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残狂  作者:
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後編

誤字脱字等、ご容赦ください。

「なんてことだ……。まさか橋本までもが……」

 三島は橋本の死に様に打ちひしがれている。それもそのはず、薄暗い中に浮かび上がるあの苦悶の表情は目に焼き付いて消えることはない。一目目にしただけで、瞼を閉じても思い返してしまうだろう。あの様を見てしまったのなら、渡部が何も話せなくなるほどショックを受けていても仕方ない。

「おいおい……。冗談じゃ済まねえなこれは。また死人が出るとは……」

 普段からのらりくらりとしている佐川であっても、人の死に様を目の当たりにすれば多少なりともショックを受けるものだ。

「だから見せたくなかったんだ……。よりにもよってこんな死に方なんて……。俺のせいだ、俺の……」

 堂島もショックを隠せていない。それもそのはず、確か渡部と共に行動していたからこの死体の第一発見者ということになる。今、彼の中には後悔が渦巻いているに違いない。雨が強いからという理由で捜索を遅らせなければ、彼女が死を選ぶ前に見つけ出せたかもしれない。もし首を吊った後だとしても、すぐに見つけられれば、命が助かったかもしれない。その罪悪感が、自らを殺人者に仕立てあげている。だが、今堂島に立ち止まられては困る。島の責任者として、俺の友人として。

「雄一。お前のせいじゃない。お前が殺したわけじゃないんだ」

「でも、俺が捜索を渋ったから……」

「それは、みんなの安全を考えてのことだろ。それに、橋本がこうなった原因はお前じゃなくて、あのラジオだ」

 ラジオで流れたあの音声。あれさえなければ橋本が強いヒステリックを起こすこともなかった。

「あのラジオを作った奴が悪いんだ。雄一は悪くない。だから、落ち着いてくれ」

「俺は……。すまない、ちょっと休ませてくれ」

 堂島はそう言ってその場に座り込んでしまった。案内所の壁に寄りかかり、項垂れている。今にでも倒れてしまいそうだが、俺は堂島を信じることしかできなかった。今の俺たちにできるのは早く橋本を下ろしてやることだけだ。案内所のドアには鍵がかかっていない。佐川と三島の二人と共に、中へと入る。時刻は午後四時ごろ、日の入りも早く案内所の中は薄暗い。その中で橋本の死体だけが、輝いているかのように目立っていた。暗い中、佐川が手探りで電灯のスイッチを見つけ、スイッチを入れる。明るくなった案内所の中では、遊園地の楽しそうな雰囲気を醸し出すインテリアと、橋本の死体とが混在し異質な空間となっていた。彼女は二階の手すりから吊られている。一体どうやって下したものか。もう死んでいるとはいえ、適当に縄を切って床に落とすというのは忍びない。せめてマットのようなものがあればいいが、案内所内にあるとは考えづらい。三島はどうやら縄を引っ張って引き上げるつもりらしい。力自慢の彼らしい考えだ。もしそうするつもりなら全員で協力すべきだろう。佐川にも協力を求めようと、彼が先ほどまでたっていたであろうところへ振り返ると、佐川はそこにはいなかった。それどころか、部屋中を見渡してもどこにもいない。三島に聞いたがどうやら俺が考え事をしている間に外へ行ってしまったらしい。仕方がないから二人で引っ張り上げるかと二階へと上がろうとしたとき、佐川が戻ってきた。

「おい、ちょっとこっちに来てくれ」

「何の用だ?今はこんな状態の橋本をどうにかしてやる方が先だろ」

 三島はそう言って縄へと手を伸ばす。

「いいから、こっち来てくれって。楽に橋本を下ろせるぜ」

 佐川には何やら案があるようだ。聞いてみるだけ聞いてみるとしよう。佐川の案内で俺たちは案内所を出て裏へと回る。案内所の裏には大きな倉庫があった。佐川はいつの間にか倉庫の鍵を拝借していたらしく、いとも簡単にシャッターを開けた。中に入っていたのは大量の段ボール。箱に書いてあるのは『一日分の食料』……。非常食の段ボールだ。さらに奥には大量に毛布が積まれている。どうやらこの倉庫は非常時に対応するための物資をためておく倉庫のようだ。

「この毛布、何枚か重ねれば橋本を受け止めるのにちょうどいいんじゃねえか?」

 佐川は積まれていた毛布を手に取りながら言う。確かに、寒さ対策のためかなり分厚くできている。これを下に敷いて縄を切るとしよう。

 縄を切るための道具は事務室にあったカッターナイフを借りた。傷さえつけられればあとは手で引きちぎれるだろう。橋本の元へと戻り、彼女の真下に毛布を敷く。それなりの厚さになったところで三島に合図を送り、ナイフで縄を切ってもらった。毛布の上に橋本が落ちて来る。彼女の死に顔はひどいものだった。いったいどうして自殺なんかしてしまったんだ。あのラジオの音声に一体何を感じたのだろう。彼女の死体を毛布でくるみ、背負い込む。せめてホテルに連れて帰ろう。遊園地前にはほぼ全員がそろっていた。何とか立ち直ってくれていた堂島が集まった皆に事の顛末を説明していたらしく、俺が背負っていた毛布の塊に目線をやるだけで、特に何も言わなかった。

 途中、何度か橋本を運ぶのを代わってもらいながら、何とか山を下り切りホテルへとたどり着いた。すっかり日は暮れ、道は薄暗い。ホテルは電気がついているため明るいが、その明るさに温かみはなかった。中へと入ると留守番をしてくれていた木下が出迎える。彼は俺たちの表情で何となく何があったのかを察したらしく、特に橋本については言及せず、「食事の用意ができていますよ」とだけ言った。橋本を広間に運び込んで寝かせ、食堂へと向かう。食事中、誰も一言も喋らなかった。それどころか一口も手を付けない者もいる。かつての友人の死に様を目の当たりにすれば仕方のないことだ。他の者も食べるというよりは無理やり口の中に詰め込んで飲み込んでいるように見える。全員そうして食事を終え、ぞろぞろと食堂を出ていく。食堂に残ったのは、俺と赤木、倉本と堂島の四人だけだ。俺が頼んで残ってもらった。橋本の死、どうしても引っかかるものがあったのだ。

「それで、話ってなんだ?」

「ああ。……雄一、あの案内所って縄を常備してるのか?」

 まず気になったこと、それは縄だった。事務室にはカッターナイフもあり、自殺するにはこれで手首を掻っ切った方が早いだろう。なぜわざわざ縄を探し出し、それを二階の手すりに結び付けて首を吊るような真似をしたのか。いくら錯乱状態だったとはいえ、明らかに手間がかかる行為を選んでいる。それが違和感だった。

「縄……。別にそんな話は聞いたことないな。特に使う理由もないし……。あるにしても列を整備するためのポールがあるだろ?それを繋げるための縄ぐらいだな」

 だが、橋本が死ぬために使った縄はどこでも見られるような白くて太い縄だ。遊園地で使われるような色合いをしたものではなかった。第一、そんなもの案内所の一般客が手に届く範囲に置きはしないだろう。今日は貸し切りで必要がないのだからなおさらだ。

「じゃあ、橋本はどこから縄を用意したんだろうな」

「確かに、橋本はいきなり飛び出していったんだもんな。縄なんか持ち歩くわけもないだろうし……」

「なあ雄一。橋本の死体を最初に見つけたのは誰だ?」

 俺は改めて堂島に聞く。答えは分かりきっているが、その答えが今は重要な気がした。

「……渡部だ。俺は渡部の悲鳴を聞いて駆け付けただけだからな。……聡、お前まさか」

「……ああ。俺は渡部を疑ってる」

「いや、俺と渡部は一緒に行動してたんだぞ、渡部に橋本を殺せる時間なんてどこにも……」

 堂島は言葉を濁らせた。何やら思い当たることがあるのだろう。

「……遊園地に着いた時、渡部が『ここは広いから手分けしましょう』って言いだしてな。まあ確かにレストランとか土産屋とかもあるし、手分けした方が探しやすいよなと思って、入り口で別れたんだ。俺はすぐに奥の方に向かったから、渡部がその間何をしてたかまでは分からん。……だが、渡部がそんなことをする理由はどこにある?」

「……浜田優。彼女に何か関係があるはずだ。……今回の一連の死、矢島を除いた斎藤と内山、その二人のどちらもが浜田優に対し言葉にできないほどの非道な行いをしていた。橋本もそれに一枚嚙んでいた可能性がある」

「噛んでるって、橋本が何したんだよ?」

「そんなの俺が知るわけないだろ。当人はすでに死んでるしな。それに渡部が犯人だっていうのも俺の言いがかりだ。単純に橋本が自殺を選んだだけの可能性がある。その場合、あの縄はどこから手に入れたかという疑問は常に付きまとうけどな」

「……そこなんだよなあ」

 どうやら推理は袋小路に入ってしまったようだ。自殺であっても他殺であっても何かしらの疑問は残る。俺と赤木、堂島が頭を悩ませている最中、倉本が何かを思いついたらしく「あっ!」と大きな声をあげた。

「どうした茂。何か思いついたか?」

「ああ。さっきの橋本が殺されたって説についてなんだが、別に犯人は渡部である必要はないんじゃないか?犯人が橋本を殺すために縄を持ち歩いていて、偶然そこで見つけたから殺しただけで、場所も偶然だし第一発見者が渡部だったのも偶然かもしれないだろ。そいつはただ何食わぬ顔でそこを離れて、渡部の悲鳴なり雄一の呼びかけなりで飛んできたって顔をすればいいんだからな」

 これが正しいのならば、犯人は分からずじまいなうえに、これまで広げてきた推理もすべて無駄になる。だが、おそらくこちらの方が正しいのだろう。……そしてこの犯人の目的は、おそらく浜田優の敵討ち。斎藤の毒殺、内山の転落死、橋本の首吊り。そのいずれも浜田優と親しかった者に殺されていると考えられる。……内山と橋本に関してはまだ殺害されたと決まったわけではないが、そう考えなければ不自然となる部分があり、それは決して見過ごせない。……まず内山について。状況から考えれば雨でぬれた屋上で滑り、誤って転落。これが普通のとらえ方だろうがあのラジオが出てきたことにより話は変わった。柵から乗り出さないと手に届かないような場所に隠され、スタンガン機能を追加された改造ラジオ。そして流れていた音声は浜田の死を責めるものだった。内山ならあの音声が聞こえてきた時点で絶対に止めにかかるだろう。彼は気に食わないことがあればいかなる手段をもってしてもそれを排除する性格で、三年間同じクラスで生活すれば嫌でも覚えることだった。犯人はそれを利用したに違いない。犯人はすべて知っていたのだ、彼は屋上に出ることが好きだということも、少しでも気に食わないと怒りで周りが見えなくなることも。ただ、内山の事件で問題なのは、誰が落としたかということである。角田と杉森、笹田と小岩井の四人以外は全員エントランスにいたため、犯行は不可能だ。つまりこの四人のうち誰かが犯人ということなのか。だが、俺の推理ではこの事件、浜田優の敵討ちが動機のはずだ。この四人に敵討ちを掲げるほど浜田と親交があったとは考えられない。今日、彼らから話を聞く限りでは、彼らの方が殺される立場なのだ。……次に橋本について。先ほども赤木たちと話し合った通り、橋本が自殺に使った縄は一体どこから出て来たのかという疑問が残る。あれほど自らの命を奪うことに駆られていたのなら、事務室に入ってハサミなりカッターナイフなりを手にすればよかった。わざわざ縄を結べる場所を探す手間や、縄を結ぶ手間、手すりを乗り越えてまで首を吊る手間をかける理由はどこにもない。しかし、これを犯人がやったとしても疑問は残る。第一、死体というものはなかなかの重さがある。橋本を連れて帰ってきたときも、道中何度か代わってもらって汗だくになりながら帰ってきたのだ。そんな重いものをわざわざ高いところから吊る理由はなんだ。犯人は一体何を考えて……。

「おい、大丈夫か?」

 赤木が声をかけて来た。どうやら長い間考え込んでしまったらしい。考え事のし過ぎで頭がずきずきと痛む。

「ああ、大丈夫だ。ちょっと事件のことを考えててな……」

「何かわかったのか?」

「ああ。何もわかんないことが分かったよ」

「……こりゃ相当参ってるな。水でも取ってくるよ」

 赤木はそう言って席から立ち上がった。そういえば堂島と倉本の姿がない。どうやら推理に夢中になりすぎて彼らが食堂から出て言ったことに全く気付かなかった。それに、自らの汗臭さと少しだけ漂ってくる死臭にもようやく気付いた。水を飲んだら風呂にでも行こう、そう思った時だった。木下が笹田と小岩井を連れて食堂へとやってきたのだ。おそらく少し遅めの夕食だろう。彼女らはハッとした顔で俺のことを見ていた。そしてなぜかすぐに謝ってきた。

「……飯島、ごめん。内山からかばってくれたのに、礼も言わないで……」

「謝るのはこっちの方だ。あいつからかばいきれないで部屋に押し込めちまってんだからな」

「……木下さんから聞いた。内山、死んだんだってね。……ねえ、飯島。どう思う?」

「……どうって?」

「内山は、殺されたと思う?」

 二人は俺から何かを聞き出そうとしているのか、それともただの興味本位か。人殺しだと疑われ、軟禁生活を余儀なくされている彼女らの表情は疲れに染まっており、それ以外なにも読み取ることはできない。俺は正直に答えることにした。

「ああ。俺はそう思う」

「それと、玲子も死んだんだってね」

「……話が早いな」

「……犯人は誰だと思う?」

「全然わかんねえ」

 俺がそう答えた途端、なぜか笹田が食堂の外へと目線を投げた。その先にいるのはクラスの女子たち。彼女らがいったいどうしたというのだろう。しかし、それを聞くよりも早く笹田が話を終わらせてしまった。

「……簡単にわかったら、苦労しないよね。……頑張って真犯人を探し出してね」

 二人はそうして食堂でも奥の席に逃げるように座った。その後すぐに赤木が戻ってきた。どうやらキッチンから隠れてこちらの様子を窺っていたらしい。赤木が持ってきた水を一口で飲み干し、二人には何も言わずに食堂を出て風呂へと向かった。


 一日の疲れをシャワーで流している間にも、頭の中だけはすっきりしていなかった。どうにも考えてしまう。今ここで考えていたところで何か思いつくわけでもない。そもそも手掛かりを得ようにも今連続して起きている事件には証拠がないのだ。斎藤の部屋にあったウォーターサーバーに仕込まれていた毒や、内山に危険な体勢を強要させたであろうラジオ。そして出どころ不明の橋本の首を吊っていた白い縄。これらがあったとしても犯人を特定できる情報にはなり得ない。……俺はシャワーを止め、浴室から出た。脱衣所で体をふいていると、何やら外が騒がしい。また何か揉めているのか。手早く着替えて脱衣所を出る。騒ぎはどうやら客室の方だ。一階客室前の廊下に顔を出すと、ある部屋の前に人だかりができている。あの部屋は角田の部屋だったはずだ。胸騒ぎが強くなる。俺は人だかりの隙間から部屋を覗いた。ちらと見えた部屋の床には大量の血と共に、角田が床に倒れていた。

 現在、角田の部屋の中では峯井による簡易的な検視が行われている。だが、素人目に見ても角田の死因が出血多量だというのは一目瞭然だ。その出血多量となった原因の傷は、腹部に集中していた。何度もやたらに切りつけたような傷跡が残っており、非常に痛々しい。そして角田のそばには凶器と思われる包丁が落ちていた。死体のそばにしゃがんでいた峯井が立ち上がった。検視を終えたのだろう。

「……死因は、出血多量。原因は腹部の切り傷。凶器はこの包丁とみて間違いないだろう。傷と照らし合わせてみても幅が一致している。死亡推定時刻は、午後四時から七時までの間って程度かな」

