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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
二章/辺境の地にて
38/84

十七/禁域にて

 クラリーネ・ルーンシュタットは兄に十年遅れて生まれた。

 いまから十五年前のことである。

 厳格な父と慈しみ深い母の元で育って生後五年。

 果たして産後の肥立ちが悪かったのか、母は齢四十を前にして病没した。

 それを機にして父は緩やかに狂気に呑まれていった――兄妹が気づいたときはすでに手遅れだった。


 ***


 白銀甲冑の女従士はクライヴの書斎に呼び立てられた。

 彼女はつい先日、カイネ・ベルンハルトを逃した由で叱責を受けたばかりであった。


 女従士の篭手がいつも通りに扉を叩き、主の許しを得て入室する。

 クライヴ・ルーンシュタットは椅子に座って書をしたためている様子である。

 彼は単刀直入に言った。


「ここ数日の間、森の禁域に侵入者の兆しがある。侵攻の折にはひとり残らず討ち果たすのだ」

「あの森に、ですか」

「そうだ。曲者はこの屋敷にまで乗り込んでくるつもりだろう。道筋を検討しているに違いあるまい」

「御意に」


 女従士はわけを聞くことなく膝を折る。

 クライヴはもはや彼女に目も向けずに言葉を続ける。


「やはりここ数日のことだが、周辺の村で不穏な動きが見られたとの報告がある」

「……」

「もしものことがあった場合には討伐を許す。果たすがいい」

「よろしいのですか」


 女従士が初めて疑問を発した。

 クライヴが下した命令はとりもなおさず、支配下にある村人に対する虐殺を許すということだ。

 彼はこともなげに言った。


「私のものだ。私のものを壊すだけのことに他の誰の許しが要るというのだ?」

「了解、しました」


 女従士は低くした頭をゆっくりともたげて立ち上がる。

 白銀の鎧がかすかな金属音を奏でる。

 左腰には以前よりも上質の一振りがあった。


「それと、森のことだが……侵入者は禁域の安全な道筋を心得ている節がある」

「……」


 ルーンシュタット中心部の屋敷周辺に横たわる森の最奥――〝禁域〟。

 そこは魔獣と高濃度の根源(マナ)がはびこる危険地帯であり、その全てがクライヴの支配下にある。

 もしも案内なしに踏み入れば死は免れえないが、配下の魔術師たちが出入りするための必要悪として、安全な道筋がいくつか用意されていた。


「……つまり侵入者には、奴らが一枚噛んでいる可能性が極めて高い」

「承知しました」


 クライヴの言葉が意味することは明白だった。

 クラスト・ルーンシュタット――否、クラストはかつてのルーンシュタットの血族として〝禁域〟の安全な道筋を知悉している。

 だからこそ彼はクライヴの手を逃れ、ルーンシュタット領内に隠れ潜むことを可能としたのである。


「殺せ。必ず奴を殺せ。情け容赦をかけることなく殺すのだ。我ら血族の力の漏洩をもし許せば、それはもはや我ら血族のものではなくなってしまう。我ら血族のみのものであってこそ、我々は我々足りうるのだから」

