もう一度、やり直しができたなら 〜TSっ娘が元親友に出会ってみた! ただし、正体は隠すものとする〜
TS病。今時ありふれたファンタジーな現象の一つだが、意外にも感染率は低い。
──だから、油断していた。
というより、自分は関係ない。と、ニュースで見る度に思っていた。
ほら、ありがちでしょ? 自分が当事者になることを知らずに呑気に暮らしているそこのキミ。
少しは世間に目を移さないと……
「今のボクみたいになっちゃうからね?」
と、鏡の中の女の子が可愛く微笑んだ。
そう、話の流れから察しているだろうけど、ボクは元男の子だ。ただのしがない男子高校生だったけど、急に患って、戸籍の変更や学校の転校手続き……まあ色々あったけど、ようやくやっと生活になれてきた。ってところかな。
TSして約二ヶ月。まあ、現実逃避して病む──なんてことはなかったけれど、それでもショックは受けたよね……って、自己紹介がまだだったよね。
ボクは心寧 詩。私立高校に通っている普通の高校二年生だ。
……うん? TSの時点で普通じゃない?
「ふふ、言われてみればそうだね」
まあ、それより深いボクの詳細はいらないだろうし、これにて終了!
それはさておき、今日の本来の目的を説明しよう。
な、なんと……! 今日は日曜日。
友達とショッピングであるのだ!
……え? めっちゃ女子堪能してるじゃんって? ……まあ、楽しんだもん勝ちではあるじゃん?
あ、ちなみにもちろん友達も女子ね。可愛い子。
そりゃあ可愛い子大好きだよ?
だってほら、なんで元男なのに男と付き合わないといけないの?
「絶対に男なんかと付き合ったりはしないっ!!」
◆
「ごめんね〜! 待ったよね?」
「いや全然待ってないから大丈夫だよ! ……にしても、随分と気合いの入った服装だね…」
彼女は穂高千波。学校でもマドンナ的存在だが、彼氏はいない。恋バナには直ぐに飛んでくるのに。
「だってほら、詩ってちょっと男みたいなところあるよね? だから彼氏役として一日彼氏になって欲しいのよ」
慣れるためにも、と千波は付け足した。
千波は昔何かがあったようで、軽度ではあるが男性恐怖症を患っているらしい。
それでも彼氏は欲しいので、男に似た雰囲気を持つ『ボク』で慣れようって魂胆だろう。
いや、それ見た目だけだとただの百合デートになるけど大丈夫?
そりゃあまあ、ボクは女の子の方が好きだからいいんだけど。
「さ、じゃあここで話しててもなんだし、行こっか、詩!」
「わわっ」
気づくと千波はボクの手を握ってショッピングモールの方向へ走り出していた。
◆
ショッピングモールの中は、日曜日らしくそれなりの人混みだった。
千波に手を引かれたまま、ボクはなんとか転ばずについていく。
「ちょ、千波! 走らなくていいから!」
「えー、でも早く行きたいところがあるんだもん」
「だからってボクの腕ちぎれそうなんだけど!」
千波はようやく足を緩めて、ふふっと笑った。繋いだ手はそのままだ。
……なんというか、千波と手を繋いで歩くなんて、去年の自分に言ったら信じないだろうな。
まあ、去年のボクはまだ男だったわけだけど。
「ねえ詩、あそこ入ろ!」
「うわっ、また急に」
引っ張られた先は、パステルカラーが溢れるアクセサリーショップだった。小さなショーケースにピアスやネックレスが並んでいて、千波はすでに目をキラキラさせている。
「詩ってピアス開けてないんだっけ」
「うん、まだ。なんか怖くて」
「じゃあイヤリングにしよ! 一緒に選ぼ?」
千波はもうボクの返事を聞く前にショーケースに張り付いていた。
仕方ないな、と思いながら隣に並ぶ。
小花モチーフのもの、細いチェーンが揺れるもの、パールっぽい丸いもの……正直、男だった頃の感覚だと全部同じに見えそうなものだけど、今はちゃんと「これより、こっちの方が好きかも」って思える自分がいる。
TSって、不思議だよね。
「詩はどれが好き?」
「うーん……これかな」
指さしたのは、小さな月と星が対になったシンプルなデザインのもの。
千波は「あ、わかる! 詩っぽい!」と即断した。
「千波は?」