 分かりきったことを言われても心はちっとも休まらない。皆一様に不安を顔に浮かべている。訳はともかく死人が増え続けていれば不安も増すというものだ。俺は堂島に許可をもらい、角田の部屋をうろついていた。部屋には特に荒らされたような形跡はなく、侵入者の気配がない。……そういえば、第一発見者は誰なのだろう。

「なあ、雄一。第一発見者って誰だ?」

「本宮だ。今はたぶんエントランスにいるはず。……だいぶショックを受けてるはずだからな、何か聞きだしたいんなら気をつけろよ」

 本宮桜。高校の時、クラス委員に立候補した真面目な女だ。勉学はできるが、運動は少々苦手だったはずだ。エントランスへと戻るとソファに座って顔を覆っている本宮と、本宮を囲んで彼女を慰めている人達が四、五人ほどいた。相当ショックを受けていたようで未だにすすり泣くような声が聞こえる。やっぱり今はやめておこう。俺は角田の部屋へととんぼ返りした。もう就寝時間も近いのか、角田の部屋に集まっていた皆はぞろぞろとエントランスへと移動していた。角田の部屋へと戻ると、堂島と峯井だけが残っていた。

「戻ってきたか。どうだ?本宮から何か聞けたか?」

「いや、駄目だな。まだ話を聞けるような精神状態じゃない」

「こんな死体を見つけたら仕方ない気もするけどね。……そんなことより、これを見てほしい」

 峯井は声のトーンを落としてそう言った。何やら真剣な話のようだ。彼は角田の死体の足首を掴んでいる。そこには腹につけられていたものと同じ切り傷がついていた。

「腹を切られたにしては出血量が多すぎてね。気になって調べていたら気づいたんだ。……どうやらアキレス腱が切られているようでね、碌にに歩けないようにされている。普通、自殺するときにわざわざ自分のアキレス腱を切る人間なんていない。そもそも……」

 峯井はそう言って角田の手首を見せて来た。何やらうっすらと跡がついている。

「太い縄のようなもので縛られた跡が手首についている。それが両方だ。そんな状態でどうやって自殺する?……角田も誰かに殺されたと考えるべきだろうね」

 俺は深いため息をつくほかなかった。また一人殺されてしまった。それは堂島も同じだったようで、頭を抱えている。

「……証拠はなさそうか?」

「ないね。唯一犯人の痕跡になり得そうな包丁はこのホテルのものだろうし、指紋を取る技術はこの島にはないだろう。部屋の前にあった監視カメラも事務室の停電で使えないし……。それに、第一発見者はまだ会話が出来そうにないんだろ?」

「とりあえずは本宮が調子を取り戻すのを待つしかないか。もしかすると犯人を見ていた可能性もあるからな」

「……もうここでできることはないな。さっさと出よう」

 角田の部屋から出て、エントランスへと向かう途中、杉森のことが気になった。彼も今日の昼以降全く姿を見ていない。もしかすると彼もすでに誰かに殺されているのではないだろうか。

「なあ、今日内山が死んだあと杉森のこと見たか?」

 二人は俺の突拍子もない質問に少し面食らっていたようだが、少し考えたのち返事が返ってきた。

「いや、見てないかな」

「俺も見てねえな。そもそも、俺たち今日は橋本の捜索だったりブレーカーの修理だったりで忙しかったし、見てなくてもおかしくはないんじゃねえか?」

「いや、限られた空間の中で顔をあわせないってちょっと怪しくないか?それに、角田の例もあるし一応確認だけしてみないか?」

 角田が部屋で殺されていたという事実がどうしても付きまとう。もしこれも浜田の弔いのためなのだとしたら、杉森も無事で済まない可能性がある。彼らもそう考えたのだろう。エントランスへと向かう足の向きを変え、階段へと足をかけた。杉森の部屋は204号室だ。部屋の前に着き、ドアをノックする。内山の死以降、かなり神経質になっていたため少し弱めに叩く。部屋の中から返事はない。少しだけ嫌な予感がした。

「……まさか」

「いや、寝てるだけかもしれないぞ」

「どちらにしろ確認できないと意味がねえ。もし寝てるんなら起きてもらわねえと」

 次は強めにドアを叩いた。その後ドアに耳を当て中の様子を窺うが、何かが動いているような音はしない。

「……駄目だ。何も聞こえねえ」

「堂島君、この部屋のスペアキーを持ってきてくれないかな?……最悪の場合を想定しなくちゃいけないかも」

「……わかった」

 堂島は短く返事をすると早足で階段を降りていった。俺ももう一度先ほどよりも強く、知らない人に聞かれたら怪しまれるほど強くドアを叩いた。これほど強く叩けばさすがに起きるだろう。ドアに耳を当てると中からドタバタと音が聞こえる。生きていたか。ドアが乱暴に開かれる。

「うるせえよ!今何時だと思ってんだ、こちとら寝てんだぞ!」

「悪い、杉森。でも、どうしてもお前の無事を確認したくてな」

「は?気味の悪いこと言ってんじゃねえよ」

 無理やり叩き起こされたから、杉森は今すぐにでも手が出てしまいそうなほどに不機嫌だ。しかし、これは彼のためでもあるのだ。訳を話せばわかってくれるだろう。

「落ち着いて聞いてくれ。……角田が殺された」

「……は?……これ夢か?」

 杉森はそう言って自らの頬をつねる。そして、これが夢でないということをすぐに理解した。

「……どういうことだ」

「それは今調べている途中なんだ。ただ、角田が狙われた理由は何となく察しはついてる。……浜田優」

 その名前を出した途端、杉森の顔が青く染まる。彼は内山や角田と一緒になって浜田を慰み者にしていたという過去がある。犯人からしてみれば杉森も十分に狙う理由がある。

「犯人は浜田の敵討ちのために殺人を続けているかもしれないんだ」

「……だから何だよ、俺は関係ないだろ」

「午前中、内山が何を言ってたのか忘れたのかい?君がそう主張しても犯人には届かないだろうね」

 峯井は冷たく突き放す。彼にとっては、これ以上人の命が奪われることが嫌なだけで、杉森自身を救いたいという気持ちは抱きづらいのだろう。

「……とにかく、角田が殺されたのは事実だ。俺の予想だと、次の標的はお前になる可能性が高い。戸締りはきちんとして、誰も部屋に入れるんじゃねえぞ」

「……んだよ、言われなくてもやってるよ。人殺しなんかとは一緒にいられないからな」

 言葉の端々に棘を感じるが、今はそれでいい。自分以外のすべてに敵対してくれていれば、うかつに他人に近寄ったりしないだろう。ここで堂島がスペアキーを持って戻ってきた。彼は一目でそれがもういらないということを察し、ポケットにしまい込んだ。

「……で、話はもう終わりかよ。なら早く寝させてくれねえか?俺は疲れてんだ、お前みたいに人の生き死にで推理ゲームしてリフレッシュなんてできねえからな」

 杉森はそう言い捨てると、またもや乱暴にドアを閉めた。

「……せっかく心配してきたのに、恩知らずだなあいつは」

「昔っからそんなもんだろ、あいつは。とりあえず死んでねえだけマシだ」

 俺たちは杉森の部屋を後にした。時刻は午後十時を過ぎている。今日もいろいろあったせいか、疲労感がすごい。杉森を見習って、俺もそろそろ休むべきだろう。エントランスにいた皆もすでに就寝準備を終えていたようで、今までの騒ぎが嘘のようだ。俺たちが戻ってきたときも、皆一瞥を向けるだけで、何か言葉を言うわけでもない。もはや言葉を発する気力すら残されていないのか。俺たちが戻ってきたことで、とりあえず全員そろったということになり消灯となった。初日は事件のショックからか、そこかしこで小さな話し声が聞こえていたのだが、今日は全くもって静かで、皆の呼吸音と寝具が擦れる音しか聞こえない。その静かさに心が落ち着き、何とか早めに眠りにつけた。ただし、目覚めは最悪の一言に尽きるものだった。

 聞こえてきたのは叫び声だった。方向から考えるとトイレからだろうか。声を聴いて跳び起きた俺と堂島。そしてもともと起きていた峯井や佐川たちで急いで声の方へと向かった。声は予想通り男子トイレの中から聞こえてくる。

「おい、どうした。大丈夫か?」

「早く来てくれ!これは、やべえぞ」

 声の主は倉本だったか。……どうやらかなり緊急性が高いらしい。入ってすぐはゴミ箱が置いてあるだけだ。壁一枚隔てた向こう側に何かがあるらしい。奥へと足を踏み入れると、立ち尽くす倉本と洗面台に背を向けて寄りかかっている杉森がそこにいた。

「杉森!なんでこんなところに?」

 問いかけても返事はない。代わりに倉本が返事をした。

「し、死んでるぜ。杉森の奴……」

 俺はだらんと垂れ下がった杉森の腕を取った。……駄目だ、死んでいる。角田に続き、杉森までもが……。しかし、どうして外のトイレにいるんだ。それに、一目見た程度では外傷が見つからない。すぐに峯井が検視を始めた。俺たちは皆に杉森の死を伝えるため、エントランスへと戻った。杉森の死を伝えたが、皆、そこまでショックは受けていない。すでに人の死に慣れてしまったのか、それとも、昨日の杉森との一件が聞こえてしまっており、予想できてしまったのか。それとも別にショックを受けるほど親しい仲でもなかったのか。いずれにしろ、無用な騒ぎにならないだけありがたい。杉森の死を伝えている間に、そろそろ峯井による検視も終わったころだろう。俺と堂島は男子トイレへと戻った。

 男子トイレの入り口に『清掃中』の看板を立てて、中へと入った。峯井は俺たちが来たことに気づいたのかこちらへと振り返り「ちょうど終わったよ」と検視が終わったことを報告した。早速結果を聞かせてもらおう。

「死因は角田と同じく大量出血による失血死だね。一目見た程度ではわからないんだが、服をめくってみると……」

 峯井はそう言って床に寝かせた杉森の服を脱がせ、背中を露出した。そこには背中一杯につけられた傷跡があった。どの傷もずいぶん深くまで入っている。

「杉森に抵抗の跡が見られなかったところから考えると、気絶させられていた可能性が高い。その証拠に頭部には打撲痕が残っているんだよね。跡から考えると、鉄パイプやバットのようなものと考えられるね」

 出血多量が死因という割にはトイレ内に血の汚れは見つからなかった。その代わり、清掃用にしまわれていたホースに使われた形跡が残っていた。犯人はわざわざ血を洗い流したのか。角田の時は血だまりをそのままにしていたのに、何か理由でもあるのだろうか。

「そもそも、なんで杉森がここにいるんだ?」

「トイレは部屋にもあるよね。なら、誰かに呼び出されたとか?」

「いや、それはないだろう。昨日あれだけ釘を刺しておいたのにのこのこ外に出るなんて考えられん」

 今ここで考えたところで答えがわかるはずもない。答えを知っているのは杉森と犯人だけだ。俺は犯人の手がかりを探すため、トイレの中をくまなく探し始めた。洗面台の上や、棚の中。個室の中もくまなく探す。そして、便器タンクの下の隙間に丸められた紙が隠されているのを見つけた。手に取って広げてみると、そこには『お前の罪が生まれた場所で待つ』とだけ書かれていた。

「おい、これ見てくれ」

 そう言って俺は二人に見つけた紙を見せる。

「これは……。杉森を呼び出すために使ったのかな?」

「『お前の罪』……。お前って杉森のことだよな。罪って、浜田についてのことなのか?……それに、生まれた場所がトイレってどういうことなんだ?」

 これ以外には何も見つけられなかった。ここに記された罪とはいったい何なのか。そしてそれが生まれた場所があそこなのはどういうことなのか。疑問は増えるばかりである。

 俺たちは杉森の死体を広間に運んで寝かせ、朝食のため食堂へと向かった。食堂では白川たちが昨日会ったことについて話していた。聞くところによると、夜中に水音が聞こえて来たらしい。最初は雨かと思ったが、窓に目を向けると空には星が輝いていたらしい。水音の出所を確かめようかとも思ったらしいが、不気味さには勝てず諦めたとのことだ。おそらくそれは犯人が杉森の死体から血を洗い流していた時間帯だろう。時間は覚えていないかと聞くと、たぶん午前三時ぐらいとのことだった。昨日の寝ずの番なら何か見ていないか。昨日は確か藤峰が寝ずの番をしていたはずだ。早速聞いてみるとしよう。

「藤峰、ちょっといいか?」

「ええ。どうしたの?」

「昨日の夜のことなんだが……。夜中に、変な水音を聞かなかったか?」

「ええ、聞いたわ。私、様子を見に行ったのだけれど、特に何もなかったわよ。ただ男子トイレの中から水音がしてただけだったわ。ただの水漏れかもしれなかったけど、気味が悪くてすぐに戻っちゃったの。……もしかして、杉森ってその時に……」

「ああ。その可能性が高い。……あと、これなんだけど、なんか知らないか?」

 俺は藤峰にあの紙を見せた。島に来た初日、斎藤たちに浜田のことで食って掛かっていた彼女なら、杉森の行いについても知っているかもしれないと踏んだのだ。

「……これは?」

 藤峰の目の端がピクリと動いた。やはり杉森の罪について何か知っているのだろうか。

「杉森が死んでいたトイレに落ちてたんだ。丸められて便器の隙間に隠されてたんだ」

 藤峰は何か悩んでいる。何かを知っているようでそれを言うべきか言わざるべきか迷っているようだ。

「……ごめん、あとにしてもらえる?今ここで話せるような内容じゃないから……」

「わかった、ありがとう」

 やはり藤峰は何か知っているようだ。これで少しでも調査は進展するに違いない。朝食を食べ終え、すぐに藤峰のもとへと赴いた。藤峰は「人の多いところでは話せないから」と言い、割り当てられていた自室に来るようにと言い残して先に部屋へ行った。あの時一緒にいた堂島と峯井も杉森の罪が気になっているだろう。俺は二人も連れていくことにした。部屋へと赴くと藤峰が出迎えてくれた。予定にない二人を連れてきたせいか、少々驚かせてしまったが快く出迎えてくれた。それぞれソファへと腰を下ろし、単刀直入に切り出す。

「早速で悪いが、この紙に書かれてた杉森の罪ってのは何なんだ?」

「……浜田優が斎藤たちの稼ぎ道具にされてたって話はもう知ってるわよね」

 俺たちはうなずいて答える。

「そして、斎藤たちに飽きられた後、内山に押し付けられたって話も。……優は、三人のおもちゃだった。杉森もどうやら斎藤たちの話を聞いて優に稼がせようとしていたみたいでね。……男便所に連れ込んで、個室でいろんな男の相手を……」

 言葉を失った。純然たる悪意に対し、言いたいことはたくさんある。だが、それは藤峰に言うべきものではないし、言うべき相手はすでに殺されている。……今は、怒りに身を任せるべきではない。

「……それを知ってるのは、藤峰以外に誰がいるんだ?」

「そうね……。笹田と小岩井は当然、たぶん橋本も知ってたかしら。それと桜さんと詩織さんも知っているはず。……女の子は噂好きだからね。……あとは、佐川も知ってるんじゃないかしら、あいつは昔っからパパラッチみたいなことばっかりしてたもの」

 犯人はこの中にいるかもしれない。もう少し詳しく聞いてみるべきだ。

「その中で、浜田と特に仲が良かったのは?」

「……橋本かなあ。よく二人でお昼とか食べてたし、仲良かったと思う」

 橋本はすでに死んでいる。彼女以外だ。

「橋本以外には?」

「優は結構勉強熱心だったから、成績が良かった桜さんと詩織さんの三人でよく勉強会をしてたわね。私もたまに混ぜてもらってたけど、なかなかためになってたわ」

 本宮と白川か。……本宮は昨日、角田の死体の第一発見者でもある。彼女に話を聞いてみる必要性が増して来た。

「……ありがとう、藤峰。いろいろ参考になったよ」

「そう?それならよかった」

 俺たちは藤峰に礼を告げ、部屋から出た。この後の方針は決まっている。本宮桜だ。角田の第一発見者として、今回の事件の犯人として。話を聞いてみるほかない。彼女は今の状況のせいで一人でいることをひどく怖がっており、たいていの場合はエントランスにいるはずだ。エントランスへと戻ると予想通り、遠藤と大島と一緒にいた。

