第三百五十五話 エイル・マクラカン
「そう。抑止力だ。国境を形作っているのは結局全て抑止力によるものなんだよ」
青年はガイウスの聡明さにうれしくなったのか、とびきりの笑顔を振りまいた。
ガイウスもまた、中々に楽しそうにさらに会話を続けた。
「そうだね。抑止力と言うのは様々な形があるけど、その中でも最も強いのが、軍事力が強大な国に攻めかかる小国はないってことだね」
「うん、そうなんだ。様々な理由で国境線が引かれ、色々な理由でもってそれは維持されているわけだけれども、一番強力なのはやっぱりなんといっても軍事力が強大なことだ。そしてそれを可能にするのはつまるところ、国力なんだ。国力が弱いのに軍事力だけ増強したって国はもたない。軍事は増強すればするほどその維持費が膨大になるからね。すぐに経済が破綻してしまうんだ。だから強大な軍事力を保持しているということは、経済力もまた強大だということなんだよ」
「確かに、これほどの大都市を維持している国家の経済力が弱いはずがない。この景色を見てお兄さんが安心するのは良く判るね」
ガイウスは広大無辺に人工建造物が立ち並ぶ雲海を睥睨し、大きく一つうなずいた。
「うん、そうなんだ。だから僕はいつもオーディーンに来るとこの物見塔に登り、この景色を目の当たりにして安堵するんだよ……そうだ、まだ名前を名乗っていなかったね。僕の名はエイル。エイル・マクラカンだ。よろしく」
エイルは満面の笑顔で右手を差し出した。
ガイウスはその手をしっかりと右手で力強く握ると、満面の笑顔でもって自己紹介をした。
「僕はガイウス。ヴァレンティン共和国の属州、エルムールから来たガイウス・シュナイダーです」
するとその瞬間、エイルはぎょっとした顔を見せた。
そして恐る恐るといった感じでガイウスに尋ねた。
「……ヴァレンティンのシュナイダーって……まさかあのシュナイダー家のことじゃないよね?……五代続けて閣僚を輩出したっていうあの沿海一の名家、シュナイダー家の子供……いやお坊ちゃんなんてことはないよね?……」
するとガイウスは少々ばつが悪そうな顔となって言った。
「……いや……まあ……そのシュナイダー家の者です……」
するとエイルは面白いほどにのけ反って驚いた。
「……ほんとに?……あのシュナイダー家の?……お坊ちゃん?……」
「……ええ、まあそうなんですけど」
「申し訳ない!えらそうに色々語って!」
「いやいや!とんでもない!勉強になりました!」
「いやいやいや!本当にもうなんと言っていいか、シュナイダー家のお坊ちゃんに対して偉そうに講義なんかしてしまって申し訳ない!」
「いやいやいやいや!大変ためになりましたから!そんな風に言わないでください!」
「…………本当に?……」
「本当ですよ。それに凄く楽しかった。出来ればもっとエイルさんと話がしたいです」
するとエイルはほっと胸を撫で下ろし、先ほどまでの満面の笑顔へと戻った。
「そうか~それはよかった。いや~ほっとしたよ」
ガイウスはエイルの笑顔を見て心が少しほっこりしながらも、一つ心に気にかかっていることがあったため、それをエイルにぶつけてみることにした。
「ところで、エイルさんって何の仕事をしてる人なんですか?普通の仕事をしている人とは思えないんだけど」
するとエイルはとびきりの笑顔のまま、優しげな口調でもって答えたのだった。
「そうか、そういえば僕の仕事をまだ言っていなかったね。ごめんごめん。実は僕の仕事は政治家なんだ。これでもローエングリンの辺境のマナハム州の副知事をしているんだよ」