「んー……あ、これ可愛い! 詩と揃いにしたい!」
千波が手に取ったのは、同じシリーズの太陽モチーフのものだった。
月と太陽か。
なんか、ちょっとだけ照れくさい。
「……お揃いって、なに、ボクたちカップルみたいじゃん」
「いいじゃん別に! 一日彼氏なんだし」
あ、そうか。そういえばそういう設定だった。
千波はにこにこしながらレジに向かう。ボクは頬が少し熱くなっているのを感じながら、それを悟られないように後に続いた。
*
アクセサリーショップの次は、カフェに入った。
千波が「甘いもの食べないとやってらんない」と言ったので。
別にそんなに疲れてないのでは、とは思ったけど黙っておいた。
「詩ってさ」
向かい合ってパフェをつついていると、千波が急に改まった顔をした。
「なに?」
「彼氏、作る気ないの?」
「……突然だね」
「だって詩、男の子に声かけられても全然興味なさそうじゃん。一日彼氏役もすぐ引き受けてくれたし、もしかしてそっちの気があるのかなって」
千波は真顔だった。
ボクはパフェのイチゴを口に運びながら、少し考えるふりをした。
「まあ……、別に今は考えてないかなー」
「え〜?」
ボクがそう答えると、千波はいかにも不服そうに頬を膨らます。
「でもやっぱり、付き合いたいとか、そういうのはまだよくわかんない。色々ぐちゃぐちゃになってる部分もあるし」
嘘じゃない。本当のことだ。
好きとか嫌いとか、そういう感情の輪郭が、TS病を患ってからぼんやりしている気がする。
千波は「そっかあ」と言って、少し神妙な顔をした。
「わたしもなんか、ごめんね。急に聞いて」
「ううん、全然。千波は? 彼氏欲しいって言ってたじゃん」
「欲しいは欲しいんだけどね……なかなかね」
千波は視線を窓の外に逃がした。
それ以上は聞かなかった。
「まあ、焦らなくていいんじゃない。今日はデート楽しもうよ」
「……うん、そうだね!」
千波はぱっと笑顔に戻った。
その笑顔、ずるいな、と思った。
*
カフェを出たあと、服を何着か見て、雑貨屋で変なキャラのグッズを見つけて二人で笑って、気づけばいい時間になっていた。
夕方手前の、光が少し橙色になってくる頃合い。
そろそろ帰ろうか、という話になって、ボクたちはモールの出入口に向かって歩いていた。
「今日楽しかったな〜」
「ボクも。……意外と一日彼氏、悪くなかったかも」
「でしょ! また付き合ってね?」
「彼氏役としてはお断りだけど、普通に遊ぶ分には」
千波がくっと笑う。
そのとき。
「ねえちょっと、二人とも可愛くない?」
声がかかった。
振り向くと、同い年くらいの男子が二人、にやにやしながらこちらを見ていた。
「よかったら連絡先交換しない?」
「暇だったらこのあとどっかいかない?」
千波の手が、ぎゅっとボクの袖を掴んだのがわかった。
──ああ、これはまずい。
「すみません、急いでいるので」
ボクは出来るだけ落ち着いた声で言った。千波を少しだけ後ろに庇うように、半歩前に出る。
「え〜、そう言わずに。ちょっとだけじゃん」
「彼氏とかいんの?」
いい加減しつこいって。
千波が震えているのが、袖越しに伝わってきた。
困った。本当に困った。
その瞬間──
「──あ、ごめんごめん、待たせた?」
後ろから軽い声が割り込んできた。
男の声だった。
ボクたちの横にすっと立って、まるで最初からそこにいたみたいな顔をしている。背が高い。制服じゃないから年上か同い年かわからないけど、妙に落ち着いた雰囲気だった。
「え、誰?」
「彼氏?」
男子二人が怪訝そうな顔をした。
「まあそんな感じです。行こっか」
さらりと言って、男の人はボクたちに目を向けた。
その瞬間、ボクは固まった。
知っている。
知っている顔だった。
──清澄、紡。
中学の頃、一番仲の良かった親友。
TS病で転校する前まで、毎日一緒に帰っていた、あいつだ。
「行こう」
紡はボクたちを促すように歩き出した。
ボクは硬直を悟られないよう、千波の手を引いてついていく。
頭の中がぐるぐるしていた。
──バレてない? バレてない? バレてない……よね?
