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上村真帆さんとそのメイド

 昔、真理子から教わったワイシャツの汚れを落とす裏技――重曹と漂白剤を合わせたものをワイシャツに塗り、歯ブラシで擦する――で綺麗にした。ついでに洗濯物を干し、自分の部屋と次郎の部屋を掃除して家を出る頃には、七時を過ぎ。

 雲一つない空の下を自転車を漕ぎ、俺が通う私立若(わか)()学校に着く頃には、予鈴が鳴っていた。

 若葉学校は中高一貫の学校で、生徒の人数は千人を超えている。グラウンドが二面あり、中学生と高校生が使う教室、体育館は棟ごとに別れている。俺がいつも勉強している二年A組のクラスは、第一教室棟の二階の一番端にあった。

「よお、哲!」

 席に座り、一息ついていると美男子がやってくる。高校一年生からの付き合いである、親友の(さい)(とう)(ひで)だ。彼は俺の前に立ち、目に掛かった髪を手で払った。その顔はどうしてか、ニヤニヤしていた。

「よう秀……。って、どうしたんだそれ?」

 俺は秀が持っていた写真に気づく。すると彼は顔面スレスレまで写真を近づけてきた。近すぎて、逆に何が映っているのかわからない。写真を掴もうとするが、秀がとっさに手を後ろにやる。

「よくぞ聞いてくれたなあ、我が相棒にして《(うえ)(むら)(しん)(えい)(たい)》の《(とつ)(こう)(たい)(ちよう)》! これはなあ、あの(あかね)様の生写真だ!」

「本当にっ!?」

 人目も憚らずに、俺は大声を上げて立ち上がった。周囲にいた生徒達が何ごとかと不審な目で見てくる。中には、好奇な眼差しを向ける輩もいた。

「どうどうどう、そう興奮するなよ、わんこ」

「わんこじゃないから……」

 とは言ったものの、俺は興奮を抑えきれなかった。彼の持っている写真は、若葉学校だけでは留まらず、他校にまで名を馳せた上村家美少女三人姉妹の長女のものなのだから。

 興奮しない方が逆におかしなことであり、彼女達に対して失礼なのだ。

 ちなみに《上村親衛隊》とは、上村三人姉妹を影ながら見守る謎の組織ことである。

 影ながらであるため、誰が組織の隊員なのかわからないのが難点。俺らの話に耳を傾けていたのだろう、少しざわついた男子が数名いたが、恐らく彼らも隊員であろう。

 秀曰く、親衛隊は百人以上はいるとのこと。それに隠れ親衛隊を含めると、若葉学校に通う男子生徒の半分は隊員であるらしい。

「お願いだ、見せてくれ!」

 両手を合わせて懇願すると、秀はうーんと顎に手を当てる。

「俺と秀の仲だろ! いいじゃないか!」

「そう言われるとぐうの音も出ないな。しょうがない、特別に見せてやろう! 但し! 条件がある。絶対に写真には触るんじゃないぞ! 手垢がつくと汚れてしまうからな」

 うんと俺は激しく頷く。それをよしとしたのか、秀は懐から取り出した写真を見せる。

 そこには、体操着を着て走っている美少女が映っていた。鋭くした視線を真っ正面に向けて、真剣な表情をしていた。長い黒髪が腰辺りまで伸び、はち切れんばかりの胸が上下している。ハーフパンツから伸びた足は、運動をしているからだろう、良い具合に筋肉がついていた。……これを撮った場所は、グラウンドだろうか。

