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第七話 風雲急

 1



「ところで審議官。六年前の例の事件、その後の調査はどうなりましたか?」


 シェスター参事官の問いに、ロンバルドはため息混じりに答えた。


「なにも……今のところ、まだなにも掴めていない」


「そうですか……なかなかの(たぬき)のようですな」


 それはロンバルドにとって忘れたくとも忘れられない痛恨の事件であった。


 六年前の夏、ローエングリン教皇庁船籍の船がエルムールに入港した。

 

 港湾職員が(いかり)を下ろしたその商船に乗り込み、型通りの臨検を済ませて船を降りようとしたその時、傷だらけの青年が階下の船室より悲鳴を上げながら甲板上に飛び出して港湾職員に助けを求めたのだ。


 驚いた港湾職員は倒れこむ青年を抱きかかえ、すぐさま埠頭で警護する水兵を船上に呼び寄せた。

そして青年を取り返そうと殺気立つ商船の乗組員と対峙させつつ青年に事情を聞いたのだった。


 青年は息も絶え絶えに、自らとその同胞の境遇について訴えた。


 自分たちは奴隷として拉致され、監禁されているのだと。


 かつては確かに奴隷貿易は盛んであり、非常に重要な「輸出入品目」として各国こぞって取り扱うことに精を出していた。

 

 しかし現在では人権思想の拡大により一部の国を除いて禁止されており、ヴァレンティンはもちろんローエングリンもまた奴隷貿易禁止条約にサインをしていた。


 にもかかわらずローエングリンの船が奴隷を運んでいたとなれば、これは明らかな条約違反である。


 しかもその船がローエングリン教皇国の最高権組織たる教皇庁所有の船となればこれはもはや極めて重大な外交問題であるといえた。


 そのため港湾職員たちは自分たちの手に余ると考えてエルムール政庁へと連絡し、審議官たるロンバルドが現場に駆けつけたのだった。


 そしてそこでロンバルドはある男と出会った。


 その男は教皇庁所属の司教であり、その船の所有者でもあった。


 しかしその男はしらを切った。


全ては船長以下の乗組員たちが勝手にやったことであり、聖職者たる自分が関与しているわけはないと。


 そしてそのしらは、通った。


 なぜならば船長以下の乗組員全員が自分たちの罪を認めると同時に、その男の関与を完全に否定したからであった。

 

 結果、船長たちは逮捕されて牢獄行きとなり、奴隷たちは無事解放された。


 そしてその男は不問に付されることとなった。


 男の名はレノン。


 青白い顔の痩身の男であった。



 2



「情報局の連中にレノンの身辺を調査させたんだが……真っ白だったよ」


 ロンバルドは座っている椅子の背もたれに身を預けながら苦々しそうに言った。


「ほう。そいつは怪しいですね。真っ白っていうのは真っ黒と隣り合わせと相場が決まっていますからね」


「ああ。ひっくり返せば真っ黒だ。……ただしひっくり返せればの話しだがな」


「そうですね。……ではひっくり返すためにとりあえず今のところ判っていることを教えてください」


「わかった」


 そう言うとロンバルドは居住まいを正してシェスターに説明をし始めた。


「奴は教皇庁の外務局に所属している。主に外国政府との交渉事を行っているようだが、外務局内のどの組織に属しているというわけではなく、かなりの自由権限を持って色々な事案に顔を出している」


「ほぼ遊軍というわけですね。奴にその自由権限を与えているのは誰です?」


「外務局長官のカルビン枢機卿(すうきけい)だ。つまり我が国ヴァレンティンで言えば外務大臣って訳だ」


 シェスターはそれを聞くと腕を組んで瞑目し、次いで右目だけを見開いて言った。


「かなりの大物ですね。聖職位も教皇に次ぐ地位の枢機卿ですし」


「ああ。その大物の直属なんだよあの男は。その上に身辺は真っ白ときてやがる」


「どれくらい身奇麗(みぎれい)なんです?」


「金の流れは無いも同然。酒もやらなきゃ女もいない。非常に敬虔(けいけん)なゼクス教徒で質素倹約を旨とし、暇さえあれば神に祈っているとの評判だ」


「なるほど本当に真っ白ですね。さていったいどこに奴の尻尾があるものか……」


「ああ。今のところまったく見当たらない」


 すると(うつむ)いていたシェスターが、何かに気づいたようにふと顔を上げて言った。


「審議官。なぜその尻尾を見せないレノンが危険を冒して例の奴隷船に乗っていたのか、不思議ではありませんか?」


 それを聞いたロンバルドは我が意を得たりと大きくうなずいて言った。


「ああ。その通りだ。実はな、俺もそう思って調査させたんだ」


「なにをです?」


「解放した奴隷たちの行方(ゆくえ)だよ」


「奴隷たちの……」


「ああ。あの時の奴隷たちがただの奴隷たちなら、君が言うようにわざわざ危険を冒してあの船に乗らずともローエングリンで待っていればいいことだ。だがあの男はあの船にわざわざ乗っていた。それはなぜか?」


「ただの奴隷たちではなかった……」


「ああ。正確には、ただの奴隷たちの中にそうではない何者かが含まれていたのではないかとな。だから俺は奴隷たちのその後の行方を調査させたというわけだ」


「なるほど」


「彼らは解放後、皆一様に衰弱していたため一旦病院へと収容された。そして回復したものから順次帰国の途に着く事になっていたのだ。だが……或る日一人の少年が病院から忽然と姿を消してしまった」


「少年?」


「ああ。十歳位の少年だったそうだ」


「十歳位ってなんです?随分あいまいじゃないですか」


「ああ。それというのも少年は口が利けなかったらしくてな。正体不明だったんだよ」


「他の奴隷たちに聞けばいいじゃないですか」


「それがな、他の奴隷たちは皆、カント大陸に住む小部族の者たちだったんだが、その少年は違ったそうだ。彼らが拉致され奴隷船に乗せられてから数ヵ月後に彼らが閉じ込められた部屋にいきなり放り込まれたらしい」


「つまりその時、その少年と共にレノンも奴隷船に乗り込んだと……急いでいたか何かで仕方なく乗ったというわけですか?」


「おそらくは……な」


「で、その少年が病院から消えたと……誘拐ですか?」


「ああ。十中八九レノンの仕業だろうよ。俺が少年の失踪を聞いた時には既にレノンは帰国の途に着いていた。おそらくはその少年を連れてな」


「残念でしたな」


「ああ。気づいた時には遅すぎた。完全に出遅れたよ」


 そう言ってロンバルドはもうすっかり冷めてしまったお茶を一口すすった。


 そして口内を十分に湿らせてからゆっくりと飲み込んだ。


 シェスターもまた同じくぬるくなったお茶を口に含み、たっぷり時間を掛けて喉に潤いをもたらしていた。


 二人はそれぞれの思索に(ふけ)り、沈黙の時がしばし流れた。



 と、そこへ驚くべき報をたずさえた急使が飛び込み、静寂は一瞬にして破られた。

 

「昨日未明、ローエングリン教皇国とレイダム連合王国との国境係争地において、大規模な軍事衝突が勃発したとの報がもたらされました!」


「「なんだと!」」


 ロンバルドとシェスターはほぼ同時にそう叫び、互いの顔を見合わせた。


 そしてこの先に待ち受ける世界の命運を思い、共に嘆息した。


 

 世界は今、激動の時代を迎えようとしていた。

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