第十九話 魔導師カリウス
1
「ここは、どこ?」
豪華なバロック風様式の大広間の中央部に置かれたベッドの上で、ユリアはようやく長い眠りから覚めたものの、長時間に渡って気を失っていたため、いまだ意識が混濁していた。
「お目覚めか。だがこのまま意識を失っていたままの方が、良かったのかも知れんな」
「え?こ、これは?」
ユリアの身体は、拘束具によってベッドに縛り付けられていた。
「あっ!あなたは、あの時の――」
「ジェイドと言う」
「ジェイド、さん。あの、ここは?」
「シュトラウス公のお屋敷だ」
「シュトラウス公?貴族の方のお屋敷?なんでそんなところに私が?」
「ここは君の生家でもある」
「え?生家って?」
と、そこへシュトラウス公爵が、大またに闊歩しながら室内へ入ってきた。
「下らん話はそこまでだ。準備は整っておるのだろうな?」
「はい」
ジェイドは忸怩たる思いとは裏腹に、恭しく頭を垂れた。
シュトラウスはジェイドの返事を聞くと満足そうにうなずき、次いで広大な大広間の床をなにやら念入りに検分した。
「ほう、ずいぶんと大きなものだな?カリウスよ」
シュトラウスは、彼のすぐ後ろに影のように付き従う黒いフード付きマントを羽織った老人に向かって、そう語りかけた。
「これから執り行う呪法は、冥界の門を開けて行う禁断の呪法なれば、魔法陣もおのずと巨大なものとなります」
カリウスの言うとおり、ユリアが横たわるベッドを中心にして、巨大な魔法陣が大広間一面に描かれていた。
「冥界の門か。大丈夫なのだろうな?」
「冥界の門と一口に申しましても、いくつもございます。今回開きますのは第一の門のみ。現れ出でるのは、低級悪魔にすぎませぬ。ですので、ご心配には及びませぬ」
「だが悪魔なのであろう?低級とはいえ、本当に大丈夫なのだろうな?」
シュトラウスはさも心配げに、カリウスに問うた。
カリウスは低い、しわがれた声で一笑に付した。
「公爵、そうご心配召されますな。そのための魔法陣でございます」
「う、うむ。それもそうじゃな。ではそろそろクラリスを連れて参るがよい」
シュトラウスはジェイドに向き直り、そう命じた。
「はっ」
ジェイドは後ろ暗い気持ちを抱えたまま、静かに大広間から退室した。
2
「クラリス様のご容態は?」
ジェイドは、クラリスの寝室の扉の前に控えるメイドに対し、声を潜めて尋ねた。
「あまり思わしくありません。ジェイド様、公爵閣下とあの薄気味の悪い魔道師の目を盗んで、クラリス様をお医者様にお診せするわけにはまいりませんでしょうか?」
「もう言うな」
「しかし!」
すると突然、ジェイドの背後の空間が妖しく揺らめきだした。
そして黒いフードに身を包んだカリウスの老いさらばえた顔が、その揺らいだ空間に浮かび上がった。
「気味が悪くてすまなんだな。しかしそれよりも小娘、今聞き捨てならぬことを口走っておったな」
「失せろカリウス!これから貴様の望み通りクラリス様を大広間にお連れしてやる。だからとっととこの場から消え失せろ!」
ジェイドは大気が震えんばかりの怒気を発し、カリウスを怒鳴りつけた。
「ふむ、ここで争っても仕方がないか。これより大仕事も待っておるしな。では早急にクラリス様を大広間へと連れて参られよ。よいな」
そう言い残すとカリウスは、揺らめきながら雲散霧消した。
「くそっ!化け物め!」
ジェイドは心底苦々しげに吐き捨てた。
「ジェイド様……」
とても心配そうに見つめるメイドの視線に気付いたジェイドは、険しかった表情を途端に緩め、優しげに語り掛けた。
「すまん。俺の力不足だ」
「いえ、私はただクラリス様とあの少女が不憫で……」
「ああ、そうだな」
ジェイドは暗澹たる思いを胸の底に押さえ込み、クラリスの眠る寝室の扉に決然と手を掛けた。




