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現と挟間の不可思議紳士

作者: 水夜

 目を開ければ、そこは見知らぬ場所だった。

 青とか赤とか、そういった色の概念は無く、ただただ白い世界で、果てしない地平が広がっている。

 己自身には色があった。きっと第三者から見たら、自分の存在は酷く浮いているように見えるのだろうか。


 自分は、昨晩のことを思い出してみた。こうなった原因に思い当たるものが無いか確認するために。

 昨晩は、いつものように仕事を終え、いつものように会社の愚痴を家族に言って、いつものように寝た。ただ、いつものことをしたまでだ。


 もしや、これは夢という奴だろうか。しかし、こうまで意識がはっきりしているというのは珍しい。

 否、夢の中であるからこそ、意識がはっきりしているのかもしれない。きっと夢から覚めれば、ここでの記憶が曖昧になるのだろう。夢とはそういうものだ。


 そこで、夢から目覚めてみようと奮闘してみた。

 まずは己の頬をつねってみた。……痛い。

 夢とは痛みを伴わないものではなかったか。

 次に床に頭を打ち付けてみた。……やはり痛い。


「何をしているのですかな」


 ふと、声を掛けられた。

 はたから見たら今の自分は、床に向かって自ら頭を打ち付けているおかしな人間であることに気付き、恥ずかしさを覚えた。

 それと同時に、自分以外何も無かったはずであるのに、誰かから声を掛けられたという出来事に疑問を覚え、声の主を見る。


 そこには立派なひげを蓄えた白髪の老人がいた。自分と同じで、色があり、黒いスーツと帽子を身につけたその姿は紳士のようだ。

「夢から目覚めようとしているのです」

 そう正直にそう答えると、紳士は「はっはっは」と笑った。

「不思議なことをおっしゃるお方だ。ここが夢だと言うのですか」

「僕の知る世界とまるで違うのです。赤青黄といった色も無い」

 紳士は「はっはっは」とまた笑う。この笑い方は紳士の癖なのだろうか。

「色ならあるじゃありませんか」

 紳士は手を広げて言った。まるでこの白い世界が色とりどりの世界であるかのように。

「色があるのは私たちだけで、周りはひたすら一面の白が広がるばかりです。一体どこに――」

 そこまで言いかけると、紳士は指をぱちんと鳴らした。

 その音に呼応するかのように、無機質な白い地面は緑色の草木に覆われた草原へと変わり、空は数多の星が煌く夜空となった。

「色が無ければ作ればよいのです。私も、貴方も、色を持っているのですから」

 言っている意味がよく分からず、思わず、首を傾げた。

「もしや、貴方はここに来たばかりのお方でしたかな。はっはっは、いやはや、それならば納得もしましょうぞ、はっはっは」

 紳士は一方的に納得しては、笑っている。「はっはっは」という笑い声がこの世界にこだまする。


 紳士が「これを」とポケットから何かを差し出してきた。その何かは、鉱物の欠片のような質感で、丸い形だった。しかも綺麗な丸ではなく所々でこぼこしている、なんとも言えぬ形だった。そして、そこから淡い光を放っている。どこか儚げで、引き込まれるような、その光に、自分は魅入られた。

「これは、『ミチカケ』という物の欠片です」

 「それはなんですか」と聞くと、紳士はあの笑いをした後に説明する。

「時間が経つにつれ、姿を変える不思議な物です。あの忌まわしい奴はこの光が嫌いなようでしてね、ミチカケは我らを守ってくれているのです」

 「忌まわしい奴とは」と、次の質問をすると、紳士は嫌な顔1つせずに答えてくれた。

「『ギラギラ』のことですよ。あやつは全てを喰らう物。あやつが通った場所には何も残らないのです。この、ミチカケの光がある所には寄り付けないようですがね」

「それで、その欠片を持っている、と」

 紳士は「ええ」と言って、ミチカケの欠片を僕の手に握らせた。欠片の光が、指の隙間から漏れ出している。光自体は、儚く、冷たいようであるのに、欠片からはどこか安らぐような、そんな温かさを感じた。

「これを、貴方に差し上げます。万が一あやつがやってきても、貴方の御身が無事でありますように、その、お守りです」

「ありがとうございます」と礼を言って、それをポケットへと入れた。すると、なぜだか安心した。

「礼など良いのです。せっかく同じ色を持つ方と出会うことができたのです。ギラギラに飲み込まれては、とても悲しいじゃありませんか」

「はて、色を持つ、とは。確か、先ほども仰っていましたか。一体何のことなんです」

 そう紳士に尋ねるも、紳士は「はっはっは」と笑うだけだった。

 答えずにただ笑い続けるものだから、彼は自分をからかっているのではないか、という疑念が胸中を巡った。実は先ほどのミチカケの欠片とやらもただの石ころで、自分をからかいたいがために騙したのではないのか。

