四/実地調査
カインド領に入って以降も特に異変はなかった。
強いて言えば道の状態があまり良くないことぐらいだが、道なき道を行かねばならないほど劣悪なわけでもない。
あらかじめ調べを付けていたカインド家の屋敷が近づいてくる。
カイネは報告書の読み直しをしつつ隣の男を横目に見た。
「アーガスト殿。なにか感じるものは」
「……ふむ、強いて言うならば大気中の魔力が濃く感じられるがな……それも、この地の淀みを鑑みればある程度説明がつくだろう」
「ぎょうさん亡くなっておるようだしの……」
アーガストは少々青い顔をしながら語る。顔色はよろしくないが、探知するのに差し支えはないようだ。
「あれじゃねえか。見えてきたぜ」
「む……」
ジョッシュがふと遥か彼方を指差し、カイネは咄嗟に目で追う。
森を抜けた道の先にあるのは、小高い丘の上に築かれた半木造の屋敷。あそこからは周囲一帯の村々が一望できることだろう。
広くに森が分布しているのは僻地の例に漏れないが、特筆すべきは足元がしばしば泥濘んでいることか。土壌そのものの水はけが悪く、下手に森の中へと踏み入れば底無しの沼でも広がっていそうである。
カイネはその屋敷をじっと見据え、言った。
「停めてくれぬか」
「……ここでか? まだ早いんじゃねェか」
「まだ日時には余裕があるであろう? 時間は有効に使わねばな」
カイネは馬車の窓からちらりと村の方に目を向ける。
「実地調査というわけですな」
「うむ。……やつの治療の術とやら、ちょいと確かめてみようではないか」
「了解。俺は念のためこいつらを見とくからよ、二人で行ってきてくれるか」
馬車を領内に放置していくというのは、いかに通り掛かるものが少ない土地といえども確かに不安だった。
なにせ相手はこちらに罠を仕掛けている可能性が極めて高いのだから。
「うむ。任せたぞ」
「……私もかね?」
「おれだけではまともに話を聞いてもらえぬかもしれんだろう」
「……畏まった」
アーガストは神妙にうなずき、カイネと連れ立って馬車を降りる。
道なりに少し歩いていくと、田園風景が広がる村の様子が目に届いた。
ちょうど農作業中の村人たちが二人を目に止める。
よそ者が現れることなど滅多にないのだろう。彼らは目を丸くしたり落ち着きなく視線をさまよわせたり、歓迎するには程遠い様子である。
「相済まぬ、皆の衆。我らは王より任じられてこの地に参った。この村の代表のものに話をうかがいたいのだが」
カイネは凛とした声を張り上げる。「何を堂々と大嘘をついておるのですカイネ殿……!」とアーガストは大目玉だが、「魔術学院がどうのと言っても要領を得ぬだろう。こーゆーのはわかりやすいほうがよい」とカイネは知らん顔である。
村人たちの呼び出しに応じて年かさの村長が現れる。
と、カイネは出し抜けに言った。
「我らは領主殿の奇跡の御印を拝みたい。この村に体験者がおればよいのだが、紹介してくれぬか?」
「……き、奇跡、ですか? 突然そう仰せられましても……」
「これは心付けだ。取っておくがよい」
カイネはふと声をひそめ、村長のしなびた手を取って硬貨入りの袋を握らせる。
彼は不意に肩を縮めて目を丸くした。
「おっ……お待ちくだされ、このような……その、あなたは」
「おれはしがない学徒ですとも。で、こちらが国王お抱えの学士様」
「……アーガスト・オランドというものだ。ヴィクセン王立魔術学院の教授を務めております」
適当極まりない説明をのたまうカイネを見かねてかアーガストが神妙に名乗る。
村長はやはりピンと来ないようだったが、二人が地位あるものであることはそれとなく察したらしい。
「その……奇跡のことは、口外厳禁とされておりまして……」
「うむ、かまわぬ。おぬしが話さぬでもよい……ただ我らを案内してくれればよいのだ」
この村にいないという可能性はおそらくない。でなければ奇跡とやらについてすっとぼける理由もないからだ。
村長はしばし熟考したあと、「……付いてきてくだされ」と重い足取りで歩みだす。
「……カイネ殿よ。金に明かすのはいかがなものか」と、声をひそめてアーガスト。
「調査費用をいただいておったのだが、他に使い所もないものでな」と、カイネは気にする素振りもない。
しばらく歩き、畑の一画で草むしりをしている若い農夫の姿が目に入る。
彼は袖から伸びる右手を厚手の布で隈なく覆っていた。
「……あの腕、魔力の残滓を感じられますな」とはアーガストの談。
村長はその農夫としばらく話し込んでから二人のもとに戻ってきて、「……このことは、どうぞ内々にしてくだされ」と言い残して去っていく。
入れ替わりに近づいてきたのは、精悍な顔付きをしたその若い農夫であった。
「……どうも。俺に何か用ですか」
「うむ。奇跡なるものについて――」
「そのことは話せません。口外無用と言い含められているので」
農夫は額の汗を拭いながらきっぱりと言い切る。
だが、
「ならばそれについてはよいが――その右手、どうなっておる?」
「……っ!」
カイネは少しも動じずに詰め寄る。農夫の表情がこわばり、アーガストも眉をひそめる。
「ここでは話しづらいことですかな」
「い……いや、これは……」
農夫は左手で右手をかばうように掴む。
カイネは瞳を細めて観察し、農夫の右腕が左腕より少し短いことに思い至る。
「その腕、繋がっていることは確かなようだが……生きておるのか?」
