前編
本当は一本で投稿する予定でしたが、サイトの文字数制限の関係上、前編と後編に分けております。ご了承ください。
誤字脱字ご容赦ください。
俺の名前は飯島聡。今年で二十歳になる新成人だ。今日は成人の日の翌日。前々から計画されていた学生時代のクラスのみんなでの旅行中で、船に揺られている。クラスメイトである堂島雄一は、かの有名な堂島グループの御曹司であるため、父親にわがままを言い、会社で所有している開発中のリゾート島への旅行を可能にしてくれた。当初はいく気でない者もそれなりにいたが、主催者側の根気強い説得により、何とかクラスメイトのほぼ全員が参加することになったのだ。
「おい、聡。ぼおっとしてるけど大丈夫か?船酔いでもしたか」
今声をかけて来たのは高校時代一番仲の良かった赤木守。名前の順で席が近く、赤木から話しかけてきたことで今でも縁が続いている。
「いや、考え事してただけ。成人してもこうやって集まるとは思ってなかったからさ」
「まあ、確かにな。俺たちみたいに個人的に仲のいい奴だけでつながってるのが普通で、他の奴とはもう連絡を取らないもんだと思ってたけど、こういうのも悪くないもんだな。またこうしてみんなで……集まれるなんてよ」
嬉しいことであるという物言いだが、どうにも顔は晴れやかでない。おそらく、あのクラスメイトの女子を思い出しているのだろう。俺も先ほどまで同じことを考えていたせいか、口にするはずではないのに漏らしてしまった。
「あいつも来られたらよかったのに……。浜田の奴、どうして自殺なんか……」
浜田優。高校二年生の時の同級生だった女子だ。内気でありながらも芯も持ち合わせており、嫌なことは嫌と言えるはっきりした性格だった。だが、冬休み中に自宅マンションの屋上から飛び降りたらしい。遺体のそばや自室などでは遺書らしきものは見当たらず、受験や進路などに必要以上に悩んでいた様子もなく、結局自殺の理由は分からずじまいだった。ただ、彼女のポケットに入っていたスマホには何かしら残されていた可能性もあるが、激しく破損していたうえにロックもかかっていたため捜査に進展はなく、理由不明の自殺ということで捜査は終了した。
「……やめろよ、そういうの。もう何年前の話だと思ってるんだ」
「いや、でも……」
「確かに俺も浜田のこと思い出したよ。でも、もう過ぎたことだ。忘れろとは言わないが、いつまでも引きずっていたってどうしようもねえぞ。……それよりも、俺たちにできることは浜田の分までこの旅行を楽しむことだろ?せっかく雄一にすげえ所連れて行ってもらえるんだから、辛気臭いこと考えてたらもったいねえよ」
確かに、赤木の言うとおり辛気臭い顔をしていれば、こんな豪華な同窓会を企画してくれた堂島雄一に申し訳ない。赤木の言葉の通りだ。忘れるわけではなく、浜田の分まで楽しむこととしよう。
今回向かっている島は堂島グループが所有している島であり、次の夏に向けて開発中という触れ込みではあったが、施設などはすでに整えられており、もう客をいれても問題はない程度にまで仕上がっているという。そこに雄一は付け込んだのだ。彼の父がリゾートの出来栄えを視察する計画を立てていた時に、堂島が視察の役を買って出て、その対価として成人式の旅行を認めさせたらしい。港に集まって早々彼自身の口から語られた武勇伝が正しいのならば、彼には感謝してもしきれない。
天気は良く、潮風も穏やかだ。成人してすっかり大人らしくなったと思えたクラスメイト達はあの時と変わらず好奇心に身を任せ、船の欄干から身を乗り出している。そんな様子を眺めていると、率先して身を乗り出していたうちの一人が俺たちのもとへやってきた。
「どうしたお前ら船酔いか?まあ聡は乗り物に弱かったもんなあ。修学旅行とか乗り物に乗る時は絶対酔ってたもんな」
「よお、茂。お前は変わんねえな。俺たちはすっかり大人だからよ、そうやって無駄にはしゃいだりしねえのさ」
倉本茂。高校時代の友人であり、当時のクラス委員でもあった。明るい人柄は人を引き付けるが抜けているところも多く、クラス委員の仕事を忘れてしまうこともかなりあった。それでも彼の誠実な人柄は簡単には信頼を失うことはなかった。
「お前らが、大人?……守、お前二年前より冗談へたになってるぞ」
「……ほっとけ。思ったより大学がつまんねえせいで冗談鍛える暇もねえから仕方ねえだろ」
「大学ねえ……。そういやお前らって大学どこだっけ?」
「俺は家から近い国立。守はどこだっけ?」
「家から二駅先の私立。たぶんAかBランクぐらいはあるんじゃね?」
「なんだ、お前ら二人ともそれなりの所行ってるのか」
「で?なんでいきなり大学どこなんて聞くんだよ?」
「そりゃあ、お前……。検証だよ。……題して、『偏差値がいい大学ほど可愛い娘も多い説』!」
……そういえば倉本はこういう奴だった。学生当時も先に決まった女子のクラス委員に何としてもお近づきになりたかったから立候補したんだっけ。
「……お前マジ?」
赤木も呆れている。俺も同じ気持ちだ。だが、倉本はいたって真剣らしい。
「マジに決まってんだろ!俺も一応大学通ってるけど、かわいい娘あんまりいない気がするんだよな。でも、電車の中ではそれなりに見るんだよ。その娘たちはみんな俺が通ってる大学の最寄り駅の一個前で降りちゃうんだけどな。……調べたらそこの駅から一番近い大学、超有名な女子大だったんだよ。そこで俺は確信したね、『かわいい娘は頭もいい』ってな!」
彼の言い分からはとてつもない熱量を感じる。高校を卒業してからのこの二年間で、より女好きになったのか。どうせうぶでまともに会話もできないくせに。……俺からすればどうでもいいが、彼の熱意に免じて答えてやるとしよう。
「個人的な趣味でいいなら……。ウチの大学にはそこそこいると思う。……これ自分の趣味ばれるからあんま言いたくねえな」
「まあ、俺んとこもそこそこってところかな。茂のとこは?」
「周りにいねえからお前らに聞いてんだろ!大体お前らは……」
また始まった。倉本は一度熱が入ると長い間喋りっぱなしになる。そのくせ内容は特に耳を傾けるべきものでもない。適当にうんうんと相槌を打ち、赤木と共にこれから向かう先である島、『遊堂島』を眺めていた。
倉本の長話から十五分後、長い船旅は終わりを告げ、ようやく目的地である遊堂島に到着した。堂島に連れられ、ぞろぞろと船を降りていく。島の港に降り立った俺たちは堂島から今後の予定について聞かされていた。
「ようこそ、『遊堂島』へ。ここは俺の親父がつい最近まで開発させてたリゾート地でな。今日から一週間、ここで過ごすことになる。本州とはかなり離れてるが、連絡手段はあるし、堂島グループで雇ってる警備員もいるし、こういうとこでありがちな殺人事件からの島で監禁生活っていうのは起こらないはずだから安心してくれ」
乾いた笑いがささやかに聞こえる。ありきたりすぎて冗談でも笑えないか。予想していたより冗談が滑ったであろう堂島は急いで話を続けた。
「……それで、まずみんなが泊まる場所だけど、すぐそこにある我が堂島グループが誇るホテル、『堂島館』に泊まってもらう。食事に関してはこの旅行のために同行してくれた料理人たちが作ってくれるから心配しなくても大丈夫。……あと、今夜の予定は午後六時から俺たちだけの成人式があるから、ホテル一階のエントランスに集合してくれ。それまではどこに行っても大丈夫だけど、警備員の指示には従ってくれよ」
簡単な説明を受け、早速ホテルへ荷物を置きに行った。さすが最新ホテル、見た目だけでなく内装もきらびやかで目が開けられなくなるほどまぶしく感じる。フロントに尋ねると、どうやら部屋はすべて決められているらしい。名前の順で並べられている単純なもので自分の部屋がどこかは覚えやすい。俺は飯島だから102号室だ。フロントからカードキーを受け取り、部屋へ向かう。部屋へ案内される途中にも、堂島の自慢混じりの説明は続く。どうやらここは超富裕層を相手にするらしく、部屋はすべてスイート仕様なのだとか。部屋につき、ドアを開けると圧倒された。まさに話にたがわぬ洗練された部屋だ。風呂、トイレはもちろん別。ベッドはキングサイズでどんなにひどい寝相でも落ちることはないだろう。リビングに相当する部屋の家具も申し分ない。テレビは壁に設置されており、かなりの大きさでベッドに転がりながらでも存分に映画を楽しめる。椅子やテーブルも無駄に豪華さを押し付けるという訳ではなくどちらかというとスタイリッシュさを彷彿とさせる白を基調としたデザインだ。こだわりぬかれた天然水のウォーターサーバーも設置されている。さらに窓からの景色も申し分ない。ここは島のため、窓からはオーシャンビューが楽しめる。そしてそれが一階につき十部屋ならんでいる。ここのホテルはすべてこのような部屋の内装をしているのだろうか。さすが堂島グループ、金に糸目をつけない仕事ぶりはもはや感心しかできない。
「これは……すごいな。今日から一週間、俺はここで生活するのか」
「そうだ。とはいってもこんなのは二日程度すれば慣れるものだろ。それに、ここはメインじゃないからな」
もう十分なほどすごさを見せつけられたが、これがメインじゃないとは。これ以上一体何があるのだろう。
「この島の生態を詰め込んだ植物園もあるし、それに併設した小さ目の遊園地もある。島の中心には天体観測ができる展望台とプラネタリウムもあるからな。あとは、ショッピングモールとか遊泳場もあるし、サイクリングロードまで用意したからな。一週間程度じゃ、絶対回り切れないだろうぜ」
「それなら急いでどこか行った方がいいかもな。雄一、案内ありがとな。早くどっか行こうぜ。おススメとかあるか?」
「とりあえず近いところから順番に行こう。ここから一番近いのは植物園だ。……ああそうだ。忘れないうちに言っておくが鍵をなくしたら受付に言ってくれ。こんなところで鍵を落としても大体すぐには見つからないからな」
俺は堂島からの忠告を頭に入れ、持ってきたキャリーケースを部屋に置き、スマホと鍵をズボンのポケットに入れ部屋から出た。財布も必要かと思ったが、堂島の招待のおかげで俺たちはVIP客扱いらしく、金は払わなくていいらしい。……やはり彼には感謝せねばなるまい。近くにいた赤木と倉本も誘って、男四人で植物園に赴いた。
堂島の案内もあり、初めての土地であっても特に迷うことなく目的地である植物園にたどり着くことができた。受付の人が言うにはもうすでに何人かここへ来ているらしい。いささか出遅れたか。植物園の中はこの島特有の植生を再現しているらしいが、俺含めた男四人、誰も植物になど詳しくない。珍しい形の花や葉を見つけては、そえられた説明文を呼んで感心することしかできなかった。
「うわ、これトリカブトじゃん。超猛毒でおなじみの。触っただけでもやばいんだっけ?」
倉本が興味津々に顔を近づける。猛毒と自分で言ったはずなのに不用心なものだ。
「こんなの置いといて大丈夫なのかよ?」
「大丈夫だよ。これはレプリカだからな。本物をこんな手の届くところに置くわけないだろ。触っただけでも中毒症状をおこしちまうんだぞ」
「へえ、レプリカかあ。……ということは本物のトリカブトはちゃんとこの島のどこかにあるってことか?」
「ああ。ただ、植生地は詳しく書かないようにさせておいた。誰かが興味本位で探しに行くかもしれないからな」
「ふーん、リスク管理が徹底的だねえ」
「当たり前だろ?島の中で事故でも起きて人が死んじまうと堂島グループの看板に傷がついちまうからな」
余り植物に興味がないせいか、植物以外に関する雑談と先に進む足が止まらず、俺たちより先に植物園に入っていた先客に追いついた。前にいた背中には見覚えがある。確か、矢島恭平という名前だったか。クラスの中では物静かな方で、いつも教室の隅っこにいるような奴だった。それでもいつも本を読んでいるためか、その知識量には目を見張るものがある。テストの成績はいつもクラス最上位だった。躍起になって追い越そうとしたものの、壁は高かった覚えがある。船に乗っている間は部屋にこもっていたのか、姿を見つけられなかったため、同窓会以降初めて話しかけることになる。
「おーい、恭平。久しぶり」
何かを熱心に見つめていた矢島は、俺からの呼び声にとても驚いたようで、肩をびくつかせている。しかし、声の主が俺であることが分かるといささか緊張を解いてくれたようだ。だが、なぜかすぐには返事をせず俺たちの顔を吟味しているようだ。俺たちの顔を覚えていないのかもしれない。
「……久しぶりだね、聡君。それに、守君に茂君。雄一君も。……君たちがここに来るなんて意外だな。そんなに植物に興味あったかい?」
「いや、全然。とりあえず行けるところ全部行こうと思っててな。一番近場にあるここに来たってわけ。そういう恭平はこういうの好きだったっけ」