「ふむ、疑っておいでですかな」

 心を読んだかのように、紳士はそう言った。どこか悲しそうな顔で言うものだから、罪悪感に襲われてしまうではないか。

「貴方がそう思うのも無理はないでしょうな。しかし、貴方の問いにはまだ答えられぬのです。また、追々、順々に、時が巡れば、いずれ話しましょう」

 そう言って、紳士は「今日は貴方の色が抜け切らないうちに寝た方が良いです」と言葉を残して去って行った。

 寝るも何も、辺りは草原だ。

 野宿するしか無いのか。できれば、室内で、温かい布団と毛布の間に体を入れて、穏やかに寝たい。

 そう考えていると、目の前に、白い建物が現れた。飾り気の無い外装の、小さな家。

 恐る恐る入ると、そこには頭に思い描いた通りの、温かそうな布団と毛布があるではないか。

 それを視界に入れて認識した途端に、突然睡魔が襲ってきた。この布団を勝手に使ってよいのか、といった迷いさえ浮かばぬ程に、何も考えることができない。いや、何も考えることができない、というよりは、正確には、今は寝たいという感情しか持ち合わせることができない、だろうか。それ程に、強い睡魔だった。


 気がつけば、自分は布団の中にいた。結局の所、睡魔には勝てず、寝てしまったのだろう。白い無機質なこの建物の持ち主がいるとするならば、後で勝手に拝借したことを謝らなければいけない。

 コンコンコンと、三回ドアを叩く音が聞こえた。ここの建物の主だろうか。いや、自身の所有物たる家にノックする者はほとんどいない。と、すると、この建物に用のある客人だろうか。扉に覗き穴があれば確認こそできるが、そんなもの付いていない――、否、付いている。外を覗きこめる穴が付いている。昨日は無かったはずだが、気のせいだったのだろうか。

 ――いや、気のせいではない。紳士が夜空と草原を"作った"ように、僕もまた、この建物を"作った"のではないのか。

 覗きこむと、昨日の紳士だった。昨日と変わらぬ姿で扉の向こうに立っている。

「昨日はよく眠れましたかな」

 扉を開けると紳士はそう言った。僕は「はい」と答えて建物の外に出た。そういえば昨日から朝にかけて――この世界に朝というものがあるのかは知らないが、数多の星が空で煌いていた夜のような時間に寝て、今起きたのだから朝としよう――ご飯を食べていないはずだったが、不思議なことに空腹ではなかった。


 外は真っ白だった。この世界に来た時のように色の無い世界だ。昨日、紳士が"作った"はずの草原も夜空も無かった。

「これは――」

 僕が疑問を投げかけようと紳士の方を見やると、彼はどこか悔しそうな、それでいて、恨めしいような、表情をしていた。いや、実際にそういった感情だったのだろう。

「あやつが、来る」

 紳士は、絞り出すような声で、今までの快活な笑いその口から放っていたのが嘘のような低い声で、そう言った。

 「あやつ」が指すものが何か、僕はすぐに理解した。昨日、紳士が言っていた、全てを喰らうとかいう『ギラギラ』のことだろう。

「これは、前兆なのです」

 紳士は、深呼吸をして一旦落ち着きを取り戻すと、いつもの声色で僕にそう教えてくれた。

「あやつが来る時は、いつもそうだ。折角作り出した様々な色を奪ってしまう。奪った上で、色を生み出す我々をさらに喰らおうとやってくるのです」

 僕はそれに対して、紳士が昨日教えてくれたことを思い出していた。それを防ぐお守りとして、あれがある。

「喰らう、と言われても、我々にはミチカケの欠片があるではないですか」

 紳士が昨日僕に渡してくれた欠片。昨日からポケットに入れたままのそれは、ポケットの上から触れても、温かくて安心した気持ちにさせてくれた。

 そのような僕の気持ちを否定するように、紳士は、悲しげに、首を横に振る。

「あくまで、それは一時しのぎにしかなりません。ミチカケそのものではなく、ミチカケ自身の力の一部を宿した欠片に過ぎません。その欠片で奴が怯んだ隙に、逃げる他ないのです」

