第六話 シェスター参事官
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ヴァレンティン共和国きっての交易の要衝、属州エルムールは、メリッサ大陸の南岸に位置している。
メリッサ大陸は世界最大にしてもっとも肥沃な大陸であり、古来より争いの種には事欠かなかった。
現在そのメリッサ大陸は三大国によってその大部分を分割統治されていた。
大陸西部および北西部を領有する世界最古の歴史を誇るダロス王国。
大陸の東から北東部を支配する新興国、レイダム連合王国。
そして大陸中央部を領する世界最大の国家、ローエングリン教皇国。
ヴァレンティン等の周辺国は、常にこれら三大国によって戦乱と謀略の渦に巻き込まれてきた。
だがそれは、うまく立ち回ることが出来れば外交における発言力を増したり、貿易額の増加となったり、時には領土の拡大に繋がることもあった。
ヴァレンティンはこれまでそうして国力を高め、領土を小規模ながら拡大してきた。
とはいっても領土は細切れに点在する形であり、各地に貿易拠点を形成することには成功してきたが、面積においても人口においても三大国とは到底比べ物にならなかった。
だがヴァレンティンは海洋国家としての特性を遺憾なく発揮して、海軍力と交易額に関しては三大国に比肩するものとなっていた。
エルムールはそんなヴァレンティンにおいて最大交易額を誇る港を有する属州である。
当然のことながらヴァレンティンにとって最重要地であるが、もう一つエルムールには重要視される理由があった。
それは、ローエングリンとレイダムという二つの大国と国境を接している地政学上の重要性であった。
両大国は現在、世界第二位の流域面積を持つ悠久の大河、アルターテ川をそれぞれの国の南部域の国境と定めている。
エルムールはそのアルターテ川の河口部に位置するのである。
そのため、その重要性はヴァレンティンにおいて群を抜いており、この地に赴任する官僚たちは皆、非常に有能な者たちばかりであった。
中でも官僚になったばかりでいきなりこの地への赴任を命ぜられたロンバルド・シュナイダー審議官への期待は大変に大きなものだったといえるだろう。
名門出身という金看板だけでこのような人事が執り行われるほど、ヴァレンティンは大国ではない。
船乗り時代の個人的な名声が、彼をこの地に呼び寄せたと言っていい。
ロンバルドがこのエルムールに着任してから既に八年の歳月が流れていた。
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「おはようございます。審議官」
午前九時を少し廻った頃、ロンバルドは白亜にそびえる五階建ての近代的な政庁に到着した。
そして三階にある自らの執務室に入ると、秘書のコーデシアが彼を明るく出迎えた。
「おはよう。今日は忙しそうかい。それとも暇かい。出来れば後者だとありがたいね」
するとコーデシアは満面の笑みをたたえてロンバルドに返答した。
「おめでとうございます。本日はお暇かと存じます」
「それはありがたい。では早速だが昼寝でもさせてもらおうかな」
ロンバルドがそう言って愛用の椅子に腰掛け、背もたれを倒そうとしたその瞬間、室内に闖入者が現れた。
「そうはいきませんよ。審議官」
「誰かと思えば、なんだ君か。シェスター参事官」
入ってきたのはロンバルド直属の部下であり、彼がその右腕とも頼む怜悧な切れ者、ヘルムート・シェスター参事官であった。
「なんだ君かとはまた随分な言い草ですね。せっかく興味深い話を持ってきてあげたと言うのに」
「ほう、それはすまんな。その話、ぜひ聞かせてくれ」
そう言いながら右手でロンバルドは向かいの椅子を指し示し、シェスターに座るよう促した。
「仕方ないですね」
そう言うとシェスターはゆっくりとした動作で椅子に腰掛け、ロンバルドと向き合った。
「現在レイダム連合王国のサイラス王はとても高齢のため近々退位し、代わって新王が即位しそうだという話しはご存知ですよね?」
ロンバルドは軽く顎を引いてうなづいた。
「そのため連合王国内では誰を新王とするかで宮廷内抗争が激化していたわけですが……どうもその抗争に決着がつく前に肝心のサイラス王が薨去されたのではないかと……」
「なに!?亡くなられた?なぜそう思う?」