「僕は農学部の植物学科なんだ。今まで教科書でしか見たことがなかったような植物が直で見られるなんて滅多にないからね」
「へー、そうだったんだ。恭平が高校出た後何してたか知らなかったけど、そんな勉強してたんだな。……研究熱心だねえ。将来は学者か?」
「……さてね。それじゃ、そろそろ僕はお暇させてもらおうかな。今日見た奴をちょっとまとめたいんだ」
「ああ、わかった。じゃ、またな。明日は一緒に別のとこでも行こうぜ」
彼は何も言わず、手を振って去っていった。彼が最後に見ていた植物は彼岸花であった。
続いてやってきたのは植物園の隣にあるという遊園地である。堂島の話では小さめの遊園地ということらしかったが、彼の基準はどうやら一般人には当てはまらないらしい。ジェットコースターに観覧車、メリーゴーランドなどはもちろん、それ以外にもどこかで見たような絶叫マシンや、何やらイベント用のステージのようなものもあり満足感は十分だろう。
「雄一、俺これどっかで見たような気がするんだけど。……パクったか?」
倉本はあまりにも瓜二つな絶叫マシンを目の前にして、そう言葉を漏らしている。……さすがにパクりなどではないだろうが、それにしてもそっくりだ。
「これはな、技術提供ってやつなんだよ。そろそろうちの会社もアミューズメント業界に足を伸ばそうと思っててね。その一環で、ちょいと設計を借用させてもらってるのさ。もちろんそういう契約だから、問題はないよ。……まあ、パクりと言われると何も言い返せないけど、事実だしな。……けど、いずれ堂島グループは独自のマシンを作ってみんなを虜にするんだ。これはそのための研究材料ってわけ」
思っていたよりも必死な弁明が帰ってきていささか驚いたが、要するに公認のパクリということだろう。まあ俺からすればパクリだろうがどうだっていい。そもそも絶叫マシンになんて乗れないのだから。
「じゃあさっそくあれ乗ろうぜ。コレ、あれだろ。途中で一回転するとかそういう奴だろ」
倉本は乗る気十分のようだ。堂島も研究のためと乗り気だ。赤木もせっかくだからと一度は乗るらしい。
「聡は乗らないのか?」
「俺はやめとくよ。車ですら酔うんだ、こんなのに乗ったらとんでもないことになっちまいそうだ」
「……それもそっか。じゃあ俺たちだけで乗ってくるよ」
「ああ。そこら辺のベンチにでも座って、お前らの絶叫を楽しませてもらうよ」
「……お前それが目的か?」
「……冗談だ」
三人を見送り、近くにあったベンチに腰掛ける。ほぼ貸し切り状態のおかげで彼らが乗り込んだ絶叫マシンはすぐさま動き出した。ゆっくりと登っていくマシンを眺めていると、横から声をかけられた。声の方を振り向くと女性が三人。……斎藤美咲とその取り巻き、笹田芽衣と小岩井ひなただ。斎藤はクラスカーストの頂点を気取っていた小うるさい女で、少し苦手だった。他の二人はそのご機嫌取りで、時たまおこぼれをもらっていたようだが、まともに会話をした覚えがなく、詳しくはよくわからない。久しぶりに集まったと思えばもうあの頃を取り戻しているのか。懐かしさを覚える反面、あの頃から何も成長していないことを感じ、必死に大人ぶる彼女らがひどく滑稽に見えて来た。
「久しぶりだね。元気してた?」
「ああ。そっちは……聞くまでもなさそうかな?三人とも、なかなかのブランドバッグをぶら下げて、景気もよさそうじゃないか」
「まあね。『割のいい仕事』にありつけたから。……それより、一人で遊園地とか変わってるね」
「一人じゃねえさ。あれ見ろよ」
俺はそう言って空を指さす。あれからゆっくりと上昇を続けていたマシンはついに頂点へと達しており、地上からでも遠く空にいる彼らの叫び声が聞こえてくる。そしてついにマシンは下降に差し掛かった。速度は増し、高さと風圧でまともなリアクションが取れない彼らはただ叫び声をあげているだけだ。冗談とは言ったものの、彼らの絶叫はかなり面白い。普段決してみられないあの必死な顔は笑うなという方が難しいだろう。だが、それを見た斎藤の顔は笑うどころか、青ざめているばかりであった。
「……どうした?冷えたか。顔色悪いぞ」
「……う、ううん。なんでもない。飯島君の言うとおり少し冷えちゃったかも」
南国の島国という触れ込みであっても、現在の季節まではごまかせまい。まだ一月、冬なのだ。それに加え海から吹き上げる潮風も寒さを強めている。斎藤たちがやけに肌の露出が多い服を着ているせいもあるだろう。俺は遊園地の入り口で手に入れたマップを広げた。
「……近くにレストランがあるから、そこで暖まっていくと良いんじゃないか?」
「……ねえ飯島君。一緒に来ない?」
「俺は、あいつらをここで待つから。……それに、女三人に男一人は、ちょっと気まずいかな」
「それもそうか、ありがとう。じゃ、またあとでね」
斎藤はそう言って手を振り、俺が提示したレストランへと向かっていった。……そういえば笹田と小岩井は一言も話していなかったな。いくら何でも取り巻きに徹しすぎだろう。レストランへと向かっていく女三人の背を目で追っていると、男三人が絶叫マシンから降りて来た。おそらく堂島は視察だなんだと理由をつけて幾度となく乗っていたのだろう、あまり目に見えるほどの変化はない。しかし、その後ろの二人はそうではなかった。模倣とはいえ元は一線級の絶叫マシン。あまりの壮絶さに顔を青くしていようとも、しきりにえずいていても仕方ないだろう。
「お待たせ、聡。いやー、久しぶりに乗ったけどやっぱり面白いもんだなこういうのは。な、お前らもそう思うだろ?」
堂島はそう問いかけながら振り向く。彼の後ろには顔を青くした二人しかいない。
「……しばらくは勘弁かな」
「……俺も」
「どこかで休憩しようぜ。このままだとこいつら本当に吐いちまう」
「じゃあ近くのレストランでも行くか。そろそろ昼飯時だしな。……お前ら飯食えるか?」
「……食える」
「……たぶん」
あれほど体調が悪くとも食事だけはできるらしい。たくましいというべきかなんというか。いずれにしろ腹が減ってきたというのは俺も同じだ。今の二人に物を食べさせていいのか少し心配ではあるが、レストランに向かうとしよう。それに今ならまだ斎藤たちに追いつくかもしれない。堂島たちも何か話したいことでもあるだろう。俺は赤木の、堂島は倉本の肩を支えてレストランを目指した。
遊園地の中のレストランは『大人の休憩所』をイメージしたらしく、周囲の明るいファンシーな雰囲気とは違い、暗く落ち着いたシックな雰囲気を漂わせている。赤木と倉本はレストランにたどりつくまでに十分回復し、自らの足で歩けるようになり、今では何を食べようかとあれこれ考えを巡らせている。
レストランに着き、扉を開けると中から「はあ!?」と怒号が聞こえて来た。声の方を見ると、そこにいたのは斎藤と取り巻きの笹田、小岩井。そしてそのすぐ近くに女性らしい後ろ姿の誰かが二人見える。あまりの剣幕に俺たち四人は固まってしまった。だが、彼女らの言い合いはまだ続くようだ。
「今なんて言った?もっかい言ってくれる?」
「そんなに言われたいなら何度でも言いなおしてあげるけど。……人殺しがどうして同窓会に顔を出してるの?」
人殺し……?普通に生きていたら到底聞けない言葉だ。いったい何の話をしているんだ。
「……私が誰を殺したっていうの?」
「……浜田優」
その名前を聞いて俺はとっさに彼女たちのもとへと向かっていた。
「何の話してんだよ!?」
斎藤は助け舟が来た時のような嬉しそうな顔をこちらへとむけている。もう一方の女性は、藤峰綾香だ。高校生一年生のころから風紀委員を務め続けたまさに堅物と称すべき女性だ。藤峰と斎藤は高校当時からそりが合わなかったが、まさか同窓会の時にまで仲の険悪さを隠さないとは思わなかった。しかも、浜田優を殺したとは穏やかではない。……彼女は自殺だったはずだ。
「あっ、飯島君。助けに来てくれたの?」
「……人殺しってどういうことだよ」
今は斎藤と話している余裕などはない。同窓会に来てまでかつての友人を人殺し呼ばわりするのは、どう考えても普通のことではない。
「それは私から話すわ。……覚えていて当然だと思うけど、高2の冬。優が自宅マンションから飛び降り自殺した。警察は捜査をしたけれど遺書らしきものは全く見つからず自殺の理由は分からずじまいだった……。ここまでは飯島君も知っているわよね?」
俺はうなずいて返事をする。どうやら赤木たちも昼飯そっちのけで話を聞いているらしい。
「けれど、あれは自殺ではなかったとしたら、飯島君はどう思う?」
「は……?」
一体何を言い出すんだ。自殺じゃなかったのなら、事故か、あるいは殺人かしかないだろう。だが、俺は殺されたということを考えたくなかった。
「……じゃあ、ただの事故だろ?」
絞り出すようにして出した言葉を前に藤峰はただ肩をすくめて見せた。まるで「そんなわけないでしょ」とでも言っているようだ。
「……ほんとに殺されたのか?」
「ええ。……そもそもただのマンションの住人が屋上に出る必要はあるのかしら?」
……言われてみればそうだ。俺もマンションに住んでいるが屋上へ行ったことなど一度もない。だが、理由などいくらでも考えられそうなものだ。例えば誰かに呼ばれていたりとか、風に当たりたいとか。その程度で事故を否定するのはいささか強引だろう。……俺がそう考えていたのが顔に出ていたのか、藤峰は続けて言う。
「それに、浜田さんは高所恐怖症だったのよ。そんな人間が自殺のためにマンションの屋上を選ぶと思う?」
自殺を考える者の心理は俺には分からない。怖いから近寄りたくないと思う者もいるかもしれないし、怖いと思うからこそその感情を証拠に飛び降りを選ぶ者がいるかもしれない。だが、今それは重要なことではない。重要なのは斎藤が人殺しと呼ばれていたことだ。
「……で、なんで斎藤が殺したってことになるんだよ」
「……優が自殺する前日、私は連絡を取っていたの。次の日、他のクラスメイト何人かと一緒にカラオケに行く予定を立てていたから。集合時間も決めてそろそろお開きにしようとしたとき、優が言ってたの。『また美咲からメッセージ来た』って。心底嫌そうだったわ。それでもなんだか大事な用事らしくて、結局優は美咲に会いに行った。……それ以降、連絡は取れず約束していたカラオケにも来ない。どうしたのかと電話をかけてみても一向に出ない。風邪でも引いたのかなと思って家に向かってみると、あたり一帯にパトカーや救急車がいて。……優が最後に会っていたのは斎藤のはず。それなら斎藤が原因で優が自殺をしたと考える方が自然でしょ?」
「……証拠はないんだろ?」
「……それは」
「証拠もないのにやたら人を疑うのはよせよ。そもそも斎藤に浜田を自殺にまで追い込む理由なんかあるのか?」
藤峰は黙ったままだ。
「別に俺は斎藤の肩を持ちたいとか、藤峰のことを貶めたいとかそういうことじゃない。せっかくこんないいところに来たんだからさ、暗い話するのはやめようぜ。な?」
「……わかったわ」
堅物のままだと思っていたが、どうやら高校生の時よりは聞き分けがよくなっているらしい。藤峰は斎藤の方に向き直った。
「……ごめんなさい、あなたを人殺しだなんだと罵ってしまって。……許してもらえるわけないとは思っているけど、どうしても……」
「……いいよ。疑われたときは頭に来たけど、確かに藤峰の言う通りなら疑われても仕方ないもんね」
どうやら一件落着したようだ。体から力が流れ出ていき、すっかり忘れていた空腹感が顔を出して来た。俺たちは彼女らのもとを離れ、窓際のボックス席に座った。
「……わりい。どうしても我慢できなくて……」
せっかく食事をしに来たのに、すっかり遅くなってしまったことへ謝罪をする。だが、彼らからかえってきたのは怒りでも呆れでもなかった。
「……いや、謝るのは俺の方だ。俺が招待主なのにもめ事を客人に解決させちまうなんてな。……パーティーホスト失格だな」
「それを言うなら俺だって……。元クラス委員のくせに、何にもできなかった」
「……聡にだけあんな役目押し付けちまって済まねえ」
「いいよ、もう終わったことだし。……それよりも腹減ったな、早く何喰うか決めようぜ」