「でも、秀……どうやって写真を撮ったんだ? 許可してくれたのか?」

「ちっちっち。許可なんていらないのさ。気づかれないように草むらの影に隠れて、シャッターを押せばいいんだよ!」

「犯罪の臭いがぷんぷんするけど、大丈夫なのか……それ。もし、今の発言を親衛隊に聞かれてたら、秀……消されるぞ?」

「だだだ、大丈夫さ!」

 震え声で言われても、全く大丈夫な気がしないのだが。俺は彼の身を案じて、心の中で手を合わせた。

「ところで、その写真、俺にはくれないのか?」

「はあ? 何を寝ぼけたことを言ってるんだ、哲は。お前は、次女の真帆さんが好きなんだろ? 茜様の写真をもらっても仕方がないじゃん」

「確かに、俺は真帆さんが三人姉妹の中で一番好きだけども……。でも、茜先輩も美人だし捨てがたい」

 そんなやりとりをしていると、本鈴が鳴った。秀は大事そうに写真を懐にしまい、席へと戻っていく。他の生徒も話すのを止めて、席に着き始める。

 見計らったかのように担任が教室に入り、教壇に立つと、出席を取っていく。

「上村真帆! 上村真帆はいないのか?」

 そう言って担任は最前列の席を見る。空席が一つあった。そこが真帆さんの席だ。

「あいつが遅刻とは、珍しいこともあったものだ……」

 担任の言う通り、彼女が遅刻することは珍しい。何かあったのだろうか。

 担任が四十人の生徒の名前を全て挙げ終わった時、廊下からトラックが爆走するような爆音が聞こえてきて、教室の扉が勢いよく開かれる。

 教室にいた教師も含め全員が、何ごとかと開かれた扉の方へ目を向けた。

「失礼します。遅れて申し訳ございませんでした」

 そう言って現れたのはコスプレなどではなく、宮殿にお仕えするメイド服姿の女性だった。歳は二十代後半だろうか。鼻が高く、彫りが深い。一見すると西洋の人形のようだ。カチューシャを頭上につけ、後ろで束ねた髪を前に下ろし、片方の目を眼帯で覆っていた。

 腰に下げている二本の鞘は、本物の刀なのだろうか。彼女の容姿からしてありえそうではあるが、いくら何でも本物のはずがないか。日本は刀の所持を禁止されているのだから、そんな堂々と持ち歩いているわけがないよな。

 メイドさんの腕の中では、制服を着たショートカットの美少女が安らかに寝息を立てていた。

 その美少女の顔を、忘れるはずがない。毎日学校で見ているのだから。彼女は、紛れもなく真帆さんだった。初めてみる寝顔は可愛くて、お人形さんのようだった。

 それはそれとして、メイドさんと真帆さんはどのような関係なのだろう。

「えっと、あの……、君は一体何者なんでしょうか?」

 突然起きた異様な事態に誰もが声を失っている中、担任が言葉を発した。丁寧語になっているのは、驚き過ぎた反動でだろう。

「申し訳ございません。名を乗らずにご無礼を働きました。小女子は()(みや)(しず)()と言います。上村家に仕える家政婦です。ご主人様は一度寝たらいつまでも眠り続ける、《(ねむ)(ひめ)》です。学校に遅刻してしまうと思い、小女子が運んできました」

 綺麗なお辞儀をして、自己紹介をする御宮という人物。ちょっと待て、今なんと言った。

 上村家に仕える家政婦と言ったような気がするが……まさか、上村家は家政婦を雇っていたのか!? 真帆さんとの付き合いは……といってもあまり話したことはないが、挨拶をする程度の仲だが、これでも高校一年生からの知り合いだが、驚愕の新事実を今知った

「え、あ……そうだったんですか、家政婦さんでしたか……って、そんなことはどうでもいいんです!」

 担任は、頭をぐしゃぐしゃとかき回す。

「家政婦さん、見てもらえればわかると思いますが、今、授業の真っ最中なんですよ。寝ているそいつを叩き起こしてもらえませんかね。授業に差し障りが出ていますので」

 未だに眠っている真帆さんを、担任は指差した。

 瞬間、目にも留まらぬ速さで御宮さんは抜刀し、担任の首に刃先を突きつける。窓から差し込む陽光に照らされた刀は、輝いていた。どうやら本物らしい。しかし、気づいていない生徒が大半なのか、精巧にできた玩具だと思っているようだった。

「失礼ですが先生。真帆様は『そいつ』ではありません。可愛い可愛い、小女子の主人様です。名前がありますので、名前で呼んでください。呼ばなければ、命はないと思ってくさい」

