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すべて生命あるもののように

作者: 古今

 どこか疎ましげに電車は停車駅のホームに入る。

 音を鳴らしながら電車は止まる。

 ため息をつくように電車はドアを開ける。


 「やっと着いた」

 そう言わんばかりに乗客は一斉に降り立つ。ぶつかることもなければ肩が触れることもない、挨拶も交わさないし名刺を交換するはずもない。見覚えのある顔もない。その顔を覚えようとしても、すぐ忘れる・・・・・・そうであるはずなのに、向かう場所は同じだ。改札口を目指し、その後は。


 定期を自動改札機に手放すと、すぐまた戻ってくる。すると一瞬のうちに目の前の封鎖は解け、広々とした人混みのエントランスに辿り着く。

 「ビィーーーー」と音を鳴らして立ち止まっている者を見た。学生服を着た中学生だった。困惑気味に駅員に頭を垂れ、駅員は慣れた手つきで迷惑そうに機械を修復しているのだった。人々は横目で見ながら何事もないかのように、他の改札口から出て行く。その間、中学生はいつまでもその場に立ち止まっていた。すると杖をつく老人がやって来て、中学生をまじまじと見つめながら「大丈夫」と声をかけている。聞こえてはいないのだが、確かにそう言った。


 手持ち鞄を下げながら、大通りの雑踏を歩く。このよれよれのネクタイは31歳の誕生日に妻から貰った。長方形の白い箱に収められたネクタイを手にして、嬉しい気持ちと寂しい気持ちが重なり妻に「ありがとう」と伝えた。夫婦の晩は、「甘い夜」などと形容されるものではない。夫婦となってしまったからには、やらざるを得ない。そう自分に言い聞かせながら布団に入る。妻はあんなに醜態をさらす女だっただろうか。


 学習塾の黄色い看板を曲がって、少し閑散とした道を歩く。大きな街路樹を見上げると、街灯で白くぼやけて突っ立っていた。葉を揺らす音が微かに聞こえるが、見上げた瞬間に聞こえる音はなにもない。夜の街路樹は静寂を身にまとっている。

 時たますれ違う人々は、きまって無言だ。声を発してしまったら静寂を壊してしまう。街路樹によって発声を妨げられているように無言でこの道を歩いている。うつむきながら歩を進める者もいれば、街路樹を見上げて目を細める者もいる。そして同じように静寂を感じているのだ。

 本来、聞こえなければならないはずの音・・・・・・葉が揺れる音、踏みしめる足音、古ぼけた街灯の煩わしい音が、この大きな街路樹の存在によってかき消される。巨大なシルエットと化して威圧をしてくるような街路樹も中にはある。


 入り組んだ道を迷わず進む。一見、住宅地は静かだ。しかし人の温もりで、だいぶ賑わっている。手入れされた花を誤って蹴飛ばさないように気をつけながら、道の右側を歩く。

 両側に延々と続いている幾つもの家々。近頃は塀や垣根を作らない家が多い。そのためか何となく道が明るく感じる。毎日この道を歩いていると、この明るさを好ましく感じたり、鬱陶しく感じたりするのだ。鬱陶しく感じる日は、走りたくなる。「やめろ」「消えろ」「ついてくるな」と狂ったように叫びながら駆け抜けたくなる。


 あちらこちらでドアを開ける音がする。もうじき目の前で聞くことになるであろう音が近くからも遠くからも聞こえてくる。あるいは耳の中で、こだましているだけなのかも知れない。

 一つの生命があちらこちらで生まれるわけがない。一つの生命が辿り着く場所は一つしかない。一点と一点を結ぶと帰路ができ、人生ができる。私は、我々は昔から無意識にも、そうしてきたのだ。


 ドアノブに手をかけると、冷たさが伝わってくる。開けて吸い込まれるように中に入ってしまうと、外に出ることはできない。


 鍵をかけて何者も入ってこないようにする。

目を通していただいただけでも、ありがたいです。

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