このままではいつまでたっても謝罪大会が終わらない。俺は卓上に備えられていたメニュー表を取り出し、テーブルの中心に置いた。それを機にようやく彼らも普段通りの和気あいあいとした雰囲気を取り戻せた。タブレットで注文を済ませ、料理の到着を待つ。レストランには他の客はいない。俺たちが注文をしている間に彼女らは外へ出たようだ。店内をきょろきょろと見渡していると、ドアベルの音が響く。どうやら誰かが入ってきたようだ。先頭に立つのは内山健介。中学時代に習い事で空手をやっていたらしく、常日頃から培った力を誇示し、人間関係で何が何でも人の上に立とうとする小汚い男だ。その内山の後ろを歩くのはそれまた卑怯者の二人。角田正吾と杉森隼人。その二人は内山と中学時代からの付き合いということを利用し、何かあれば内山の力をちらつかせていた。確か高二の時、名前は思い出せないが、クラスの女子と付き合おうとして断られたあげく内山の力を使おうとした結果学年集会に発展したことすらあった。まさに問題児と評すべき男たちで、クラスメイトの中では最も苦手である。彼らは店内に入ると都合のいい席を探すためかそこら中を見渡している。そして、ドアの方を見ていた俺と目が合ってしまった。内山は久しぶりの友人を見つけたように顔をほころばせる。正直勘弁してほしい。……だが、その願いは届かず彼らはこちらへ歩み寄ってきてしまった。こうなれば逃げることはできないだろう。
「よう、久しぶりだなお前ら」
「……ああ、久しぶりだな」
「なんだ元気ねえな。折角久しぶりに会ったってのによお。二年ぶりに俺に会えてうれしくねえのか?」
久しぶりのくせになぜそこまで高圧的なんだ。お前なんかと会ったところで誰が喜ぶ。一言二言交わした程度だがもうこいつとは話したくない。抑え込もうとしても顔には不快感が滲んでしまっていたようだ。内山はそれを目ざとく見咎め、追及してくる。
「おい。なんでそんなに嫌そうなんだよ。あんなに仲良くやってたのに俺に会いたくなかったのか?」
会いたいわけないだろ。……そう面と向かって言えばどうせ暴力を振りかざすに違いない。だが、内山なんぞに時間を奪われているという不快感と、こんな奴のご機嫌取りをしなければならない馬鹿らしさには耐えなければ。正直にものを言って怒りを買い、ここで暴れられでもすれば店にとって非常に迷惑だろう。どうすべきかとやきもきしていると俺の苛立ちを感じ取ったのか、赤木が助け舟を出してくれた。
「悪い、さっきまでジェットコースター乗ってたせいか、まだ気分がよくないみたいだ」
「なんだ、そうだったのか。……でもお前乗り物酔いひどかったんじゃなかったか?」
こいつは本当に余計なことばかり憶えていやがる。そんなこと憶えている暇があるなら、少しは一般常識を脳みそに入れておいてほしい。……今度は倉本が助けてくれた。
「俺たちが誘ったんだよ。せっかくの機会なんだし乗ろうってな。でも、思ったより激しくて聡はすっかりナーバスってわけ」
「ふうん……」
内山は何やら納得いっていない様子だ。お前が納得する必要なんかどこにもないから早くどこかに行ってくれ。……最後は堂島からの助け舟だ。
「……俺たちもジェットコースターに乗ったせいであんまり気分がよくねえんだ。頼むから休憩させてくれ」
「……しょうがねえな」
内山は舌打ちをすると俺たちから遠く離れた席に向かった。
「……助かったな」
「あまり調子に乗るなよ」
……どうやら角田と杉森も碌に成長出来ていないようだ。彼らは捨て台詞を吐いて内山の後を追った。彼らと入れ違うように料理が届き、ようやく一息つくことができた。斎藤と藤峰のトラブルに首を突っ込んだせいで少々昼飯が遅くなったせいもあり、かぶりつくように料理を食べた。食事中は食べることに一生懸命で会話は碌にできず、会話ができるようになったころには大抵の料理を食べ終え、食休みをしていた時だった。だが、話題は浜田優のことで持ち切りのせいで、精神的にはあまりまともな休憩にはならない。
「……それにしても、あの風紀委員がいきなり他人を人殺しだなんてなあ……。人は変わるもんだ」
赤木が不思議そうにぼやく。確かにあの真面目が人の形をしたような人物が、あのような穴だらけの推理をするものだろうか。
「なんでいまさらと思ったけど、同窓会で久しぶりに会ったからだろうなあ。……お前らは多分知らないだろうけど、当時も結構揉めてたんだぜ」
誰も知らないであろう情報を持っているからか、倉本は少し得意げだ。俺たちの若干興味がありそうな返事を受けて気分を良くしたのか、詳細を話し始めた。
「あれは確か浜田が自殺した冬休み明けだったか。新年になって委員会の方針とか仕事内容とかを確認するための委員会があってな。放課後その集まりが終わった後、俺は教室に忘れ物したのを思い出して、一旦教室に戻ったんだよ。で、教室のドアに手を開けた時中から藤峰の声が聞こえてきてな。『優はあんたのせいで死んだの』って大騒ぎしてたよ。……中に入りづらかったけど、仕方ねえよな。腹くくってドアを開けたんだ。中にいたのはさっきのあのメンツと変わんなかったな。俺のことを見ると藤峰以外のあいつらはさっさと教室から出て行ってな。……さすがに何があったか聞かないわけにも行かないだろ。それで聞いてみれば、『斎藤たちが優を殺した』って。理由もさっき言ってたのとあんまり変わらなかったかなあ。……まあそういう感じであの時から揉めてたってわけ」
相槌を打ちながら聞いていたが、当時そんなことがあったとは全く知らず呆気にとられた。あの時の小さな火種がくすぶり続けており、今もなおその火種は消えていないのだろう。真実がどのようなものかは全くわからないが、まさかクラスメイトの間でそんなことになっていたとはどうにも信じがたい。……話に夢中になっていると、不意に頭の上から声が聞こえて来た。内山だ。こいつ聞き耳を立てていたのか。
「浜田優……。どっかで聞いた名前だと思ったが、俺の元カノだわ。彼女にしてすぐ自殺したせいで彼女期間が短すぎて全然記憶になかったぜ」
「……わざわざ席を立ってまでそんなことを言いに来たのか?」
「いいだろ別に。お前らが面白そうな話してんのが悪いんだからな」
「早く席に戻れよ。そろそろ料理が届くんじゃないか?」
「そんな邪険にすんなって。盗み聞きした詫びに面白いこと教えてやるからよ」
お前の存在自体が面白くないのに、お前が言うことなんて面白いわけないだろ。どうせ今回も面白くないんだろうと高をくくっていたが、その予想は裏切られた。
「斎藤はな、浜田を使って稼いでたんだよ。……こういう言い方をすれば、嫌でもわかるだろ?」
斎藤が浜田を使って、稼いでいた……。おそらく浜田に体を売らせていたということだろう。そして藤峰はそれを知っていた。だからあんなに斎藤に怒りをあらわにしていたのでは?……内山は俺が考え込んでいる間に席に戻っていた。
「おい、聡。大丈夫か?」
黙り込んだ俺を心配してか赤木が声をかけてきた。
「あ、いや……。大丈夫、ただ考え事してただけだ」
俺が知る限りでは、クラスメイトの皆は浜田が自殺してから表立って彼女の名前を口にすることはなくなっていた。だが、なぜ今日に限って彼女の名前を聞くことになるのだろう。ただ同窓会のせいで、唯一来られなかったクラスメイトのことを思い出しているだけなのか、それともまた別の理由があるのか。今の俺には理由など知る由もないが、なんだか胸騒ぎがする。それを裏付けるように、島から見える空には黒い雲がかかり始めていた。
シェフに礼を言い、レストランを出る。空は黒い雲に覆われ、冷たい風も勢いを増している。いつ雨が降り出してもおかしくはない。傘は持っていないし、気温も低いため少しでも雨に降られると風邪をひいてしまいそうだ。今日はこれ以上の観光は諦めるべきだろう。雨に降られたくはないし、それに何より、疲れた。
「……雨降りそうだし、ホテルに帰らねえか?」
そう簡潔に提案する。彼らも雨には降られたくはあるまい。倉本はまだまだ観光を続けたいようであったが、堂島の「風邪を引いたらなんもできないぞ」という説得を聞き入れ、ホテルに帰ることになった。ホテルまでの道中、整備されてはいるもののほぼハイキングと変わらない道のりを歩いていると、前方に人影を見つけた。どうやら男性らしい。道の途中に置かれたベンチに座り、休憩中なのだろう。ベンチに座っていたのは峯井浩二と武内翔也。峯井は確か医者の父親がおり、自身も医者を目指していたはずだ。武内は高校当時体育委員を務めており、ポジティブさで言えば倉本を凌駕する。その上身体能力もずば抜けており、その能力の高さから様々な部活での助っ人を勤め続けた結果、『武内を助っ人に呼んではならない』という暗黙の了解すら校内に広まっていた。
「よう峯井、武内。久しぶりだな」
「久しぶりだね、聡君。それに他のみんなも」
「元気にやってたか?」
二人もあまり変わりはないようだ。峯井は物腰柔らかで、武内は熱血漢。先ほどまで変わらない悪さを目の当たりにしていたせいか、彼らの変わらない良さは沁みるものがある。
「ああ。それなりに元気でやってるよ。……それより、そろそろ雨が降りそうだから二人とも早く屋根の下に入った方がいいぞ」
堂島はかつての友人として返事をしたのち、島のオーナーとしての気遣いを見せた。彼らは堂島の言葉に従い、ベンチから立ち上がった。
「冷えて来たし、そろそろ戻ろうか」
峯井と武内の二人が合流し、六人の大所帯でホテルを目指し始めた。道中、峯井と武内は俺たちと会う前に、気になることを見たと話しだした。
「たぶん十二時前だったと思うんだけど、矢島君がここの山道を登って行ってたよ」
峯井はそう言いながら展望台へ続く山道を指さした。気になることという割には別に普通の行動だろう。すなわち、気になることというのはここからの何かだろう。
「矢島君はしきりにしゃがんでは何かを拾っているように見えたんだ。しかもそのまま道をそれていって、山の中に入っていったんだ」
何かばらけるような物を落としてしまったのだろうか。しかし、そうだとしてもあまりにも散らばりすぎだろう。
「山菜でも取りに行ったんじゃね?」
赤木は何の考えもなしに呟いた。確かに矢島は農学部の学徒であり、植物園で顔を合わせた時も興味深そうに植物を観察していた。だが、このタイミングで山菜を取ってどうするつもりなんだ。……いや、かなり研究熱心な様子だったから、これも研究の一環なのだろう。ただ、理由はどうあれ道をそれて山の中へ入るというのは危険極まりない。それに、これから雨も降り始めそうだ。猶更危険だろう。
「矢島が降りてきたところ、見てないか?」
堂島は少し焦っているようだ。おそらく最悪の場合を想定しているのだろう。
「いや、見てねえな」
武内は答える。……彼の言う通りなら、矢島はまだ山の中か、あるいは別の方向から山を出たか。
「……とりあえず、一旦ホテルまで戻ろう。こんな空模様を見れば大抵雨宿りできるところに帰ろうとするはずだ。……ホテルにいなかったら、人手を集めて矢島の捜索をするしかねえ」
堂島は頭を掻きむしりながら自分に言い聞かせるようにつぶやいている。その様子を見れば、事態の深刻さは嫌でも伝わってくるというものだ。ちらりと山道の方を一瞥し、俺たちはホテルへの帰路を急ごうと一歩足を踏み出した時、茂みの方から音が聞こえて来た。茂みを押しのける音と、木の枝を踏みしめるような音だ。そしてその音はだんだんとこちらに近づいてくる。茂みの中から姿を現したのは矢島だった。目立った怪我はない。
「矢島、何やってたんだ」
怒気をはらんだ声で堂島が問い詰める。あと少しで大騒ぎになっていたのだから、致し方あるまい。矢島は素直に反省したような口調で、堂島からの問いに答えた。
「……植物園に展示されたものはレプリカだろう?……だからどうしても本物が見たくなってしまって、考えられる植生地を歩き回っていたんだ」
もうすっかり研究者に片足を突っ込んでおり、まだ学生だというのに職業病を発病している。理由を聞いた堂島も若干呆れてしまっているようだ。
「……まあ、とにかく。無事でよかったよ。もう少し出てくるのが遅ければ捜索隊が出てくるところだったんだぜ」
堂島はまだ何か言いたげではあったが、倉本がどうにか取りまとめてくれた。さすがは元クラス委員と言ったところか。
「……いや、心配させてすまなかった。もうこんな危ないことはしないよ」
矢島からの謝罪もあり、堂島のこみあげていた溜飲は何とか下がったようだ。男六人に矢島を加え七人でホテルへと向かった。その道、話題の中心は矢島についてだった。他の者はすでに互いの近況報告を終えているため、どうしてもそのような方向に行くのは仕方あるまい。矢島の話では、現在研究室で実験を進めているらしい。その内容は卒業論文にもなるから話せないということだった。一通り矢島の話が終わった後、倉本が何かを思いだしたようだ。
「そういえば、矢島って高校の時誰かと付き合ってなかったっけ?今も続いてる?」
……倉本は昔からこういう話が好きだった。矢島はどうやら話したくなさそうだが、倉本からのしつこい催促により口を開いた。
「……別れたよ」
「えっ!?いつ!?」
デリカシーのなさも昔から変わっていない。あまり無理に聞き出すのは良くないだろう。そろそろ止めに入るか。
「茂、もうやめとけよ。恭平あんまり話したくなさそうだろ」
「……悪い、矢島」
