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剣豪幼女と十三の呪い  作者: きー子
一章/魔術学院
15/84

十五/前夜

「カイネ殿!! 学院を出るというのは本当でありますか!?」

「落ち着けシャロン」

「は、はい」


 放課後の寮室。

 王都行きを先に控え、カイネはいつも通りシャロンを出迎えた。


「……どこまで聞いた?」

「一週間後に、カイネ殿が王都へ向かわれると」

「すでに知れておるのか……まぁそうだ」

「やっぱり出て行かれるのではありませぬかー!!」

「落ち着け」

「は、はい」


 カイネはシャロンに座るよう促す。彼女はそわそわとベッドの上に腰を下ろした。


「ちょいと挨拶しにいくだけだ」

「それだけで済むはずが無いでありますよ……!」

「この通り、制服も返しておらぬだろう」

「制服は普通返さないのであります」

「……む。そうだったか」


 軍服や軍刀とはわけが違うらしい。

 カイネは神妙に眉を垂らす。

 まさかユーレリアとの計画を話すわけにはいかないからだ。


「……だいじょうぶ、だと思うよ。アルトゥール陛下が、カイネさんを傍に置くとは考えにくいから」

「ほう。どのような御仁だ?」

「……慎重、堅実。対外的には融和路線。やや弱腰な一方、軍組織は国王就任以前より洗練されている。魔術師の個々の力には頼らず、組織的に錬成された凡人の力をこそ尊ぶ。……すごく変わった御方だよ」

「でもネレム、カイネ殿でありますよ? Aランクの魔術師を生け捕りにした功績付きでありますよ?」

「他国の魔術師に対する抑止力にはなるね。でも、カイネさんの経歴が経歴だよ。積極的に登用を考えているとは思えないかな」

「――――あ」


 シャロンははっとしたようにぽかんと口を開く。

 アーデルハイト・エーデルシュタインを殺害したという事実は決して軽くない。それが二百年も昔のことであろうともだ。


「ならばなおさら心配はあるまいな。おれも戦に駆り出されるのはごめんだ」

「……となると、なぜカイネ殿が招待を受けたのでありましょう……?」

「この学院も、言ってしまえば国のものよ。おまえさんらを危険に晒したことに詫びをひとつ入れるのが筋であろう?」

「…………そういう理由になると、ますます心配であります。カイネ殿が原因ということになるのでしたら、やはり、学院には戻ってこれぬのではありますまいか?」

「考えすぎだ。仮にそうであろうが今生の別れでもなし。……まぁ、おまえさんらは卒業するまで待つ必要があろうが」

「卒業後にそんな暇は無いでありますよ……! 家を継ぐことも考えねばならぬのでありますから――――あっ」

「どうした」

「……どうかした?」


 カイネとネレムは揃って不思議そうに眉をひそめる。

 シャロンは不意に晴れがましい笑みを浮かべて言う。


「そう! それであります!!」

「なにがだ」

「私が家を継いだあとカイネ殿を登用すれば無問題でありますよ!!」

「領地内の火種をわざわざ増やしてどうする」

「カイネ殿は戦中のご活躍にも関わらず一切の爵位や領地を求められなかったとうかがっているのであります。私がカイネ殿をお誘いしても問題は無いのではありますまいか?」

「カイネさんが受け入れる前提なのはどうかと思うよ」

「……しかしまぁ、理屈は通っておるよ。おれは元よりただの農民だ」


 覚えておったのだな、とカイネは笑う。

 カイネが一切の地位を求めなかったのは確かである。勲章は飽きるほどに頂戴していたが。


「も、もちろん絶対などとは言わぬのであります。……ですが、もし数年後、寄る辺に窮することがあれば、アースワーズ家を訪ねてほしいのであります。私に権限がある限りは、必ず悪いようにはしないつもりであります!」

