六/立案
「……どこかはわかるか」
「まだ下がある。地下深く……降りていかなければならぬ。どこかに入り口があるはずだが……」
カイネは表情などの変化を一切表さないように努めながら思案する。
もとを正せばこうもあっさりと〝工房〟に案内されたのが不自然だった。
アーガストの言うもう一つの工房に繋がる入り口がこの室内にあるとして、まさかウィレムの眼の前でそれを言う訳にはいかない。前もって言っていた人形は確かにこの部屋にあるのだから、文句を言い立てる正当性も無かった。
(さらに言えば……人形がこれ一つだけである確証もなし、か)
目の前にある人形がなんの細工もないからと言って、安全である保証はどこにも無い。
しかるに、今カイネが取るべき選択肢は――
「疑って済まなんだ、ウィレム殿。そちらの人形は……真に何の作為もない、単なる美術品に過ぎぬものということのようであるな」
アーガストのおかげで情報が得られたこと自体を、ウィレムに悟られぬことだ。
彼は神経質そうな表情をふと笑みに変えた。
「いやぁ、そう仰っていただけると気が楽になりました。誤解があったままではなんとも気まずいことですからな」
「真に失礼をばいたした。ぶしつけな連絡であったというのにかくも丁重に迎えていただきこちらとしては感謝しきり」
「滅相もない。では一度上に戻られますかな?」
「うむ、そうさせていただこう」
カイネは折り目正しく礼をしてみせる。アーガストは「本当に良いのかね」とばかりに視線をくれるが、今はこれで良いのだ。
ウィレムは人形に再び布をかけ直すと、きびきび歩いて部屋の外に出る。カイネとアーガストもその後について部屋を出る。
その瞬間――ウィレムの表情がふっと緩むのをカイネは見逃さなかった。
なぜ今そのような表情を見せるのか。
疑いが晴れたとカイネが申し出たその瞬間ではなく、ふたりが部屋を出たその瞬間に。
部屋の中に見られて困るものがあったのかと推測するのは、果たして考えすぎだろうか――
扉が閉ざされる。がちゃん、と音を立てて錠前がかけられる。
(……また来なければならぬな。この奥に)
カイネは分厚い鉄の扉をじっと見据える。
ここに来てひとつ明らかになったのは、ウィレムが何かを隠しているということだ。
それがカイネに関わりのあることか、それとも全く無関係のことかはわからない。願わくば後者と思いたいところだが。
(いっそ、真っ向から問いただしてみるか)
ウィレムが死霊術師であると仮定して、率直に協力を仰ぐのだ。
本物のカイネの魂を呼び寄せようとすれば、今ここにいるカイネ・ベルンハルトの真贋も明らかとなろう。
問題はいくつかある。そもそもウィレム・カインドが信用ならないこと、彼が死霊術師であると確かではないこと、実際に死霊術師だとしてもそれを認めるとは限らないことなどである。
カイネが自ずから望めば、それがきっかけとなって致命傷をもたらすこともあるかもしれない。
(……それこそ罠に飛び込むようなものよな)
これは手詰まりになった時の最終手段として、まずは探りを入れていくべきか。せっかく彼直々に招かれて懐に飛び込んだのだから。
ウィレムは地下室の鍵をしまい込み、再び階段を登っていく。カイネとアーガストはその後ろを大人しく付いていった。
***
カイネたちを客室に案内した後、ウィレム・カインドは書斎で執務を行っていた。
その時こんこんと軽いノックの音がして、ウィレムは眉間に眉を寄せる。
「どうぞ」
そう言うと同時に扉を開けたのは、顔色の悪いエプロンスカート姿の使用人だ。
彼女は無機質な声で言った。
「無事に彼奴を招き寄せたようじゃなあ、ウィレム。よくやったぞ」
ウィレムははっとして顔を上げた。そして跳ねるように椅子から降り、床の上に拳を突いて跪いた。
「よくぞいらっしゃられました!」
「くふふ、よいよい。そう声を弾ませては彼奴らに聞こえてしまわぬか?」
「この部屋は全ての魔術的干渉を排除した上で外部からの視界を封鎖しております。手抜かりはありませんとも」
「ほほ、そうであったな。そう恐縮せぬでよい、おぬしの力があらばこそ妾はこうしていられるのだからのお」