「いや、いいよ。そこまでもったいぶる話でもないからね。別れたとはいっても何か揉めたとかじゃないんだ。もうすぐ大学受験が近いからって一旦疎遠になったらそのままって感じかな」
おどけたように話しているが、矢島の顔にはどこか影がある。しかし、その表情は一瞬で塗り替えられた。雨だ。だらだら歩きながら話していたせいか、ホテルに着く前に雨が降り出してしまった。まだ降り出したばかりなのに、ざあざあと強く降りつけている。俺たちは一斉に走り出した。ホテルはもうすぐそこだ。……走った距離は少しだけだったが、全身がびっしょりと濡れている。屋根の下に入り、来た道を振り返るとあまりの雨の強さで景色が真っ白になっていた。雨音はもはや滝のそばにでもいるのかと思うほどで、普通の話声では雨にかき消されてしまう。
「……やっと……」
この雨音の中矢島が何かつぶやいていたがどうにも聞き取れない。
「今なんか言った?」
「ただの独り言だよ」
矢島は冷たく返す。その反応がなんだか珍しくて、心のどこかに違和感が芽生えた。けれど、ただの独り言ならしつこく聞き返すのも気まずい。結局何も言えないまま、ホテルの中へ入っていく矢島の背中を見送った。
少しとはいえ、あの強さの雨に降られたのなら体がびしょぬれになることは当たり前だ。このまま放っておけば確実に風邪をひいてしまうため、少し早めではあるが風呂に入ることにした。このホテルには個室ごとの浴室に加えて、一階に大浴場が設置されているらしい。早速赤木たちと共に大浴場に赴いた。脱衣所で服を脱いでいると、浴場の方から声が聞こえてくる。俺たちと同じように雨に体を濡らした先客か、あるいは風呂好きだろう。浴場への扉を開けると中から熱気が飛び出してくる。浴場はかなりの広さで、三十人程度なら余裕で入れそうだ。さらに右奥の方にはサウナ室があり、すでに何人かはサウナを楽しんでいるようだ。
「おっ、お前らも来たか。よお、久しぶりだな。元気してたか?」
風呂の中から声をかけて来たのは三島宗次。身長百八十センチを超え、体重は百キロを優に超える巨漢。高校の時はラグビー部に所属しており、大学もスポーツ推薦で入学していた。そこでも結果を出し、すでに様々なチームから招待状が届いているらしい。
「それにしても、さっきの雨はやばかったなあ。お前らも降られたか?」
「ああ。だからちょっと早めだけど風呂に入ろうと思ってな」
「俺もだ。全く、最近の天気予報はあんま信用できねえな。前の練習の時も……」
どうやら三島のおしゃべり好きは変わっていないようだ。そういえば先ほどもこの声が聞こえてきていたがあの時は誰と話していたのだろう。
「三島、さっき誰と話してたんだ?」
「さっき?清野だよ。あいつは今サウナに入ってるぜ」
清野健。曲がったことが大嫌いなもう一人の風紀委員で当時から刑事を目指していたらしい。今では警察学校に通っているとか。
「サウナかあ。俺も後で入ろうかな」
「サウナはいいぞ。まじで整うからな」
サウナに緩やかな興味を示すと、赤木が喰いついた。そういえば赤木は生粋のサウナ好きだった。
「あとでと言わず今からでもいいんじゃないか?聡はまだサウナ入ったことないんだろ?ぜひ入ろう」
今までに見ないほど弁舌が激しい。どうやら赤木は相当サウナにお熱のようだ。堂島と倉本はあまり興味がないのか早々に体を洗い終え、湯舟へと向かい三島と会話に花を咲かせている。俺は赤木に引っ張られるようにサウナへと向かった。このホテルのサウナはロウリュ式を採用しているようで、なかなかいい香りが部屋の中に漂っている。中にはタオルを頭にかぶった男が一人、部屋の中心に座っていた。清野もあまり変わりはないようだ。彼はドアが開いたことに気づきこちらを見ると頭にかけていたタオルを口元にあてながら話しかけて来た。
「よお、久しぶりだな。まさかこんなところで顔を合わせるとは思ってなかったが……」
「清野もサウナ好きなのか?」
サウナ仲間が欲しいのか赤木は興味津々だ。
「いや、今日が初めてだ。せっかくだから入ってみようと思ってな」
「どうだ、いいもんだろ?」
「まあな。たまに入る分にはいいかもな」
確かに、初めてサウナに入ったが大量に汗を流せる気持ちよさと、雨で冷えたからだが芯まで温まっていく心地よさはたまらない。だが、赤木は入ってまだ五分と経っていないというのに、もう外へ出ようとしている。
「あれ?もう出るのか?」
「ああ。これは別に我慢大会じゃねえからな。最悪死んじまうから気を付けないとな」
「……俺もそろそろ出るかな」
清野もサウナを出るらしい。だが、俺はもう少し中に入っていたかったので二人を見送って一人でサウナにこもった。一人になってから二分ほど経った頃、ドアが開く音がした。入ってきたのは矢島だった。
「あ、恭平。恭平もこういうの好きだったっけ?」
「まだ初めてだから何とも。どうだい、サウナというのは。気持ちのいいものなのかい?」
「まあ好きな人は好きなんじゃないか?もしかしたら、恭平もはまるかもな。……俺はそろそろ出るよ、もうだいぶ時間が経ってるだろうし」
「そっか。じゃあ僕は一人でサウナを楽しむとするよ」
サウナを出る直前、矢島が何かをつぶやいていたようだが、ドアを閉める音にかき消されてよく聞こえなかった。サウナを出た後も浴場での風呂を楽しみ、気づけばかなりの長風呂になってしまっていた。浴場に残っているのは俺だけだ。話す相手など当然おらず、ただ滴る水音だけが響き渡る。そろそろ頃合かと腰をあげようとしたとき、壁から声が聞こえて来た。隣は女湯のようだが、どうやら壁はあまり厚くないようだ。かつての同級生とはいえ女性たちが話しているのを盗み聞くのは良くないだろう。急いで立ち上がり脱衣所へ向かうと話し声が聞こえてきてしまった。
「もお最悪、すっかりあの女のこと忘れてたのにな。まさかここまで来てほじくり返されるなんて思わなかったんだけど。まあでもあいつに会えたし、プラマイゼロって感じ」
「でも、あいつマジで疑ってましたよ。バレてるんじゃないですか?」
「どうでもいい。どうせもう証拠なんかないからね」
俺は急いで浴場を出た。なんだか聞いてはいけない話だったような気がしたのだ。脱衣所で着替えながら時計を見ると、時刻は四時半。あと一時間半でパーティーが始まる。外は雨も降っているし、パーティーが始まるまでは部屋でゆっくりするとしよう。
午後六時。ホテル一階エントランスに、クラスメイトは続々と集合している。もうすぐクラスメイトだけの成人式パーティーが始まるのだ。パーティーはまだ始まっていないが、皆すでに十分盛り上がっている。それに加えて、パーティー会場である隣の広間からは、堂島グループお抱えのシェフが腕を振るった料理が並んでいるはずで、ドアの隙間からおいしそうな匂いが漂ってきている。まだ開始五分前だが、クラスメイトのほとんどは集合している。いないのは斎藤とその取り巻きの二人だけだ。主催者である堂島が「こういう時、遅刻するのはあいつらだけだもんな」と文句を垂れていると、噂が人を呼ぶのか斎藤たちが姿を現した。皆すでに高校の三年間で慣れてしまっているのか、特段遅刻を咎めようとする者もいない。それに、時刻はまだ五時五十八分。ギリギリではあるが、時間には間に合っていたのだ。
全員そろったことで、ようやく成人記念パーティーが始まった。規則的に配置された丸テーブルの上には和洋中を問わず、所狭しと料理が置かれている。皆その料理の出来栄えに目を奪われていると、広間にある壇上の上にいつの間にか堂島が立っていた。
「全員グラスは持ったか?酒が飲めない奴はオレンジジュースなり緑茶なりあるから遠慮せず近くにいるスタッフに言ってくれ。……よし、全員に飲み物が行き渡ったな。……それでは、我々の友情が末永く続くことを祈って、乾杯!」
彼の号令と共に、一斉に乾杯の合唱が起こり、皆一気にグラスをあおっていく。成人してまだ一日しか経っていないくせに、酒を飲む姿が堂に入っているのはあまり気にしてはいけないのだろう。俺はとりあえずオレンジジュースをもらってはいたが、一度ぐらいなら挑戦してもいいだろう。近くにいた赤木と倉本もどうやら酒を飲んでいないようであった。
「二人とも、酒飲まないんだな」
「ああ。二十歳の誕生日にちょっと飲んでみたんだが、あんまり好きじゃなくてな」
「俺も。別にお茶でよくね?ってなっちまってなあ」
二人の話を聞いていると、お酒に対する興味はどんどんしぼんでいく。そして、お酒はやっぱりいらないかと思い直したころ、そこらであいさつ回りをしていた堂島がこちらへやってきた。
「ようお前ら、楽しんでるか?」
「ああ。こんな豪勢なパーティー、人生に一度あるかないかだからな、存分に楽しませてもらってるよ」
「……それにしても、うまい飯ばっかだなあ。雄一はいつもこんなの喰ってんのか?」
「ああ。商品開発だって言って何回も食わされるからさすがに飽きるけどな」
「ぜいたくな悩みだな、俺も飽きるまで高級な飯食いてえよ」
「じゃあ、ぜひとも今日は楽しんでくれ。……じゃあ、俺はまた別のグループの様子を見てくるよ」
堂島は忙しそうに俺たちの前から去っていった。せっかくのパーティーだというのに、ずいぶんと仕事熱心なものだ。俺たち三人は堂島の勤勉さに感心しながら手当たり次第に好みの料理を食べていた。そろそろデザートに手を付けようかという頃、矢島が近づいてきた。
「やあ、ずいぶん楽しそうだね。……お酒は飲んでいないのかい?」
矢島の手に握られているグラスの中身はおそらくオレンジジュースだ。
「ああ。あんまり酒は好きじゃなくてな。そういう恭平こそ、ソレオレンジジュースだろ?」
「うん、僕はお酒無理なんだ。においだけでもふらつくぐらいには弱くてね。だからこうしてオレンジジュース片手に、お仲間を探してたのさ。……それよりも、もしお酒に挑戦するっていうなら、あれを食べると良いよ」
彼はそう言って女性が群がっているテーブルを指さした。彼女らの背中でテーブルの料理は見えない。
「あそこに置いてあるのはデザート類なんだ。……特に、果物に含まれている果糖はアルコールの分解を助ける働きがある。それに、悪酔いの予防にもなり得るかもしれないから、ぜひ食べておくと良い」
「そんなに言うんだったら、ちょっとは酒飲んでみようかな」
「それなら僕も挑戦しようかな」
「大丈夫か?においだけでも駄目なんだろ?」
「……チャンスは今日しかないからね。これからの人生で飲むことなんかないだろうし。……それじゃ、ごゆっくり」
矢島は別のオレンジジュース仲間を探しに行くためか、そそくさと俺たちの前から去っていった。俺たちは矢島の助言通り、フルーツを食べながら、酒を飲んでいた。途中、藤峰が昼の出来事を詫びに来たが、気にしなくていいと返した。
あっという間に時間が過ぎ、そろそろパーティーが始まってから三時間が経とうとしていた。テーブルに並べられた料理は綺麗に平らげられ、酒を飲みすぎたのか誰かの肩を借りる者や、床に寝ころびだす者までいた。それらを見た堂島は「そろそろお開きにするか」とホテルスタッフたちに片づけを命じた。その時、ガラスが割れる音がした。また誰かが手を滑らせてグラスを落としたのかと思ったが、続いて何かが床に倒れこむ音がした。音の方を見れば男が床に倒れている。あれは矢島だ。酔っ払い過ぎて倒れたのだろうか。もし頭でも打っていたら危険だろう。すぐにでも介抱するべきだと倒れた矢島に駆け寄った。そしてすぐ、違和感が芽生えた。顔が白いのだ。酩酊状態なら多少なりとも顔は赤らむはずである。だというのに矢島の顔は真っ白になっており、生気というものが全く感じられない。嫌な予感がした俺はすぐに矢島の身体を揺さぶり、声をかけた。しかし返事はない。床に寝かせるのは悪いから、とりあえずエントランスのソファにでも運ぼうかと、赤木と倉本に手伝ってもらい矢島を背負おうとしたとき、別の所でも人が倒れる音が聞こえて来た。次に倒れたのはまさかのホテルスタッフ。あの人は確か受付を担当していたはずだ。それに連鎖するように次々とホテルスタッフ、『頼れる大人たち』が倒れていく。そのいずれもがやはり矢島と同じように顔を病的に白く染め上げていた。原因もわからず、ただ倒れていく人を見ていることしかできない。パーティー会場はものの一瞬で混沌と化してしまった。事態の収拾が難しくなり始めてきたころ、一人の男が声をあげた。
「僕に診せてもらえないか?」
峯井だ。確か彼は医者志望だった。この状況下では適切な判断をしてくれるかもしれない。峯井は近くで倒れたスタッフの容態を確認していたようだが。少し脈を確かめ、口臭を少し嗅いだのち、さっさと切り上げてしまった。彼は次々と倒れた人達の容態を確認していくが、やはり脈と口臭の確認のみである。すると、この場の責任者である堂島が峯井の診察方法にしびれを切らした。
「おい、もっとちゃんと診てくれよ。なんでさっきから匂い嗅いでるんだ?」