「元より寄る辺など無き身と言ったであろうに。……とはいえ、申し出はありがたい。覚えておくとしよう」

「まことに光栄であります!!」


 カイネはほほ笑み、少しだけ違和感を覚える。彼女が相続権を有しているのか、という問題だ。

 やがて夕食時間。シャロンに続いて部屋を出ようとしたその時、カイネの腕が後ろから引かれる。


「……ネレム。どうかしたか」

「アースワーズ家のこと」

「手短に教えてくれるか」

「……聞くの?」

「あぁ。聞こう」


 身分も地位も定かならざる少女がああまで言ってくれたのだ。多少の深入りは構うまい。

 ネレムは消え入りそうな声で囁く。


「……事情は長くなるから割愛するけど、シャロンはアースワーズ家の相続権第一位。でも、そのせいで何度か暗殺未遂に遭っている。ここに入学したのは彼女の身の安全のためでもある」

「シャロンから聞いたのか」

「ううん。私が個人的に調べたこと」

「あまり良い趣味ではないな」

「わかってる。……でも、あの子は外面ほど単純じゃない。シャロンがカイネさんに懐いてるのは、頼もしい上に頼りにもしてくれて、それに……損得抜きで接してくれたからだと思う」

「それが話した理由か?」

「……うん」


 カイネは軽く肩をすくめる。余人が土足で踏み入れる話ではない。

 と、その時。


「ふたりとも、どうしたでありますかー?」

「相済まぬ、靴紐がほどけておった。すぐに行く」

「では待っているであります!」


 彼女の背景など微塵も感じさせない明るい声。

 カイネとネレムは一瞬視線を交わす。


「確かに聞いたぞ。……では、行かねばな」

「……うん」


 そして、ふたりは何事もなかったようにシャロンの元へと向かった。


 ***


 ――それはある日の夕刻のこと。


「……カイネ殿」

「ソーマか。……また妙に畏まりおって」


 カイネは学院内の川べりで型稽古の最中だった。

 ソーマは神妙な面持ちをして言う。


「俺に、剣を教えてくれないか」

「……なぜだ?」

「えっ……お、教えてくれるのか!?」

「いや教えんが」

「じゃあなんで理由を聞いたんだよ!!」


 ぬか喜びさせられたソーマは憤懣やるかたない。

 が、カイネはあっけらかんと言った。


「一度は断ったことをまた言い出したのだ。理由がないわけではなかろう?」

「……た、確かにそうだが」

「それならば聞かんでもない。技術指導はできんが、心構えくらいは話せよう」


 以前に判明した通り、カイネとソーマの剣術はまるで方向性が異なっている。下手をすれば彼の美点を潰すことにもなりかねない。

 ソーマはうつむいた顔をゆっくりと上げて言う。


「あの時、おまえが来なかったら……俺たちは、死んでいた」

「おれがおらんかったらたぶんおまえさんも襲われてなかったと思うが」

「話の前提を潰すなよ!!」

「すまぬ」


 いささか身も蓋もない言葉であった。

 カイネは大人しく耳を傾ける。


「……なんだか悩んでる俺が馬鹿みたいに思えてきたから手短に言うけど、要するに、力不足を痛感させられたってことだよ」

「おまえさん、いくつだ」

「え?」

「年だ。年齢。いくつだ?」

「……十七だけど」


 ソーマは唐突な質問にいぶかしがる。


「ファビュラスはいくつであろうな……四十かそこらか? 五十にも見えたが……三十より下ということは無かろう」

「それが一体なんなんだ」

