第二十四話 生贄
「ア、アスタロト!?そ、そんな馬鹿な、アスタロト公爵だと!?」
カリウスは、その『アスタロト』の右腕に拘束された身で、驚愕の表情を張り付けた皺まみれの口元から、呟くような声を漏らした。
ジェイドはその声を聞き漏らさず、すかさずカリウスに矢継ぎ早に問いかけた。
「カリウス!知っているのか?アスタロトという名に聞き覚えがあるのか!?それに公爵とはなんだ?一体どういう意味なんだ!?」
「き、貴様、ア、アスタロト公爵を知らんのか?四十もの軍団を配下にもつ、魔界の大貴族だぞ」
「そんな大物なのか!?貴様、なんでそんな奴を呼び出したんだ!?」
「ば、馬鹿を言え!こんな大物が現れるとは、露ほども思っておらなんだわ!」
それまでジェイドたちのやり取りを興味深く見守っていたアスタロトが、低い威厳のある声で笑い出した。
そしてひとしきり笑いおえると、さらに厳かな声音で言葉を発した。
「面白い。汝ら面白いではないか。久しぶりに人間界に現れて早々、実に愉快だ」
カリウスは、苦しそうな表情で口を開く。
「ア、アスタロト様、ど、どうか私めを解放してくださらんか?お願いいたしまする。もう苦しくて、苦しくて」
「ふむ。よかろう」
言うやアスタロトは右手をジェイドたちの前へと持っていき、摘まんでいた指を開いてカリウスを落とした。
数十センチの高さではあったが、カリウスは二階席の床に腰から落ち、痛そうな顔をした。
だがそれでもカリウスは解放されたことに深い息を吐き出しつつ、ほっと胸を撫で下ろした。
「ところで汝ら、何故低級悪魔を呼び出そうとしておった?」
すると、それまで恐怖に身体をぶるぶると震わせてジェイドの影に隠れていたシュトラウスが、途端にはっとした表情を見せたかと思うと、反射的に前へと飛び出し、貴賓席の煌びやかな装飾に彩られた手摺をぎゅっと掴みつつ、身を乗り出すようにして言った。
「娘を!病気の娘を助けてくれ!い、いや助けてください!娘を……」
最後は恐怖がぶり返したのか、聞き取れないほどの小声となり、再び後ずさってジェイドの影に隠れた。
だがアスタロトは、シュトラウスの変貌ぶりに興味をそそられたらしく、とがった口を大きくゆがめてにやりと笑った。
「ほう。汝も面白い男だな。娘とは、階下で寝ている二人のことか?」
「はい。い、いえ一人です。もう一人は、違います」
「ほう、そうか。ではもう一人は、娘のための――生贄――ということか?」
「はい」
「それで、どちらが汝の娘なのだ?」
アスタロトはその巨体をゆっくりと動かし、半身となって後ろを振り返った。
ジェイドたちも、それまでアスタロトの巨体によって防がれていた視界が開けたため、同じように階下を覗き込んだ。
だがそこには――何にもなかった。
「なっ!?む、娘はどこだ?おい、娘は?クラリスは、どこへ行ったのだ!?」
シュトラウスは驚き、慌てふためきながらあらん限りの大音声で叫んだ。
ジェイドもまた、驚きの表情を浮かべつつ階下を見渡した。
「一体どういうことだ!?そもそもベッドがない。それに部下たちが倒れている。気絶しているのか?」
ジェイドのいうとおり、階下で扉を守っているはずの八名の武官たちは、皆倒れ伏していた。
「むう、我の目を盗んで連れ去った者がおる、ということか」
アスタロトは先ほどまでとは異なり、目を高く吊り上げ、口元を大きく歪めて凄まじく凶悪な顔つきとなった。
すると、彼らの向正面にある大扉の先の廊下から、コツコツと小さな靴音が鳴り響いてきた。
一筋の人影が照明に照らされて大広間の床へと差し込み、次いで靴音の持ち主がその姿を現した。
ジェイドはその姿を見て驚き、ささやくような声でその人物の名を呟いた。
「ガイウス……シュナイダー」