「逃げる、とは、一体どこに」

 見渡す限りの白の世界に、どこへと逃げればよいのか。そもそも、逃げ場はあるのか。

「ミチカケが、来るまでです。果てしない道を、あやつよりも遠くへ。遥か遠くへ。ミチカケが来るまで、とにかく逃げるのです」

 紳士は「さあ、早く」と僕を逃亡を促した。さらに、「色を作ってはいけない」と釘を刺した。どうも、ギラギラはそれに感づいてこっちに向かってくるらしい。

 逃げる準備をせねばと、僕は建物内に戻ろうと振り返る。すると、その建物は目の前ですっと消えていった。

「ああ、もう、近づいて来ている。さあ、早く、お逃げなさい。色を生み出す我々が、消える訳にはいかないのです」


 紳士に急かされて、僕は走った。紳士も後から付いてくる。


 とにかく、走った。

 疲れという概念がないかのように、何時間も休まずに走り続けた。


 ――あれから、どれくらい走り続けたのか。

 何時間、何日、何ヶ月、何年。それすら分からないが、疲れというものは一切なかった。

「まだ、逃げねばいかぬのですか」

 僕が紳士に問うと、紳士は黙って頷いた。

 疲労はないはずだが、休みたい、と、心内で思う。


 その時だった。

 背後から全てを溶かすような熱気を感じた。

 後ろを振り返るが、何も見えない。ただ、熱気を感じるだけだ。


「見つけた也」


 声がした。熱気そのものから、声が聞こえた。

「……追いつかれてしまいましたな」

 紳士が悔しそうに言う。

 きっと、これが、ギラギラというものなのか。

 そして、この熱気こそが、全てを喰らう原因なのだと思った。熱で溶かすように、色を、喰らうのだろう。

 僕はポケットに手を突っ込んで、その中にある欠片を握り締めた。一時しのぎに、今、これを使わなければ。――そう、思っていたのだが、紳士が「おやめなさい」と、一言遮られた。その声音はとても優しかった。

 紳士は僕に背を向けて、熱気へ毅然とした態度で言い放った。

「ギラギラよ、喰らいたいのは私のはず。私を喰らえ。そして、すぐにこの場を去りたまえ」

 受け入れるかのように手を広げた。

 ――なぜ、そのようなことをするのだ。

「なぜ、なぜです。ミチカケは、ミチカケの欠片は」

 ――貴方は持っているはずではないのですか。

 紳士は、「はっはっは」と笑うだけだった。そんな彼から、色が消え始めている。

「もしかして、貴方自身の欠片を、僕にくれたというのですか。複数持っていないのに。なぜ、なぜなのです」

 貴方は、そのような大事な物を、なぜ僕に、くれたのですか。

「早く、お行きなさい」

 ――きっと、こやつめはこの後、貴方を喰らおうと追いかけてくるだろうから。私を喰らっている、この隙に。

 紳士の声が、か細い声で聞こえた。紳士から、もう、色が、消えて、白い身体に、なって。

 僕は再び駆け出した。少し駆けてから後ろをちらりと振り返る。白い紳士の輪郭すらも、消えようとしていた。紳士の「はっはっは」という勝ち誇ったような笑い声が響いている。僕は涙を流した。紳士の軽やかなあの笑い声が、脳にこびり付いたかのように、ずっと聞こえているような気がした。


 星が、見えた。色こそ無かったが、夜空が見えた。きっと、ミチカケが、もうすぐやってくるのだ。

 熱は背後から迫っている。

 ポケットから、欠片が落ちた。すぐに拾う。貰った時は丸かったはずのミチカケの欠片は、孤の形になっていて、あの熱に呼応するかのように熱かった。

 熱気の動きが鈍った。僕の手の中のこれがミチカケであると分かったのだろう。

「忌まわしき物哉」

 ギラギラが声が聞こえた。

「忌まわしき物、捨て給え。汝、我が、一部と也や」

 熱気が目の前に移動する。おそらくこれに顔があったのならば、僕自身の顔と近い位置に、今あるのだろうか。

「汝は、我が眷属となりえるか、忌まわしき物の眷属となりえるか」

 僕は問いかけに黙っていた。


 そして、しばらくして。


「           。」


 答えた。


 紳士の笑い声が、また一度、聞こえた気がして、僕の意識が途絶えた。



 次に意識が戻った時には、元のよく知る世界だった。

 どこもかしこも色のある世界。


 あの白い世界はなんだったのだろうか。

 夢にしては、あの出来事を鮮明に覚えている。

 最後に何を答えたのか、その一点を除いて、覚えている。

 ポケットの中を探る。何も入っていない。

 けれど、ポケットは温かかった。


 まるであの欠片がさっきまで入っていたかのような温かさだった。


「はっはっは」

 "僕"は、ただ、意味もなく笑った。

 今回は、今まで書いた作品とは、少し毛色の違う感じで書かさせていただきました。

 少しこのような感じの作品も書いてみたいと思った結果です。


 作品内容に関しては、詳しくは触れません。この作品を書くに当たって、私自身が思うテーマこそありますが、解釈は読者の皆様にお任せいたします。


 ただ、あえて作品について何か言うとすれば、

「貴方が"僕"だったとしたら、最後の問いかけは何と答えたでしょうか」という質問をしたいと思います。

 問いかけだけ見ると、二択のように思えますが、実際は二択ではありません。どのように解釈したかによって、答え方も複数あるのではないでしょうか。


さて、手短ではありますが、以上であとがきとさせていただきます。

読了、ありがとうございました。

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