第九百五話 奇妙な声
…………こいつ、誰だ?…………
ロビーのソファーでうたた寝をしていたシェスターの耳に、突然どこからともなく何者かの声が響いた。
その声は何か洞窟のようなところから聞こえてでもいるように、大きく反響していた。
すると、この声によって眠りから覚めたシェスターが、さも面倒くさそうに目を開けた。
だがそこは、寝ていたはずのホテルのロビーではなく、真っ暗闇の空間であった。
シェスターは一瞬、自分の視力が失われたかと思い、慌てて自らの両掌を見た。
するとそこには、光が無いにも関わらず、紛う事なき自分の両掌があった。
(……どういうことだ?俺は先程までホテルのロビーにいたはずだ……そして……そうだ。疲れていた俺はロビーのソファーでうたた寝を……そうだ。ソファーだ)
シェスターは自分が腰掛けているはずのソファーの肘掛けを両手でむんずと掴もうとした。
だがそこには、何も無かった。
それどころか肘掛けを掴もうとした瞬間、突如シェスターは身体が浮き上がったような感覚を覚えた。
(なんだこれは?……水に浮いているような……どういうことなんだ?確かに俺は、今の今までロビーのソファーに座っていたはずだぞ?なのになぜ俺は浮いているんだ?……)
…………なんか見たことあるような…………
またも不思議な声がシェスターの耳に飛び込んできた。
「誰だ!?お前こそ一体誰なんだ!?」
シェスターは暗闇の中で叫んだ。
するとまたも、奇妙な声が反響しながら響いてきた。
…………何か言った?…………変に反響して上手く聞き取れないな…………
シェスターはこの声に、眉根を寄せていぶかしんだ。
「俺の声が聞き取れないのか?確かにこちらも何かに反響しているような感じで、聞き取りづらいが……だが代わりにこちらは、そちらの姿がまったく見えん……」
…………う~ん、どこかで聞いたことがあるような声だなあ…………
シェスターはさらに眉根を寄せた。
「俺のことを見知っている者か?」
だがシェスターの呼び掛けに、奇妙な声は答えなかった。
「……くそっ!俺の声はやはり聞き取れないのか……」
するとこのシェスターの悔しげな呟きに、奇妙な声が反応した。
…………あっ!聞き取れた!…………
するとシェスターが眉をピンと跳ね上げた。
「聞き取れたのか!?俺の声を!そうか、俺の名はヘルムート・シェスター。お前の名は一体何というのだ!?」
シェスターが叫ぶように問うと、奇妙な声がそれに応じた。
…………ヘルムート・シェスター…………あれ?なんか聞いたことがあるような…………
奇妙な声の反応に、シェスターがさらに言葉を連ねた。
「俺はヴァレンティン共和国の者だ。そして、その属州であるエルムールの審議官を務めている。どうだ?聞き覚えはあるか?」
…………ヴァレンティン共和国…………エルムール…………聞いたことがあるような…………
奇妙な声の煮え切らない返事に、シェスターが再度尋ねた。
「お前の名は!?お前は一体誰なんだ!?」
すると奇妙な声が黙り込んだ。
そしてしばらくの間沈黙が続いたものの、それは突然大音声によって破られたのだった。
…………俺は…………誰だっ!?…………