「で、おれはたぶん百くらいになる」

「なんでそこでめちゃくちゃ曖昧なんだよ!」

「晩年はおれ自身、ろくに数えておらんでな……」


 カイネは刀を鞘に収めてしみじみと言う。


「……で、それが何か関係あるのか?」

「大ありだ。――つまり、おまえさんは奴の半分も生きておらん。研鑽を積む時間も経験も、奴やおれのほうが多くなる。今は敵わぬとて、それが当然だ」

「……それは、確かに理屈ではそうなるだろうけど」

「奴はもうお終いだろうがな。……しかし、おまえさんは違う。おまえさんには時間がある。焦る必要はなにもない」

「でも、その時間をふっと奪われることもあるかもしれないだろ。それこそ、あの時みたいに」

「不運、というやつだな。そればかりは、おれにもどうにもできんのだが……」


 カイネは少しだけ考えて言う。


「おまえさんのできることをせよ。できぬことはせぬで良い。……それと、自分ができることとできぬことをよく把握せよ」

「……それだけ、なのか?」

「それだけだ。剣術に近道などはない――おれは魔術のことをよう知らんが、そこのところは変わらんだろう。……無論、おれがおまえさんの近道になることもない」

「はっきり言ってくれるな……」

「一生を棒に振っておるからな。あぁいや、一生棒を振っておったからと言うべきか」


 カイネは呵々と笑って空を見上げる。すでに夕陽が顔を覗かせていた。

 ソーマは深くため息をつき、頷いた。


「結局、地道な練習ってことなんだな」

「闇雲にやれ、ということでもないがな。何も考えずにやるのもそれはそれで意味がある。〝何も考えずともやれる〟域に達するにはそれが必要であろうよ」

「……肉体が資本の俺には、その方針が向いていそうだ。感謝する、カイネ殿」

「だからかしこまらんでも良いと言ったろうに」

「これ以上、借りを作りたくないんだ。……おまえに挑む気概は、まだ捨てたわけじゃない」


 ソーマは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、背を向ける。

 カイネはほう、とちいさく息を吐いた。


「まだそう言えるなら大したものよ」

「見栄や伊達で言ってるわけじゃない。覚えておいてくれ」

「おれがくたばらんうちに頼むぞ? いつまで待てるかわからんのでな」

「……その姿でそんなことを言われても困る」


 そのまま遠ざかっていくソーマの背中を見送る。


(……さて、十年も経てばどうなっておることやら)


 カイネは年甲斐もなく、ちいさな胸にかすかな昂ぶりを覚えていた。


 ***


 時はめぐり、王都行きを控えた夜。

 カイネは大浴場の湯船にひとり浸かっていた。


「――――あぁ、うむ、よいな。これはよい……」


 草木も眠るような時分。これならば人の目を気にするわけもない。

 カイネはちいさな身体を肩まで湯面に浸す。

 水浴びだけでは拭い切れなかった身体の凝りが解きほぐされていく。


「……はあぁぁ……」


 濡れタオルを頭の上に載せ、両手両足を大きく広げ天を仰ぐ。

 ぽたり、ぽたりと冷たい雫が天井の梁から落ちてくる。


(これならば、毎日浸からせてもらうのも……いやしかし、あまり贅沢に慣れてはな)


 この時間に入浴するためには多少の手続きが要った。

 自分ひとりのために何度も手間を掛けさせるのはいささか忍びない。


(明日の厄介事に備えて、だ。特別の折りのみとしよう)