峯井は言葉を渋っている。その態度だけで、何をためらっているか、大体の想像はついた。堂島も同じ様子ではあったが、どうにも信じ切れていないのだろう。震えた声で峯井に詰め寄る。
「答えてくれ。……こいつらは無事なんだよな?な?」
もはや願いに近いものだった。だが、こういう時こそ、願いは届かないものである。
「……いや。全員死んでいる。……おそらく食中毒か、服毒か。絶命までの速さを考えると、服毒……。つまり誰かに毒を飲まされた可能性が高い口から漂っていた刺激臭は毒性のものだろうね」
「……馬鹿なこと言ってんじゃねえ。毒だと?……食中毒かもしれないだろ」
「自分の部下を信用しているんじゃないのか?それに、雄一君も試食をしていただろう?」
堂島は歯を食いしばるばかりで、何も言わない。彼自身が食中毒はあり得ないと自分の中で結論付けたということだろう。しかし、そうなると彼らは誰かに殺されたということになってしまう。今、俺が背負っている矢島も誰かに殺されたというのか。
「でも……毒なんてどうやって……」
「ここまでの即効性を考えると、かなり強い毒だろうね。でも、そんな劇毒を入手できるのはほんの一部に限られるはずだ。警察が入手経路を調べ上げればすぐに犯人が分かるさ」
医者の卵らしい所感を述べた峯井に対し、堂島の顔は暗いままだった。そして、彼はこの事態をより絶望へと追いやる発言をするのだった。
「……毒は、この島にある」
堂島の言葉に対し、峯井は目を見開いた。そして顔全体から汗を噴き出し、拭いもせず汗を流し続けている。先ほどまで救護で騒いでいた周りもいつの間にか静まり返り、堂島の言葉の続きを待っているようだった。
「……ホテルの近くには植物園がある。そしてそこにトリカブトを展示してるんだ」
「そんな危険なものをなぜ展示するんだ!」
「展示していたのはただのレプリカだ!……実物はこの島のどこかにある。場所は一部のスタッフしか知らない」
「……じゃあスタッフの誰かがしゃべったかもしれないね」
「そんなわけないだろ!みんなアレが危険な物だってわかってた。不用意にしゃべるなんてありえない」
「じゃあ誰かが自分で探し出したんだろうね。……この中にいる誰かが」
峯井はそう言って周りを見渡す。彼はもはや自分以外の全員を疑っているように見えた。だが、今は人を疑うよりもすべきことがあるだろう。
「とにかく、このまま床に倒れたままにしておくのはかわいそうだし、どこかに寝かせようぜ」
亡くなった者達をどこかで寝かせようかと考えたが、部屋のベッドは遠すぎる。ただでさえ死体の重さは尋常ではないのに、それを何往復もするというのは現実的ではない。結局彼らが使っていた部屋からベッドシーツを持ってきて広間に敷き、そこへ寝かせることにした。ようやく全員寝かせ終えた時にはすっかり日をまたいでおり、普段なら床に就いている時間ではあるが、こんなことが起きて呑気に寝ていられるわけもない。そしてそれは他の皆も同じようで、自然とエントランスに皆集まっていた。
「……これからどうしようか」
堂島はすっかり疲れ切っている。遺体を運ぶ疲れだけでなく、この島の責任者という立場からしても、疲労は当然だろう。
「とりあえず警察を呼ぶべきだ。それと迎えの船もどうにか……」
そう提案すると、堂島はいきなり立ち上がってどこかへ行こうとしている。スマホを持っているはずなのにどこへ行くというのだ。
「どこ行くんだ?連絡ならスマホで十分だろ」
「……ここは圏外だ。スマホは碌に使えん」
俺は堂島の言うことが信じられずポケットに入れていたスマホを取り出し、表示を確認した。確かにそこには『圏外』と表示されている。そういえば今日一日スマホを見る機会などなかったせいで全く気付かなかった。
「……回線の工事は来月からのせいで、この島にはまだ電波がない。唯一の連絡手段は事務室の固定電話しかないんだ。別にそこまで遠くってわけでもない、一人でも大丈夫だ」
そう言われたが、今の憔悴しきった堂島を放っておく気にはどうしてもなれなかった。
「……峯井の話が本当なら、この島のどこかに人殺しがいる。一人じゃ危ないぞ」
「……ありがとう」
事務室へは、俺と堂島そして赤木と倉本の四人で向かうことにした。事務室は受付カウンターのすぐ近くにある。鍵などは特にかかっていないようだった。中に誰かいるかもしれないとゆっくりとドアを開ける。当然中は真っ暗だ。手探りでスイッチを探し、明かりをつけようとしたが何度スイッチを切り替えても明かりはつかない。停電か、それとも故障か。
「雄一、電気つかねえぞ」
「……何がどうなってんだよ……」
「ブレーカーが落ちてるのかもな。昼過ぎは凄い雨だったし、どこかで雷が落ちてても不思議じゃねえ」
「そうだな。雄一、ブレーカーはどこにあるんだ?」
「……地下だ」
堂島の話では、この島の電気系統はホテルに設置された太陽光パネルによる発電でまかなっているらしい。そして、発電した電気をためておく機械が地下にあり、ブレーカーも近くにあるという。エレベーターで地下へ向かう途中、エントランスから何やら騒ぎ声が聞こえてきたが、気にしている余裕はなかった。
エレベーターのドアが開き、地下で俺たちを出迎えたのは巨大な機械だった。どうやらこれが蓄電器らしく、様々な配線がつながっている。目的のブレーカーはすぐ近くにあった。ふたを開け事務室のブレーカーをあげようとしたが、それはできない。オンオフを切り替えるスイッチが無くなっていたのだ。中の配線も引きちぎられており、素人が修理できる範疇を超えている。俺たちは破壊されたブレーカーの前で事態の深刻さを再認識させられた。
「どうする?一旦上に戻って、固定電話だけ持ち出すか?」
確かに、今停電しているのは事務室だけなのだから、固定電話を別の部屋に持ち出せば済む話だ。こういう時、倉本は冴えている。だが、それよりも赤木の方が冴えていた。
「……電話線はどうするんだ?」
「電話線?」
「ああ。固定電話は大抵、電気をもらうためのコンセントに加えて、回線をつなぐためのケーブルが必要なんだ。……そして、専用の差込口もな。そんなもん、そこら中にある訳ねえ。……そうだろ、雄一」
赤木の問いに対し、堂島は小さくうなずくのみだ。つまり、赤木の言うことが本当なら連絡手段はないということなのか。
「……緊急用に電話一本あれば十分だと思ってたんだ。まさか電話がやられるとは……」
「ここでうだうだしてても仕方ねえ。一旦上に戻ろうぜ。みんなとこれからどうするか相談しなきゃな」
堂島は小さく「ああ」と返事し、俺たちはエレベーターへと乗り込んだ。エレベーター内は静かである。誰も何もしゃべらない。もしかするとここに人殺しがいるかもしれない、そう思うと話す気にはなれなかった。
エントランスへ戻った俺たちを出迎えたのは大騒ぎだった。わめいているのは斎藤か。ガラスを割ってしまうほどの金切り声で「人殺しなんかと一緒にいたくない」と暴れている。取り巻きの笹田と小岩井が必死に取り押さえてはいるものの、落ち着く様子はない。騒ぎから逃れるためか、エレベーターの近くに立っていた佐川亮に事態の説明を求めた。
「佐川、これは何の騒ぎだ?」
「よおお前ら。そんなことよりもブレーカーの様子はどうだった?助けは呼べそうか?」
「……いや、無理だ。迎えの船が来るまで一週間、ここで生活するしかない」
堂島ははっきりと言い切った。その顔には悔しさのようなものが滲んでいるように見えた。しかし、それを聞いた佐川の顔はそこまで動揺しているわけではなさそうだ。
「……そんなことだろうと思ったぜ。正直、さっきのパーティーで矢島たちが殺されたって話になった時点で助けなんか呼べねえだろって思ってたよ」
諦めがいいというか、物事の理解が早いというべきか。昔から一歩引いた視線で物事をとらえるスタンスは変わっていない。
「……で、あの騒ぎについてだったな。まあ見ればわかると思うが斎藤が暴れだしてな。誰これ構わず『あんたが犯人でしょ!』って。もう大変でしょうがない。あれ見ろよ。渡部達、泣かされてるんだぜ?」
佐川がそう言って指さした先には、女性四人ほどが身を寄せ合って縮こまっていた。渡部美由紀に森田優菜、李村小春と六川渚である。なぜか斎藤は高校当時から彼女らを嫌っており、ことあるごとに突っかかっていたのだが、まだそれを繰り返しているようだ。おそらく理由もなく真っ先に疑われたのだろう。事態を傍観している間にも、状況は悪くなっていく。斎藤がついに二人の拘束をはねのけ、一人足早に階段へ向かっていってしまった。今一人になるのは危険だ。
「待て斎藤、一人は駄目だ!何があるかわからない」
「嫌!話しかけないで!誰も信用できない!ついてこないで!」
説得を聞く耳など持たず、誰かわからない犯人から逃げるように階段を駆け上がっていった。エントランスはようやく落ち着いた雰囲気を取り戻した。俺たちは彼らにブレーカーの状態と、助けを呼べないことを伝えた。皆は思っていたよりも騒がなかった。彼らの顔に浮かんでいたのは絶望よりも疲れだった。先ほどまでの斎藤の騒ぎで疲れてしまったのだろう。それに時刻はもう午前二時を過ぎている。まともに寝られていないのも体に堪える。結局、これからどうするかの話し合いは明日に先送りし、ひとまず休息をとることにした。決して寝られそうな精神状態ではなかったが、横になるだけでも幾分ましだろう。斎藤以外の皆はそれぞれ自室から寝具を運びだし、エントランスで集まって休むことにした。明かりを消すか悩んだが、犯人が影に潜んでしまうことを考えると、どうしても消すことはできなかった。
就寝の準備を終え、そろそろ横になるかと言った時、いきなり橋本玲子が提案しだした。
「犯人がいつ動きだすかわからないし、誰かが寝ずの番をするべきじゃない?」
彼女はそう言って男性陣を見渡す。俺たちがやれということか。すかさず佐川が言い返す。
「言いだしっぺがやるべきだろ。そんなに誰かを疑うんならなおさらな」
「はあ!?女に危ないことをやらせようっての!?」
「危ないってわかってるくせに、俺たちにやらせようとしてるのはおかしくないのか?」
「あんたら男でしょ。普段から何の役にも立たないんだから、せめてこういうときぐらい役に立ちなさいよ」
こいつも変わっていない。すぐ男がどうだ女がどうだと言い出す。そして自分の言うとおりにならなければ……。この後何を言うか俺にはすでに分かっていた。
「こういう時、率先して動けないからあんたらはいつまでたってもモテないのよねえ」
これだ。『モテない』。彼女はこれが男性陣に一番効く悪口だと思っているのだろう。いつまでたってもモテるモテないが人の価値を決めるという子供じみた価値観から抜け出せていない。俺はそれに付け込んだ。
「悪い、俺婚約者いるから、危ないことしたくないんだよね。だから、勘弁してくれよな」
モテないと言われた腹いせに思いついただけの嘘である。これでさっさと議論を終わらせ、横になりたいと思っていたのだがなぜか橋本よりも笹田の方が驚いていた。「えっ!」とひときわ大きな声をあげている。まさかこの適当な嘘を信じたのか。その後もしきりに「飯島君、それ本当?」と橋本を差し置いて食いついてくる。あげくの果てには脱線した話を戻そうとした橋本に対し、「どうでもいいから黙ってて」と言い捨てるほどだ。笹田は寝ようとする俺を引き留め、何が何でも真偽を問いただしたいといった様子だ。
「ねえ、さっきの話ってホント?」
「嘘だよ。あいつうるせえから適当いて黙らせようとしただけさ」
そう伝えると彼女はすんなりと引き下がっていった。笹田の異常な食いつきのおかげで寝ずの番がどうだのはうやむやとなり、午前三時近くになってようやく休むことができた。
翌日、目を覚ました時の時刻は午前六時であった。まだ寝ている皆を起こさないようにゆっくりと体を起こし立ち上がる。トイレはどこかときょろきょろ見渡していると、「どうかしましたか」と声をかけられた。クラスメイト間で敬語を使うような人はいなかったはずだが。振り返るとどこかで見た顔の男が立っていた。白い長そでの厨房服を着ている。
「ああ。驚かせてすみません。私は木下と申します。昨日皆様のパーティーにてお食事を用意させていただきました」
ホテルの従業員の一人か。昨日のあれで全員死んだものと思っていたが、まさか生き残っていた人がいたとは。
「無事だったんですか」
「ええ。……私以外の従業員は皆死んでしまいましたが……」
昨日のパーティーの際、この島で働いている従業員全員も参加していた。とはいっても周りで給仕の手伝いをしながら、休憩時間に食事を済ませるといった様子だったらしいのだが。木下は何を思ったか事件についての所感を語りだした。
「昨日の一件、おそらく誰かが食事か飲み物に毒を混ぜたのかと思います。しかし、犯人は誰かというのは全く……」
