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第八話 エスタへ

 1



「これは非常に高度な政治的判断を必要とする事案だ。かの地は君の偉大なる曽祖父にとって所縁(ゆかり)の深い地でもあり、ともすれば君にとっても同様であろう。この件の適任者たるは君をおいて他にいないだろう。ロンバルド・シュナイダー審議官、君に全権限を(ゆだ)ねる。すぐにアルターテ川上流域の国境係争地、エスタにある監視団本部へ(おもむ)いてくれ」


 ヴァレンティン共和国きっての要衝(ようしょう)、属州エルムールの最高権力者は(おごそ)かな口調でそう訓示した。


 齢七十を過ぎたとはいえ意気ますます軒昂(けんこう)で、部下の誰からも慕われている隻腕(せきわん)威丈夫(いじょうぶ)であり、その眼光は極めて鋭く、猛禽類(もうきんるい)を思わせることから『エルムールの鷹』の異名を持っていた。


 それが属州長官エドワルド・ミュラーその人であった。


「はっ。(つつし)んで御下命(ごかめい)(うけたまわ)ります」


 ロンバルドは敬愛する上司からの命令に対して、最上級の敬礼をしつつ返答した。


「次にヘルムート・シェスター参事官。君をロンバルド・シュナイダー審議官の副官に任命する。常に彼の傍らにあり、その(たぐい)まれなる知性をもって正しく助言をするように」


「はっ。謹んで御下命承ります」


 シェスターもまたロンバルドと同様、ミュラーに尊敬の念を抱きつつ最上級の返答をした。


「頼んだぞ二人とも。両大国が紛争にとどまらず総力を挙げた全面戦争ともなれば、両国臣民のみならず我らがヴァレンティン共和国を含む世界全体が戦乱の渦に巻き込まれるやも知れん。事は極めて重大だ。諸君らの奮励(ふんれい)努力を期待する」


「「はっ!」」


 二人はほぼ同時に発声し、次いで緊張した面持(おもも)ちのまま静かにゆっくりと長官室から退室した。



「いつもながら長官の前に出ると緊張しますね」


 急報を受けごった返す政庁一階のロビー中央を、大股で闊歩(かっぽ)しながらシェスターは首元のボタンをはずしつつ、安堵(あんど)の表情でロンバルドに話しかけた。


 しかしロンバルドはいまだ緊張の面持ちを崩さず、傍らのシェスターを()め付けながら言った。


「それはそうだが、俺たちがこれから為さねばならぬことは、長官室のそれを遥かに越える緊張の中で行われることだぞ。気を引き締めろ」


 ロンバルドの叱責を受け、シェスターは背筋を伸ばした。


「そうでした。あまりの大事を前にして、なにやら浮き足立っていたのかも知れません。以後気をつけます」

 

「いや、かくいう俺もまだ正直信じられんのだ。ローエングリンとレイダムの間で戦争が起こるかもしれない、などというのはな」


「ええ。両国間の戦争となると我々が生まれる前のことですからね。どうやら平和が長すぎて少々平和ボケしてしまっているようですね」


「ああ。お互い気を引き締めないといかんな」


 そう言ってロンバルドは、政庁の表玄関前の真っ白な大階段を下りながら自らを(いまし)めた。



 2



「母様、なにかあったのですか?」


 ガイウスは、夫ロンバルドの書斎で慌てた様子で侍女たちに差配(さはい)するエメラーダを見かけ、大層(いぶか)しげに母親に問うた。


 するとエメラーダは(きょ)をつかれたのか一瞬ビクリと背筋を伸ばし、次いで顔を強張(こわば)らせながらゆっくりとガイウスのいる方向に振り向いた。


 そして頬を若干引きつらせつつガイウスの問いに応じた。


「いいえ、なにもありませんよ。ええ、心配するようなことはなにもありませんとも」


 明らかな動揺を見せるエメラーダを見て、ガイウスは苦笑した。


「母様。いくらなんでもそのご様子で心配事などないと仰られても信じる者はおりません。それに嘘を吐くのはいけないと仰られたのは母様ですよ?本当のことを仰ってください」


