第八十三話 エルムールの鷹
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「両名ともに苦労であった!」
駐エルムール属州長官エドワルド・ミュラーの怒号のような大音声が、白亜に輝くエルムール政庁舎内に設けられた最も豪壮な長官室内一杯に響き渡った。
ロンバルドとシェスターは直立不動の姿勢から右腕だけをすばやく上げて敬礼し、この隻腕の恐るべき上司からのねぎらいの言葉に対して態度でもって返答した。
「それにしても千年竜とはな……さぞ現場は阿鼻叫喚の修羅場であったことだろうな」
「はい。レイダム、ローエングリン両軍ともにその被害は甚大でありました。しかしそれゆえ両軍ともに矛を納め易かったといえます。なにせ混乱に次ぐ混乱で収拾がつきませんでしたから」
ロンバルドの言葉をシェスターが継いだ。
「とりあえず本国へ帰還して軍を再編しなければと思ったのでしょう。両軍に対して停戦を呼びかけた際、実にあっさりと両軍ともに応じましたから。またそれには両軍ともに最高司令官が亡くなったのも大きかったのではないかと思います」
「うむ。ローエングリンのゴルコス将軍とレイダムのビエルサ将軍だったな?」
ロンバルドたちはゴルコスの名を耳にした瞬間、ほんのわずかピクリと顔の表情筋が反応してしまったもののそれは一瞬の出来事であり、うまくやり過ごしたはずであった。
しかしこの隻腕の恐るべき男は猛禽類を思わす鋭いまなざしで二人を容赦なく見据えると、エルムールの鷹の異名に恥じない一言を放った。
「……貴様ら、なにか俺に隠し事でもあるのか?」
ロンバルドたちは内心大いに驚いた。
しかし彼らは自分たちの上司がその慧眼によって敵味方問わず恐れられていることを誰よりもよく知っていたため、事前にこのような事態になるかもしれないと想定しており、そのため何とか顔色を変えずにいることに成功した。
「いえ。そのようなことは……」
ロンバルドは努めて平静を装って言った。
「では先ほどのお前たちの反応はなんだったのだ?ゴルコス将軍の名を出した瞬間、貴様らの顔色が変わったようだったが?」
代わってシェスターが答えた。
「我々は千年竜の襲撃前にゴルコス将軍とは面談をしておりまして……その際、将軍の人となりに触れたものですから……」
「人となり?一体どのような人物だったのだ?」
「はい。一言で言えば……人間の屑です」
「ほう……そうなのか?シュナイダー審議官」
「……はい。あまり褒められた人物ではないのは確かかと……」
「……ふむ。確かゴルコス将軍は現教皇のご子息だったと思ったが?」
ミュラー長官の質問にシェスターが雄弁に答えた。
「はい。その立場をこれ以上ないというほど笠に着た男でした。傲岸不遜にして厚顔無恥、傍若無人にして冷酷無残、私利私欲によってのみ動く嗜虐嗜好な虎の威を借る狐とは、奴のような男のことを言うのでしょう」
「ほう……それほどか……」
「はい。そのため奴の名を聞いただけで条件反射に虫唾が走ってしまったという訳であります。申し訳ありません」
シェスターは流暢な弁明を終えると、しれっとした顔つきでミュラー長官に対して敬礼をした。
するとそれを見ていたロンバルドもまたシェスターに続いて慌てて敬礼をした。
するとミュラーは、周囲を圧倒する厳かな雰囲気をその身に纏いながらゆっくりとした動作で右手を上げ、二人に向かって敬礼を返しつつ言った。
「うむ、良く判った。両名とも改めてご苦労であった。下がってよし!」
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「ふう。なんとかうまく誤魔化せましたね」
「ああ。なんとかな」
二人は安堵の吐息を漏らしつつ、エルムール政庁入り口前の大階段をゆっくりと降りていた。
「それにしても、エスタは当分の間、以前と同じく中立地として周辺七カ国による共同監視団が駐留することで決着がつきましたが、レイダム王家の王位継承問題はこれからです」
「ああ、それにその裏でうごめいているであろうあの男……」
「……ローエングリンのレノンですね……」
すると突然二人の足元から声がした。
「それと千年竜じゃ。それを忘れてはいかんぞ」
普通の猫サイズに縮小して二人の後についていたエルであった。
ロンバルドは慌てふためき、声をひそめてエルに注意した。
「困ります。まだ街中ですから声をださないようにしてください」
エルは仕方ないといった風情で一度小首をかしげると、承知の意味で「にゃあ」と猫の鳴き声で答えた。
ロンバルドはシェスターと顔を見合わせ互いに疲れた表情でうなづきあった。
「しかしそれにしても、どうやら今後忙しくなりそうだな」
「ええ。ですがその前に一旦帰宅して英気を養いましょう。審議官の奥様もさぞやご心配でおいででしょう。それに……可愛いお子様もお待ちですよ」
「そうだな。そうしよう……今度ばかりはさすがに疲れ果てたよ」
「同感です」
そう言うとシェスターはロンバルドに向き直り、うやうやしく敬礼をした。
「では、ここで失礼します。また明日お会いしましょう」
ロンバルドもシェスターに対して向き直り、ゆっくりとした動作で右手を上げた。
「本当に今回はご苦労だった。お互いゆっくり休むとしよう」
「はい」
そう言いおえたシェスターは、わずかに首を下に向けてエルに正対すると、軽く会釈をしてしばしの別れを告げた。
そして鍛えられた軍人がするようなきびきびとした動作でくるっとすばやく反転し、足早に階段を降り終えるや、夕日が沈みかけた西の方角に向かって静かに立ち去っていった。
残されたロンバルドは一つ大きな深呼吸をすると首を大きく横に傾けてエルを見た。
「ではわれわれも行きましょう」
ロンバルドは小声でエルに向かってそう言うと、ゆっくりとした足取りで東に向かって階段を降りはじめた。
ようやくロンバルドは、最愛の妻エメラーダと愛息ガイウスの待つ安らぎの我が家へと帰還の途についたのであった。