 カイネはそう結論づけて鼻の下まで湯船に沈む。

 その時だった。


 ぎぃぃぃぃ、と大浴場の入り口が音を立てて開く。


「この時間に先客とは珍しい。失礼する――――」


 ぞ、と。

 言いかけた瞬間、湯船の少女を視認した男は凍りついた。

 彼はひどく慌てて扉を閉める。


「……なんだったのだ?」


 扉の向こう側でドタバタと足音が聞こえる。

 程なくして入り口がまた開かれた。


「カイネ殿!! 今確かめたが!! ここは男性用だ!!!」

「その通りだが」

「その通りだがではない!! 現代の風呂は男女別であってだな!!」

「おれが女人のほうに入るわけにはいかんだろう」

「……なるほど、一理ある。失礼させてもらうが、構いませんな?」


 男――アーガストは納得げに頷いて言う。カイネは是非もなく頷く。

 彼はかけ湯をして湯船に身を浸す。その体格は案外鍛えられていた。


「いつもこの時間に?」

「いや、いつもは水浴びで済ませておる」

「難儀な御仁だ。誰も気にしないと思いますが?」

「おれの問題だ。いい気持ちにはならん」

「然様でありましたか。すっかりその身に馴染んでおられたのだと」

「……まぁ、慣れてはきた。慣れざるを得ん」


 カイネはふぅ、と息を吐く。白い蒸気が空を昇っていく。

 カイネから大分離れたところでアーガストは身体を湯面に沈めた。


「明日ですな」

「あぁ、うむ。さてどうなるやら」

「……カイネ殿は、あのことをご承知で?」

「……さて、なんのことやら」


 その言い回しで合点がいった。

 この男もユーレリアの計画に一枚噛んでいるのだろう。

 おそらくはベイリン教授の監視役といったところか。


「なにはともあれ災難でしたな。貴殿の御活躍と尽力はしかと刮目させていただいた」

「……そういえば、あの男はどうなった? えー……」

「ファビュラスですかな?」

「あぁ、そうだ。その男だ」

「あれは国立裁判所行きですな。今回のことだけならまだしも、余罪がたんまりとある男だ。極刑は免れんでしょう」

「そんな輩が野放しにされておったとは」

「過ぎたる力を持った個人の末路でしょう。魔術はそれを可能にしてしまった。……もっとも、魔術無しにそれを成し遂げた男もいるようですが」

「……言いおるわ」


 カイネはちいさく鼻を鳴らしてタオルで顔を拭く。アーガストは横目に少女の姿を一瞥する。


「……正直に申し上げると、私は貴殿が学院を離れることには反対でしてな」

「それはまたどうして。……変われば変わるものだな?」

「貴殿は厄介事を呼び寄せてはいるが、では貴殿が学院を離れれば凶事は全て貴殿に向かうのか? 私はそうは考えない。ファビュラスは学院の生徒をも抹殺対象としか見ていなかった。つまり連中(マギサ教)は、貴殿を消すためなら多少の犠牲は〝なんでもない〟と考えているのだ」

「……人質にでも取る可能性がある、と? 生徒が無事であるならそれに越したことはないが、そのために言いなりになっても助かる保証はなかろうに。無駄死にだ」

「だが、貴殿はとても無駄死にを厭っているようには見えない」


 アーガストの指摘は的中していた。

 仮に見知らぬ生徒ひとりの命と自らの命を天秤にかけるなら、カイネは前者を取る。

 自分はすでに死んだはずの人間だからだ。


「……またずいぶんな言われようだ」

「さほど外してはおらんでしょう。私はまさにそのことを懸念しているのです、カイネ殿。連中の目的がカイネ殿を消すことにあるならばまだしも――カイネ殿を利用しようとでも考えれば、どうか?」

「……実験体にでも使われる方がまだしもよいな」

「そういうことです。……そういった可能性を考慮すれば……カイネ殿は厄介事を招くと同時に、抑止力としても機能していた点を認めざるをえない」

「国王陛下が堅実であったことが幸いか。……国を人質に取られればさすがに動かぬわけにもいかん」


 カイネはつぶやき、アーガストを一瞥する。


「……おまえさんがそういうからには、安心して出向けるのであろうな?」

「学内の警戒は厳にする。確約はできないが、可能な限りは尽力いたそう」

「相分かった――後ろを任せられるというのは得難い幸運だな、アーガスト殿」

「……何か嫌な思い出でも?」

「いいや。すっかり忘れたとも」


 カイネは呵々とほほ笑みかける。

 アーガストは少女をじっと見つめ、はたと目を見開いた。


「……カイネ殿」

「うむ。どうかしたか」

「顔がりんごのような有り様ですぞ」

「……む? あぁ、それは気づかなんだ。そろそろお暇するとしよう」


 すっかり湯中りしかけていたらしい。

 よっこいせ、と頭の上のタオルを広げながらざぱぁっと立ち上がる。

 熱い雫が無垢な裸身を伝って落ちる。濡れた真っ白な肌が薄明かりを照り返してきらきらと輝く。


「カイネ殿」

「うむ。なんだ」

「学院内ではともかく、振る舞いは少し改められた方が良い」

「善処はしよう」


 現在の外見への頓着、というものはおよそ皆無に等しい。

 カイネは濡れた銀髪をくしゃくしゃとタオルで拭きながら石床をぺたぺたと歩いていく。


「では、またしばし」

「ああ。貴殿の武運を祈らせてもらおう」

「なに、この身の呪縛ほど厄介なものではあるまいさ」

「……同感だ」


 ふたりは軽やかに笑みを交わす。そして、大浴場の扉は閉ざされた。

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