第五十六話 弱み
1
木々の隙間からじりじりと照りつける太陽に焼かれ、睨みあう両者の顔にはじっとりとした脂汗が浮かんでいた。
だがそれでもなお両者は動かない。
いや、動けないでいた。
両者の内、技量が上と見られるエドバーグは先の奇襲攻撃の失敗を引きずっており、次また失敗したらという思いに捕らわれるあまり次なる攻撃を仕掛けられずにいた。
片や剣技に劣るゲッツもまた、彼我の技量の優劣を気にし過ぎるあまり相手の出方を待ってただじっと身構えていたのであった。
しかしこれは両者共に愚策と言えただろう。
親衛隊長アルスの事例にあるように立会いにおいて先の失策を引きずるなどもっての他であって、本来ならばすぐに気持ちを切り替えて次なる攻撃を繰り出さなければならない。
またそのような相手と対峙している者はその相手の怖気を見て取り、すかさず攻撃を仕掛けるべきなのであって、相手の出方などを窺っている場合ではないのである。
だが両者が取った行動はどちらも「待ち」であった。
これは両者間においては多少の技量の差異があるとはいえ、大所からこの二人を見た場合、どちらの技量もかなり低いことを意味していた。
つまりはどっちもどっちと言ったところであり、達人同士の息を呑むような「後の先」の取り合いなどとはまったく異なるものであった。
しかるに両者の立会いはすでに泥仕合の様相を呈し始めており、両者の間にはいつ終わるともなくただいたずらに時が流れていた。
だが永遠に続くかと思われた静寂な時間は、予想だにしない恐るべき闖入者によって突如として打ち破られることになるのであった。
2
ロンバルドはバッカス兄弟を睨み据えつつ、傍らのシェスターをしきりに気にしていた。
するとそのことにバッカス兄弟の兄、ロムス・バッカスが抜け目なく気付いた。
「あんたさっきからずい分と隣の奴のことを気にしているようだが、もしかしてあんたら男同士でそういう関係なのかい?」
ロムスは若干の嘲りを含んだ物言いでもってロンバルドを挑発した。
「だまれ下衆。その穢らわしい口を今すぐ閉じよ。そして金の糸と銀の針でもって永遠に縫いつけてしまえ」
ロンバルドはヴァレンティン共和国に古くから伝わる呪詛の言葉を投げ掛けてロムスの挑発をかわしながらも、心中ではこの眼前の敵の鋭い洞察力に舌を巻いていた。
(手強い……油断のならぬ相手だ)
するとそれまで終始無言だった弟のレムルスが突然大きなくしゃみをした。
「へっぶしっ!」
そしてくしゃみで垂れた洟を啜り上げながら、傍らの兄へ問いかけた。
「へへっ兄者、今度はこいつらで遊んでいいのかい?」
するとロムスは不敵な笑みを浮かべながらレムルスに応えた。
「ああ、好きに遊ぶといい。こいつらがお前の新しいおもちゃだ」
「ひゃーはっはっ!おもちゃ!おもちゃ!お前ら俺のおもちゃ!ひゃーはっはっ!」
レムルスは兄の言葉に相好を崩し、奇声を発しながら狂喜乱舞した。
ロンバルドは、そんなレムルスの狂乱の様を見て驚きの表情を浮かべた。
するとロムスがそれを鋭く見咎めた。
「うん?貴様なんだその顔は。俺の可愛い弟をそんな顔つきで見るな!物珍しそうに見るな!弟が知恵遅れだからってお前に迷惑でもかけたのかっ!かけてないだろう!見るな!見るな!見るじゃねえーっ!」
ロムスの雨霰と降り注ぐ矢のような叱責にロンバルドは一瞬たじろぎ、次いではっとした表情を浮かべて言った。
「いや待て!私はそんなつもりで君の弟を見たわけではない。誤解しないでもらいたい」
ロンバルドはそう言いながら心の中で、これで会話の主導権をロムスに握られてしまうであろうことが判っていた。
もし仮にロンバルドがロムスの言葉を受け流していたならば、会話の主導権は逆にロンバルドが握れたかもしれない。
だがロンバルドはそうはせずにまともに受け止め、なおかつ反駁してしまっていた。
なぜならば、ロンバルドにとって差別主義者のレッテルを貼られることは到底容認できなかったからである。
たとえそれが相手の手練手管なのだと判っていても、その手に乗らざるを得ない。
それがロンバルドという男であった。
そしてロンバルドは思う。
これが自分の弱みなのだと。
つまるところ、ロンバルドは育ちが良いのである。
日頃は名家の出であることを厭うているが、育ちというものは己の身中奥深くに染み込んでおり、時にこうして滲み出てくるものなのだ。
そしてこれは容易に払拭できるものではなく、折に触れて表面に出てきてしまうものなのだ。
そしてそれに抗うことは、いつだって誰も出来はしない。
今回のように判っていながらも相手の手につい乗ってしまうのだ。
だからロンバルドは思う。
いつか己の育ちの良さが因となって、大いなる災厄が降り掛かるであろうことを。
だがそれと同時に、こうも思うのだ。
願わくば、その災厄が己の身一つに降り掛からんことを……と。