 遠藤恵と大島美穂。二人ともあまり話したことはない。何故かわからないが男性に強い拒否感を示しているようで、クラスメイトだけでなく、隣のクラスや教師にいたるまでと拒否感の範囲は留まることを知らなかった。風の噂で女子大へと進んだという話は聞いており、それなりに穏やかに大学生活を送れているようだった。

「本宮、ちょっといいか?」

「あっ、飯島君。それに堂島君と峯井君もどうしたの?」

「……昨日のことで聞きたいことがあるんだ。……角田のこと、聞いても大丈夫?」

 当事者である本宮以上に、遠藤と大島が拒否反応を示す。

「昨日、桜がどんな様子だったか知ってるでしょ?ただでさえ人が死んでショックを受けてるっていうのに、あんな死に方の死体なんて……」

「そうよ。そもそも何を桜に聞くの?桜が人殺しなんてできるわけないでしょ」

 何を聞くのか。聞きたいことはいろいろあるが、まずは昨日からずっと気になっていたことを聞かせてもらおう。

「……じゃあ、とりあえずこれから。なんで本宮が角田の第一発見者になったんだ?」

 これが昨日から気になっていたことだった。角田は部屋で死んでいた。何か角田に用があったのだろうか。それとも、偶然通りかかったらドアが少しだけ空いていたため気になって、ということだろうか。だが、本宮は一人で行動することをひどく怖がっている。そんな本宮がただ一人の第一発見者になるとは到底考えられない。つまり、角田に何か用があったと考えるべきだ。俺の真意を理解しているのか定かではないが、遠藤が返事をする。

「……どういうこと?」

「もっとわかりやすく言おうか。角田に何の用があったんだ、本宮」

 次は本宮の方を見て言った。彼女は口をつぐんでいる。何か言いたくないことでもあるのか。ここぞとばかりに今度は大島が助け舟を出す。

「ほら、何も言いたくないってさ。わかったらさっさとどっか行って。桜は昨日のあれで傷ついてるの、わかる?」

 彼女たちには申し訳ないが、必死にかばいたてる遠藤達が鬱陶しくてしょうがない。ここは率直に話した方が手っ取り早いか。

「……俺は、本宮を疑ってるんだ。本当にただの第一発見者か?」

 本宮はようやく俺を見た。驚いたような悲しいような顔を俺に向けている。俺はそれを無視して続けた。

「……本宮には角田の部屋を訪問する理由がない、あるいは理由が言えない。そんな状況で第一発見者が本宮ともなれば疑われるのも当然だろ」

 大島がソファから立ち上がった。

「そんなわけないでしょ!桜に、人なんか殺せない。用があろうがなかろうが、殺せないんだから殺してるわけないでしょ!」

「何をもってそう決めつけるんだ?」

「……は?」

「さっきからずっと『本宮がそんなことできる訳ない』って言ってるが、その確証はどこから来てるんだ?」

「それは……。桜の性格的に。少し気弱な人間が人殺しなんか……」

「そう言うフリなんじゃないか?」

「そんなわけ……!」

「その証拠は?」

「高校の三年間よ。ずっと同じクラスだったけど、桜に人を殺せそうな気迫なんてなかった」

「じゃあ、三年間そう言うフリを続けてたんだろ。お前らは騙されてたんじゃないか?」

「ふざけないで!桜にそんなことする理由は……」

「お前らは本宮じゃないのに、本宮の何を知ってるんだ?勝手に考えて勝手に決めつけて。……そもそも俺たちは本宮に昨日の話を聞きに来たんだ。お前らなんかに話しかけた覚えはねえよ」

 二人は苦虫を嚙み潰したような顔をする。もはや何も言い返せないのだろう。俺としてもいい加減この無駄な言い合いを終わらせて、本題に入りたいのだ。あとはこのまま黙って引き下がってくれれば楽なのだが……。

「行こ、桜。こんな奴らと話してたって時間の無駄。私たちは安全な場所にでも行こうか。こんな奴が絡んでこない部屋の中にしようよ」

「そうそう、こんなモテそうもない器も小さそうな男たちはほっといてさ。こんなことに必死になって馬鹿みたいだよね」

「……馬鹿はてめえらだし、器がちいせえのもてめえらだろ。自己紹介してる暇があんなら引っ込んでろ。俺は本宮に用があるんだ。お前らはどうでもいい」

「は?」

「この……」

 二人は俺の言葉が完全に頭に来たらしい。腕を振るわせ、握りこぶしを作っている。そろそろ一触即発といった状況の中、ようやく本宮が口を開いた。

「……わかった、話すわ。聞きたいことはいろいろあるんでしょ?」

 やっと事態は進展を見せた。これで調査も進むというものだ。未だに大島達は反対の姿勢を見せているようだが、最初から彼女たち如きに構う理由はない。適当に無視しておこう。

「じゃあ、さっきの質問に答えてくれないか。昨日、なんで角田の部屋に行ったんだ?」

「……彼、夕食の時間いなかったでしょ?それに、そのあと木下さんが呼びに行っていたのだけど、それも反応がなかったらしくて。いくら内山君の死がショックだったとはいえ何も食べないのは体に良くない。そう思って、様子を見に行ったの。階段で二階に上がったとき、角田君の部屋のドアが少し空いてることに気づいて、中を見たらあんなことになっていたという訳。別に隠すことなんかないわ」

「角田の部屋へは一人で行ったのか?」

「……ええ。そうよ」

「一人は怖いんじゃなかったのか」

「その時はちょうどみんなお風呂に入っていたから、どこにいても大抵一人だったの。だからあんまり気にならなくて」

「角田の死体を見つけた時、何か気になったことはなかったか?」

「いいえ、特には。私その時気が動転してたものだからあまり覚えてなくて」

「じゃあ、角田の部屋に入る前は?何か見たとか」

「いいえ。周りには人っ子一人いなかったわ」

 ここまでは予想通りだ。もし犯人を見ていれば昨日のうちに何かしら動きがあったはずだ。次に聞きたいのは、浜田のことについてだ。

「そうか……。ひとまず、角田のことはここまでにしよう。……あとは、浜田についても聞きたいんだが」

「……もういない人のことを聞いてどうするの?」

「この島で起きた一連の事件、発端は浜田の死だとすれば、浜田に関係ある人物をあぶりだすのが必要になる」

「関係ある人物なんて、クラスメイトの全員がそうでしょう」

「……より、浜田と親しかった者。浜田の弔いのために人殺しすら厭わぬほど、彼女を大切に思っていた者。こいつが今回の事件の犯人だと思ってる」

「何か証拠でも?」

 杉森に関しては罪を問う紙の存在が証拠になりうるだろう。そして、斎藤・内山・角田に関しても、彼らの話自体が証拠となる。問題は橋本と矢島だ。二人には具体的に浜田を害していたという証拠がない。そもそも二人とも浜田とかなり親しくしていたという話を聞いている。橋本は親友として、矢島は幼馴染として。二人はどちらかと言えば犯人側となるべき人間なのだ。二人はなぜ殺されたのか、今でも答えは出ていない。

「斎藤と、内山。それに角田に関しては昨日話していたことが証拠だ。それに杉森に関してはこういう紙も見つかってる」

 俺は本宮に例の紙を見せた。

「ただ、矢島と橋本に関してはまだわからないことだらけなんだけどな」

 本宮は興味深そうに紙に視線を落としている。じっくりと文字を読み、内容をしっかりと頭に刻み込んでいた。そして読み終わると「どうも」という一言と共に紙を俺に差し出した。

「……飯島君は、どう考えているの?この事件のこと。よかったら聞かせてくれない?」

 特に断る理由もない。それに聞きたいことだけ聞きだしてさよならというのはあまりに不公平だろう。俺は今朝までに組み立てた推理を話した。斎藤たちの死の理由、矢島と橋本の死の不可解さにいたるまで。……今話せるすべてを話し終わったのち、本宮はまだ俺の知らない情報を渡してくれた。

「橋本さんに関してなんだけど。飯島君は彼女が殺される理由がわからないということだったわね?」

「ああ。橋本は浜田の親友だったんだろ?浜田の弔いのためなら殺される理由なんてない。……俺の推理が当たっていたらの話なんだが」

「……私も、飯島君の推理があってると思うわ。そして、その推理を補強する事実を私は知っている。……昨日、佐川君が『斎藤さんと浜田さんが飯島君のことで争っていた』っていう話をしていたのは覚えてる?」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「それを斎藤さんに話したのは、橋本さんだったの。彼女にとっては冗談のつもりだったのかしらね、『飯島君と浜田さんがいい感じになってる』っていうのは。……でも、斎藤さんはそれを冗談だとは思わなかった。その末に起きたのが浜田さんの自殺。……橋本さんが浜田さんの死の原因だと言われても不思議じゃないでしょう?」

「橋本が、そんなことを……」

「ええ。だからこそ、昨日のあの音声はひどく堪えたのでしょうね。結果、ヒステリックを引き起こして首を吊った……」

『お前のせいだ。お前が浜田優を殺したんだ。お前は地獄に落ちるべきだ。お前は生きていてはいけないんだ』……。あのラジオで繰り返されていた音声だ。……橋本の心のどこかに浜田に対する罪の意識が残り続けており、斎藤の死でそれが表面化した。そして内山の死とその音声の存在が橋本の思考を罪の意識へと塗り替えた。やはりここで起きた事件はつながっている。角田と杉森が部屋に閉じこもり続けていたのもあの場で音声を聞いたからだったのだ。あの時は皆、橋本のヒステリックに注目していたせいで気づかなかったが、あれ以降二人の姿を見ていない。次は自分かもしれないとおびえていたに違いない。結果、どう彼らを丸め込んだかはわからないが一人は部屋で、もう一人はトイレで殺されていた。ただ、一番の問題は矢島だった。橋本の罪も本宮によって暴かれ、『浜田の弔いのためではないか』という推理は真実味をおびてきた。だが、矢島に関しては未だに何もわからない。何故彼が最初だったのか。彼も浜田に対し何か罪を犯していたのか。……もし、そうだとしたらそれは一体何だったのか。

 俺は本宮に礼を告げ、エントランスから自室へと戻った。堂島と峯井も一緒である。俺たちは三人で本宮から得られた情報の整理をするつもりだった。だが、それは木下の悲鳴で後回しにしなければならなくなった。悲鳴が聞こえたのは部屋に入りソファに腰を下ろしてすぐのことだった。悲鳴は一階客室廊下の奥。小岩井の部屋の前だ。俺たちは急いで向かった。部屋の前では木下が腰を抜かし、震えた指で部屋の中を指さしていた。

「木下さん、いったいどうしたんですか?」

「ああ、ゆ、雄一様……。あ、あれを……」

 堂島が呼びかけるが十分にろれつが回っていない。彼はただ部屋の中を指さしているだけだ。部屋には一体何があるんだ。俺は半開きのドアを押しのけ部屋の前に立った。そこには首を吊った全裸の笹田と小岩井がいた。俺はあまりの光景に目を伏せる。そこには部屋に一つ置かれている少し大き目のゴミ箱があった。中には彼女たちが着ていた服と持ってきていたお金やアクセサリー類、スマホが捨てられていた。そしてそのゴミ箱が芸術品であるかのように添えられた紙には『お前の罪を表す』とだけ書かれていた。木下の悲鳴を聞いてかぞろぞろと皆が集まってくる。彼女らの死体はこれまで以上に人には見せられない。木下に部屋のドアをしめさせ、俺たちは急いで二人を天井から降ろした。リビングと寝室の境界にある梁に作られた換気用の隙間に縄を通しているようだ。そこまで天井は高くないが人を吊るには足がつかなければいいため十分だろう。彼女たちを下ろしたのち、ベッドに寝かせシーツをかぶせる。いくら罪があるとはいえ、こんな死に方をしなければいけないということはないだろう。俺はゴミ箱の近くに置かれていた紙を手に取った。『お前の罪を表す』。お前とは笹田と小岩井のことだろう。あの死に方が彼女たちの罪を表しているとでもいうのだろうか。とりあえず死体を寝かせ終えたから部屋から出るとしよう。

 死体を下ろしているとき、部屋の外は騒がしかったのだが、今はすっかり騒ぎが落ち着いている。人が死んだのに慣れたのか、それとも死んだのが笹田と小岩井だったからか。いずれにしろ木下が事情を説明したあたりで皆去っていったのだという。最後までその場に残っていたのは佐川だけだった。

「……また人が死んだか。それも二人。早く犯人を見つけ出さないと全員殺されるかもな」

 佐川は不敵に笑う。この状況を楽しんでいるような口ぶりだ。

「……人が死んでるんだ。へらへらするんじゃねえよ」

 堂島の言うことはもっともだ。だが、それは佐川には通じない。

「……人の死をネタに推理ゲームやってる奴らには言われたくねえな」

 佐川は俺を見ながら言った。あからさまな挑発だというのはすぐにわかるが、なぜこんなところで挑発する必要があるんだ。

「俺たちは真剣に犯人を捜してんだ。お前みたいなバカにしてくる奴に構ってる時間なんてないんだよ」

「じゃあ、犯人は分かったのか?」

「……まだだ」

 佐川は今まで以上に口角を釣り上げた。それほどまでに人の不幸が楽しいのか。

「だろうな。……俺は分かったけどな」

「なんだと?……誰が犯人だ?」

「まだしらばっくれるのか?……人殺しさんよお」

「……は?」

 いきなり何を言い出すんだこいつは。俺が犯人だとでも言いたいのか?

