お屋敷の奥に潜むもの
にほんよ、これがどうわだったらにほんのしょうらいがあやうい。あるいはあかるい。
ある部屋のドアに、へんなお札がはってあるんだ。
ちょうど、七夕のたんざくくらいのおおきさの紙に、見たことのない言葉とか、三角や四角みたいな図形がびっしりと書かれているんだ。それが、大人の人の目の高さくらいのところにはられている。その部屋のドアはかぎがかかっているのか、どんなにおしてもひいてもひらかない。使用人さんたちは、
『あかずのま』
って言ってた。
「なんだろうね、これ」
ふうたくんが、お札のはられた開かないドアを前にして、ぼくの横で首をかしげる。
でも、ぼくだってそのこたえをしらないんだ。だから、パパさんに聞けばいいじゃないか、って言ったんだ。するとふうたくんは、
「うん、わかったよ」
って言って、パパさんのところにとてとてと走りだしたんだ。どうもふうたくんは危なっかしいんだ。だから、ぼくがいつもみてないと、転んでひざこぞうをすりむいて泣いちゃうんだ。――あ、転んだ。あわてて起こしてあげた。だいじょうぶだよ、ほら泣くなよ男だろ。そう言うと、目になみだをためながらも、ふうたくんはぐぐっとこらえ顔でうなづいたんだ。そうしてふたりで、パパさんの部屋に向かったんだ。
パパさんの部屋は、おやしきのいちばん日当たりのいい部屋なんだ。
こんこんとふうたくんが扉を叩くと、ドアごしに
「はいりなさい」
って声が聞こえた。そうしてぼくらは部屋の中に入ったんだ。
やっぱり、パパさんは大きな机の前に座って、いつものようになにかを書いていた。パパさんはふうたくんを見るや、ペンをおいて、立ち上がったんだ。
「どうしたふうた」
パパさんの言葉に、ふうたくんが答えた。
「うん、あの、おとうさん、うちの家に、お札がはってあるドアがあるでしょ? あれはなんなの?」
「あそこに近づいてはいけないよ」
「ご、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。ふうた、おまえがよく言うことをきいてくれる子だっていうのはパパが一番しっているんだ。もしも一人でたいくつしているんなら、使用人たちとおままごとでもテレビゲームでも鬼ごっこでもするといい。分かったね。どんなにたいくつでも、あの部屋に近づいちゃダメなんだ」
「わかった」
そうしてぼくらは、パパさんの部屋から出たんだ。
ろうかをあるきながら、ふうたくんはふきげんそうなかおをして首をかしげたんだ。
「うーん、やっぱり気になるよ。なんだろうあの部屋」
だったら。ぼくは言ったんだ。じゃあ、あのお札をはがしてみたらどうかな、って。
「え、どういうこと?」
もしかしたら、あのお札のせいでドアがひらかないのかもしれないじゃないか。
「かもしれない。でも、ぼくじゃあとどかないよ」
だったら、どこかからイスを持ってきて、その上にのっかればいいじゃないか。
「あ、そっか!」
そうして、小さなふうたくんは大きなお屋敷のなかをかけ出して、『あかずのま』の近くの部屋から、赤いクッションがついたイスを一個もち出した。すごく重そうなイスで、ふうたくんはよろよろとしながら運んでた。
と、そんなときにかぎって、使用人さんのひとりがぼくらをみつけたんだ。
「おぼっちゃま、なにをなさっているのです? イスを運ぶのでしたらわたくしどもに――」
「いいんだ。これはぼくがやるんだから」
「ぼっちゃま、せめておてつだいを」
「いいから。ぼくがやりたいんだ」
「――はい、わかりました。おケガだけはなさらないでください」
使用人さんのせなかを見ながら、ぼくはふうたくんをほめた。やるじゃないか、男だね、って。ふうたくんは、イスによろけながら、
「へへ、すごいだろ」
って言ったんだ。
そして、お札のはられたドアの前。
ふうたくんがドアの前にイスを置いて、その上にのっかる。その上でせのびをして、札に手を伸ばす。届くか届かないかのギリギリ。なんども指をうごかしてお札に迫る。そして、何度目かのチャレンジで、ふうたくんの指がお札に触れた。そして、ふうたくんの指は、なんなくドアからお札を引きはがした。
「や、やった」
ふうたくんが言った。それとほとんど同じタイミングで、あれほど開かなかったドアが、音もなく開いた。
入ってみようよ。ぼくは言った。
「うん、そうだね」
目をかがやかせながら、ふうたくんはぼくにうなづいた。
部屋の中は、まっくらだった。何も見えない、何も聞こえない。でも、へんなにおいがする。かいだ事のない、まるでお腹の中をかきまわされているみたいな気持になる、ひどい匂い。でも、ぼくにとってはふしぎと落ち着く匂い。
カーテンを開けてみよう。ぼくがそう耳もとでささやいてやると、ふうたくんは二つ返事でカーテンを払ったんだ。さっきまで真っ暗だった部屋の中に、とめどなく光がさしこんできた。そして、部屋の中にあるもののすがたが、浮かび上がった。
部屋のすみに、ひとのかたちをしたなにかがころがっていた。最初、マネキンかなにかだと、きっとふうたくんは思っていただろう。それがしょうこに、ふうたくんはいつものふうたくんだった。でも、それの正体が分かったとたんに、ふうたくんはかおを青くしたんだ。
それは、青のワンピース服を着た、人間の骨。でも、右肩のあたりはちぎられたかのように、なにもない。
そして、そのかたわらにころがる、やぎくらいのおおきさの、見たことのない黒いけもの。ぴくりともうごかない。きっとしんでいるんだろう。でも、しんでいるくせに、そのけものの毛は黒々としたつやがあった。
そして、それを見たとたんに、ぼくの頭に、ある光景が浮かんだ。
――悲鳴を上げて逃げる女の人を部屋に追い詰めて、その爪で自由をうばい、じまんのあごで右肩を食いちぎった。そして、“食事”を楽しんでいるぼくの邪魔をするかのように、黒い服を着て銀のロザリオをした男が部屋に入ってきて、ぼくに変な水を浴びせた。そうすると、何故か眠くなってきて。うつらうつら、ゆめごこちの中で、水を浴びせた男の言葉が耳に入ってくる。「あの聖水は、あれの魂と体を分けるものです。この部屋に結界を張り、魂と体を永遠に分けへだてるしか、あれを封じる手はありません」――。
そんなぼくの横で、ふうたくんは、人間の骨を前に、立っていたんだ。
どうしたんだい、ふうたくん。そう聞くと、ふうたくんはぼくのほうにふりかえりもせずに、言ったんだ。涙で、声をふるわせながら。
「ママ」
って。
ああ。
ふうたくん。ぼくは、きみのことが大好きだったんだ。
ぼくは今の今まで、ぼくが一体何だったのか、なんでここにいるのか、さっぱりわからなかった。だからこそ、きみとぼくは友だちだったんだ。
でも、ぼくは、きみと友達になれるはずなかったんだ。
だって、ぼくときみは、食べる側と食べられる側なんだから。
いつしか、ぼくの視線は、白い骨のかたわらで眠っていたけもののそれと、いっしょになった。
そして、本能に取り込まれつつあるぼくの目には、頬に涙をつたわせる、ふうたくんのすがたが映っていた。