「誰か怪しい動きをしていたのを見てはいませんか?」
俺は刑事でもないのに、なぜか聞き取りを始めていた。自分でもわからなかったが、おそらくなんでもいいから考え事をしていたかったのだろう。
「いえ、特には。もしそのようなものを見ていたら、すぐにでもその人が怪しいと申し上げていますので」
それは確かにそうだ。
「ちょっとしたことでもいいんです。何か変だなとか、珍しいなと思ったことがあれば……」
俺はある一つの予想を立てていた。昨日の一件、食事や飲み物に毒が入っていたとした場合、ホテルの従業員がほぼ全員それを口にしているというのは偶然でも出来すぎている。ある一つの料理だけに毒を入れているならば外れる可能性が高いし、すべての料理に毒を入れていたならば俺たちが死んでいないことも不思議だ。つまり、無差別的な殺人を計画していたかあるいは、誰かがそれを口にするよう誘導した可能性が高い。
「珍しいこと……」
木下は頭をひねっている。トラブル続きで疲れ切った頭に酷なことをさせてしまって申し訳ないが、この事件の犯人が分かるかもしれないのだから、耐えてもらうほかない。
「そういえば……。みんな酒を飲んでいましたね」
「酒?」
「ええ。先ほども申しました通り、従業員は給仕の仕事の傍ら、食事を済ませると決まっていたので、給仕に支障が出るようなことは慎むべきでした。ですが、昨日に限っては皆酒を飲んでいまして。聞けば同窓会に参加している男性に勧められたとか。私はお酒が飲めないので遠慮したのですが……」
そいつが犯人だ。その酒に毒を混ぜて従業員たちに飲ませて周っていたに違いない。
「酒を勧めた奴の名前は聞きましたか?」
「はい。それに、顔も覚えています」
「それは誰ですか!?」
「……しかし……」
何を渋っているのだ。もう犯人はすぐそこにいるかもしれないというのに。今ここで捕まえれば、これから起きるかもしれない凶行も防ぐことができる。俺のかつての友人かもしれない誰かを指さすのに腰が引けているのだろうか。だが、ついに意を決し誰が犯人であるかを口にした。しかし、それは予想だにしないものだった。
「……ここにはいません」
いない?どういうことだ。さっき同窓会に参加している男に勧められたって……。男は全員ここに……。いや、一人だけここにいない男がいる。しかしそれでは、犯人は一体……。
「昨日、亡くなった唯一のホテル無関係者。……矢島さん、でしたよね?彼が我々に酒を勧めて来たんです」
一瞬時が止まった気がした。酒を勧めた者が犯人だと予想を立てていたが、それが矢島だったうえに昨日のうちの矢島は死んでしまっている。……根本から考え方が違うのか?誰かが矢島を殺したかったから、ついでにホテルの従業員も殺したということなのか。もし俺が犯人ならば、このような状況下で一番邪魔になるのは『大人』だ。一歩引いた立場から適切にパニックを抑え込めてしまいそうで、彼らがいるだけで動きづらくなる。それに、高校からの付き合いなら同級生の思考はそれなりに予想できる。イレギュラーとなりうる部外者たちは消しておくべきだろう。おそらく犯人もそう判断したに違いない。そのうえで木下が生きているのは酒を断ったからだ。飲めないと断ったのに無理に酒を勧めると怪しまれる。もしそれが周りにも見られていたら警戒されるに違いない。……酒を勧めた矢島が犯人ではないとするならば、ここに寝ているうちの誰かが人殺しということか。皆昨日の疲れをいやすように静かに眠ってはいるが、自分の隣が人殺しだと分かったとき、どのような反応をするのだろう。
「……大丈夫ですか?」
うつむいて考え事をしていた俺のことを木下は心配してくれていたようだ。考え事をしていたと返事をし、大事ないことを伝える。その後、トイレの場所を聞き、一人でトイレへと向かった。木下は朝食の用意をしてくれるという。食事をとるような気分にはなれなかったが、こういう時こそ食べなければならないだろう。それに、今俺の頭は犯人が誰か考えるために、猛烈に糖分を要求していた。
トイレで用を済ませエントランスに戻る。食堂からはおいしそうな匂いが漂っており、皆匂いにつられて続々と目を覚ましていた。皆、朝の支度を済ませ食堂の席に着いたところで、斎藤の存在を思い出した。もう朝の七時半だが、まだ部屋から出てきていないようである。外へ出てくるのが嫌だとしても、食事だけはしておくべきだ。木下に頼まれ、俺は斎藤の部屋へと向かうことにした。
「聡、俺も一緒に行くよ。……ここじゃ、もう何が起こるかわからん」
「それなら、俺も行くぜ。三人いた方が何かあったときできることが増えるだろ」
俺が一人で動くことを心配してか、赤木と倉本がついてきてくれることになった。斎藤に割り当てられた亜部屋は201号室。階段を上がってすぐの所だ。部屋の前に到着した俺たちはまずドアをノックした。中からの反応はない。まだ寝ているのか、それとも誰とも会話しないつもりか。
「おーい、斎藤。起きてるか?俺だ、飯島だ。腹減ってるだろ?朝飯の用意ができてるから出て来いよ。赤木と倉本もいる、心配しなくていい」
呼びかけても反応はない。やはりまだ寝ているのだろうか。ノックと呼びかけを続けたものの、一向に事態は進展しない。倉本はついにしびれを切らし、ドアノブに手をかけた。
「こうやってガチャガチャならせば嫌でも起きるだろ!」
倉本はそう言うと力任せにドアノブをひねった。おそらく、鍵がかかっていてドアノブの回転が止まると思い込んでいたのだろう。その予想に反し、ドアノブは最後まですんなりと回り、力任せで余った勢いはドアを少し開けた。
「……あれ?開いた……」
「……鍵がかかってねえ……?」
嫌な予感がした。昨日あんなに大騒ぎをしたあげく『誰も信じられない』と言い捨てて部屋へと逃げ込んだ斎藤が鍵をかけ忘れるなどあり得るだろうか。見ていないうちにトイレにでも向かったのかもしれないが、いずれにしろ不用心が過ぎる。あそこまで神経質になっていた人間の行動とは思えなかった。それに、部屋にもトイレはある。外に出る理由としては考えられない。
「……斎藤、入るぞ」
俺は嫌な予感を押し殺してドアを開ける。しかし、それは少し開けた程度で何か重いものに引っ掛かった。床を見ると何に引っ掛かったかはすぐに分かった。……斎藤だ。ドアは倒れている斎藤の頭に引っ掛かっているのだ。
「……斎藤!」
呼びかけても返事はない。先ほどまでも全く返事がなかったのだから当然だ。うつぶせに倒れている彼女がこちらに伸ばしている左手には血の気が全くなかった。ドアをぶつけられても反応していないところからも、斎藤は死んでいると判断すべきだろう。だが、この後どうすべきかの判断はできず一旦食堂に戻って皆と相談することにした。階段へと近づくにつれ、誰かの声が聞こえてくる。階段を降り、エントランスに出てきたとき、その声は食堂から聞こえてくることに気づいた。かなりの大騒ぎのようで佐川がエントランスのソファに座り、黄昏ていた。彼は俺たちが戻ってきたことに気づき、話しかけて来た。
「……斎藤の様子はどうだった?」
食堂の大騒ぎですでに疲れているのか、佐川にあまり覇気はない。そのような状態の彼に人の死を伝えるのは少々気が引けるが仕方あるまい。
「……死んでたよ。部屋の中で倒れてた」
佐川は一瞬だけ目を見開いたが、何も言わずただ深くため息をつくばかりだった。彼は斎藤の死については何も言わず、今食堂で起きている事態について話し始めた。
「……お前らが斎藤の様子を見に行った後、白川が『斎藤もう死んでるんじゃない?』って言いだしてな。小岩井がマジギレ。『あんたが殺したからでしょ?』って。……で、このありさま。まだ飯にありつけてねえんだ。困ったもんだよな。……しかもそこに斎藤が死んでたって伝えなきゃいけないのか。……俺はごめんだぜ」
白川詩織。高校在学中にスカウトを受けていたが、卒業まで待ってもらっており、卒業と同時に女優デビューしていた。彼女は裏表のないはっきりとした性格だったが、思ったことをすぐ口にしてしまう悪癖の持ち主でもあった。それが災いし、今では若干干され気味らしい。
「わかってる。俺が伝えるよ」
「ついでにこの騒ぎを止めてくれ。俺は早く飯が食いてえんだ」
佐川から頼まれ、仕方なく食堂へと向かった。一歩近づくにつれて飛び交っていた怒号が鮮明に聞こえてくる。何やら割れる音も聞こえてくる。皿でも投げ合っているのか。食堂へと続く扉を開けた時、そこにいた全員の視線がこちらへ集中した。やはり彼女たちは皿を投げ合っていたらしい。それぞれ羽交い締めにされながらも近くにあったであろう皿やグラスを手に取って相手に投げつけていたようだ。食堂内は静寂に包まれたが、厨房にいた木下が斎藤の様子を訪ねて来た。
「斎藤さんはどうでしたか?朝ご飯は食べられそうですか?」
非常に答えづらい。何の根拠もないとはいえ、斎藤が殺されているかもしれないということで揉めていた場で、斎藤は死んでいたと伝えるのは難しい。……だが黙っていたとしても意味はない。どうすればこの事態が収まるかはわからないが、聞かれたことには真摯に堪えるべきだ。
「……斎藤は、部屋で死んでいました」
「嘘!」
真っ先に口を開いたのは小岩井。彼女はその勢いのまま拘束を振りほどき、食堂から出て行ってしまった。小岩井のことが心配なのか笹田があとからついて行った。
「斎藤が死んでたっていうのは本当か?聡」
堂島は信じられないといった様子だ。だが、事実である。
「ああ、本当だ。床に倒れていたよ」
「本当だ。俺も一緒に見たからな」
赤木はすかさず助け舟を出してくれる。
「……どうなってんだよ……」
堂島は椅子に座り、頭を抱えていた。そこへすかさず峯井が状況の説明を求める。
「彼女はどういう風に死んでいたんだい?」
「床に倒れてたよ」
「顔は?」
「いや、見えなかった。斎藤はうつ伏せに倒れててな、その上頭がドアに引っ掛かって隙間から見えたのは肩と左腕ぐらいなんだ」
「……とりあえず、部屋に行こう。力尽くでこじ開けて斎藤を運び出すんだ」
騒ぎは収まったものの、食事をとるといった雰囲気ではない。俺は斎藤の死体の第一発見者として、峯井に同行した。斎藤の部屋の前には小岩井と笹田が座りこんでいる。どうやら死体らしきものを見て腰を抜かしたようだ。
「……確かに、ここからじゃあ斎藤かどうかはわからないね」
峯井は倉本が作った隙間から部屋の中にある下を覗いている。
「そういえば……。どうやってドアを開けたんだ?鍵はかかっていなかったのかい?」
「倉本が適当にひねったら開いたんだよ。……俺もおかしいと思ったんだ。あんだけ騒いでたやつが鍵をかけ忘れるとは思えねえ」
鍵の話を始めた途端、腰を抜かしていたはずの二人はすくっと立ち上がり足早に逃げていった。
「あっ、待て!」
呼んで止まるようなら最初から逃げたりはしないだろう。峯井の呼びかけは無駄に終わった。結局二人の人手でドアを押しのけ、201号室に入った。内装は俺が割り当てられた部屋と同じだ。だが、何かが暴れた跡が残っていた。ローテーブルは倒され、上に乗っていたであろうお菓子の袋や食べかす、水が入っていたグラスが床に散らばっていた。さらに、全部屋に備えられていた灰皿は、ウォーターサーバーに投げつけられたのか、灰皿の素材であるガラスと、ウォーターサーバーのタンクのプラスチック破片が当たりに散らばっていた。お菓子の袋に関しては、昨日部屋に逃げ込んだ後、腹が減って持っていたお菓子を食べていたのだろう。しかし、彼女はなぜ死んだのだろう。昨日の錯乱具合から考えれば、誰が相手であっても部屋に招き入れるようなことはしないだろう。だが、実際彼女は死んでいるし、部屋のドアは開いている。……もしや自殺か?少なくとも人殺しとあと五日ほど過ごさねばならないということに絶望したのか?そうだとした場合、なぜ彼女はドア付近に倒れていたのだろうか。そもそも彼女は自ら命を絶つ術を持ち合わせていたのだろうか。わからないことだらけだ。……斎藤の死体に近くでしゃがんでいた峯井が立ち上がった。どうやら簡易的な検視が終わったらしい。
「おそらくだが、死因は毒だろう。外傷は見当たらないし、斎藤が何かの病気だという話も聞いていない。昨日の矢島や、従業員さんたちと同じ方法で死に至ったと考えていい。ただ、これが殺されたかどうかは分からないな」
「……斎藤は、どうしようか」
「下まで運ぶのも大変だし、一人で可哀想だがこの部屋に寝かせておこう」
