せた。
少女がこの世に戻ってなお生き続けたのは、ひとえに呪いのためだった。
それが無いこの男は、当世に残る理由を何ひとつ持っていない。
「なッ……い、いきなりすぎねえか!?」
「いきなりと言うならこんなところに喚び出されたのがいきなりだというのに。言ったろう、おれは亡霊のようなものよ。今ここでおっ死んだところで一向にかまいはせぬ」
「……こいつのことは、どうでもいいのか?」
ジョッシュは視線を少女に移す。
少女はその答えにも想像がついた――しかし、男の答えは想像と少し異なっていた。
「ふむ。どうでもよいといえばどうでもよいが……おまえさんはおまえさんで生きよ。おまえさんの人生であるからな」
「…………おれ、の?」
「まァ、おれの記憶があるとなるとそう簡単にはいかぬであろうがな。おまえさんはおれではない。カイネ・ベルンハルトではない。おまえさんはおまえさんとして生きよ。おまえさんが生まれて、まァ十年とは経っておらぬであろう?」
はっきりと叩きつけられた否定の言葉には幾ばくかの思いやりが含まれ――それは単なる罵倒などよりもはるかな厳しさに満ちていた。
ジョッシュは面を食らったように目をぱちくりとさせる。
「……参ったな。そこは俺の考えと大して変わりもしねェ」
「道理がわかっておるではないか若いの。おれのような死者には今こうして話しておるのも過ぎた話であるがな」
「……おれは……おれとして生きよ、と?」
元に戻る、という目的も今やあったものではない。
カイネ・ベルンハルトであることそのものが否定されたのだから、戻ることなど不可能だ。
クラスト・ルーンシュタットから伝えられた話にも納得がいく。
少女がカイネの肉体に宿った魂に過ぎないとすれば、その魂は少女の姿そのままであることが自然だ――あれは呪いの影響でもなんでもなかったのだ。
「あたら若い命を散らすことも無かろうよ。……そのようななりに変えられたとはいえおれの身体なのだ、どことも知れぬ地で野垂れ死にされても忍びないしの」
「……おまえさんのものを借りた責任を取れとでも?」
「はは、今さらおれがどうこう言うのもおこがましいことではあるがな。我が身から出た錆びでもあろうし……さて」
逝くとするか、と。
男は剣をゆっくりと振り掲げ、その手が不意に止まった。
ちっ、とちいさく舌打ちひとつ。
「……自刃は許されてぬおらぬか」
それはウィレム・カインドの術の影響によるものか。
その割にウィレムが呆気なく斬り殺されてしまったことは不可解だが――
男は少女をちらっと一瞥する。
「よし。すまぬがおまえさん、ちと付き合え。おれの身体の使用料とでも思うてな」
「……言わずとも話はわかるがの」
少女は片手に提げていた黒月をゆっくりと掲げる。
男は――カイネ・ベルンハルトはにやりと笑った。
「どうせ死ぬなら斬られて逝くが本望よ――ほんのちょいとばかし遊んでくれや、若いの」