「ええ。というのも昨晩レイダム船籍の大型輸送船が入港したんですが、それが停泊した途端、アルケスの花を大量に買いつけたかと思うと慌てて積み込んでさっさとレイダムへ向けて出港してしまったのですよ。買い付け時の相手の慌てぶりに、花の卸商が相当に値段をふっかけたらしいのですが、値切る素振りもなく飲んだそうです。ですから相当な金額の商いになったらしく港では大きな話題となっていたのです」
「なるほど。たしかレイダムでは高貴な者が亡くなった場合に限り、アルケスの花を棺の下に敷き詰め、さらに参列者が献花し棺を覆うのだったな」
「ええ。一般庶民の場合はサンザの花を使います。アルケスの花は特別な者の時だけです。それも大型輸送船に一杯となればさらに特別な方だということでしょう」
「しかしレイダムの者たちも用意が悪いな。急にそんなことをしたら、お前みたいな奴に王の薨去を気取られても仕方がないだろう」
「お前みたいな奴とはまた随分な言い草ですね。まあいいでしょう。彼らを責めるのは少し酷ですよ。なぜならばサイラス王はつい先日まで大層お元気だったのですから」
「そうなのか?病状が悪くなったから退位するという話しじゃなかったのか?」
「違いますね。サイラス王は病気でもなんでもありませんでした。ただ来年には御歳八十歳となり、今後政務を執るには問題が多かろうと王御自身が退位を言い出しただけで、その時点での健康上の不安はまったくありませんでした」
「では急に……まさか……」
「ええ。そのまさかを疑っているわけです。サイラス王は若き日より戦場を駆け巡り、その治世の大半を戦地で過ごしたという「武王」の異名にふさわしい御方です。老いたりとはいえ、いまだ頑健な肉体を誇っていたと聞いていますし、その知性も衰えていたとはいえません。その証拠に退位を言い出したのは王御自身なのですよ。権力にしがみつくことしか考えていないような連中が多い中でレイダムの将来を見据え、王御自身で退位を言い出した。おそらくそれを言うことで宮廷内でどの様な動きが巻き起こるのか、誰が後継者にふさわしいのか、また誰を後見人とするのがよいのか、それらを見極めるための退位宣言だったのではないかと私は考えています」
「だがその前にご自身が凶刃に倒れた……という訳か」
「ある程度予測はしていたでしょうが……相手の方が一枚上手だったということでしょう」
「……暗殺者に心当たりは?」
「多すぎて皆目見当がつきませんね」
ロンバルドは一つ大きなため息を吐き、次いで瞑目した。
それは偉大なる武王へ捧げる黙祷であった。
そしてそれに気づいたシェスターもまた瞑目し哀悼の意を表した。
しばしの沈黙ののち、ロンバルドは目を見開きシェスターに問いかけた。
「たしかサイラス王の御子たちには男子はなく、皆王女であったな」
「ええ。王女ばかり実に五人もいますね」
「では後継者となるのは孫たちのいずれかということか」
「ええ。有力候補がざっと十人ばかりいますね」
それを聞いたロンバルドは驚愕の声を上げた。
「十人!いくらなんでも多すぎるぞ!」
「ええ。それも皆、悪い意味で甲乙つけがたいのですよ」
「皆出来が悪いのか……サイラス王が迷われたのはそれでか」
「ええ。誰を選ぶべきか大層迷ったのでしょうね。戦場を駆け巡ってばかりで宮廷内のことについてはあまり関心を示さなかった方ですが、いざ後継者を、となったとき愕然とされたのではないでしょうか」
「さぞや虚しい心持ちだったのやも知れんな……」
ロンバルドは武王の心境を慮ったが、気持ちを切り替えてシェスターに問うた。
「それで今後レイダムはどうなると思う?君の考えを聞かせてくれ」
「おそらく王の薨去は隠すでしょう。新王が決まるまでは公表しようにも出来ませんしね。新王が決まり次第、サイラス王の薨去と新王の即位が発表されるでしょう。それまでに宮廷内でどれだけの血が流れるか見当もつきませんね」
「後継候補が十人もいるんじゃ相当な量の血が流れるだろうな」
「他人事のように言ってますけど奥様のご実家はレイダムきっての大貴族じゃありませんでしたっけ?」
「ああ。だが妻の父である現当主のハウゼン・リップシュタット侯爵は宮廷とは離れて領地に立て篭もっていると聞いている。一族の者も同様だ。だから心配はないだろう」
「それは賢明なことですね。」
「ああ。そうだな」
するとそこへ秘書のコーデシアが、ゆらゆらと湯気が立ち昇った淹れたてのお茶を運んできた。
話しの腰を折らないためにタイミングを見計らってお茶を持ってきてくれた秘書と、先ほどの見事な考察を披露した部下を交互に眺め、出来る部下たちに囲まれている状況に感謝しながら、ロンバルドは熱いお茶をうまそうにゆっくりとすするのであった。