二人で斎藤を持ち上げ、部屋のベッドに寝かせる。顔は苦しみに歪んでおり、彼女の壮絶な最期を嫌でも想像してしまう。ベッドのサイドテーブルにはこの部屋のカードキーが置かれていた。確かこのホテルは内側から扉を開けるのにもカードキーを要する。つまり、部屋の鍵は斎藤が自ら開けたものではないということか。俺と峯井は足早に寝室から出て、皆の所へと戻ろうとした。だが、俺は壊されたウォーターサーバーが気になり立ち止まる。タンクはばらばらに破壊され、原形をとどめていない。ガラス製の灰皿は誰かと争った末投げたものが偶然突き刺さってしまったのか、それとも何かが原因でウォーターサーバー自体を破壊したかったために投げたのか。今ここで考えていても仕方ないとはいえ、どうにも気になってしまう。その様子を見られていたか、峯井が声をかけて来た。
「どうしたんだい?そこで立ち止まって」
「いや……。なんでウォーターサーバーが壊されているんだろうなと思って」
峯井は俺に言われて初めてウォーターサーバーが破壊されていることに気づいたようだ。どうやら死体の検視にかなり神経を使っていたらしい。ゆっくりと近づき、周りをじっくり観察しては床に顔を近づけ、手を仰いでにおいをかいだりしている。そして顔をしかめながら立ち上がると、信じがたいことを話し始めた。
「これが毒だ。鼻をつくほどの刺激臭、水で少々匂いは薄まっているが、トリカブトで間違いないだろう」
「……これに入ってた水に毒が混ざってたってことか?」
「ああ。そして、斎藤はこの水を飲み、毒に気づいた。どうすることもできない腹いせに灰皿を投げつけた……。こんなところじゃないかな」
もしこの推理が正しいのなら、斎藤は誰かに殺されたことになる。それもパーティーの一件と同じように飲み物に毒を仕込む方法で。俺は昨日のパーティーからの行動を思い返していた。誰かが一人になった瞬間はなかったか。いや、俺は堂島と一緒に地下へ行っていたりしたせいで、全員の動向を知らない。それにパーティー後に毒が仕込まれたと確定したわけでもない。もっと早いうちに誰かに入れられていた可能性もある。皆が島での自由行動をしている間なら目撃者などはいないだろう。……俺はとあることを思い出し、斎藤の部屋を飛び出した。防犯カメラだ。このような場には大抵防犯カメラがあるものだ。部屋を出て天井を見渡すと、やはり防犯カメラはあった。防犯カメラは部屋の間に等間隔に設置されており、効率よく配分されているようだ。これならば、昨日斎藤の部屋に立ち入った者が誰かわかるだろう。峯井も俺の考えに気づいたようだ。
「……防犯カメラか。確かに何か映っているかもしれないね」
しかし彼はすぐさま釘をさす。
「だけど、それは犯人にとってもわかることだ。何かしらの対策をされていると思った方がいい。……例えば、このカメラは壊されているかもしれないし、録画を見られなくしているかもしれないよ」
「仮にそうだとしても、犯人につながる手がかりは今の所これしかねえんだ。見せてもらう価値はあるだろ」
峯井はうなずいて返した。俺たちは急いでエントランスへと戻り、堂島を探した。だが、俺は大事なことを忘れていた。
食堂で投げられた食器の片づけを手伝っていた堂島を見つけ、事情を説明した。堂島の反応は良くない。
「仮に防犯カメラに映っていたとしても、その記録を見る手段がないんだ。事務室が停電しているせいで、パソコンを動かせないしデータも持ち出せない」
俺はすっかり忘れていた。昨日、堂島たちと一緒に地下に行ったというのに。しかしどうしたものか。掴みかけた手掛かりはするりと指の隙間から抜けて行ってしまった。だが、まだ俺には犯人への糸が残されている。『鍵』だ。いったい誰が201号室の鍵を開けたのか。……そういえば、峯井と共に201号室へ向かった時、鍵の話をした途端笹田と小岩井が逃げるようにあの場を離れたのは何だったのだろう。それに、笹田に関しては昨日の俺の冗談に対する食いつきも気になる。あの二人は特に斎藤と親しかったし、何か知っていることがあるかもしれない。エントランスを見渡して、彼女たちを探す。二人は皆から離れて窓側のソファに座っていた。
「笹田、小岩井。ちょっといいか?」
「……何の用?」
小岩井はあからさまに不機嫌だ。長年の友人の死を目の当たりにして機嫌を保てるわけもない。
「201号室の鍵についてなんだが。……何か知ってることがあるんじゃないのか?」
前置きは面倒だ。悠長にしていると被害者が増える恐れがある。
「……さあ、何も知らないけど。なんでそんなことを私たちに聞くの?」
受け答えはすべて小岩井が担当している。笹田は傷心が激しいのか一言も喋らずうつむいているだけだ。
「俺たちが最初に斎藤の死体を見つけた時、すでに201号室の扉は開いてた。昨日あんなに大騒ぎしてた斎藤が鍵を閉め忘れるなんて考えられない」
「……だから何?」
「つまり、あの部屋の扉は誰かが開けた、あるいは誰かが斎藤に開けさせたと思うんだ」
「それで?」
「二人はクラスメイトの中で一番斎藤と親しかった。昨日の夜、あの後斎藤の様子を見に行ったりはしてないか?」
「……私たちを疑ってるの?」
小岩井は鋭く俺を睨む。ただ、その眼には何かが隠れているように見えた。
「じゃあなんで俺と峯井があの部屋に鍵がかかっていないって話をし始めた時に逃げたんだ?」
「……誰かが美咲から部屋の鍵を盗んだんでしょ。そもそも、部屋の鍵が開いてたぐらいでそんな騒ぐこと?問題は誰が美咲を殺したかでしょ」
「……部屋の鍵はベッド脇のテーブルに置かれていたよ。誰にも盗まれていない」
「だから何?その鍵がどうだっていうの?」
小岩井の苛立ちはさらに強くなっている。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「201号室の部屋の鍵を開けた人間が犯人のはずだというのは、わかってるよな」
「もちろん。で、なんで私たちが話をしなきゃいけないの?」
「俺と峯井が鍵の話を始めた途端逃げ出したからだ。何か隠してるんだろ?」
「……美咲が殺されたことには関係ないわ」
小岩井は吐き捨てるように言った。どうしても会話を終わらせたいようだが、思い通りにはさせない。
「それはお前が判断することじゃない。俺が判断することだ」
「……そもそも、なんであんたが探偵気取ってんの?誰かがあんたに事件の解決を頼んだりした?……わかった、あんたが犯人なんでしょ。そうやって探偵役を演じてれば疑われないってわけでしょ?卑怯者が。……なんで美咲はこんな奴のこと……」
ぼそぼそしゃべるせいで後半は聞き取れなかったが、どうやらかなりいら立っているようだ。だが、確かに彼女の言うとおり俺は探偵役に収まっている。そして、誰かが話したくないことを無理やり聞き出そうとしているのだ。嫌われても仕方ないが、どうにか説得しない限り彼女は秘密を明かしてはくれないだろう。どう説得すべきかと頭を悩ませていると、誰かが近づいてきた。
「話は聞かせてもらった。……この島の責任者として、聡にこの事件の捜査を依頼する。……これでいいだろ?」
近づいてきていたのは堂島だった。一番いいところで気をきかせてくれる粋の良さは変わっていない。
「はあ?いきなり出てきて何言ってんの?あんた一人が適当言ったぐらいで認められると思う?」
「なら、俺からも頼むぜ」
振り返った先には倉本が立っていた。
「かつてのクラス委員として、聡にこの事件の捜査を依頼する」
小岩井は心底うんざりした顔を隠そうともしない。
「……じゃあ早く犯人探してきて。もちろん!201号室の鍵の話はナシね」
この期に及んで話したくないというのならば、仕方あるまい。それ相応の対応をせねばならない。
「そんなに言いたくないってことは、それを使って斎藤を殺したってことか?」
「はあ!?なんでそうなんの、馬鹿じゃね!?」
すかさず峯井が口をはさむ。
「いや、当然だろう。ここまでさんざん鍵についての話を拒否するなら、犯人と疑うべきじゃないか」
「私は美咲を殺してなんかない。馬鹿なこと言わないで!そもそも、私に美咲を殺す理由なんかない!」
小岩井がそう叫んだ時、俺の背後から堂島とも倉本とも違う声が聞こえて来た。
「……案外、そうでもないかもしれねえな」
佐川だ。昔からのパパラッチ精神は変わっていないようで、この騒ぎにも首を突っ込んできた。
「斎藤の奴、まだ学生だっていうのにずいぶん羽振りがよかったよな。なあ聡」
確かに、遊園地であったときも、ブランドものに疎い俺でさえ見たことがあるようなブランド物のバッグを持っていた。それに、着ていた服もそれなりにいいものだったのだろう。しかし、それがいったいどうしたというのだ。
「ああ。確かに、そんな気はしたが。だから何だよ」
「まあまあ。……話は変わるが、最近都内じゃあ売春、こいつらにいわせりゃ『パパ活』ってやつが流行ってるらしくてな。ちょっと前に素人の立ちんぼどもは大体検挙されたんだが、今度現れたのは誰かをトップに持つ組織的な売春組織。規模どころかトップが誰かすら警察はつかみ切れていないらしいが……」
佐川はそこまで言うと、じろじろと小岩井と笹田に目線をやる。その眼にこもっているのは軽蔑だった。そこまで見れば何を言いたいかは何となく察せられるだろう。
「……斎藤が仕切ってたのか」
「そういうこと」
「どこで知ったんだよそんなこと」
警察でもまだ知らない情報をなぜ一般の大学生が知っているのだろう。
「……誰がしゃべった?」
小岩井のまとっていた苛立ちが殺意へと変わった。彼女の目は真剣そのものだが、佐川は臆さない。
「……認めるんだな、俺が言ったこと」
「……で、誰がしゃべったの?」
どうやら小岩井は自分がその組織にいるということを暗に認めたようだ。しかし、そんなことよりも機密を漏らした仲間への仕打ちの方が彼女にとっては重要らしい。佐川は口角を釣り上げて言った。
「ハッタリだよ。誰からも聞いちゃいない。お前らの身の振り方を見て適当に予想を立てただけさ」
佐川以外は言葉を失っていた。ハッタリだと?それらしい言葉を並べ立てて相手が事実を認めた途端手のひら返しとは。……いや、しかしこれがなぜ笹田と小岩井が斎藤を殺す理由になるのだ。
「それで、なんで売春組織への所属が斎藤殺しの動機につながるんだ?」
佐川は「ただの妄想だから真に受けないでくれ」と前置きし、考えられる動機を話し始めた。
「こういう組織でトップの奴は大抵自分じゃ働かねえ。例えば椅子に座ってるだけの社長とかな。そいつらはどうやって儲けるって考えた時、真っ先に思いつくのが上納だ。下の稼ぎを吸い上げる。……そして次第にノルマはきつくなる。達成できなければ当然お叱りを受けるだろう。……お前らは斎藤よりも立場が下だったからな」
「いや、三人は普通の友達だったんじゃないのか?立場がどうとかないだろ」
「本当にそうか?昨日のこと、特に遊園地でのことを思い出してみろよ」
遊園地のこと?確か俺と赤木、倉本、堂島の四人で遊園地に向かって俺以外の三人が絶叫マシンに乗っていた。俺はそれをベンチで座りながら見ていて……。その時に斎藤が二人を連れて俺に話しかけて来た。……そういえば、あの時笹田と小岩井は一言も俺と会話してなかったな。
「確か、遊園地で会った時二人とも俺と話そうとしなかったな」
「それが、斎藤からの命令だったんだ」
「なんでそんな命令をする必要があるんだ?」
「それは、昨日の笹田が教えてくれていたぜ」
昨日の笹田?……昨日の夜のことだろうか。俺が橋本を黙らせるために、適当に婚約者がいると嘘をついた時、異常に食いついていた。しかしそれが何だというんだ。
「俺のあの嘘のことか?それが何だって言うんだよ」
「斎藤はお前を狙っていた。もちろん恋愛的な意味でな。……こいつらはただの盛り上げ要因ってわけだ。そうだろ?」
佐川は二人へ同意を求める。だが二人は反応を示さずただうつむいてばかりだ。佐川は続けて信じがたいことを話す。
「……浜田が死んだ原因も斎藤だからな」
エントランスは静まり返った。遠くで聞き耳を立てていたであろう皆も息をのんでいる。聞こえてくるのは外の雨音だけだ。
「なあ、聡。お前、高校の時浜田とかなり仲が良かったよな」
「そうだったか?別に普通だと思うんだが……」
「……ああ、普通だったよ。特別な感情を持った人間が見なければな。……斎藤はお前に好意を持っていた。お前は一切気づいてなかっただろうけどな。……自分が好きな男に女が近づいていたら、どうなるだろうな」
まさかそれだけの理由で、浜田を自殺に?自分の恋路のためだけに人を殺すなんてことができるのだろうか。
「最初は、ただの話し合いだったんだろう。でも、それじゃらちが明かなくなった。なら、どうするか。相手を貶めるしかないだろう。……だから、浜田は体を売らされた」
昨日の内山の戯言は事実だというのか。次々と俺が知らないクラスメイトの隠し事がばらされていく。あの時の仲の良さはすべて演技だったのか。こいつらは内心他人をさげすみながら学校生活を過ごしていたのか。