「なんだその反応、図星か?」

「……お前は立ったまま寝られるのか?」

「……俺の言ってることが寝言とでも言いてえようだな」

 当たり前だろう。俺に彼らを殺す理由なんてない。過剰なストレス環境で頭がおかしくなってしまったのか。

「……まず聞きたいんだが、なんでお前は探偵の真似事をしてるんだ?刑事の卵なら清野がいる。藤峰だってそうだ。わざわざお前が出る必要なんてないだろ?」

「俺が頼んだ。それだけじゃ駄目なのか?」

 一緒にいた堂島が反論する。佐川は全く意に介していない。

「お前が頼む前にも探偵ごっこはやってただろ。何だ、斎藤の死体の第一発見者だからって探偵気取りか?……そうだよな、探偵のフリをしてれば、誰もお前が犯人だとは思わないもんな」

 呆れるしかなかった。たったそれだけのことで俺を犯人扱いするとは。

「お前はそうやってずっと、他人のアリバイを聞いて回って、一番都合がいい奴に罪を擦り付けるつもりなんだろ?」

「馬鹿言ってんじゃねえ。俺がいつ人を殺せるんだよ。大抵誰かと一緒にいるんだぞ、そんな時間ねえよ。……それとも、トイレに行った五分足らずで人を殺して戻ってきたなんて言わねえよな」

「……なら、お前以外に誰がこんなことをするんだよ」

「それをいま捜してんだ。下らん言いがかりで邪魔しないでくれ」

 そう強めに言い放つと、佐川は項垂れたまま階段を上がっていった。おそらく自分の部屋に戻っていったのだろう。もうエントランスに人はいない。もはやかつての友人すら信頼できなくなってしまったのだろうか。俺たちも部屋へと戻ることにした。昼食まではまだ時間がある。

 一人部屋へと戻った俺は笹田達の部屋で手に入れていた紙を眺めていた。『お前の罪を表す』……。おそらくあの二人の死に様のことだろうか。服を脱がされ、持っていたものはすべてゴミ箱に詰め込まれたあの状態が、彼女たちの罪ということなのか。しかし、なぜこの二人の時には紙が目立つように置かれていたのだろうか。……もしや見逃しているだけで、これまでに死んでいった彼らにも何か残されているのではないだろうか。そう考えると居ても立っても居られない。俺はすぐさま立ち上がると部屋を出て広間へ向かった。

 広間は二、三時間ほど前に杉森の死体を運びこむときに入った。できる限り空調の設定温度を下げ、死体の腐乱を遅らせてはいるものの、限界はあるようで初日に殺されてしまった矢島や、ホテルの従業員たちからは耐えがたい腐臭が漂っていた。俺の目的は矢島だった。彼がこの事件の始まりでもある。犯人から何かしら接触をされていた可能性もある。もしくは、死後犯人が死体に何かを隠したか。しかし、頭のどこかではなんだか冷静だった。ただの考えすぎかもしれないのだ。もし仮にあったとしても、もうだれも立ち入らないような場所に安置された死体に隠す意味はどこにあるのだ。俺が今やっていることはただの墓荒らしだ、死者の尊厳を踏みにじっている。許される行為ではない。そう考えていても、右手は矢島の死体に伸びていた。羽織っていたジャケットのポケットに手を入れる。胸ポケットには何もない。左右のポケットにも何も入っていない。あとはズボンのポケットだけだ。右にはスマホが入っている。左には使い込まれた財布が入っていた。残るは尻ポケットだけ。ひどく緊張する。動悸が激しい。頭がぼうっとする。なんだか現実感がない。だが、人の死体のポケットを漁るなんて現実感がなくて当然だ。そして、その浮ついた感覚は手から伝わった感触で一気に引き戻される。紙だ。小さく折りたたまれた紙が入っている。それをしっかりつかんでゆっくりと引き抜く。感触だけではどうしても信じ切れなかった。だが、それはやはり勘違いなどではなかった。俺の手にはしっかりと畳まれた紙が握られている。俺はゆっくりと立ち上がり、その場で紙を開く。そこには『これがお前の罪への罰だ』と書かれていた。『罪』、『罰』……。矢島が一体何をしたというのだ。いや、そもそもここに紙があるということは、犯人は誰かがここにたどり着くことを予見していたということなのか。犯人は一体何を考えているんだ。わざわざもうだれも来ないであろうところに自分へとつながるかもしれない手掛かりを残すなんて、どう考えてもまともではない。しかし、この紙のおかげで俺の推理がさらに補強された。もしかすると、他の所にも隠されているかもしれない。もう俺に墓荒らしの罪悪感は残っていなかった。

 次に目を付けたのは内山だ。順番で言えば斎藤だが、彼女は今彼女自身の部屋に寝かせている。ひとまずは広間に寝かせている死体を調べる方が効率的だ。ただ、内山の死体は雨のせいで濡れていた。今は乾いているとはいえ、もし紙を持っていれば濡れてボロボロになっている可能性が高いため、あまり期待すべきではない。中身を読むことは諦め、紙片さえ見つけられれば良しとするべきだ。内山の服装は当時屋上にいたこともあり、ダウンジャケットを着ている。まずはそのポケットから調べさせてもらおう。右のポケットに手を入れると、まだ中はしっとりと湿っていた。まだ十分に乾いていないようだ。気を付けなければ自分の手で紙をやぶいてしまうだろう。左のポケットにはカードキーが入っていた。左上に小さく『104』と書いてある。内山自身の部屋の鍵か。今は必要な物ではない。手に入れたカードキーをもとのポケットに戻し、ダウンジャケットのファスナーを開けた。中はパーカーでポケットの類はない。残るは先ほどと同じズボンのポケットだ。俺は先ほどと同じように右から順にポケットの中を確かめていく。スマホ、財布と出てくるものはいずれも予想通りなものだ。だが、最後に残った尻ポケットには、またもや先ほどと同じように紙が仕込まれていた。そこに書かれていたのは、『お前の罪にふさわしい』という言葉だけだった。……ふさわしい?内山の死に方が、奴が抱える罪にふさわしいということだろうか。しかし、一番驚くべきことだったのは、紙があまり濡れていないことだった。昨日までの雨の強さを考えると、当然ポケットに入れているだけの紙も相応に濡れるはずだ。内山の財布に入っていた紙幣がそれを証明している。だが、この紙だけはそうではなかった。死体が履いているズボンはまだ乾ききっておらず、しっとりとしている。この紙もそうだ。湿気てはいるが濡れてぐしゃぐしゃにはなっていない。……死んだあと、もっと限定するならばここに運び込んだのち、犯人がこれを隠したに違いない。予想通りではあったものの、非常に不気味だ。だが、少しずつ犯人へと近づいているような気がした。……次は橋本だ。

 いくら死んでいるとはいえ、橋本は女性だ。その死体をまさぐるのは先ほど以上に気が引けるが、彼女の無念を晴らすためにも仕方のないことだ。橋本は昨日ヒステリックを起こして飛び出していったため、内山ほど着込んではいない。それにポケットがないタイプのスカートを履いているため、ここにはしまえそうにない。唯一あったポケットはシャツの胸ポケットだが、そこにはカードキーが入っており、それ以外のものが入っていないことは見るだけでもわかった。これでは先ほどまでのようにどこかに紙をしまい込んでおくというのは出来そうもない。……もし、俺が犯人なら。俺は橋本の身体を持ち上げた。……紙はあった。表には何も書かれていない。裏には『お前の罪がすべての始まり』と書かれていた。……これで、この場で手に入れられるであろう紙はすべて手に入った。残るは斎藤と角田の罪を表した紙だ。いつまでも腐臭を嗅いでいる趣味はない。次は順番通りに行けば斎藤か。……次への目星をつけ、広間のドアの部に手を伸ばした時だった。広間のドアは勝手に開いていく。拍子抜けした俺の目の前に現れたのは藤峰だった。彼女は俺の顔を見るや否や詰め寄ってくる。

「……飯島君、何してるのこんなところで。ここに用事なんかないでしょ?」

 藤峰はそう決めつけるように問いかけて来た。何故かムキになっているように見える。

「いや、そうでもないんだ。……これを見てくれ」

 俺はそう言って見つけた三枚の紙を藤峰に差し出した。彼女は興味深そうに俺が見つけた紙を見つめている。大体目を通し終えた頃、藤峰は口を開いた。

「どこで見つけたの?」

「矢島と内山、あとは橋本の死体に隠されてたんだ。……杉森が殺された場所から紙が見つかってるし、笹田達が殺された部屋からも見つかってる。だから、他の殺された奴らにも何か残されてるんじゃないかと思ってな」

「……ここには、一人で来たの?」

「あ、ああ。そうだが……」

「一人だと、危ないよ。どこに人殺しがいるかわからないし……」

「……そういえば、藤峰はどうしてここに?部屋にいたんじゃなかったのか?」

「広間から何か物音がするって相談されてね。……ここには殺された人を寝かせてるから、相当怖かったんでしょう」

 何か物音を立ててしまうほど動き回った覚えはないが、事実こうして藤峰がこうして様子を見に来ているのだから、物音を立ててしまっていたのだろう。

「悪いことしちまったな。謝っておいた方がいいか」

「いえ、私から言っておくわ。それに、『死体漁ってました』なんて言ったら、余計に怖がらせてしまうでしょう」

 ……それもそうだ。ここは藤峰に任せた方がいいだろう。

「……わかった。ありがとう、藤峰」

「ええ。……それで、この後はどうするの?」

「まずは斎藤の部屋だな。こいつらみたいに何かメッセージが隠されてるかもしれないし、そうでなくとも『現場百篇』って言葉もあるぐらいだし、今斎藤の部屋に行けば何か新しい発見があるかもしれないだろ?」

「……頑張ってね。私には応援しかできないから……」

 絞り出すように出した言葉を最後に藤峰は俺の前から去っていった。エントランスは静かだ。窓から見えた空にはまたもや黒い雲がかかっている。もう一雨降りそうだ。


 一日ぶりに入った斎藤の部屋はなぜか廃墟のように荒れて見えた。荒れ具合に見覚えはあるのに、たった一日見なかっただけで一瞬で廃れてしまったように見える。斎藤は部屋のベッドに寝かせているが、こんな場所で寝かせるのは少し可哀想に思えてきた。だが、今はそのためにここに来たのではない。彼女の死の手がかりを探すためだ。俺は軽く部屋全体を見て回る。倒された椅子やテーブルに変わりはない。斎藤の服も確かめたが、ポケットには何も入っていない。彼女の荷物も確かめたが同様だった。まだ探していない場所はどこだ。部屋中を見渡す。壊されたウォーターサーバーが目に入った。タンクはばらばらに破壊され、入っていた水は壊されたせいですべて流れ出ているはずだった。……そこには、あの紙が落ちていた。書かれていた言葉は『吐いた言葉は毒として帰ってくる。それがお前の罪への罰だ』。吐いた言葉、毒……。斎藤を毒殺した動機ということか。確実に事件のヒントを手に入れられている。だが、問題は犯人がこれを残し続けている理由だ。何故これをわざわざ見つけられるような場所に残していくんだ。しかも、内山や橋本の時もそうだったが、彼らが死んでからこれを仕込んでいるというのも不思議な話だ。斎藤にいたっては死体を見つけた時も峯井と二人でこのタンクを調べていたはずだ。こんな分かりやすいものを見落とすなんて考えられない。……誰かがあとから置いているのか。いや、そうだとした場合、杉森と笹田達の時はなぜ最初から置いてあったんだ。疑問は尽きない。しかし、とりあえずこの部屋での目的は達した。次は角田の……。

「痛っ」

 割られたウォーターサーバーの破片を踏んでしまった。血は出ていないものの、なかなかの痛みだ。俺は痛みを何とか抑えるため、床に座り込んで、破片を踏んだ足をさすり始めた。自分に痛みを与えて来た破片を恨めし気に睨みつける。物に当たっても仕方ないのだが、睨むぐらいはいいだろう。そうして床に散らばっていた破片を眺めていると、違和感が芽生えて来た。サーバーの破片はただの透明なプラスチックで、床の模様が透けて見えるはずだ。だが、ところどころ床の模様がすけていない破片がある。気になって手を伸ばしてようやくわかった。鏡だ。灰皿のガラスでもなく、サーバーのプラスチックでもなくなぜか鏡の破片がここに落ちている。その破片にもなぜかところどころ黒い模様がついているせいで初めて見た時に気づかなかったのか。俺は床に散らばった鏡の破片を集め始めた。絶対に偶然ではない。斎藤が何かを伝えるため遺したに違いない。すべての破片を集め終え、割れた鏡を組み合わせていく。どうやら破片についていた黒い模様は油性ペンで書かれた文字らしい。すべて繋ぎ終え、完成した鏡には大きく『人殺し』とだけ書かれていた。これは一体何を表しているんだ。わざわざ鏡に書いたうえ、粉々に砕いてプラスチックの破片に混ぜ、わかりづらくしていた以上、何かしら意味があるはずだ。これも犯人へとつながる証拠となりそうだから、写真に収めておこう。スマホを取り出し、シャッターを切った。

 俺は斎藤の部屋から出て、角田の部屋へと向かっている。皆は部屋にこもり切りのようで、誰ともすれ違うことはない。階段を降り、一階へと向かう。角田の部屋は107号室、ちょうど真ん中あたりだ。ドアを開けると、先ほどまで嗅いでいた腐臭と共に、乾いた血の匂いが漂ってきた。死体の匂いを嗅ぎつけたのかどこから来たかわからない蠅たちが部屋の中を飛び回っている。俺はひとまず部屋全体を見渡した。床は血まみれで、敷かれていたカーペットも血に塗れている。家具などにも血が飛んでいるが、争ったような形跡はない。峯井の話では角田の死体に縛られた跡があるということだったし、抵抗できないようにされていたのだろう。それは、おそらくこれに入っていたに違いない。テーブルの上に置かれたコップ、中にはまだ半分ほど水が残っている。これに睡眠薬なりが混ぜられているだろう。……しかし、角田を殺したいのならなぜあのように腹を切り刻んで殺したんだ。睡眠薬を飲ませるぐらいなら毒薬を飲ませた方が手早いだろう。これも、角田の『罪』が理由なのだろうか。それを確かめるためにも、いち早くあの紙を見つけ出したい。角田だ殺された場所であろう血だまり以外には部屋にこれといった変化はない。これまでの傾向を考えるに、死体の近くに紙が置かれている場合が多い。俺はリビングから、角田を寝かせている寝室へと移動した。

 寝室はリビング以上に蠅が飛び回っていた。ことあるごとに耳元で羽音がして、非常に鬱陶しい。だが、この部屋に滞在する理由はもうなくなった。紙だ。角田の切り刻まれた腹に差し込まれている。引き抜くと、血と少しの肉片がついてきた。紙に書かれていたのは『二つの命を奪ったお前の罪にふさわしい罰だ』という一文だった。『二つの命を奪った』……。一人は浜田のことだろう。だが、もう一人は誰だ。角田は内山という後ろ盾がなければ強がれなかったただの弱虫だ。人を殺すほど度胸があるとも思えないが、奴の過去をすべて知っているわけでもない。もしかすると、過去に本当に誰かを殺していたのかもしれない。……これは誰かに聞いてみるほかないが、知っている者はいるのだろうか。兎に角、いつまでも蠅だらけに部屋にいたくはない。紙にこびりついた肉片を払い落とし、寝室を出た。

 俺はもう一度リビングで犯人の手がかりを探していた。今の所物的な証拠というものが一つも見つかっていない。このままでは犯人の予想ができたとて、問い詰めることができない。のらりくらりとかわされてしまうだろう。何とかして物的証拠を見つけ出さなければ。部屋を歩き回って違和感を探す。先ほども確認した通り、部屋に荒らされた様子はなく中央に大きな血痕が残されているだけだ。この血痕は角田がここで殺されたということを強く訴えてくる。瞼を閉じると角田の死に様が浮かんでくる。彼は、手足を縛られ自由を奪われた状態で腱まで切られていた。……そういえば、角田の両手を縛った縄はどこへ行ったのだろう。凶器は現場に落ちていたが、彼を縛っていたとみられる縄は見つかっていない。犯人が持ち去ったのか?しかし、なぜ縄だけを……。橋本の時も、縄が違和感だった。橋本の時は、どこから用意したのかわからない縄、そして今回はどこへ行ったのかわからない縄。……縄と言えば、笹田と小岩が吊られたときにも使われていたはずだ。そちらももう一度調べてみる必要があるかもしれない。次の目的も決まったところで、そろそろ角田の部屋から出ようかとドアへと向かうと、足を滑らせた。何とかバランスを崩さず済んだが、敷かれていたカーペットはひどく歪んでしまった。カーペットで隠されていた床には血がこびりついている。どうやらカーペットが吸いきれなかった血が流れ出たようだ。だが、問題はそれではない。その中央、カーペットの下にカードキーが隠されていたのだ。犯人が仕込んだものか、それとも角田が命懸けで隠した物かはわからない。部屋番号が血で塗れているが、拭き取れば問題ない。血の下から現れた数字は305、矢島の部屋だ。先ほど紙を探すためポケットを探した時カードキーが見当たらないなとは思っていたが、なぜこんなところに。だが、こんなところに隠されているということは何かしら事件に関係があると考えて間違いないだろう。ならば、矢島の部屋も調査してみるほかない。カードキーをポケットにしまい、部屋を出た。

 部屋を出ると、藤峰が俺を出迎えた。どうやら俺のことを待っていたらしい。調査の進捗を気にする彼女に対し、「まあまあ良好」と答えた。……そういえば、藤峰は浜田とかなり親しかったはずだ。彼女なら、二つの命のもう一人が分かるのではないだろうか。

「なあ、藤峰。これを角田の部屋で見つけたんだが、ちょっと見てくれないか」

 俺は角田の部屋で見つけた血が付いた紙を差し出す。藤峰は少々ためらっていたようだが、何とか血のついていないところを手に取って内容に目を通し始めた。困惑から始まった表情は、内容を読み終わる頃には怒りへと変わっていた。