「滅相もない! ひとえに私の未熟ゆえにご不便をかけているのですから……」
ウィレムは自らの使用人相手に深々と頭を下げ、その姿を拝むことすら不敬であるというように視線を伏せる。
いや、彼の眼の前にいる女は使用人であって使用人でない。声は全く同じなのに、まるで別の誰かが話しているようだ。
使用人の女のかたちをしたものは言った。
「そんなことよりもウィレム。よもや彼奴に傷一つ付けておらぬであろうな?」
「もちろんです。彼女には役目を果たしてもらわねばならないのですから」
「うむ、わかっておるならばよい。あれは妾の魂の乗り物になってもらわねばならぬのだからな……」
「後は儀式上に招き寄せるのみです。邪魔者が二人ほどおりますが……」
「そんなものはどうにでもせよ、殺してしまってもよい。なんなればその方が彼奴を上手く誘い込めようが……はて、おぬしはどう見る?」
彼女の問いに、ウィレムはアーガストとジョッシュという男たちの名を挙げる。
「私の見る限り、ジョッシュとかいうどこの馬の骨とも知れぬものは警戒する価値さえございませんが……アーガストという男、あれは少々厄介です。腕はそれなりでしょうが鼻が利く……質の良い猟犬のようなものですか。あれがいる限り誘い込むのは中々骨が折れるかと……」
「アーガスト……はて、どこかで聞いことがあるような名だが……」
女は無表情のまま考え込み、ふと言った。
「おぉそうだ、ベイリンの同僚におったやつじゃな。あれは確かに……堅物だが、ふん、腕は認めてやらんでもない。あれを片付けるのはおぬしでも少し手間であろうなぁ」
「恐れ入ります」
「無理に片付けぬでも、彼奴を誘き寄せるのは難しくはなかろう……ここまで来おったのがその証拠。焦るでないぞ、ウィレムよ」
「はっ、承知しております!」
ウィレムは力強く宣言し、ゆっくりと顔を上げる。
「……しかしながら、一つ……邪魔者などより、よほど気がかりなことがございまして」
「ほほぉ? なんじゃ、言うてみよ」
「彼奴は……果たして彼に敵うのでしょうか?」
ウィレムに曖昧な問いを投げかけられ、しかし使用人のかたちをしたものはその意味を理解しているようだ。
「あぁ、そこは妾も少し気がかりであったからな。直々に遣いをやって試させたわ」
「そ、それは差し出がましいことを申し上げました! して、どのような……?」
「腕は確かであろうということよ。それに、あの依代では力を出し切れぬであろうからなぁ……全ては盤石よ。おぬしはただ、妾の計画通りに事を進めればよい」
「はっ、承りました! ――――女王陛下の御心のままにッ!」
ウィレムはまた面を伏せ、力強く誓いを謳い上げる。
使用人の姿を装ったものは踵を返し、軽やかな足取りで書斎を出ていった。
ウィレムは、彼女が部屋を出ていったあともしばらく跪いたままであった。
***
ウィレム・カインドとの会食は何事もなく平穏無事に済んだ。
夜。
カイネたち三人は客間に集まって今後の方針を話し合っていた。
「こっちは特に何事もなし。積極的に妨害しようってわけじゃねェみたいだな」
と、馬車を見張っていた馬車からの報告。
カイネたちの逃げ場を奪うつもりは今のところ無いようだ。
「俺としちゃ明日にでもさっさと出発しちまえばいいと思うんだが……それじゃ気が済まねェんだろ?」
「そうなる。まだ調べ切れておらぬ場所もあるわけだしの……」
アーガストによって存在を示唆されたもう一つの魔術工房。
何が秘められているかは定かでなく、それをどうすべきかということが当座の最たる問題だった。
「……私としては少々気が進まんが」
「俺は構わねェさ。といっても、俺ができることっつーと高が知れてるんだが」
「すまぬが、どうにかあやつを出し抜くのに手を貸してほしい」
アーガストは渋い顔だが、発起人のカイネが強く希望するからには強硬に反対もしかねる様子だ。
そしてジョッシュはカイネの心情を支持する姿勢であった。
「まずはやるって前提で詰めてみようじゃねェか。実際のとこ、そう簡単な話じゃねェだろ?」