「御意に」


 女従士は折り目正しい敬礼とともに書斎を退室する。

 それはさながら破綻しきった父の教えに殉じるかのごとく。


 クライヴ・ルーンシュタットの決定的な破綻。そのきっかけこそは、クラストが一族から追放されるにいたった発端であった。

 それからだ。女従士が自らを分厚い殻で鎧うようになったのは。

 女従士は――クラリーネ・ルーンシュタットは自らの鎧をある種の肉体(もの)として認識している。

 それは彼女の呪術師としての才がなしえた技であったが、しかし、それだけでは年経た父親には遠く及びもつかなかった。


 クライヴにとっては自らの土地、村、人々、そして血族――それら全てを自らの肉体(もの)の一部、あるいは延長線と認識してさえいるのだから。


 ***


 数日してカイネ、ジョッシュ、クラストの三人は村を発った。

 道半ばまで馬車で進みつつ領主の館に通じる関門――〝禁域〟を抜けようという算段である。

 安全な道についてはすでに見当がついていた。


「この先を真っすぐだよ。少しでもずれたら魔獣の巡回ルートにぶつかる可能性があるから、気をつけて。……狭い門を想像してくれたらわかりやすいかな」

「言うなれば、ここから先は森林全体が一種の城壁ということかの」

「踏み込んじまったら骨まで食われる城壁、ってのも勘弁願いたいがね――少し、森が深いな」


 この先を馬車で進むのは難しそうだ、ということで三人揃って馬車を降りる。

 ジョッシュまでついてくる必要はないが、クラストの護衛がいるに越したことはないという判断だった。


「……それで、森を抜けた先で襲撃を受けるやもしれんという話だったな?」

「そう。森を抜けるには限られた道しかないからね。待ち伏せ、迎撃にはうってつけだ」


 先頭を進むクラストに先導されながら森深い木々の隙間を分け入っていく。

 クラストいわく〝禁域〟はそれほど広範囲ではないという。

 徒歩で抜けるにもせいぜい四半刻足らず。

 域内では高濃度の根源(マナ)が渦巻いているが、安全地帯に限っては濃度が比較的低い――人体が影響を受けるほどの曝露量にはなるまい。

 果たして、クラストが異変を知らせたのは森の中を十分ほど進んでからのことだった。


「……少し、安全地帯が動いているみたいだ。僕のそばを離れないで」

「ちょっと待て、そりゃどういうこった。自由に根源(マナ)を操れてるってのか?」

「いや、徐々に道をずらしていく程度だよ。それでも、気付かずに進めば致命的な事態になるかもしれない」

「……相分かった。案内は全ておまえさんに任せておくのでな」

「はい。カイネ殿にはどうか、彼らの相手をお願いするよ」

「うむ」


 カイネはあらかじめ敵戦力の内情を知らされていた。

 ルーンシュタット家が抱える戦力は魔術師ランクBに相当するであろう魔術師が十数人。

 それぞれの役割は密偵に近しく、その全員が爆撃術式〝災嵐(シュトゥルム)〟を習得済みという。

 そして彼らを率いているのは、おそらく――――


「それと、カイネ殿。どうか、僕の妹を」

「クラスト殿。妹御の年はいくつだ」

「えっ――ええと、数えで十六になるはずだよ」

「左様か。……若いのう」


 若さには見合わぬほどの力量、そして体格。

 ジョッシュがふと横から口を挟む。


「感心してる場合じゃねえだろ。あれはどうにかなるのか?」

「五体の無事の保証はできぬ。やってみる、としか言えぬな」

「……わかった。命を賭けてるのは、カイネ殿だからね」

「何を言うておる」

「え?」


 一瞬呆けたような表情を見せるクラスト。

 カイネは彼の背をぽんと軽く叩く。


「おまえさんも、すでに命を賭けておろうに」

「――――そうか。いや、そうだったね」


〝禁域〟の改変という攻撃の意図。

 それはクライヴ・ルーンシュタットが話し合いに応じるつもりなどないということを明白に示唆していた。

 クラストが表情を引き締めて頷いたその時である。

 獣の臭いがした。

 茂みの奥から聞こえる呼吸音。

 獲物を見定める視線。


「クラスト殿、伏せよッ!」

「っ、え――うおぉッ!?」


 巨躯が地上に影を落とす。

 体長にして一丈(3m)にも及ぼうかという姿。

 漆黒の毛皮。

 白銀に輝く爪。


 ――――ひゅん。


 屈強な前肢がクラストを土の上に組み敷くより疾く風が哭く。

 かちん、というかすかな音がした。

 カイネは柄を握った姿勢のまま静止。

 否――静止したかに見えた。


 ぎゃいんっ、と子犬の鳴き声のような断末魔。

 それは、狼だった。

 漆黒の巨大な狼が空中で真二つに分かたれ、肉塊とともに血の雨を降らしていた。


「う……う、わ」

「道がずれたせいで、巡回ルートとかち合ってしもうたようだの」

魔狼(ディアヴォルフ)じゃねぇか。……なんつー物騒なもんを飼ってやがる」


 ジョッシュは表情をひきつらせて震える屍を見下ろす。

 クラストは魔獣の返り血に濡れながらも前方を真っすぐと見据えた。


「……す、すこし急ぐよ。このままじゃ魔獣のいる方へ誘導されかねない」

「うむ。その意気だぞ」

「だいぶ慣らされてきやがったな……」


