第五十四話 困惑
1
アルスは、大上段から振り下ろされたコリンの強烈な斬撃を、右足を一歩引いた半身の構えで斜め後方に力を逃がすように受け流した。
すると突然アルスの顔がパーッと明るくなり、ほんのわずかではあったが口角を上げて笑みを浮かべた。
(読めた……あと二合だ!)
息を潜めて耐え忍ぶ防戦の中、百戦錬磨のアルスは、腕が立つとはいえ若いコリンの単純な太刀筋を見切り、数秒後の決着の瞬間を頭の中に思い描いたのだった。
対するコリンは渾身の上段斬りをあっさりと受け流され、危うくたたらを踏みかけたが、左足にあらん限りの力を込めて踏みとどまっていた。
そして返す刀で下段から素早い胴払いを抜き放った。
アルスはすかさず剣先を地面に向け、右手を剣の腹に添えて踏ん張り、コリンの胴払いを力強く受け止めた。
瞬間、凄まじい火花が飛散すると同時に甲高く硬質な金属音が深い緑の森に響き渡った。
(あと一合!)
アルスはコリンの動きを予見しているかのように先に動き出した。
剣先を下に向けたまま頭の上から首の後ろに大きく回して剣を後背に持っていき、両膝を軽く折り曲げ、少し腰を落としてほんのわずか踵を浮かせてコリンの次なる攻撃を待ち構えた。
もし仮に、これが実戦ではなく訓練だったならばコリンもアルスの先回りするかのような動きを見て取り、警戒して踏みとどまったかもしれない。
しかしこれは命を懸けた実戦であり、自分の思うようにいかないもどかし
さにあせっていたコリンは冷静さを欠いていた。
結果、コリンはアルスの動きとは関係なしに胴払いからの流れで、無意識のうちに突きを選択してしまった。
そしてそれこそがアルスが待ちに待ったものであった。
次の瞬間、アルスはコリンの突きを真横に軽やかに飛んであっさりかわすと、後背に垂らしていた剣を力強く大上段に振り上げた。
戦いの序盤で不覚にも深い手傷を負ったものの、百戦錬磨の経験で耐え忍び、静かに少しずつ敵を絡め取る糸を張り巡らした男は、ついに戦いの勝利を確信しつつ頭上高く掲げた剣を裂帛の気合を込めて今、力強く振り下ろそうとするのであった。
2
ロトスは戸惑っていた。
なぜかといえば、この穏やかで優しく慎ましやかなこの赤ら顔の小男は、突然に襲い掛かってきたガンツに対してある種の好感を抱いてしまっていたからであった。
好感、とは言っても特に仲が良かったという訳ではない。
ただなんとなく同じ集団の中で生活するうちにガンツの人となりを見て取り、好意を持ったという程度のものでしかなかった。
しかし、それだけでロトスの決意を鈍らせるには充分であった。
人がいいのである。
そうさして会話を交わした訳でもないというのに情が湧いてしまうのである。
そしてそうなってしまってはもうロトスには戦うことなど出来はしなかった。
そのためガンツの苛烈極まる奇襲攻撃をスコップ代わりに運よく手にしていた大きく幅広の段平で何とか必死に受け止めたものの、それ以降もただひたすらにガンツの執拗な攻撃を受け止め続けることしか出来なかったのであった。
「ま、待つんだなっす。や、やめるんだなっす」
ロトスはガンツの攻撃をひたすら後ろに下がりながら受け止め続けていた。
そして必死の思いでガンツに対して停戦を呼びかけ続けた。
しかしガンツは一度だけ「問答無用!」と応じたのみでそれ以降は決して口を開かず、数多の戦場を共に駆け巡ってきた愛用の戦斧を頭上高く持ち上げ、次いでそのままの勢いで力強く振り下ろすという単純作業を何度も何度も執拗に繰り返し続けた。