◆
人混みを少し抜けたところで、紡は立ち止まった。
「大丈夫だった?」
千波はまだ少し顔色が悪かったけど、こくっと頷いた。
「ありがとうございます。助かりました」
「いや、たまたまだから。怖かったよな」
紡はそこだけ少し声を柔らかくした。千波の様子を見てそう判断したんだろう。
昔から、こういうところがあるやつだった。
紡の視線がちらっとボクに向いた。
「君も、大丈夫?」
「……うん。ありがとう」
「そっか、よかった」
紡はそう言って、じゃあ、という空気を出した。
──よかった。バレてない。
ほっとした瞬間、千波がボクの袖をちょんとつついた。
「詩、ちゃんとお礼言いなよ」
「言ったじゃん、今」
「もっとちゃんと!」
千波に背中を押されて、ボクは紡の前に出た。
目が合う。
紡の目。変わってないな〜。
「……本当に、ありがとうございました」
「いいって。困ってそうだったし」
紡は少しだけ目を細めた。
なんでもない顔だ。
そう、なんでもない、他人を見る顔だ。
「名前、聞いてもいい? 一応」
紡が言った。
「……心寧詩、です」
「心寧詩。俺,、清澄紡。よろしく」
知ってる。
知ってるよ、そんなこと。
ボクは笑った。ちゃんと笑えていたかどうかは、正直わからなかった。
*
紡と別れたあと、千波がものすごい勢いでボクに詰め寄ってきた。
「詩詩詩詩!!」
「な、なに!?」
「いまの人めちゃくちゃかっこよくなかった!?」
「……まあ」
「『まあ』じゃない! 顔よし背よし雰囲気よし! しかもナンパから助けてくれるとか少女漫画でしょ!!」
「千波、男苦手じゃなかったっけ」
「あれは……なんか、不思議と大丈夫だった……」
千波は自分でも驚いているようで、頬を押さえてふらふらしていた。
「なんか穏やかな感じがして。圧迫感がなかったというか」
ああ、なるほど。
紡って昔からそういうやつだった。ガツガツしてないし、無駄に距離を詰めてこない。威圧感がない。
それは今も変わってないらしい。
「詩は? 気にならなかった?」
「……べ、別に」
「絶対気になってたじゃん! 目泳いでたよ!?」
「泳いでない!!」
まあでも、実際内心テンパリはしたよなぁ〜。正体知ってるからね。
千波は「〜〜!!」と謎の叫び声を上げて、夕空の下をくるくる回った。
「どうしよう詩。わたし、連絡先聞けばよかったかもしれない」
「…………」
なんと言えばいいか。
ボクは夕焼けを見上げながら、さっきの紡の顔を思い出していた。
なんでもない顔で、「清澄紡」と名乗った、あの顔を。
*
それから二週間後。
千波からメールが来た。
『詩!!!あの人また会った!!!!!』
画像が添付されていて、開いたら商店街で撮ったらしいぼんやりした写真の中に、遠くから撮った紡が写っていた。
『もしかして近所なのかも。勇気出して声かけたら連絡先交換してもらえた……!!!!!』
ボクは画面を見つめた。
色々な感情がぐちゃぐちゃになって、どれが何なのかわからなかった。
……まあ、いい。
いいよ。
ボクはとりあえず「よかったじゃん」とだけ返信して、スマホを置いた。
*
その次の週末。
千波から「紡くんも一緒に遊びに行く!来て!」と言われた。
断ればよかったかな。
でも、なぜかボクは「わかった」と返していた。
◆
三人で会ったのは、駅前の小さな喫茶店だった。
紡は先に来ていて、ボクたちが入ると軽く手を上げた。
「お待たせ〜!」と千波が弾んだ声で言う。