「……これ、どこで見つけたの?」

 藤峰の言葉から怒気が漂っている。紙に書かれた言葉がそれほど見るに堪えないものだったのか。

「角田の腹に刺さってたんだ。……なあ、二つの命ってどういうことだ?何か知らないか?」

「……一つは優のこと。それは当然わかってるわよね?」

「ああ。……それで、もう一つは……」

 藤峰は躊躇っている。角田は一体誰の命を……。ようやく藤峰が口を開いた。

「……赤ちゃん。優のお腹にできてしまった赤ちゃんの……」

 周りの音がすべて聞こえなくなった。耳鳴りがする。頭が痛い。赤ちゃんだと。……藤峰は続けて言う。

「内山たちが優で遊んでた時、優のお腹にできてしまったの。……ある日の放課後、優は私に相談してきた。『子供ができたけど、どうすればいい?』って。……優はなぜか産む気だったの。できてしまった子に罪はないって……。でも、私は優を説得した。内山たちなんかで人生を無駄にすることなんかないって。……結局、優は中絶を選んだ。私はそれを正しい選択だったと思っているけど、優が割り切れていたかまでは……」

 頭痛が先ほどよりも強くなってくる。これ以上話を聞きたくない。だが、藤峰は話をやめない。俺もどう切り出せばいいかわからなくて、藤峰が話すことを止められなかった。

「優はそのあとも気丈にふるまってた。でも、時折ひどく悲しそうな顔をして……。そして優は悩んで、悩んで……。最後には死んじゃった」

 そう話す藤峰の目尻には涙が浮かんでいた。藤峰は俺に問いかける。

「ねえ、飯島君。本当に犯人を捜すのって大事?犯人は確かに人を殺したけど、それは優のためなんでしょ?無差別に人を殺しまわってるわけでもないし、お金のためってわけでもない。きっと犯人は優の仇を討ち終わったらもう人を殺さないはず。そんな人を捕まえてどうするの?」

 俺は答えられなかった。浜田の話でショックを受けていたせいもあるが、何よりも藤峰の言うことに反論できなかった。

「考え直して、飯島君。この事件の犯人、捜すのはいいかもしれないけど捕まえるのだけは、やめてほしいの」

 それだけ言うと藤峰は俺の前から去っていった。俺はようやく外で強く降りつけている雨の音に気が付いた。


 俺は藤峰と別れた後、自分の部屋へと戻っていた。頭の中では彼女の言葉が響き続けている。『考え直して』、『そんな人を捕まえてどうするの?』……。確かに彼女の言うとおりかもしれない。俺の推理が正しいのなら、犯人の目的は浜田の弔い、これに変わりはない。ならば、犯人はそれを達した後、どうするのか。……別にどうもしない。ただ残りの五日ほどをここで過ごし、迎えの船を黙って待つだけだ。もう他の人間に危害を加えたりはしないだろう。そんな人間を捕まえてどうするんだ。……諦めるべきなのか。はっきり言えば殺された彼らは殺されても仕方のない存在だった。今後の人生を歩んでいたとしても、碌なことにはならなかっただろう。それどころか、また浜田のように誰かを傷つける可能性もある。悪の芽を摘んでくれていたと考えれば犯人を捕まえる理由なんてなかった。……もう犯人を捜すのはやめようかと決断しかけた時、ドアがノックされた。ドアを開けると赤木と倉本、堂島の三人がいた。

「調査の進捗はどうだ?」

 彼らは俺の気持ちを知る由もなく、単純な質問を投げかけて来た。これに答えることすら、なんだか息苦しい。

「……あと少しってところかな。でも、もう犯人を捜すのはやめようかと思ってるんだ」

「……藤峰になんか言われたか?」

 俺は顔をあげた。赤木はどこでそれを聞いたんだ。その疑問が俺の顔に出ていたらしく、赤木が答えを言う。

「あいつがな、みんなに言いまわってんだよ。『犯人探しなんかやめよう』ってな。まあ、あいつの言い分ももっともだ。犯人があいつの言うとおり浜田の敵討ち以外に興味がないんだったら、俺たちは安全ってわけだしな。……みんなそれを聞いて安心したのかまたエントランスに集まってるよ」

 藤峰の奴、俺以外にも言いまわっていたのか。これでは何かを聞きたくとも誰も協力してはくれなくなるだろう。まさか犯人をかばっているのか。

「それならさ……」

 不満げにしていた倉本が何かを思いついたかのように言いだした。

「俺たちは矢島の敵討ちをしてやろうぜ。犯人は浜田の敵討ちなんだろ?これなら対等だよな。矢島は俺たちの友達だったし、そもそもあいつ浜田に対して何かしたのか?このままじゃあ矢島に浜田に対する濡れ衣が着せられちまうぞ」

 ……そうだ。浜田の敵討ちで人殺しを許してほしいなら、矢島の敵討ちで犯人探しも許されるべきだ。向こうがそのような手を取るなら、俺だって。……まるで鏡だ。……鏡か。そういえば……。

「なあ、聡は俺たちが部屋にこもってる間もなんかしてたんだろ?結果を聞かせてくれよ」

「ああ、いいぞ。部屋で話そう」

 赤木たち三人を部屋へと招き入れる。それぞれソファへと腰を下ろし、調査の報告会が始まった。俺は杉森と笹田達の死体があった現場に紙が置かれていた点に着目し、他の五人にも何か残されているのではないかという仮説を立て、それぞれの現場を探して来たことを伝え、それぞれ見つけた紙をテーブルの上に出した。三人とも非常に興味津々な様子で、紙を眺めている。俺の仮説では置かれていた紙は殺された者の『罪』と照らしあわされている。つまり、彼らの過去の行いをもとに、犯人が殺し方を決めているということだ。赤木と倉本がいないときに収集した情報もあるため、彼らからの質問は多かったが、最も疑問を湧き起させたのは角田の紙だった。藤峰によれば浜田を妊娠させたあげく中絶させた角田への報いということらしいのだが、この場にいる三人は誰も浜田が妊娠していたということを知らない。

「なんで藤峰はそんなことを知ってるんだ?」

「浜田自身から相談されたって言ってた」

「こんなこと、他に誰が知ってるんだ……」

 堂島は疲れ気味に呟いた。……それだ。

「それだ、雄一。浜田が妊娠していたなんて言う情報、そこら辺のクラスメイトが知ってるわけがねえ。教えてもらえる奴と言えば……親友あたりか」

「……この事件の犯人像は『浜田の敵討ちを決行できるほど浜田と親しかった者』……」

「つまり、浜田が妊娠していたという情報を知ってる奴が犯人なんじゃないか?」

「じゃあ、藤峰が犯人だっていうのか?」

「……まだほかにも知ってる奴がいるかもしれない。聞き込みをするしかないか?」

「その前に、やりたいことがあるんだ」

 俺はポケットにしまい込んですっかり忘れていた305号室のカードキーを取り出した。

「聡、それどうした?」

「ああ、拾ったんだ。角田の部屋で」

 皆に緊張感が走る。人が殺された部屋で見つけられたものに、何か感じるものでもあるのだろうか。

「角田が殺された場所、カーペットの下に隠されていたんだ。誰が隠したかはわからないが、事件に関係あるはずだ」

「なら、行ってみるしかねえよな。善は急げだ、早く行こうぜ」

 倉本はそう言って皆を急かす。今は彼の明るさが頼もしかった。部屋を出て、階段を上がる。三階へと上がると、矢島の部屋の前に誰かがいる。あれは清野か。

「よお、清野。こんなところで何してんだ?清野の部屋は一階だろ?」

「それはお前らももだろう。俺はただの散歩中だよ。ただ座っているだけなのは性に合わないし、何より……。あいつらはおかしくなっちまったからな」

「おかしくなったって、どういうことだ?」

「藤峰がな、『犯人を捜すのはやめよう』って言いまわってるのさ。みんな自分が殺されるかもしれないっていう恐怖の中で過ごしていたせいで、すっかり弱っち待ってる。『犯人がみんなを殺す理由はない』なんて言葉を簡単に信じているんだ。……それが本当なら、なぜホテルの従業員たちはどうして殺されたんだろうな。……みんな、自分のことで精いっぱいなんだろうぜ。……お前らはそうでもなさそうだけど」

「見る目があるな、清野。お前の言うとおり、俺たちはまだ諦めちゃいない。ここに来たのだって、これが原因なんだからな」

 俺はそう言って305号室のカードキーを見せびらかす。

「それは……。ここの部屋か」

 今、俺たちが会話しているところがちょうど305号室の目の前だった。

「どこで手に入れたんだ、そんなもの」

「ちょっとばかり気になってな。角田の部屋を調べなおしたらこの通り」

「この部屋は矢島の部屋だったはず。あいつはただの被害者だろう、それとは別に事件に関係しているとでも?」

「それを確かめに行くのさ」

 俺はカードキーを差し込み、ドアを開けた。昼前だというのに部屋の中は暗い。どうやらカーテンを閉め切っているようだ。壁を探り明かりをつけると、予想だにしないものが周囲に広がっていた。まず、リビング中央のローテーブルにはどこかで見たような植物が丁寧に並べられており、近くにあったゴミ箱には皺だらけになった植物が捨てられていた。青紫のような花の色と、幾度か嗅いだような刺激臭。……トリカブトだ。どうやらここで毒の抽出を行っていたようだ。床に広げられたスーツケースの中にそれらしい道具がしまわれている。

「これは、トリカブトか」

 堂島もどうやら気づいたらしい。

「ということは、犯人はここを拠点にしていたってことか?」

 いつの間にか清野も部屋の中へ立ち入っていた。警察官の卵として何か感じるものがあるのだろうか。

「だが、なぜ矢島の部屋を?」

「……一番都合がいい部屋だったのかも知れないな。もうこの部屋には誰も入ってこないし、もし誰かに見られていたとしても、代わりに荷物の整理をしていたとでもいえばそれなりには誤魔化せるだろう」

 俺はそう言ってリビングを見回す。トリカブト以外は特にもう発見はなさそうだ。隣の寝室へと足を運んだ。寝室もカーテンが閉め切られており、非常に薄暗い。明かりをつけ、手掛かりとなりそうなものを探す。まず目に入ったのは机の鵜に置かれた紙だった。二枚の紙がクリップでまとめられている。一枚目に書かれていたのは矢島の謝罪文だった。そこにはたった一言だけ、『守ってあげられなくてごめん、優』とだけ書かれていた。二枚目には人の名前が羅列されて、人名の隣には数字が割り振られている。『矢島1・橋本2・角田3・斎藤4・小岩井5・笹田6・内山7・杉森8・佐川9』と書かれている。一体これは何を表しているんだ。全て殺された人の名前かとも思ったが、佐川はまだ殺されていない。仮に、この数字が対象を殺す順番だとしても、矢島以外は何もかも順番が違っている。だが、今はそのことよりも佐川の身を心配しなければならないだろう。数字が表しているのが順番であれただの優先順位であれ、ここに書かれた名前の人間は漏れなく殺されている。そして、残るはただ一人佐川のみ。

「……次に狙われるのは佐川かもな」

「なら、早く佐川のとこに行かねえと」

「いや、大丈夫だろう」

「どうして?」

「藤峰のおかげだ。あいつの『犯人はもう人を殺さない』っていう言葉のおかげで全員が部屋から出てエントランスに集まってる。そんな状況で人が殺せるか?」

「確かに、人を殺すときは大抵人の目がない時を狙うものだ。こんな状況下では非常に難しくなるだろう」

 藤峰はこのことを知っていたのか?だからわざとみんなをエントランスに集めるような真似をしたとでもいうのか。兎に角、彼女のおかげですぐにでも佐川が殺されるということはないだろう。もう少し念入りに部屋の中を見回っても大丈夫なはずだ。ベッド近くの床には靴が置かれている。矢島はわざわざ二足も靴を持ってきていたのか。何気なく手に取ると、靴の底から細かな土がぽろぽろとこぼれていった。それを見て、俺以上に堂島が驚いていた。

「これ矢島の靴か?あいつ何処歩いてんだよ」

「……なんでそんなに驚いてるんだ?」

「……島の整備はほぼ終わってる。土なんて花壇に入るか山の中突っ切らない限りつかないはずなんだが」

 山の中を突っ切らない限り……。いや、矢島は山の中に足を踏み入れていた。峯井と武内がそれを見ていたはずだ。……そういえば、橋本を探しに行っていた時、山の中で不審な足跡をたどった覚えがある。あの足跡はトリカブトの群生地へと続いていたから、矢島の足跡と考えるのが自然だろう。ひとまずこれで矢島がトリカブトを採集しに行っていたということは確定した。だが、なぜ矢島はトリカブトを取りに行ったのだ。矢島自身と斎藤の死因がトリカブトによる毒殺だったことから、人の命を奪うためというのは分かるのだが、矢島自身も死んでしまっている。いや、先ほど見つけたあの紙ではなぜか矢島が一番になっていた。もしやあれは本当に殺害の優先順位だとでもいうのか。……今回の事件、犯人の動機は浜田の敵討ちということはおそらく間違ってはいない。そして矢島は、浜田の幼馴染であったという話を上田から聞いている。つまり、二人はかなり親しかったはずだ。……付き合ってすらいたのかもしれない。あの日、倉本が無理やり聞き出していた矢島の交際事情では、『彼女とは別れた。自然消滅だった』と言っていた。だが、その彼女が浜田だったら。その敵討ちのため、矢島が斎藤や内山たちを殺していたとすれば、かなりつじつまが合う。しかし、実際には初日時点で矢島は死んでしまっており、また別の誰かの手によってこの名簿に書かれた人物が殺されているのだ。……誰かが矢島の代わりに動いている。協力者がいると考えるべきだ。そして、この紙によれば犯人にはまだ佐川というターゲットが残っている。紙には殺害方法などは書いていないため予測して対処することは難しいが、部屋にトリカブトがまだ残されていることから次も毒を使うと予想していいだろう。それならば、犯人はまたこの部屋に戻ってくるはずだ。つまり、この事件の犯人はこの部屋の鍵を持っている者、そう確定できる。今部屋の鍵を持っているのは俺一人だけ。……となると、今真っ先に確認すべきなのはスペアキーの貸し出し状況だ。

「……よし。ここはもう十分だ。下に戻ろうぜ、確認したいこともできたし」

「……どうやら、何か目途が立ったようだな」

「ああ。だから、305号室のスペアキーの貸し出し情報を知りたい」

「わかった。エントランスに行こう」

 俺たちは部屋を出て、しっかりと鍵をかけその場を立ち去った。エントランスには皆がそろっていた。今までの事件など起きていなかったかのようにふるまい、笑いあっている。仮にこの状況をよく思わない者がいたとしても、彼らの前では決してそれを口にはできないだろう。俺たちの気配を感じ取ったか、談笑していた藤峰がこちらへと歩いてくる。

「どう?気は変わった?」

 そして、開口一番俺に犯人捜しを諦めたのか聞いてきた。できるだけ友好的な雰囲気を保とうとはしているようだが、彼女の目から威圧感が放たれていた。それに加え、彼女の言いくるめられた者達の視線も痛い。もはや彼らにとっては人殺しよりも、人殺しを探そうとする俺の方が危険人物ということなのだろうか。ここで彼らの怒りを買う必要はない。適当に誤魔化しておこう。

「……ああ。藤峰の言う通りなら、犯人は俺たちを殺すつもりはないんだろ?なら、もう別にいいかな」

「本当?もう誰かに変なこと聞きまわったりしない?」

「ああ。もうやめるよ。……藤峰がかばってる誰かのためにも」

「……わかってくれたんだね、ありがとう」

 半ばかまをかけるような言い方をしたものの、特に気にすることはなく藤峰は嬉しそうにそう言った。だが、俺は今から藤峰を裏切る。殺された友人の無念を晴らすことなど諦める訳がない。エントランスまで出てきた理由は鍵の貸し出し状況を確認するためだ。だが、ここで何か犯人捜しのような動きを見せれば、間違いなく問い詰められることになる。大きな障害にはなり得ないだろうが、相手をするのはいささか面倒だ。どうにかして彼女をこのエントランスから引き離さねば。しかし、どこか適当なところに連れ出そうにも、外は未だに雨が降り続けており、こんな天気で外に出るというのは難しい。何か適当に理由をでっちあげたとしても、俺たちのような男連中がわざわざ藤峰を頼らねばならない問題というのはほぼない。大抵島の責任者でもある堂島に相談すべき問題となってしまうだろう。時刻は昼前、あと一時間半ほどで昼食と言ったころだ。そうして何気なく時計を眺めていた時、あることを思いついた。成功するかは賭けだが、これが今思いつく作戦の中で一番成功の確率が高いはずだ。