 ガイウスの六歳児とは思えぬ落ち着き払った態度を見たエメラーダは、一つ大きなため息を吐いてから覚悟を決めてガイウスに答えた。


「そうね。あなたは本当に賢い子だから隠したところで仕方がないわね。……あのね、父様が或る所へお発ちになるの」


「或るところ……とはどこですか?」


「ええ、それは……アルターテ川の上流の……エスタへ……」


「エスタ?……エスタというとローエングリンとレイダムが領土争いをしている例の中洲ですか?」


 属州エルムールの北、アルターテ川上流域には長い年月に渡って堆積(たいせき)した土砂により形成された、かなり広大な面積を誇る大型の中洲があった。


 一万人規模の町を作ることも可能な広さのこの中洲はその名をエスタといって、およそ五十年前のローエングリンとレイダム間の大戦終結時に、両国がアルターテ川をもって国境とすることについては合意をしたものの、この中洲に関してはその領有について相譲らず、第三国であるヴァレンティンを含む周辺七カ国による共同代表団が預かりとしたといういわくつきの土地であった。


「ええ、そうよ。それにしてもガイウスは本当に何でも知っているのね。とても六歳児とは思えないのだけれど……」


 今度はガイウスが慌てふためき、勢い込んで説明した。


「いえ母様、僕は何でも知っているわけではありません。ただつい先日、我が家の歴史について書かれた書物を読んだところ、ちょうどその中洲が出てきたところだったのです」


 シュナイダー家は名家である。だが貴族ではなかった。


 歴史もそれほど古くはなく、およそ百二十年ほどであった。


 そんな歴史が浅く貴族でもないシュナイダー家がなぜ名家といわれるかというと、それは優秀な人材を近年多数輩出してきたからであった。


 ヴァレンティン共和国の政治体制は、市民による直接選挙で選ばれた八十人の委員で構成する評議会と、二百人の主だった貴族により構成される元老院との複合政体であった。


 もっとも評議会の権限は元老院を大きく上回っており、十二人で構成される内閣も評議会委員の中から全て選出されていた。

 元老院はあくまで評議会の補佐的な役割を担う名誉職的な(おもむき)であった。


 そんな中、シュナイダー家は実に五代に渡って内閣閣僚を輩出したために貴族に負けず劣らずの名家として国の内外にその名を轟かせていたのであった。


 中でもロンバルドの曽祖父、ガイウスにとっては高祖父にあたるゲルハルト・シュナイダーは閣僚にとどまらず国家元首たる首相も務めた人物であり高名を馳せていた。


 そしてそのゲルハルトこそが、五十年前の大戦時において両国講和の仲介をし、中洲を一時預かりとした七カ国による共同代表団、その主席を務めた人物であった。



「そう。それで知っていたのね」


 納得した様子のエメラーダを見て、ガイウスは内心ほっとした。


「はい。それでそのエスタになぜ父様が?……まさか戦争が起こったわけではないでしょうね?」


「戦争なんて!そんな……ただ少し……問題が起こっただけです……」


 ガイウスはエメラーダの消え入りそうな声を聞きながら、現時点で想定できる状況を心の中で推理していた。


(……たしかにいきなり戦争になるとは考えにくいか……だがちょっとした(いさか)い程度ならばロンバルドがわざわざ出向いたりはしないだろうし……それ相応の事態が生じたと考えるべきか……ならば今後戦争に発展することもありうるか……どうやらロンバルドの今後の働きは相当重要なものになりそうだな……)


「ですから父様は当分の間エスタに赴任なさいます。あなたはなにも心配せずにお勉強をして、いつか父様の手助けが出来るようにがんばってね」


 ガイウスの心中には暗雲が立ち込めていた。しかしエメラーダにはそれを気取られまいと努めて明るく返事した。


「はい。母様」


 エメラーダはそんなガイウスの快活な返事を聞いて安心し、にっこり微笑んだ。


 そしてふと思い出した事をガイウスに告げた。


「そういうわけだから当分の間、父様はあなたの剣術のお稽古相手ができません。ですから父様はご友人の剣術家の方にお手紙でお願いして、その方の道場へ通えるようになさって下さったそうです。通うのは明日からだそうですから、きちんと身支度をして礼儀正しくなさるのですよ」


「はい!母様」


 ガイウスはまたも快活に返事した。


 しかし今回は先ほどとは異なり本心からのものであった。


 ガイウスは久しぶりの外出に心(はず)ませていたのだった。


(ここのところ勉強ばっかりだったし、たまの外出は気晴らしにいいな。まあ道場主が厳しい人だったらあれだけど、ロンバルドの友人らしいしそうそうしごかれたりはしないだろうさ)


 ガイウスは心中に立ち込めていた戦乱の(きざ)しを一時忘れ、明日の外出に心(おど)らせていた。

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