傷などが残っているのか、それとも見せられない何かが布の下にあるのか。あるいは、その布を巻き付けることも『言い含められていること』に過ぎないのか。
農夫は観念したように目をつむり、つぶやく。
「わかった、話す。話すから、どうか村の皆に妙なことは触れ回らないでくれ……」
「……元よりそのようなつもりはないのだが」
「カイネ殿の慧眼はいささか恐ろしくもありましょうがな」
「……むむ」
カイネは心外だとばかりに眉根を寄せるが、アーガストは農夫の反応も無理はないと肩をすくめた。
***
「俺は……元傭兵でな、東部にいたんだ。あそこは小競り合いが絶えない……」
「そこで腕をやった、というわけだな」
ハインリッヒという元傭兵の農夫は藁葺き屋根の小屋に二人を案内しつつ、頷く。
小屋の中には誰もいない。彼は農夫に珍しく一人住まいのようだ。
「片手じゃ槍も、筒も扱えやしない。もうお終いだと思ったんだが……傭兵仲間の間で、妙な噂があったんだ。人体の欠損を癒す力があるってさ」
「それが……いわゆる奇跡というものだと」
奇跡という呼称はあらかじめ調べ上げられた報告書の中で、噂や風説の類として記されていたものだ。
「実際、大したもんだよ。俺の腕はこうして繋がってる……感謝しても感謝しきれねえ。あいにく、到底普通じゃ無くなっちまったけどよ」
「問題でもあるのかの」
「……そうだな。嫁をもらうにゃ気が引ける、ってとこじゃないか? あんたも引いちまうと思うぜ、嬢ちゃん……見たいのか?」
「うむ」
農夫の問いに、カイネは一拍も迷わず頷いた。
「……学士様よ、学院ってのはこんな娘ばかりなのかい?」
「この方が特別なのだよ。……このような娘だ、過分な気遣いは結構」
アーガストは端的に言い、農夫は思わずというように苦笑する。
そして彼は、右腕をくまなく覆っている布切れに手をかけた。
結び目がほどけ、右手の皮膚が晒される。一目見ただけでも異変は明らかだった――肌の表面が焼けただれたように荒れている。
肌の色そのものは不気味なほど青白かった。他の部位が日によく焼けているからこそ、右腕の異様な白さはひどく悪目立ちする。手首からは血管の色が透けて見えるが、そこにはあって然るべき赤色が極めて希薄だった――生身の血が通っているのか危ぶまれるほどに。
「治癒、というには程遠かろうな」
カイネの端的な一言。
「動きはするんだ」と、農夫は指先を一本ずつ器用に動かしてみせる。本来動くはずのないものが動き回っているかのような異様さ。
「義肢か、人形の腕のようですな。……それよりも遥かによく動いておりますが」
アーガストのつぶやきにカイネは瞳をすがめる――――人形。
布がほどけてあらわにされた腕は、決して作り物などではないだろう。生々しいほどの肉体で、しかし生気は一切うかがえない。
控えめな表現をしてくれたものよな、とカイネは思う。しかし浮かんだ言葉をそのまま口にする気にはなれなかった。
――死体。
農夫があらわにした右腕は、まさに死んだ人間の腕と酷似していた。
体格がぴったり合う死体の腕を継ぎ合わせればちょうどこうなるだろう。ぞっとしない考えだが、他の線は極めて薄い。
「ハインリッヒ殿。おぬし、元の腕は?」
「あぁ……筒の流れ弾に持っていかれたよ。跡形もないさ」
「……左様か」
彼の証言がさらにカイネの想像を補強する。
死体を使うというただそれだけならば問題とまでは言いがたい。医術の幾ばくかは死体の解剖によって発展したのだ。
しかし、一領主が治療と称して他人の死体を継ぎ合わせる――しかも、患者にぴったり合う死体を選び出せる状態――すなわち無数の死体が一領主の管理下にあるというのは、あまり望ましいとは言えない状態ではないか。
しかも死体にまつわる呪術といえば、かつてクラリーネに教わった言葉を想起せずにはいられない。
(……死霊術)
ぞわ、とカイネの背筋が総毛立つ。
死人の魂を操る術――死霊術。
これこそはまさに、カイネの魂の真贋を見定めることを可能とする呪術ではあるまいか。
クラリーネいわく、死霊術を扱えるものは〝十二使徒〟である可能性が濃厚。
〝魔術の祖〟アーデルハイトも死霊術を身に着けていたそうだが、ひとまずこれは考えなくとも良いだろう。
ウィレム・カインドがその使い手であるという保証はどこにもない。
彼の魔術、あるいは呪術がどうやら死体にまつわるものらしいということだけ。
だが――だがしかし、もしも彼が、真に死霊術の使い手であったとしたら。
「どうした、嬢ちゃん……やっぱりビビっちまったか?」
「え――あぁいや、そのようなことはない。実に助かったぞ、ハインリッヒ殿。おぬしのおかげで代えがたい情報が得られたとも」
「……立ち直りの早いことで」
農夫は苦笑しつつ布を右腕に巻き直していく。
「……なにか懸念でもあるのかね」
アーガストは声をひそめて囁き、「あとで言う」とカイネは首を振る。
とにもかくにもウィレム・カインドが死霊術師であると仮定すれば、相手の仕掛けた罠も少しは絞りきれるかもしれない。
「……よくわからんが、役に立てたならそれでいいさ。少し妙な身体ではあるが、不自由はしてないからな」
「うむ、それは重畳。おぬしの言うほどおなごに引かれることもなかろうよ」
「……無責任なこと言うんじゃねえっての」
農夫は布を巻き終え、恥じ入るように首の横を掻きむしる。
カイネは彼にあらためて礼を述べ、謝礼を押し付けて小屋を後にした。
外は、夕暮れに差し掛かろうとしていた。