「……うむ。どうやって探り当てるか、というのが問題になってくる」
大前提として、工房への入り口や正確な場所を知っているのはウィレム・カインドだけだ。
入り口はおそらく地下室から通じているのだろうが、その鍵もやはりウィレムしか持っていない。
「扉くらい簡単に叩き斬れるんじゃねェか?」
「カイネ殿の剣ならば分は悪くなかろうが、ウィレムに気づかれれば事になろう」
「…………それはそれで良いんじゃねェか? アーガスト殿よ、あんたが察知した情報を楯に案内を強制すりゃいい」
「それをやるならもうやっておる。……が、正直それで大人しく案内しよるかと思うとな……」
カイネは椅子に深く腰掛けて思案する。
ウィレムに直接的な危害を与えることは望ましくない。彼は厄介だが、それでいて重要な手がかりでもある。彼が死霊術師であるとして、その力はカイネにとっても有用たり得るのだから。
「最も望ましいのは、あやつがもう一つの工房に向かったその現場を抑えること。……これならばあやつの目論見が入る余地は最低限に留まろう?」
「妥当ではあろうな。……しかし言うには易いですがな、実際にやってのけるのは困難を極めるのではないかね?」
「あー……つまり、なんだ。あいつが自発的に工房へ向かうような、その理由をこっちで作ってやるってことか」
「うむ。先も言ったように、おれが脅しにかかって追い込んでやるのも手の一つだが……正直これはあまり上手くないからの」
そもそもこの案は自発的とは言いがたいものだ。
アーガストは神妙に顎を撫でながらぽつぽつと言う。
「ウィレム殿の魔術、ないし呪術……それらを使わざるを得ない、使おうという状況を作るのが最善か。術の正体ははっきりとはせんが、屍にまつわる……治癒の術とすれば……」
「怪我人の一人二人でも出してみるか?」
「ジョッシュ、おまえさんは極端が過ぎよう……」
怪我人を作り出すのがまず問題だが、それだけでウィレムが術を使う理由になるとも限らない。
ジョッシュはふと目を細め、
「あんたの望みだろ、カイネ。それとも、他人を傷付けるならやめちまうくらいのことか?」
「誰かの腕一本でも落とす必要があるのなら、その時はおれの腕を落とすとも」
「……変わってねェな」
ジョッシュは目をすがめて苦笑いする。
彼が思い出したのはかつてのこと。ルーンシュタット領で、大した縁もない女たちに――ジョッシュからすれば大した理由もなく――助けの手を差し伸べた一件だ。
「実際にはせんよ。そうする意味もなし」
「……目をつけるのなら、あの使用人などがよいのではないかな?」
アーガストが不意に口を挟む。
三人は互いに視線を見合わせた。皆揃って顔色の悪い異様な使用人たち――あれらがウィレムの魔術の産物である可能性は極めて高い。
「使えるのか?」
「仮にあれが死体を何らかの術で動かしているものとすれば、単純な命令を組み込んでいるに過ぎんな。侵蝕・撹乱するのはそう難しくもありますまい。異常を感知することは容易でも、修復するのは難儀なもの……」
「あの工房に死体の類はなし。となれば、もう一つの工房で生み出されてる可能性が大というわけか」
「おそらくは、ですがな」
「……しかし、あれは本当に死体なのか? 確かに不自然だがな、死んでいるにしては……」
「もし生者であれば、私の術で撹乱するのはほぼ不可能だろう。その時は別の方針で攻めることになろうな」
成功すれば御の字、見積もりが誤っていたとしても損はないというわけだ。
カイネはふたりを見回して言う。
「よし。明日にでもそれで行くか」
「問題はどっちかつゥとその後だろ。上手いこと尾行しなきゃなんねェんだから」
「そこはおれとおまえさんの腕次第であろう?」
「俺も行くのか……」
「退路の確保を任せとうてな」
工房までの道のりはおそらく一本道になろう。一人、二人だけでの往路はいささか心もとない。
「では、明日に。仕掛ける時は私が合図をしよう」
「うむ。頼んだぞ」
「……本当に大丈夫かってェ感じだが……」
三人はお互いに視線を見合わせ――
中でもジョッシュは半ば納得げに、半ば諦めたように頷いた。