普段ならば深深と静まり返っているはずの深緑の森に、巨大な戦斧と段平の激しくぶつかり合う金属音が幾数十度と鳴り響いた。
そして二人がはたと気が付いた時には、集団からおよそ三十メートルほども離れていたのだった。
彼らは日和見を決め込んだ他の親衛隊員たちを掻き分けて、さらに奥まった森の中へと深く入り込んでいたのだった。
だが二人の周囲にまったく人がいないかというと、実はそうではなかった。
ロトスの同僚の輿の担ぎ手たちが、心配そうにロトスの戦いを見守っていた。
とその時、ロトスが突然バランスを大きく崩した。
これまで同様に後ろに下がりつつ戦斧の打撃を受け流すつもりで右足を一歩後ろに引いたところ、うかつにも倒木に足を取られてしまったのだ。
「「「「ロトス!」」」」
担ぎ手たちは一斉にロトスの名を叫んだ。
そして次に目の前に現れるであろう光景を見たくなかった彼らは、ほぼ同時に目をぎゅっと固く瞑り、顔を両手で覆いつくした。
だが幸いにも彼らの予想は大きく外れた。
ロトスはずんぐりとした体型をいいことに尻餅をついた勢いのまま背中をついて後ろに転がり、そのままくるっと一回転してすっくと見事に立ち上がっていたのだった。
「ぷっはあ~、あ、あぶなかったなっす」
絶好のチャンスを逸して落胆するガンツと、最悪の事態を想定してその瞬間を目撃していなかった担ぎ手たちを尻目に、ロトスは少々まぬけな感想を漏らした。
「いんや~丸っこい身体で良かったなっす。おかげで助かったんだなっす」
「ロ、ロトス、大丈夫なのか?」
担ぎ手のリーダー格の者が恐る恐る話しかけた。
「大丈夫だなっす。あ、いや、まだ大丈夫じゃないなっす」
そこでロトスは一つ大きく息を吸い込み、次いでゆっくりと息を吐き出した。
そして視線を同僚からガンツに移し、穏やかに諭すような口調で言った。
「ガンツさん、こんなことやめるだなっすよ」
すると、言われたガンツもまた一つ大きく深呼吸をし、次いであきれたといった風情で遂に口を開いた。
「あのなあロトスよ。俺はさっき問答無用だって言っただろうよ」
「そんなこと言われたって困るだなっすよ。何で突然こんなことするんだなっすか?同じ釜の飯を食った仲なっすよ?」
「まあ確かに同じ釜の飯は食ったけどな。とは言ってもさして親しい仲ってわけでもあるまいよ。たかが二、三度会話したことがあるって程度の仲だろ?」
「それはそうだなっす。でもずっと一緒だったなっす」
「一緒って言ったって隊も別だろう。俺は親衛隊。お前は、ほれ、そいつらと同じ輿担ぎだろう」
ガンツは二人の周囲で息をひそめている者たちを顎で指し示しつつ言った。
「そうだなっす。でも同じ近衛中隊だなっすよ。仲間だなっす」
「……いや、悪いが俺はお前らを仲間だと思ったことはないよ。俺が仲間と思うのは背中を預けて共に戦える者たちだ。確かにロトス、お前は勇敢だ。だが周りを見てみろよ。お前の仲間たちを。さっきからただじっと見守るだけで剣を抜こうともしないお前の仲間たちを。お前たちは輿担ぎであって戦士ではない。はっきり言うが俺はお前たちを心の底では見下していたぜ」
言われた担ぎ手たちは暗く沈んだ顔つきでおどおどとお互いの顔を見合わせている。
そしてロトスもまた、ひどく落ち込み深く動揺していた。
「そ、そんな、ガンツさん……」
「そういうわけだ。ま、悪く思うなよ。では改めて……いくぞ!」
言うやガンツは再び猛然とロトスに襲い掛かった。
「ま、待つんだなっす!ガンツさん!やっぱりやめるんだなっす!」
するとガンツはにやりと口角を上げて言い放った。
「もう二度と言わんぞ。これが最後の……問答無用だ!」