「木下さんに手伝ってもらおう」

「……何をする気だ?」

「木下さんに、『昼食の用意に人手が欲しい』って嘘をついてもらうんだ。それで、藤峰を調理場に縛り付けておく。……どうだ?」

 皆の賛否はその表情で察せられた。その作戦を実行するのなら今すぐにでも木下に頼みに行かねば時間がない。俺たちは急いで食堂内の調理場へと向かった。中では木下が昼食の仕込みを始めていた。このような状況下でもまともな食事を用意してくれる彼には頭が上がらない。変な頼みごとを聞いてもらおうとして申し訳ない気持ちもあるが、犯人を見つけるためにも何とか協力をこぎつけなければ。

「すみません木下さん。少しいいですか?」

「はい、どうしましたか?飯島さん。もしや、何かアレルギーでもございましたか?」

「いえ、そうじゃないんです。……あの、ちょっと頼みたいことがありまして……」

「はあ……。それはどのような頼み事でしょうか?」

「……昼食の準備に人手が足りないと言って、藤峰という女性を手伝いにしてほしいんです」

「……それは、事件の解決のために必要なことなんですね?」

 俺は力強くうなずいた。

「……わかりました。お引き受けいたします。……私の仕事仲間の無念もどうか晴らしていただければ……」

 木下は早速エントランスへと出向き、藤峰に調理場の手伝いを頼み始めた。当初は「他の人の方が料理がうまいから」と謙遜気味に断っていた藤峰だが、俺の思惑を知ってか知らずか本宮による援護のおかげか、藤峰の頭の中で何か変化があったようで調理場の手伝いを引き受けることになった。あとは昼食ができる前に、調べたいことを調べつくすだけだ。


 まずは、受付のカウンターだ。カウンターの下に埋め込まれたロッカーの中には客室のカードキーのスペアがしまい込まれている。差し込んでしまう方式を採用しているため、どの鍵がいくつないかということは非常に分かりやすい。これを見る限りだと、やはり矢島の部屋の鍵はスペアが一枚取られているようだった。メインの鍵はおそらく今俺が持っている鍵だ。あの紙が正しければ、まだ犯人には佐川というターゲットが残されている。毒を用意するためにも矢島の部屋への出入りは必要だろう。つまり、犯人はまだこの部屋のスペアを持っている可能性がある。今はこれだけわかれば十分か。

 次に気になったことは、浜田の妊娠についてだった。今の今まですっかり忘れていたが、この情報も犯人を絞る情報足りうる。……クラスメイトに聞いて回ってみるとしよう。浜田の妊娠という情報はかなり秘密にされてきた情報のはず。仮に誰かが知ったとしても言いふらすような内容ではない。事実、浜田の妊娠を知っていた藤峰は俺が聞くまで話さなかった。もし、それを知っていれば犯人の第一候補に上り詰めるだろう。赤木と倉本、堂島と俺の四人で手分けして聞き込みを始めた。四、五人ほど聞き込みをしたが、事態が進展するような情報は得られなかった。あとは他の三人が聞き取った情報に期待するしかない。彼らも聞き込みを終えたようで、ぞろぞろとエントランス角のソファへと集まってきた。

「こっちで聞いた話じゃあ、誰もそんなこと知らないってさ」

「ああ、俺が聞いた奴らもそんなもんだったぞ」

 赤木と倉本は成果が芳しくないことを悔し気に話す。あとは残る堂島だが……。

「手がかりになるかどうかはわからないが、それらしい話は聞けたぞ。……高二の冬休み前、浜田が自殺する前の時だな。その時、浜田と誰かが教室に残って何か話してたらしい。浜田が泣きじゃくりながら話してたせいと、藤峰に盗み聞きを見つかったせいで内容は分からずじまいなんだとさ」

 これが本当なら、相当な手掛かりになるだろう。その時のことを詳しく思い出してもらうためにも、そいつにもう一度話を聞いてみなければ。

「誰からの情報だ?それ」

「ああ、佐川からだよ。忘れ物を取りに戻ったら、修羅場だったって文句言ってるぜ」

 佐川……。あの名簿に書かれていた次に殺されるであろう人物。彼が浜田がらみで何をしでかしたのか皆目見当もつかなかったが、これが原因ではないだろうか。浜田が特定の人間にしか相談しなかった、妊娠という秘密。それを意図せず知ってしまった第三者である佐川を犯人は消そうと考えているのでは。……とにもかくにも、佐川には当時の状況を思い出してもらおう。浜田が相談していた相手、その者がこの事件を引き起こした犯人かもしれないのだ。

 佐川は皆が集まっているところから外れ、一人でくつろいでいた。そんな彼に近づくと、すぐにでも俺の目的を察したのか、こちらに歩み寄り、「向こうで話そう」と言ってきた。

「……ここでいいか」

 行きついた先は階段の踊り場。ここなら滅多に人は来ないだろう。

「で、浜田のことが聞きたいんだよな?」

 佐川は改めて確認と言った様子で尋ねてくる。

「ああ。佐川は浜田が妊娠してたことを知ってたらしいって聞いたんだ」

「……厳密にいえば、それはちょっと間違いだ。俺が聞いたのは浜田が妊娠がどうのというぐらいで、あいつ自身が妊娠してたなんてことはついさっき堂島に言われて初めて知ったんだ」

「浜田が泣きじゃくっていたせいで、内容がよく聞こえなかったんだよな」

「そうだ。……で、どうしても気になって聞き耳を立ててたらよ、後ろから藤峰が俺の肩叩いてきやがって。すげえびっくりしたぜ」

「結局、あの時聞こうとした話は聞けなかったのか?」

「ああ。……ただ、妊娠とか言いながら泣いてるのを聞いたら、それなりに想像はできるもんだけどな」

「問題なのは、その時の浜田の話し相手なんだ。何か覚えてないか?」

「いいや、何にも。黙ってうなずいてるだけかはわからねえが、一言も話さなくてよお。俺が見たのは浜田の背中あたりだけだし、そもそもあれが浜田かも怪しくなってきたな」

「はあ?いい加減なこと言わないでくれよ」

 せっかく犯人へとつながるかもしれない大事な情報がお釈迦になってしまう。呆れ半分怒り半分で注意したものの、佐川は悪びれずに答える。

「しょうがねえだろ、昔のことだぞ。それに、後ろ姿と泣き声だけじゃ判断しかねるぜ」

「……わかった。それじゃあその後はどうだ?」

「その後って?」

「聞き耳を立てた後、藤峰に止められてたんだよな。その時何か言われたりしてなかったか?」

「いや、特に何も。ただ、『内緒の話かもしれないんだから、聞き耳はやめて』って言われたぐらいだな。怒られたりとかは、何にも」

「……それだけか?」

「ああ……。いや、確かあの時、そう言われて教室から離れようとしたとき、『中で何話してるか聞いた?』って聞かれたな」

「なんて答えた!?」

「なんでそんなに食い気味なんだよ。……確か、『妊娠がどうの言ってるのは聞いた』って答えたな」

 佐川が殺されることになった原因はこれかもしれない。親友の秘密にしておきたかった事実を予期しない第三者に知られてしまった。その口をふさぐために、ということだろう。もし仮に、これを知ってしまったのがまた別の者なら殺されはしなかっただろう。ただ、佐川という人物は噂好きのしゃべりたがりだ。何の悪意もなしに話してしまう可能性だってないわけではない。……佐川から聞き出したいことは大体聞き出せた。

「もういいか?このことについてもう話すことなんかないし、聞きたいこともないだろ?」

「ああ、ありがとな。かなり助かったぜ」

 エントランスへと戻っていく佐川を見送り、俺たちは自室へと集まった。


 犯人への手がかりはだいぶ集まった。あとは、この集まった手掛かりを組み合わせて犯人を導き出すだけだ。犯人は浜田の妊娠を知っていた人物、つまり、藤峰と浜田の相談相手だったもう一人。……妊娠の報告相手と言えば何が思いつくだろうか。第一に、父親となるべき者。この場合で言えば角田だ。だが、彼はすでに殺されている。それに、彼は浜田に苦痛を与えていた側の人間であり、この事件の犯人像である『浜田と親密だった者』という定義に当てはまらない。第二候補は家族だろう。しかし、教室で話していたという佐川の証言から考えるとそれも不自然だ。わざわざ家族を学校に呼びつける理由はない。佐川のように、誰かに聞かれる危険性があるのだから、なおさら自宅で打ち明けるべきことだっただろう。第三候補は、頼れる大人か。しかし、今回の妊娠は望まないものであったと言える。彼女にそれを打ち明ける勇気はあったのだろうか。カウンセラーなどに話していた場合でも、カウンセラーに割り当てられた部屋があるため、その中で話せばいいことだ。先ほどと同じく、第三者に聞かれるリスクを負ってまで教室にカウンセラーを招き入れる必要はない。第四候補は、信頼できる友人や恋人。藤峰がこれに該当している。彼女は確か、放課後に相談を受けたと言っていた。佐川の話からもおそらくこの関係性の者に相談をしていたと考えていいだろう。……恋人か。俺の想像が正しければ、矢島が浜田の恋人のはずだ。彼の気持ちになって考えろ、自分の彼女が他人の男の子供を妊娠したと知ったとき、何を考える?……駄目だ、想像を絶するもので全く考えがまとまらない。怒り、悲しみ。様々な感情が湧いてくるはずだ。その末彼は何を望んだ?……復讐だ。だが、矢島は死んでいる。何者かによる代行殺人が行われているはずだ。最も怪しいのは藤峰だ。彼女は浜田ともかなり親しかった。それに、浜田の妊娠を聞かされている数少ない人間でもある。……しかし、彼女が犯人だった場合、ここまでは予定調和と言っていいだろう。殺人現場に残された紙と聞き込みさえ行えばこれらの情報は集まる。すでにいくつか言い訳を用意していると考えた方がいい。……何か、彼女の動揺を誘えるようなものはないだろうか。

「なあ、もう昼飯の時間だぜ。手洗いに行こうや」

 そう赤木に声をかけられ、意識を取り戻す。三十分ほど考えこんでいたせいかすっかり十二時近くなっていることに気が付かなかった。まだ先ほどの答えは出ていないが、昼食の時間を変えられるわけではない。皆を待たせることにもなってしまうから、早く手を洗いに行こう。手を洗うついでに、考え事ばかりしていたせいで疲れが染みついた顔も洗い流した。洗面台から顔をあげると、水に濡れた俺の顔が映る。まともに寝られていないせいか目にクマが出来ている。少し顔を洗った程度では疲れなど抜けきるはずもなかった。そうしてぼんやり鏡を眺めているうち、あることを思い出した。赤木たちの「早く行こうぜ」という声も今だけは聞き流していた。俺は水に濡れた指で、鏡をなぞった。……これだ。

「……犯人が分かった」

「……は?」

 赤木は腑抜けた声をあげる。確かに、手と顔を洗っていたはずなのにいきなり犯人がどうだのと言い出せばそのような反応になるのも仕方のないことだ。倉本と堂島も俺を疑うような眼を向けてくる。

「……本当か?疲れすぎておかしくなったとかじゃねえよな」

「ああ、俺の体調は普通だよ。何もおかしくなんかない」

「じゃあ、犯人は誰なんだ?」

「それは……みんなが集まった場で話すべきことだ」

 俺は一足遅かったようで、食堂にはすでに皆が集まっていた。料理の配膳はまだされていない。料理が冷めてしまう前に、すべてを終わらせよう。


「みんな、ちょっと聞いてくれ。……矢島たちを殺した犯人が分かったんだ」

 食堂内は騒然とした。あまりの衝撃に息を呑む者、突拍子のなさに俺を疑う者、そして、犯人捜しをやめようと言ったはずなのに裏切られ、怒りを露わにする者。彼女は誰よりも早く俺に食いつく。

「……なんで?もうその話はしないって約束したじゃない。飯島君も、さっきやめたって言ってたよね?」

「悪いな、藤峰。……あれは嘘だ。こちとら矢島っていうダチ殺されてんだ。木下さんにいたっては、何の罪もない同僚を皆殺しにされてるんだぞ。黙ってられるかよ。……藤峰が言う、『犯人の目的は達せられたから、もう殺される人はいない』って言葉は嘘だったんだ。犯人を復讐のための悲しい殺人鬼のように同情を誘いやすそうなキャラに仕立て上げたいようだが、そうはいかない」

「……じゃあ、聞かせてもらおうじゃねえの。お前の『推理』ってやつをよ」

 佐川は喧嘩腰に話を急かしてくる。今はこの強引さに乗っかっておけば、藤峰から横槍を入れられる心配もない。

「まずは、事件の整理から始めようか。一つ目の事件は矢島恭平と、ホテルの従業員のほぼ全員が毒殺。二つ目は斎藤美咲が部屋で毒殺。三つ目は内山健介が屋上からの転落死。四つ目の事件は橋本玲子の首吊り自殺。五つ目は角田正吾が部屋で腹を裂かれたことによる失血死。六つ目も杉森隼人がトイレで大量の切り傷をつけられ失血死。七つ目の事件は、小岩井ひなたと笹田芽衣が隔離されていた部屋での首吊り自殺。ざっとこんなところだ、ここまでは問題ないな?」

 声を出しての返事はどこかはばかられるところでもあるのか、皆頷いて返事をした。俺はそれを確認し、続きを話し始めた。

「まず、第一の事件。同窓会の最中、誰かが酒に毒を仕込み矢島とホテルの従業員に飲ませた。……この事件の犯人の動機は『浜田の敵討ち』であることはもうすでに皆知っていることだろう。だが、矢島の場合は少し複雑な事情が潜んでいる。他の事件をすべて話し終えたのちに話すのが一番わかりやすいから、後回しにさせてもらう」

「……従業員たちは、なぜ殺されたんです?」

 木下から当然とも言っていい質問が投げかけられた。彼らの死は事件の大筋にはあまり関係ない。ここで話してしまってもいいだろう。

「……犯人にとって従業員、つまり『大人』というものは非常に邪魔だったのです。仮に彼らを生かしておいた場合、人の目というものは今より多くなります。もちろん、犯人にとっては自分の行動が見つかってしまう可能性が高まりますから、絶対に避けたいはずです。それに、木下さんのように寝ずの番を担ってくれる場合も考えられます。そうすると、自分が動ける時間が減りますから、それも犯人にとっては非常に気に食わないでしょう」

「では、私の同僚は、そんなことのために殺されたということですか?」

「……ええ。私の推理ではそうなります」

 木下は涙を流してその場に崩れた。三島が急いで駆け寄って肩を貸す。

「本当か?聡。そんなくだらない理由で人殺しなんて……」

 武内の言うことももっともだ。だが、そう考えるのが自然だという証言もある。

「木下さんの話によれば、同窓会中、酒を勧めてくる者がいたんだ。その勧められた酒を飲んだ者は全員死んでいる。物的な証拠はないが、犯人が排除のため毒を飲ませたと考えるべきだ」

「……そしてそいつは、矢島たちの死でパニックを起こした斎藤を狙った……。そう言うことか?」

「それが事実かどうかはわからないが、結果としてはそうなった。……斎藤は矢島たちの死後、パニックを起こし部屋へと閉じこもった。その際、俺と赤木、倉本で彼女のもとへと出向き、部屋に鍵がかかってたことを確認している。しかし翌日、空腹に耐えきれず出てくるという予想を裏切り、彼女は出てこなかった。気になって部屋を訪ねたところ、彼女の死亡を確認した。死因はウォーターサーバーに入れられていた毒、矢島たちを殺害した物と同じと考えられる」