ボクはその後ろからついていきながら、内心でものすごく落ち着こうとしていた。
大丈夫。二週間前も平気だった。今日も平気だ。
「久しぶり」と紡がボクに言った。
「……うん」
二週間でも久しぶりって言うんだな、と思った。まあ言うか。
注文を済ませて、千波がぽんぽんと話題を投げる。紡はそれに過不足なく答える。ときどき、ちゃんと笑う。
二人の会話を聞きながら、ボクはカップを両手で包んでいた。
「詩は中学どこだったの?」
不意に紡が聞いた。
心臓が一瞬止まった気がした。
「……え、えっと、市外の方だよ。転校してきて」
「あ、そうなんだ。転校かー、大変だったね」
紡は特に深掘りしなかった。
ボクはひっそりと息を吐いた。
「紡くんは?」と千波が聞く。
「俺は桐島中。地元だから転校とか縁なくて、詩さんすごいと思う」
桐島中。
ボクの出身校だ。
「……そ、そうなんだ」
ボクの声が少し上ずった気がした。紡はちらっとこちらを見たけど、何も言わなかった。
それからしばらくして、紡が席を立った。お手洗いだろう。
千波がすかさずボクに身を乗り出してきた。
「詩! どう!?」
「どうって……」
「紡くんこと! 絶対意識してるじゃん!」
「してない!」
「してる!! さっきからずっと声のトーン変だもん!」
……声のトーンが変なのは意識してるからじゃなくて別の理由なんだけど、それを説明しようとしてももっと勘違いされるかもしれなくて説明できないし。
「千波は? 千波が好きなんじゃないの?」
「わたしはー……あのショッピングモールの時はちょっと舞い上がっちゃったけど、こうして話してると、なんか紡くんって詩とお似合いだなって思えてきちゃって。だから、詩が気になってるなら背中押したい!」
千波はあっけらかんとそう言った。自分の気持ちに区切りをつけて、全力でボクを応援してくれようとしている。
ボクは千波の顔をじっと見た。
「……千波って、いい子だね」
「え? 急に?」
「なんか、思っただけ」
千波はぽかんとしたあと、「もー! 急に恥ずかしいこと言わないでよ!」と顔を赤くした。
紡が戻ってきた。
ボクは笑うのをごまかすようにカップに口をつけた。
◆
帰り際。
千波が「わたしお手洗い行ってくる!」と言って走っていった。あからさまな気遣いだった。
残された二人。
紡はボクの隣で、特に何も言わずに立っていた。
「……今日は、ありがとう」
ボクが先に口を開いた。
「さっきのお礼じゃないけど、この前も助けてもらったし」
「あー、気にしないで。千波さん、あのとき結構怖かったんじゃないかなと思って」
「……優しいね、紡くんって」
「そう? 普通だと思うけど」
紡は少し首を傾げた。
それからすこし間を置いて。
「詩さんって、なんか懐かしい感じがするよ」
ボクは固まった。
「……懐かしい?」
「変な感じだけどね。なんか、昔から知ってるみたいな気がして。初めて会った気がしなかったんだよね、最初から」
紡は不思議そうに首を傾げた。
気のせいだ、と笑って流してくれるのを待っていた。
でも紡は笑わなかった。
「……そ、そういうこと、あるよねー。ハハ」
ボクは声を絞り出した。
「気のせいじゃないかな、とは思うけど」
「そうかな」
紡はボクをまっすぐ見ていた。
ボクは視線を逸らした。逸らしながら、心臓がうるさいのを感じていた。
──バレてない。バレてないけど。
この人はきっと、もうしばらくしたら気づく。