 御宮さんは、すっと細めた片方の瞳を担任に向ける。人を殺す目をしていた。その瞳を見てしまい、俺の背筋に怖気が走る。可愛いことは賛同するけど、殺すまでいかなくても。……何と傍若無人なメイドなのだろう。

 突き出した両手を震わせながら、担任は慌てて言う。

「わっ、わかりました。上村さんを起こしてもらえませんか、家政婦さん」

「はい、直ちにします。授業に差し支えしてしまったことはお詫びします。すいません。今、眠り姫を起こしますので、少々お待ちください」

 生徒たちに対して頭を下げると、御宮さんはスカートの中から丸まったカーペット取り出し、それを床に引く。そこへ真帆さんを横たわらせる。彼女は目を閉じており、起きる様子はない。

 またもや彼女はスカートの中から、糸に吊されたこんにゃくを取り出した。一体、スカートの中はどうなってるんだ。あの青い猫型ロボットのように異次元にでも繋がっているのだろうか。

 そんな疑問を覚えていると、御宮さんはぐっすりと寝ている真帆さんへ、こんにゃくを近づける。すると、真帆さんは渋い顔をしてぱんとこんにゃくを手で払った。

「臭いぞ茜……きちんと身体を洗え」

 そう言って、むくりと起き上がった。寝ぼけ眼をごしごしと擦り、くわっと欠伸をする。

 そして半開きのまま周囲をゆっくりと見渡し、御宮さんを見ると首を傾げた。

「う……ん? ここはどこだ、メイド?」

「学校の教室です、真帆様!」

「教室……? 何で教室にいるんだ?」

「真帆様があまりにも起きないので、学校へ遅刻してしまうと思い、小女子が教室まで運んできたのです!」

「……雌豚奴隷メイド、わたしが昨日なんと言ったか覚えているか?」

 言葉遣いは汚くて明らかに怒っているはずなのに、真帆さんは満面の笑顔だった。あれ……真帆さんってこんな人だったっけ。お上品で可愛いイメージがあったんだけど……どうなってるんだ。

「言葉遣いが悪いです真帆様……でも、そんな真帆様が好き! ああんっ、もっと小女子を虐めてください!」

 御宮さんのことだ。真帆さんのためにと学校まで運んできたあげく、罵声を上げられれば怒り狂い、刀を突き出すだろう。そう思いきや、あれれ……? 頬に両手を当てて、何故か御宮さんは身もだえしているではないか。

「いいから、答えろ……雌豚奴隷メイド」

 心を奪われるほど可愛い笑顔を作り、真帆さんは御宮さんを罵倒していた。

「はい! 覚えています! 学校へ遅刻する前に起こせと仰っていました!」

 歓喜のあまりか、御宮さんは口の端から垂れた唾液を拭う。

「そうだよな。だが、時計を見てみろ。もう遅刻している。それに、何故起こさずに教室まで運んできた。これでは、わたしの寝顔を見てくださいと言っているようなものだろ?」

「ごめんなさい、真帆様! 小女子は必死で起こしました。あんなことやこんなことや、衆目の前で言えないこともしました。けれど、依然として起きないのです。可愛い寝顔を見たかったという邪念もありましたけれども、起きないのです」

「もういい、わかった。後でお仕置きが必要だな、雌豚奴隷メイド」

「お、お仕置き!? よ、喜んで受けたいと思います!」

 はあはあと息を荒くして、メイドはよがっていた。駄目だこのメイド。早く何とかしないと。

「というわけだ、みんなの授業を邪魔してすまない。続けてくれ」

 真帆さんは立ち上がるとスカートをパンパンと払い、何ごともなく自分の席に座る。

「失礼しました」

 御宮さんは、頭を深く下げて教室から出て行く。

 後には、嵐が過ぎ去った時の静けさが残った。

「じゃ、じゃあ……十分遅れの授業を始めたいと思う」

 危険なメイドが去って緊張が解かれたのだろう、担任の情けない声を始めに、授業は開始したのだった。

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