「ちょっと待って。美咲は部屋の中で、一人で死んでたんでしょ?自殺の可能性だってあるのに、なんで殺されたって決めつけてるの?」

 白川の指摘は正しい。確かに今の情報のままでは彼女が自殺を選んだと解釈しても不思議ではない。だが、そうではない理由はあるのだ。

「第一に、毒を飲んで自殺するのにわざわざウォーターサーバーに毒を入れる奴はいない。自分のコップに入れればいいんだ。そして第二、彼女の部屋の鍵はなぜか開いていた。部屋の中で自殺するのに、鍵を開ける必要はない。そして第三、彼女の荷物の中に、毒やそれを入れていたであろう入れ物の類は確認できなかった。つまり、彼女は毒を持ち歩いていなかったんだ。そもそも、船に乗る際厳密な荷物検査を受けているはずだ。毒など持ち込めるわけがない。……そして最後に、これだ」

 俺は斎藤の部屋に置かれていた紙を取り出し、テーブルの上に置いた。皆は一斉にテーブルに近寄り、紙に書かれているものを読み取ろうとしている。

「『吐いた言葉は毒として帰ってくる。それがお前の罪への罰だ』……。これは斎藤が殺される理由を記したものだ。生前、斎藤が浜田に対し執拗に行っていた侮辱や罵詈雑言などへの報いという意味だろう。事実として、斎藤が殺された日に、笹田達の証言でそのような非道な行いがあったことが確認できている」

「……つまり、悪口言ったから殺されたってこと?さすがに過剰なんじゃない?」

 大島がそうぼやく。彼女はまだ事態の深刻さを理解しきれていないようだ。

「斎藤が行っていたのはそれだけじゃない。浜田に売春を強制させ、得た利益をすべて自分のものにしていたんだ。斎藤が浜田に与えた数々の悪意の中で、最も殺しの理由になり得るものを選んだに過ぎないだけだ。それに、悪口で人が死ぬのは何も特別なことじゃない」

「……」

「浜田の死の直接的な原因はまた別の何かかもしれない。けれども、斎藤の悪意がなければ浜田が命を絶つという選択をしなかった可能性があるんだ。……そう考えれば、犯人にとって斎藤は紛れもなく人殺しだったんだよ」

 食堂内は静寂に包まれた。聞こえるのは木下のすすり泣くような声で、皆は呼吸すらはばかっているようだった。この静寂を盾に、俺は話を続ける。

「三つ目の事件は、内山の転落死だな。大雨の中わざわざ受付のカウンターから屋上の鍵を探し出して外へと出たらしい。この事実を知っている角田と杉森も殺されたから、もう確認は取れないけどな。……屋上へと着いた内山は、なぜか角田と杉森をとどまらせ、鍵をもって一人で屋上に出てしまった。一時間経っても降りてこない内山を心配した角田と杉森はもう一度屋上の鍵を手に入れようと雄一にスペアがないかと尋ねて来た。……そうだな、雄一」

「ああ、間違いない。その後俺がスペアを探し出して、二人に渡したんだ」

「……その後彼らは屋上へと向かえるエレベーターを使い、屋上へと向かった。エレベーターの階数を表示するランプが屋上を照らしてから少しして、それはまた下へと降りて来た。だが、エレベーターの到着よりも早く、内山の死体が一階へと降りて来た。……こんなところか」

「なあ、内山に関してはただの事故じゃないか?屋上で足を滑らせただけだろ?」

 木下を椅子に座らせた三島が疑問を口にする。彼はすっかりあの事を忘れているようだ。

「なら、あのラジオはどう説明するんだ?」

 ホテルの屋上で手に入れた黒いラジオ。外壁の隙間に忍ばされており、浜田の死に関連した恨み言を流す機械と化していた。また、それだけではなく、電源のオンオフを切り替えるとアンテナ部分に電流が流れるようになるスタンガンへと改造されていた。電流の威力は自分の身体が覚えている。

「次の事件の話にもなるが、橋本にヒステリックを発症させた音声を垂れ流していたラジオが屋上で見つかっている時点で、事故の可能性はないと言っていい」

「だけど、スタンガンだけでどうやって内山を殺すんだ?」

「それは、俺の憶測になる。……内山が屋上で一人になった後、しばらくは雨音で聞こえなかったはずだ。だが、そこまで音が小さいわけでもないから、雨音に慣れ始めたら、次第に聞こえてくるはず。内山の気に入らないものはすべて力尽くで排除するという性格を考えれば、間違いなくその音声の流れ出る元を探したはずだ。そして内山は隠されていたラジオを見つけた。柵の隙間から手を伸ばしても届かず、柵から身を乗り出してもぎりぎり届かない。だが、彼は頭に血が上っていた。どうしても、その鬱陶しい音声を止めたかった。だから、柵からより身を乗り出した。何とか手が届き、電源を切ろうとする。片手には傘を持っていただろうから、バランスはあまりよくなかったはずだ。そして、何とか伸ばした指で電源をオフにし、体中に電源が走った。普通にあの電流を受ければ少しの間体が動かなくなる程度だが、柵から身を乗り出した状態でその電流を受ければ致命傷になる。雨でぬれた柵は良く滑る。その上、着ていた服が雨を吸い重くなる。……内山はダウンジャケットを着ていた。また、持っていた傘が悪さをした可能性もある。電撃が体に走り、一時的に体は脱力状態になる。傘を持ち、上へと向けていた傘も下へと向けてしまうだろう。そして、スタンガンがもたらす筋肉のけいれんが彼の指を曲げた状態でとどめ、下へ落ちるはずだった傘が曲がった指に引っかかった。開いたまま下へと向けられた傘はまさに雨受け皿としての役割を十全に果たすだろう。傘へとたまっていく雨水。それが重りとなり、彼の身体を柵の外へと引きずり出した。……これは、何の証拠もないただの憶測だ。事件の大筋にはあまり関係ないから覚えなくてもいい」

「……つまり、理由はどうあれ決してありえない位置にラジオを置いた者がいるのだから、内山は殺されたと考えていいということだね」

 少々長くなってしまった俺の話を峯井が簡潔にまとめてくれた。それでも皆に疑問は尽きないようである。

「でも、それは偶然あの日が雨だったからでしょ?晴れてたらそうはならなかったんじゃない?」

「それなら犯人が内山の背を押すだけだ。先ほども言った通り、屋上への鍵はスペアがあるし、それは事務室にしまわれていた。誰でも探せる範囲にあるのだから、不思議でもない」

 皆納得したのか誰も疑問を口にしない。それならば次に進むべきだ。

「みんな特に聞きたいこともないようだから次に進むぞ。次は橋本の事件だ。彼女は内山の事件で見つかったラジオから流れてくる音声を聞いた瞬間パニックを引き起こし、渡部の制止も聞かず雨の中外へと飛び出した。一時間後、雨が弱くなってきたのを機として、笹田と小岩井、角田と杉森。そして彼らの様子を見てくれていた木下さん以外の全員で橋本を探しに出た。……ここまではみんなも知ってることだな」

 俺は皆の様子を見る。話についてこられていない者はどうやらいないようだ。話を続ける。

「……橋本の捜索を開始してから三時間ほど経った頃、遊園地の方から渡部の悲鳴と、雄一の「見つけたぞ」という声が聞こえて来た。声のもとへと向かってみると、橋本が首を吊って死んでいた。渡部、間違いないな?」

「……ええ。飯島君の言う通りよ」

「ちょっと待てよ。俺もあの時そこにいたが、橋本が殺されたって?どう見ても自分で首を吊ったようにしか見えなかったぞ」

 あの時一緒に橋本を下ろした三島が言う。確かに一見すればその程度だが、それこそが犯人の思惑だ。俺はあの事件が殺人だという証拠をテーブルの上に出した。

「みんな、これを見てくれ」

「これは、縄か。……まさか、これって」

「そう。みんなが思った通り、橋本の首を絞めていた縄だ。……この縄こそが、橋本が殺されたという証拠なんだ。……前提として、橋本はパニックを起こしあの場を飛び出した。そのせいで持ち物はスマホか財布程度だということは皆も納得するだろう。……では、この縄は一体どこから出て来たものなんだという疑問が残る」

「そりゃあ、橋本が死んでた遊園地の案内所の中にあったんじゃねえか?」

「俺もそう思って捜した。だが、こんな縄はどこにもなかった」

「……最後の一本だったんじゃない?」

 遠藤がけだるげにそう言った。彼女は犯人がどうでもいいというより、俺の推理にケチをつけたいだけのようだ。

「ならなぜ、わざわざ首吊りを選んだ?案内所内の事務室にはハサミやカッターナイフなどもっと手軽に自殺できる道具が置いてあった。わざわざどこに仕舞われているかわからない縄を探し出し、自らの首に縄で作った輪を通し、もう片方を二階の手すりに固く結んだ後、手すりを乗り越えることで首を吊るという手間をかける理由なんてどこにもない」

 まだ納得できていない者もちらほらいるが、何も証拠はこれだけではない。

「ほかにも証拠はある。これだ」

 俺は橋本の死体に敷かれていた紙をテーブルの上に置いた。

「『お前の罪がすべての始まり』……。橋本は、高校の時浜田と仲が良かったそうだ。だが、とある日、橋本は斎藤に対し、『優と飯島がいい感じ』と話したそうだ。橋本は半ば冗談のつもりだったそうだが、斎藤はそれを真に受けた。……結果、斎藤は浜田に対し凄絶な行いをしたあげく浜田を自殺に追い込んだ。……そうだよな、藤峰」

「ええ。今の話は本当よ。……もっとも、彼女に悪意はなかったはずよ、斎藤さんが飯島君に好意を寄せていたことはそれなりに知られていたことだったし、焚きつけようとでもしたのかしらね」

「まあ、もう真意のほどは定かではないが、結局のところそれが原因で橋本は殺されてしまったんだ」

「……ねえ、それって殺された理由としてはちょっと弱くない?ただ冗談言っただけで殺されるなんてあり得るの?」

「……すべての始まりがここなんだ。橋本が斎藤に対し適当な冗談を言わなければ、浜田が自殺するという最悪の事態は避けられたかもしれない。犯人にとってはどうしても許せないことだったのかもな。……橋本の事件に関しては、これぐらいだ。次の事件に移ろう」

「次は、角田についてだね。……頼むよ」

 峯井が皆を代表して話の続きを催促する。それに頷いて応じ、一度水を飲んで口を湿らせ続きを話した。

「角田の事件に関しては、皆も知っている通りだと思うが、まず第一発見者の本宮が、部屋にこもってばかりで食事をとらない角田を心配して部屋を訪ねたことで事件が発覚した。角田は部屋の中央にうつぶせで倒れている状態で発見された。凶器と思われる包丁はここの調理場から取られたもので、角田の死体のすぐそばに落ちていた。血もついていたし、切り傷の幅から見ても間違いない。……角田は、腹を何度も切り裂かれていた。ズタズタに裂かれ、あたり一帯に血が流れていた。死因は大量出血、部屋に争った形跡はなかった」

「部屋に鍵は?」

「かかってなかった。そうだろう、本宮」

「ええ。廊下を曲がって客室前に出た時、彼の部屋のドアが少しだけ開いていたの。まずは部屋の外から声をかけてみたのだけど、特に反応がなくて。……で、気になってドアを開けてみたら、っていうことなの」

「これも自殺の可能性があるよな?それはどうなんだ?」

「それに関しては僕から話しておくよ。……角田の両手首には縄のようなもので縛られた跡があったんだ。彼の死に方から考えて、両手を縛ってしまうと腹を切ることなんかできないよね。それに、彼のアキレス腱にも切り傷がついていたんだ。あの傷の深さから考えておそらく腱は切られていると考えていい。自殺する前に自分で歩けなくしなければいけないなんてあり得るのかな」

 医者の卵である峯井の解説にはさすがに誰もケチをつけようがないだろう。

「そういう訳だ。それに、角田の部屋からもこういう紙が見つかってるしな」

「……これはどういう意味なの?『二つの命』って?」

「さっきこいつらに何を聞かれたかよく思い出すといい」

 佐川からのヒントにより、皆続々と気づき、驚愕をあらわにする。どうしても信じられないことのようだが、これは現実にあったことだ。

「みんな気づいたようだな。そう、ここに書かれた『二つの命』は浜田と、そのお腹にいた赤ちゃんのことだったんだ。……犯人はそれを知った。浜田のすべてを踏みにじった彼らを許すことなんてできる訳がない。犯人はこれを知ってしまったからこそ、彼らを殺すことを決意したんじゃないかな。……本当の理由は犯人に教えてもらうしかないが」

角田の事件については大体話し終えただろう。残るはあと二つだ。

「次は杉森の事件だな。角田が死んだ日の夜、俺と峯井、堂島の三人で杉森の様子を見に行っていたんだ。内山と角田が殺されており、その理由を考えると杉森が狙われても不思議ではなかった。だが、警告もむなしく杉森は一階男子トイレ内で殺されていた」

「あの時の杉森の様子は俺たちも知ってるぜ。あまりにもでかい声を出すもんだから、エントランスにいても聞こえちまってたよ。なあ、みんなもそうだろ?」

 武内の言葉に皆がぎこちなくうなずく。急に話を振られて驚いているのだろう。

「だから、俺には杉森がトイレにいた理由がわからないんだ。そもそも客室内にもトイレはあるだろ?あんなにビビってたくせになんで外のトイレを使おうとしたんだろうな」

「それに関してはとある理由があるんだ。……これだ」

 俺は丸められた紙を取り出した。そしてそこに書かれている言葉を読む。

「『お前の罪が尾まれた場所で待つ』……。この紙にはそう書かれてる。つまり、杉森が浜田に対し罪を犯した場所……。あいつは高校の時、浜田を男子トイレに連れ込んで他の男に使わせていたらしい。奴はその見返りに金をもらっていた。それが杉森の罪だ。紙自体はドアの隙間程度なら簡単に通せるだろう。杉森はこれを見つけた後、当然パニックになったはずだ。そしてあいつは、犯人の顔を拝んでやろうと思った。だからこそ部屋を出て、この紙に従ったんだ。だが、この紙にはどの階で待つかは書かれていない。手掛かりがない以上、一階から行くかそれとも近場から行くかは人によって分かれるだろう。だが、犯人にとっては奴の死体を見つけてもらう方が大事だった。だから一階のトイレが殺人現場になったんだ」

「なんで見つけてもらう方が大事なの?普通死体が見つからない方がいいんじゃない?」

「それは、この事件が起きる動機にある。この事件の動機は『浜田の敵討ち』。人の目が届かないところで自分の友を死に追いやった人間の死に様を同じように闇に葬るなんてできなかった。犯人にとってはこれは裁きなんだ。第三者の目がなければ意味がない」

「そういや、俺が杉森見つけた時、変に小ぎれいだったぜ。あいつはどうやって殺されたんだ?」

 杉森の発見者である倉本は思い出したかのようにそう言った。その話に関しては峯井に任せた方がいいか。俺は峯井に目配せをした。

「その話に関しては簡易的な検視をした僕から話すよ。……杉森の死因は角田と同じ大量出血による失血死だった。服を着ていたせいで一目ではわからなかったが、服を脱がせると背中一杯に切り傷がつけられていた。どの傷もかなり深くまで入っていて、血が流れた量は相当だと推測できる。それに、杉森の頭部には打撲痕が残っていた。痕の残り方から考えて鉄パイプやバットのようなもので頭を殴られ、気絶あるいは昏倒したのち背中を切り刻まれたと考えるべきだろう。……こんなところかな」

「いや、待ってくれ。死因が大量出血ってほんとかよ。トイレには血が一滴も残ってなかったんだぞ」

「……杉森が殺される日の深夜、男子トイレから水音が聞こえてきていたらしい。雨の音と混ざっていたせいで気づかなかったかもな。なあ、白川」

「……ええ。確か午前三時ころだったかしら。ふと目が覚めた時に雨みたいな音がして……。また降ってきたのかと思ったのだけど、窓の外では空に星が見えていたの。それによく耳を澄ませてみるとトイレの方から聞こえて切るような気がして。なんだか不気味で様子を見に行こうとは思わなかったわ」