気づかないかもしれないけど、気づくかもしれない。
どっちでもいいような、どっちでも困るような。
そんな気持ちが、胸の中でぐるぐるしていた。
*
それから、少しずつ季節が移り変わっていった。
気づけば三人でいることが増えていた。
千波を通じて、気づけば紡と連絡先も交換していた。
千波がやたら「詩と紡くんで行ってきなよ」と二人きりを作ろうとするので、結果的にそういうことになっていた。千波は本当にいい子だと思う。
二人きりのときの紡は、千波がいるときよりも少しだけ口数が多かった。
たわいない話をよくした。帰り道のコンビニで、まだ少し肌寒さの残る春の終わりに肉まんを半分こしたこともあるし、本屋でお互いの趣味の本を紹介し合ったこともある。
気づくと、笑っていることが増えていた。
そして、初夏。
「ねえ、一個聞いていい」
放課後の公園。新緑の葉が揺れるベンチに二人で座っていたとき、紡が言った。
「うん」
「詩って、中学のとき……本当に市外にいたの?」
ボクは息を止めた。
「……なんで」
「桐島中に、詩って字の入った名前のやつがいたんだ。そうだな……同い年の男子で、めちゃくちゃ仲よかったんだ」
紡の声は静かだった。
責めてるわけでも、詰めてるわけでもなく、ただ確かめるみたいな声だった。
「ある日突然、TS病で転校したって聞いた。それからずっと連絡取れてなくて……まあ、急に言ってごめんね。なんか、ずっと気になってたから」
ボクは膝の上で手を握った。
なんて言えばいい。
「……笑い方が、そいつとそっくりで」
紡はそこで一度止まった。それからちょっと照れくさそうに続けた。
「あと、コンビニで肉まんの皮だけ先に食べるやつ、他に見たことなかったから」
ボクは思わず吹き出した。
「……そんなとこで」
「そんなとこで、な」
紡も少し笑っていた。
ボクは息を長く吐いた。
青々とした木の葉が揺れる音がした。
「……正解だよ。昔は別の名前だったけど、ボクがそいつ」
紡は何も言わなかった。
ボクも何も言えなかった。
しばらく沈黙が続いて。
「……怒ってる?」と紡が聞いた。
「え、なんで紡が怒る側なの?」
「だって隠してたじゃん」
ボクはつい笑った。
我ながら間抜けな笑い方だったと思う。
「……怒ってないけど、まあ、バレるの怖かったよね。正直」
「なんで」
「だってさ、どう思うかわかんないじゃん。急に昔の友達が女になってたら」
紡は少し考えるような顔をした。
それから。
「どうも思わない……は流石に嘘になるけど」
言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。
「お前が、お前だってわかったら……普通に嬉しかった。ほっとした、の方が近いかな」
ボクは黙った。
「ずっと連絡取れなくなって、元気かなって思ってたから。ちゃんとやってるって見えてよかった」
紡の声は相変わらず静かだった。
でもそれが紡の普通だということを、ボクは知っている。
「……バカじゃないの」
それしか言えなかった。
「かもな」
紡はそう言って、少し笑った。
昔と同じ笑い方だった。
◆ある夏のとある日の夜
昼間の熱気がまだアスファルトに残る、八月の夜だった。
地元の小さな夏祭りの帰り道。人混みを避けるようにして、ボクたちはまた、あの公園のベンチに座っていた。
遠くから、微かに和太鼓の音が響いている。