 もう戻れないと言わんばかりのジョッシュのつぶやき。

 三人はそのまま歩を早め、二度三度と魔獣の襲撃に遭いながらも領主の屋敷目前へと迫る。

 そしてとうとう森を抜けた先で待ち構えていたものは――――


「侵入者を確認」


 出口からは死角となる左右六方位×二人の魔術師による包囲網。

 そして彼らを指揮するは白銀の全身甲冑に身を包む女従士。


「クラスト殿、下がれッ!」

「か、カイネ殿!? なぜ前に――――」


 カイネは有無を言わさず前方に飛び出すとともにクラストを後ろに突き飛ばした。

 瞬間、魔術師らの手にした細長い魔杖――〝筒〟の口が一斉にカイネへと向けられる。

 魔術師たちの後ろに控えた女従士の号令。


「〝災嵐(シュトゥルム)〟装填。初段一斉射。放て」


 十二の筒先のうち半数が光を発す。

 それが意味するところはすなわち、確実を期した二段構え。

 魔力を練り上げ形成された不可視の幽体(アストラル)弾が空を裂く。

 カイネは風切り音を耳に聞く。

 そして、


「視えたぞ」


 柄に絡んだいとけない指先が空に瞬いた。

 光の線が翻り、そして静謐が訪れる。

 何も起こらなかった――起きて然るべきことが。


「…………ッ!?」


 驚愕に息を呑んだのは果たして誰であったか。

 少女の銀髪が風に揺れる。

 カイネはただ立っている。

 ベルンハルト礼刀法〝(エン)〟。

 後方を除く十二方位への瞬時対応を可能とする居合(いあわせ)の極意。

 その真髄は刃の振りにあらず、身体(しんたい)の全感覚を総動員した人体感覚の窮極にこそある。


 ややあって女従士が口を効く。


「第二射。〝災嵐〟装填」


 動揺の極限下にあってなお魔術師たちは命令に忠実に動いた。

 カイネは身をかがめながら言う。


()く退け。さもなくば斬らねばならぬ」

「放て」


 聞く耳はなかった。

 何かの間違いだというように六ツの幽体弾が迫り、やはりひとつの例外もなく切り払われる。

 内包された術式が解放されることはない。


「な――何がッ」

「いまだ、クラスト殿。先に行け」


 カイネは踵に仕込んだ短刀の鞘を払って順手に握る。

 クラストは困惑をあらわにしながらもジョッシュと目配せした。

 ふたりの頷き。

 彼らはカイネを横切りながら包囲網の穴――すなわち真正面へと駆け出した。


「ッ」


 甲冑の奥から漏れるかすかな呼吸音。

 そのとき、魔術師のひとりが筒先の狙いをクラストに定めた。


「行かせるものか! 〝災嵐(シュトゥルム)〟――」

「させぬよ」


 カイネは短刀を軽く引き、投げ放った。

 刃の先は狙い違わず筒口を貫通する。

 そのとき魔術師はすでに引き鉄を絞った後であった。


「し、しまッ――」


 直後、筒先を中心にして巻き起こる大爆発。

 閃光と轟音が撒き散らされる。右方の魔術師六人が爆撃術式の巻き添えとなる。

 しかし彼らは不思議と一命を取り留めていた――あらかじめ結界などを展開していたのかもしれない。

 いずれにせよ戦闘不能であることに変わりはないが。


 ジョッシュとクラストの背はすでに遠く、ルーンシュタットの屋敷に迫りつつあった。


「こ、このッ……!」

「追うでないぞ。さすがにそれは見過ごせぬでな」


 カイネは軽く腕を振り、袖の中に収めた短刀を掌の中に引き出す。

 爆煙の残滓が風に払われたあと、無事に残された六人の魔術師たちは少女ひとりの手によってその場に釘付けにされていた。


「下がれ」


 女従士が白銀甲冑の奥から命を下す。

 魔術師のひとりが応じて言った。


「や……奴を追われますか?」

「ここで待て。猟犬とてあたら命を費やすべきではない。彼らの手当てを」

「……はっ!」


 魔術師たちは命令通りに後退し、傷を負った六人の治療を開始した。


「……猟犬、とな?」

「彼らは猟犬(いぬ)。我が血族に従うもの。我が血族の敵を追うもの。嗅ぎつけ、噛みつき、食らいつく――敵の(むくろ)を離さぬもの」

「ならば、おまえさんはなんだ」


 女従士が鎧の金属音を奏でながら前に出る。

 その腰には杖にあらざる一振りの剣を帯びていた。


「我が身は剣。我が身は盾。我が身は我らが血族の末裔(すえ)。我らが血を継ぎ技を接ぎ、御敵に相対するための鎧」

「……つまりが道具(もの)に過ぎぬと?」

「然り」

「ならば、おまえさんの名はなんだ」


 女従士は一瞬静止した。

 思いがけない言葉を浴びせられたかのようだった。

 彼女は腰の剣を音もなく抜き払う。


「クラリーネ・ルーンシュタット。我が身は、そのような名の道具(もの)だ」

「誤魔化すでない」


 カイネは目を眇める。

 齢十五の娘とはとても思われぬ頑なさだった。

 その様は自らを呪縛しているにも等しい。彼女が優秀な呪術師というのはいかにも皮肉な話である。


「……」

「おまえさんは、人だ。元よりそのようなものだったわけでは無かろうが」

「感傷は不要」


 女従士――クラリーネは、呪文のように唱えて剣を構えた。

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