「それに、その日に寝ずの番をしてた藤峰は様子を見に行ったんだよな?」

「ええ。最初はただトイレを流す音かと思ったのだけど、三分経っても音がやまなくて。近くまで行くと音の出所は男子トイレということは分かったのだけど、中まではさすがに」

「つまり、犯人はその時間に杉森の死体を洗っていたんだ。彼がそこら中にまき散らした血をすべてホースを使って洗い流していたんだ」

「ねえ、それだとさっきの言い分と合わなくない?見せしめのために殺してるなら、綺麗にする理由なんてどこにもないじゃない」

「犯人の思考からすると、犯人は浜田がされたことをできる限り再現して仕返しとしている。杉森の死体を洗ったのは、かつて杉森が浜田の身体をホースで洗ったことがあったからだ。さっきも言った通り、浜田は杉森の売春をさせられていた。当然体は他人の体液で汚れたりするだろう。杉森はそれを清掃用のホースで適当に流した。……これは俺の憶測だ、確証なんてものはない。これも、本当のことは犯人に聞いてみるしかねえだろうな」

 これで、振り返るべき事件はあと一つになった。前置きがずいぶんと長くなってしまったが、もうすぐ終わる。昼食はまだ冷めていないはずだ。

「さて、次が最後の事件だ。笹田と小岩井の二人が隔離されていた部屋で全裸の状態で首を吊っていた。彼女らの持ち物や衣服はすべてゴミ箱に詰め込まれ、足元には『お前の罪を表す』と書かれた紙が置かれていた。死体には特に外傷は見受けられなかった」

「その紙が置いてあったということは、やっぱり二人は自殺なんかじゃないってことなんだよね?」

「ああ。彼女らの足元には踏み台も何もなかったからな。首を吊るような高さに踏み台を使わずどう上るんだ。犯人が二人を眠らせるか気絶させたのちに首を縄で縛って天井に吊り上げたと考えるべきだろう」

「でも、それってすごく力がいる作業なんじゃないの?当然時間もかかるから、私たち女子には難しいんじゃない?」

「いや、そうでもない。まずあの二人がなぜあの部屋にいたかを思い出すんだ。……斎藤殺しの疑いをかけられ、内山の提案により隔離された。みんなも絶対とは言わないが、心のどこかで彼女らを犯人だと思っていたんじゃないか?彼女たちの隔離が内山たちが死んだ後でもやめられなかったのがその証拠だ。つまり、彼女達の部屋に誰かがいたとしても、誰も部屋の中を確認なんかしない。するとしても木下さんだけだが、彼が確認するのは飯時だけだ。確認が来るタイミングが分かりきっていれば、どうとでもできる。いくら時間がかかってもな」

 これで、この島で起きたすべての事件の振り返りが終わった。あとは、犯人を名指しするだけだ。


「……事件の振り返りはもう十分だろう。いい加減飯も冷めちまう。そうだよな、矢島以外の六人を殺した、藤峰綾香」

 俺の言葉につられ、藤峰と俺以外の全員が藤峰を見る。彼女は全く身に心当たりがないようにふるまっている。

「なんで私なの?」

「第一に、浜田の妊娠を知っていたこと。角田の部屋の置かれていたあの紙、あれはかなりの秘密だった。現に俺も知らなかったし、クラスメイトのほとんども知らなかった」

「それは嘘をついているだけかもよ。彼らの言葉が信じられるの?」

わざと藤峰の質問には答えない。

「第二、紙が見つかり始めたタイミング。俺が杉森の事件の時に丸められた紙を見つけて、お前に見せたよな。それ以降だ、紙が見つかり始めたのは。それに、紙の内容も杉森とそれ以外とでは少し変わっている。杉森の紙は呼び出すためのような文章なのに対し、他の紙では見せびらかすかのような文章だ。紙が見つかったせいで、途中でプランを変更したんだろ?」

「……偶然よ。それに、紙のことを知っていたのは他にもいるでしょうから、証拠にはならないわ」

「第三、広間で俺と会ったこと。確か誰かに広間から物音がするから様子を見てきてくれって頼まれたらしいな」

「……ええ、そうだけど」

「浜田の妊娠のついでに聞いて回ったよ。そうしたら誰も頼んでなんかいないってさ」

「……それは誰かが私をはめるために……」

「じゃあ、教えてくれよ。誰が藤峰に広間の様子を見てきてくれって頼んだんだ?」

「……それは」

「そもそも、あの時みんなは笹田と小岩井の死の影響かなんだか知らねえが全員自室にこもってたんだ。広間で俺が何かやってても聞こえる訳がねえ」

「……」

「確認しに来たんだろ?自分が仕込んだ紙をちゃんと回収してくれたか」

「……違うの、そんなんじゃ……」

「じゃあ、何が目的だったんだ?」

「それは、だから……。頼まれて……」

「誰に?」

「……。これに何の意味があるの?この程度のことが証拠にでもなるの?」

「いや、確固たるものにはなり得ないだろうな」

「ならなんで……」

「『藤峰にはこの期に及んでも説明できないやましいことがある』。これだけわかれば十分だ」

「……おかしい!私が犯人だという物的な証拠もないのに、なんでそんなひどいことができるの?……本当はあなたが犯人なんでしょ?それで、みんなして私をはめて事件を終わらせようとしてるんでしょう!?」

「……第四、この鏡に書かれた言葉だ」

 俺は『人殺し』と書かれた鏡の写真を撮っておいていた。

「この鏡が何!?」

「……この島に着いた日の昼、遊園地のレストランで何をしたかは覚えてるか?」

「……斎藤さんたちと言い合いをしたけど……」

「その時、斎藤になんて言ったか覚えてるか?」

「……」

「覚えてねえなら、俺が教えてやる。……『人殺し』だ。お前は浜田の事件を忘れていなかった。だから、浜田を自殺に追い込んだ斎藤を見て思わずそう口にした。……違うか?」

「……仮にそうだとして、この鏡が何だって言うの?」

「この鏡は、斎藤の部屋で見つかったんだ。バラバラに砕かれてたがな。おそらく彼女が簡単に見つけられないように砕いておいたんだろう。……斎藤に『人殺し』の言葉を向けたのはお前だけだ、藤峰。鏡はそれを反射していた。つまり、斎藤に人殺しと言った者こそが人殺しだったってわけだ」

「こじつけじゃない!そんな低レベルなギャグ程度のもので犯人扱いされたらたまったものじゃないわ。さっきから言ってるように、私が犯人だという物的な証拠を出しなさいよ。それすら出せずに人を犯人扱いなんて人としてどうなの?」

「……わかった。そこまで言うなら証拠を出してやろうじゃねえか」

 俺はポケットにしまっていた最後の証拠である矢島の部屋の鍵を出した。周りの皆にはこれはただのカードキーにしか見えていないだろう。ただ、藤峰だけはそうではない。

「……何よ。そのカードキーが何だって言うの?そもそも誰の部屋のものなの?」

「これは、矢島の部屋のカードキーだ。角田の部屋で拾った。おそらくだが、角田が最後の力を振り絞って隠したんだろう」

「……なんで矢島君の部屋の鍵が証拠になるの?」

「少し複雑になるが、必要なことだ。俺の話を聞いてくれ。……まず、俺が角田の部屋でこのカードキーを見つけた。どう考えても怪しいこの鍵、確かめない手はない。そして俺は、赤木たちをあわせて五人で矢島の部屋に入ったんだ。……そこで、ある物を見つけた。名簿だ。今までここで死んでいった者達の名前が書かれていた。ある一人を除いてな。……佐川、それがあと一人の名だ」

 いきなり名前を呼ばれた佐川は目を見開き「は?」と驚きの声を漏らしている。そしてその戸惑いの勢いそのままに俺に詰め寄った。

「ちょっと待て。なんで俺の名前が?その名簿は犯人のターゲットが書いてあるんだろ?俺は浜田になんもしてねえよ。なんで俺が狙われるんだよ」

「浜田の妊娠の話を盗み聞きしようとしただろ?それが原因だ。誰にでも話せるような話でもないし、よりにもよって噂好きのお前に聞かれたのはまずいと思ったんだろ」

「ちゃんとは聞こえなかったんだ。結局浜田たちが何話してるかもわからなかったし、もう一人も見えなかったし」

「それでも、藤峰には『話を聞かれたかもしれない』という不安が残った。そして佐川が言いふらして浜田に危害を加えるかもしれないという危惧もしたはずだ」

「でも、なんもなかっただろ?やっぱり狙われる理由なんてどこにもねえじゃねえか」

「『浜田の悪い噂を知っている』。それだけでも十分殺す動機にはなってるんだろう。……さて、だいぶ話がそれたな。どこまで話したか……」

「……矢島君の部屋がどうのという話でしょう?」

「ああ、そうだ。佐川のせいですっかり忘れたが、要するに犯人には『まだ誰かを殺す準備が必要』だったんだ。部屋の主が死んでいるならばそこを根城として使いやすい」

 ここで、後ろで考え込んでいた武内が声をあげた。

「なあ、それって別に矢島の部屋である必要はないよな。死んだ奴の部屋ならそれこそ斎藤の部屋でも内山の部屋でもよかったんじゃないか?」

「いや、それじゃ駄目なんだ。矢島の部屋でなければいけない理由がある。……俺が藤峰を犯人だと言った時、なんて言ったか覚えてるか?」

「え?……確か『矢島以外の六人を殺した』って……。ん?」

「おい、どういうことだよ。矢島を殺した犯人は別にいるのか?」

 三島がいきり立つ。事件の全容が見えない

「詳しく話そう。……矢島の部屋へと入ったとき、先ほどの名簿よりも早くとあるものを見つけた。……トリカブトだ。おそらく島のどこかから採取してきたんだろう。寝室に置かれていた靴には土がついていたし、橋本を探しに行った時、トリカブトの群生地へと続く足跡が残っていたことからも矢島がトリカブトの採取に行っていたと考えていいだろう」

「トリカブト……。じゃあ、あの日のパーティーは……」

「そう、矢島が採ってきたトリカブトが使われたとみていいだろう」

「おい、待てよ。それじゃあ矢島は自分で採ってきたトリカブトで死んでるってことじゃねえか。矢島が自殺したとでも言いてえのか?」

「……ああ、そうだ。茂、遊園地の帰りに、矢島と話したよな。何の話をしたか覚えてるか?」

「え?うーん……。付き合ってる奴がいるかどうかとかの話だったような……。でも、受験か何かで疎遠になってそのままっていってたっけ」

「矢島が付き合っていた相手、それこそが浜田だ。佐川が見た浜田ともう一人の誰かが話していた光景のもう一人は矢島だったんだ」

「……そんなバカなことがあるかよ。じゃあなんで矢島は自殺なんかしたんだよ。恋人を失ったんだろ?なら自分で斎藤たちを殺すんじゃないのか?」

「……さあな。そればっかりは矢島にでも聞いてみねえと。兎に角、矢島はあの日自殺を選んだ。ホテルの従業員という邪魔者を道連れにしてな。犯人は矢島の協力者だった。だからこそ、矢島の部屋を根城として使っていたんだ。……そして、犯人にはまだ佐川というターゲットが残っている。……藤峰、持ってるんだろ?305号室のカードキーのスペア」

 藤峰は静かにポケットからカードキーを取り出した。書かれていた番号は305であった。

「……いつ、私が犯人だってわかったの?」

「ついさっきだ。……もともと藤峰が怪しいとか思ってなかった、ただの偶然だよ」

「……そのカードキーはね、角田の腹を裂いた時に落としたみたい。本当はもっと早く探しに行きたかったのだけど、思ったよりみんなが単純すぎてね。『犯人の目的は達せられた』なんて言葉をあんなに真に受けるとは思わなかったわ。そもそもおかしいと思うべきでしょ、『なんであなたがそれを知ってるの?』ってね」

「犯人の動機が『浜田の敵討ち』だってみんな知っていたからじゃないのか?」

「あいつらで終わりとは誰も言ってないでしょ?それなのに、みんな勝手に事件は終わったって勘違いして……。あれはミスね。結局人目が増えたせいで碌に角田の部屋を調べられなかったわ。それに、飯島君が持って行っていたのなら、探しても意味はなかったわね。……馬鹿みたい」

 藤峰はひどく悲しそうな顔をしている。周りにいる友人たちは誰も彼女に言葉をかけようとしない。当然と言えば当然だが、復讐に狂った殺人鬼にかけられる言葉など誰も準備できていないのだ。藤峰は近くの椅子に座り、口を開く。

「……大体は、飯島君の推理であってるわ。内山の傘に関しては全くお見事というほかないわね。……もともとは私の手で突き落とす予定だったのだけど。やっぱりあのラジオは回収しておくべきだったのかしら、でもそうすると玲子を動かせないし……」

 藤峰はまるで部活の反省会のように自分が殺した人物を振り返る。

「美咲に関しても、まさかあんなものを残しているなんてね。もっとよく見ておくべきだったわ」

「……矢島は何で自殺を選んだんだ?」

 俺はどうしても気になっていたことを聞いた。藤峰はこちらに背を向けて話し出した。

「彼曰く、『勝ち逃げしたいから』らしいわよ。すべての殺人を計画し、目的を達する。万が一誰かが事件の真相を暴いたとしても、自分は罪には問われない。そんなところかしら」

「じゃあ、あの遺書は?」

 俺は矢島の部屋に置かれていた紙束の名簿ではない方を思い出していた。ただ簡潔に『守ってあげられなくてごめん、優』とだけ書かれていた。勝ち逃げだけを考えていたようには見えない。だが、藤峰はどうでもいいとばかりに一蹴する。

「さあね、矢島君にでも聞いてみると良いんじゃないかしら」

 そして持っていたコップの水を飲みほした。

「それに、勝ち逃げしたいのは私も一緒だから」

 もう犯人だとばれたのに勝ち逃げなんてできる訳がない。そう口にしようとしたとき、彼女が激しくせき込んだ。口をおさえる彼女の手には血がべっとりとついている。……毒か。

「藤峰!お前……」

「本当は、違う使い方を、するために用意したのだけど……。仕方、ないわね」

 藤峰の顔色はみるみるうちに悪くなっていく。この場ではトリカブトの毒を解毒することは不可能に近いだろう。

「私も、矢島君が、なぜ勝ち逃げを選んだのか……。何となく、わかったような、気がするわ……」

 藤峰はひときわ激しくせき込み大量の血を吐いた後、動かなくなった。木下と藤峰が要してくれた昼食はすっかり冷めていた。


 数日後、ようやく迎えの船が到着し、ここで起きた事件のすべてが報告された。閉鎖空間で起きた凄惨な事件として、一時期世間の間でもちきりの話題だったが、『人の噂も七十五日』とはよく言ったものでしばらくするとすっかり話を聞かなくなった。藤峰と矢島に関しては被疑者死亡のまま書類送検されたものの、理由非公開で不起訴となった。

 あれからどれほど経っただろうか。俺はすでに大学を卒業し、就職先から内定を得ていた。単位もほぼすべて取り終え、今日はゼミもない。俺はとあることを思い立ち、家を出た。目的地までは二駅ほど過ぎればいい。駅を降り、とある場所へと向かう。ここは高校のころ住んでいた場所でもあり、景色には覚えがある。うろ覚えだったが、どうやら道を間違えてはいなかったようだ。途中、自販機でコーヒーを三本買いながら、目的地である寺へとたどり着いた。ここには浜田と藤峰、矢島の墓がある。住んでいた場所が近かったためか、墓も同じ寺に集まったようだ。俺は彼らの墓の前に立った。何か言葉をかけようかと思ったが、どうにも言葉が思いつかない。ただ、墓の前で突っ立っているだけだ。俺は持っていたコーヒーを墓に供えた。プルタブを開けてやる。今日はまだ寒いからちょうどいいかもしれない。だが、この寒さではすぐにでも冷めてしまうだろう。

よろしければ、ご感想のほど宜しくお願い致します。

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