ボクは浴衣の裾を気にしながら、手元のラムネの瓶を鳴らした。ビー玉がカランと涼しげな音を立てる。
「……まさか、紡と祭りに来るなんてね」
「そう? 中学の時も一回行ったじゃん」
「あの時は男同士で屋台の焼きそばガツガツ食ってただけでしょ。今は、ほら」
ボクは自分の浴衣を指さした。千波に「絶対に可愛いから!」と半ば強制的に着せられた、淡い藍色の浴衣。
紡はボクの姿をじっと見つめて、それから少しだけ視線を落とした。
「うん。似合ってるよ。……可愛い」
「っ、……からかわないでよ」
昼の暑さのせいじゃない。急に顔が熱くなって、ボクはラムネを一口飲んでごまかした。
夜風が、ボクたちの間を通り抜けていく。沈黙が心地よくて、でもどこか息苦しくて、胸の奥が小さく脈打っていた。
ボクが女の子になってから、紡との距離は少しずつ、でも確実に変わっていった。
友達、だったはずだ。一番の親友、だったはずだ。
なのに、隣にいる紡の肩が触れそうな距離にあるだけで、どうしようもなく緊張してしまう。
ボクたちは、花火の見える、人のいない穴場の高台に移動した。
「詩」
紡がボクの名前を呼んだ。
周囲の木々が、静寂を呼ぶ。
いつもの静かな声。だけど、どこか決意を秘めたような響きがあった。
「なに?」
振り向くと、紡の真っ直ぐな瞳がボクを捉えていた。街灯の光に照らされたその顔は、中学の頃よりずっと大人びて見えた。
後ろで、緑、赤、水色……。様々な色の花火が轟音を立てて交差する。
「俺、お前が男だった頃も、今も、ずっとお前のことが特別だった」
ドクン、と心臓が跳ねた。
「でも、お前が女の子になって、こうしてまた一緒に過ごすようになって……ちゃんと気づいた。俺、詩のことが好きだ。一人の女の子として、好き。……付き合ってください」
告白は、紡からだった。
セリフは「付き合ってください」という真っ直ぐすぎるやつだった。
捻りもなんもない。
昔からそういうやつだよ、とも思った。
胸の奥がじんわりと熱くなって、視界が少しだけ潤む。
でも、ボクの意地っ張りなところが、ほんの少しだけ邪魔をした。
「……男と付き合うつもりはなかったんだけど?」
ボクはそう言った。
「そうなのか」
「うん。絶対に付き合わないって思ってた」
紡は「じゃあ、ダメか」と言うでもなく、ただじっとボクを見ていた。
その、少しだけ不安そうに揺れる瞳が、愛おしいと思ってしまった。
「……でも」
ボクは視線を少し逸らして、それからまた紡を見た。
「紡は、なんか、普通の男じゃない気がするから」
紡は少し目を細めた。
「どういう意味?」
「……昔から知ってる、ってことだよ」
お前の不器用なところも、優しいところも、全部知ってる。ボクがどんな姿になっても、ボクを見つけてくれたことも。
紡はしばらく黙っていた。
それから、小さく「そっか」と言った。安堵したように、いつもの穏やかな笑みがその顔に戻る。
「じゃあ、いい?」
「……しょうがないな」
ボクはそう言って、少し笑った。
紡の手がそっと伸びてきて、ボクの手を包み込む。あのショッピングモールで千波と繋いだ手とは違う、大きくて、少し熱い熱。
──もう一度、やり直しができたなら。
なんて思ったことがあった。
TS病で全部ひっくり返された頃、何度かそう思った。
でも今は、あんまりそう思わない。
やり直さなくても、ここに来れたんだから。
──まあ、それだけの話だよね。
これは、TSした娘が親友に愛されて幸せになるお話──。