「そのあと、浜田は内山にあてがわれた。浜田はすでに、女としちゃ最も耐えがたいであろう屈辱にまみれていたんだ。それに、だいぶ稼げたから斎藤からすればもう必要なかったんだ。そうだろ、内山」
佐川は遠くで話を聞いていたであろう内山に対しそう呼びかけた。内山はふんぞり返ったようにソファに座り込んでおり、ただゆっくりと首を縦に振って佐川の話を肯定し、話の続きを始めた。
「斎藤から浜田を擦り付けられた後、角田と杉森の三人で遊んだんだ。一か月程度遊んで、最後に遊んだのが浜田が自殺する二日前だったかな」
内山はへらへら笑いながら浜田の自殺の真相を話した。俺はもう何も考えられなくなっていた。そんな奴らと一緒に生活していたのか、そんな奴らが一丁前に人生を送っているのか、そんな奴らが社会に出ようとしているのか。とんでもない事実を暴露されたが、小岩井は未だうつむくばかりで、まるで自分は無関係とでも言っているようだ。彼女はあくびを一つすると、けだるげに口を開く。
「……それで、なんでそんな昔のどうでもいい話が今につながるワケ?今の問題は美咲を殺した犯人でしょ?浜田の自殺とか関係なくない?」
佐川は挑発するように動機の予想を立てていく。
「怖かったんだろ?次に売られるのが自分かもしれなかったから。自分たちはきつい思いして金を稼いでいるのに、斎藤は椅子に座って金勘定ばかり。しまいにゃ稼ぎが足りないと文句をつける始末。そこで、お前らは思い出したんだ、浜田のことを。斎藤に見限られておもちゃにされた女のことを。自分だけはそうなりたくはなかった。だから殺したんだ」
「……なんでそれを、今、ここでやんなきゃいけないの?」
「犯人が誰かわからなくしたかったから。大勢いる容疑者に加えて、もともと仲の良かった三人っていうことにしておけば疑われる確率がかなり低くなる。……けど、残念だったな。聡たちが鍵のことを見つけちまったおかげで真っ先に疑われちまった。それに、さっさと認めておけばいいものをいつまでも認めようとしないからこうしてバレたくない昔の話までばらされる。……いや全く、みじめなもんだよなあ」
佐川は挑発をやめない。そこには小岩井を怒らせたいという理由以上の何かが潜んでいるように見えた。
「……わかった。話すわ」
ついに笹田が口を開いた。今までずっと小岩井の影に隠れて息をひそめていたというのに、どういう風の吹き回しだ。
「芽衣、言わなくてもいいって」
「ううん、今ここではっきりさせておかないと、私たち人殺しになっちゃうんだよ」
「……でも、正直に話したって疑われるだけじゃ……」
「それでも隠し事をするよりはマシじゃない?」
「……わかった」
笹田の説得により、ようやく小岩井も覚悟を決めたようだ。一呼吸おいて笹田が話し始める。
「問題は、私たちがなんで201号室の鍵の話から逃げたか、でしょ?……答えは簡単、私たちがその部屋の鍵を持ってるから」
笹田はそう言ってポケットからカードキーを取り出す。
「昨日の昼過ぎに美咲からもらっていたの。お風呂から出たあとに話したいことがあるからって、脱衣所で受け取ったわ。美咲はどうやらそのあと受付の人に『鍵をなくした』って言ってスペアキーをもらっていたわ」
堂島はこの話を聞いてすぐさま受付裏の事務室に飛んでいった。どうやら貸し出しには記録が残っているらしく、それの確認に行ったようだ。
「美咲がいつ殺されたのかはわからないけど、私たちだけはあの扉をあけられた。……疑われて当然ね」
笹田は自分をささやかに嘲笑った。だが、彼女の話は違う方向へ発展することになる。事務室へ確認に行っていた堂島が戻って来るやいなや笹田に食って掛かったのだ。
「一枚だけか!?斎藤からもらったスペアは一枚だけか!?」
「え、ええ。私が持ってる一枚だけだけど……」
堂島は「どういうことだ」と小さくつぶやき唸っている。一体記録には何が残っていたのだ。
「雄一、どうしたんだ。貸出記録を見て来たんだろ?」
「……ああ。……でも、201号室の鍵は『二枚』貸し出されている。……つまり、笹田たち以外にもう一枚誰かが201号室の鍵を持っているかもしれないんだ」
斎藤は一度、笹田に鍵を渡しその後受付からスペアを受け取っている。その前か後かはわからないが、斎藤はもう一度鍵を紛失しており、受付から鍵を借りていたのだ。もしかすると、斎藤がどこかで紛失した鍵を誰かが見つけて持っているかもしれない。そいつが犯人か。いや、犯人なら既にどこかへ捨てているだろう。いざ見つかれば真っ先に疑われるのだから、持ち続けるはずはない。
「で、結局犯人は誰なんだ?」
佐川は無神経にそうつぶやく。彼の言い方はまるで推理ゲームでもしているかのようにあっけらかんとしていた。
「笹田と小岩井だろ。さっさとこいつらどっかに隔離しようぜ」
ソファにふんぞり返っていたはずの内山がいつの間にか近くまで来ていた。内山は警察学校に通っている清野が適任だと言い、二人に手錠をかけろとのたまいだした。彼の横暴にはいつもうんざりさせられる。奴の思い通りにだけはしたくなかった。
「……二人は犯人じゃないだろ」
「……はあ?なんでそうなるんだよ。証拠はそいつらが持ってるし、動機もさっき佐川が言った通りだろ?」
「お前は話を聞いてなかったのか?鍵は二枚貸し出されてたんだ。ここにある奴と、もう一枚別の誰かが持っているかもしれない鍵がな。それに、人の出入りが限られた場所で人を殺したところで、疑いは均等にかかるもんだ。それに、鍵の話で怖くなって逃げだすなんて、人殺しとしちゃあまりにお粗末すぎる。そもそも本当に売春組織なんか動かしてたんならそっちで殺しておいた方が犯人が分かりにくいだろう。ここで焦って人を殺す理由なんかない」
「なんだよ、必死になって女かばいやがって。正義のヒーロー気取りか?」
「違う、そんなんじゃない。……この二人には斎藤以上に、矢島を殺す理由がないんだ」
この場にいた俺以外の全員は目を点にしている。
「はあ?なんで矢島が出てくんだよ」
内山の持つ疑問も当然だろう。だが、俺の考えが正しければ、この事件はそんな単純な物じゃない。
「……矢島とホテルの従業員たち、そして斎藤の事件。この二つはつながっていると思うんだ」
「だけど、二人に共通点なんてどこにも……」
峯井が当然の疑問をつぶやく。
「そうよ。それにホテルの従業員さんたちはそれ以上に関係ないわ」
疑いが晴れた笹田も議論に参加してきた。
「共通点はある。……死因だ。ホテルの従業員や矢島、斎藤も服毒死だった。原因は、トリカブト。そうだよな、峯井」
俺にいきなり話を振られたからか峯井は少し驚いたようだが、すぐさま自分の役割を理解してくれたようだ。
「……うん。専門的な解析はしていたのだけど、従業員さんたちの口臭と、斎藤の部屋にこぼされていた水からは同じような匂いがしたんだ。……トリカブト。ヨモギに似た匂いだが、それよりも刺激的で青臭い。使われたのはトリカブトで間違いないだろう」
「昨日のうちに殺されてしまった人たちは皆トリカブトで殺されている。……殺害方法が同じだからって犯人も同じだと?あまり賢いとは言えねえなあ。そもそも、トリカブトはこの島のどっかに生えてるんだろ?それなら複数人が手に入れてても不思議じゃねえ。……それに、同じ方法を使えばお前みたいなやつが同一犯だと思ってくれて疑いが晴れる可能性が上がるだろ?」
……ぐうの音も出ない。確かに内山の言うとおりだ。あの二人の共通点は死因以外にはない。しかもそれが、不特定多数が手に入れられるものならば犯人を絞り込むことなど不可能だ。だが、俺の頭の中ではこの事件はつながっているとなぜか確信していた。
「何も言えねえか?時間かけて適当のたまいやがって馬鹿みてえだぜ。……とにかく、これで斎藤殺しは笹田と小岩井って決まりだな。俺は人殺しと一緒にいられるほど肝は据わってねえからな、さっさと隔離してくれや」
内山に言いくるめられた俺にはもうこの場で意見する権利など残っていなかった。二人の隔離という面倒事を擦り付けられた清野は戸惑いを見せていたが、皆の安全のためと吹き込まれしぶしぶ二人を連れて行った。
「どこに閉じ込めるかなあ」
内山は下衆のようなことを考えている。
「いや、二人のうちのどちらかの部屋でいいだろ」
冷静に清野は返した。それが認められ、二人は小岩井の部屋である110号室へと隔離された。
「いやーこれで万事解決。人殺しも閉じ込めたし、これで安全だな」
内山は大きな独り言を言いながら自分の部屋、104号室へと戻っていった。エントランスに残っていた俺は、この事件のつながりを考えていた。しかし、いくら考えたところで先ほどの内山の言い分を崩せるような考えは出てこない。ホテルの従業員が殺されたのは、おそらく邪魔者の排除で間違いないと思う。だが、矢島と斎藤。この二人に殺されるような共通点などあるのだろうか。一人用のソファに座り、目をつむり腕を組んで考え込む。その時、「ちょっといい?」と声をかけられた。すっかり油断していたせいで少し驚いた。目の前にいたのは上田翔子。名前の順で俺の後ろの席に座っており、ちょくちょく話す機会があったためそれなりに親しかった。今は看護学校に通っているとか。
「翔子、どうした?」
「……矢島と斎藤、二人の共通点。私知ってるよ。……聡も知ってると思う」
何?俺でも知っている二人の共通点?そんなものがあるというのか。それは一体……。
「いや、全然心当たりがない。その共通点って何?」
「……浜田優」
「……え?」
浜田優。高校二年生の時に自殺してしまった女子。彼女が共通点とはいったいどういうことだ。
「矢島君と優ちゃんは幼馴染だったの。家も近くてよく一緒に帰っているのを見たよ。……美咲に関してはさっき話してた通りだと思う」
浜田優が二人の共通点だったのか。矢島にとっては幼馴染として、斎藤にとっては命を奪ったおもちゃとして。いや、それならなぜ矢島は死んでいるんだ?これが本当なら矢島が斎藤を殺すことには説明がつく。復讐のためだ。……だが、実際はどうだ。真っ先に矢島が死んでいるではないか。それにしても、今になってここまで浜田優の名前を聞くことになるとは思っていなかった。
「どう?何かのヒントになりそう?」
「……ああ。ありがとう。なんかとっかかりができたような気がするよ」
上田に礼を告げ、ソファから立ち上がった。時刻は午前十一時。結局朝飯を食べ損ねたせいで腹が減っている。それは皆も同様だったようで木下が気を利かせて早めの昼飯となった。木下はもろもろの準備を終えると二食分を109号室へと持っていった。食堂にはほぼ全員が来ているが、隔離されたあの二人と部屋の戻ったらしい内山が来ていない。だが、食事を届けに行った木下が部屋に立ち寄り連れて帰ってきたようだ。おそらく昼寝でもしていたのだろう、睡眠が足りていないことをアピールするようにしきりにあくびを繰り返している。これで全員がそろい、半日ぶりの食事にありつけた。しばらく機能していなかった味覚は久しぶりの役目を果たし、その働きが痺れとなって舌を伝う。まさに生き返ったかのようだ。俺たちは遠慮することなく食事を続け、用意されていたものをすべて食べ切った。俺たちは食堂の中で食休みがてらこれからを話し合っていた。
「助けは呼べないの?」
「電話が使えねえ」
「スマホも駄目だ」
「迎えの船が来るのは?」
「あと五日ぐらいかな」
皆口々に堂島へと質問を投げかけ、彼は丁寧に返答している。島の主としての役割を立派に果たしてはいるものの彼もそれなりに疲れているはずだ。少し休ませてやる必要があるだろう。話し合いがひと段落したところで、俺と赤木、倉本の三人で堂島を連れ出した。気分転換には外に出るのが一番だが、まだ雨は降り続けており外へ出たくはない。俺が言い出しっぺであるため、仕方なく自分の部屋である102号室へと連れて行った。相談があると言って堂島を連れ出したため、彼はなんだか戸惑っているようだった。
「なあ、結局相談ってなんだよ。聡の部屋に何かあんのか?」
「……雄一、疲れてんだろ。少し休んで行けよ」
「そうだぞ。昨日結局寝ずの番をしてたらしいしな」
堂島が驚いた顔をする。誰にも気づかれていないと思っていたようだ。
「木下さんから聞いたんだよ。……責任を感じてるのは分かるが、少しでも休まないと雄一の身体が持たないぞ」
「……誰にも邪魔されないようにここに連れ込んだんだ。好きなだけ休んで行ってくれ」
堂島は短く「……ありがとう」とだけ言うと、寝室へと消えていった。閉じられた扉に聞き耳を立てるともう寝息が聞こえてくる。どうやら責任感に追われて起きていたようだ。俺たちは堂島が眠りについたことを確かめるとリビングで事件について話し始めた。
「……斎藤で事件は終わりなのかなあ」
「わかんねえけど……。聡はどうだ?なんかわかったこととか……」
「ただの勘だけど、まだ事件は終わってない気がするんだ」
「……外れることを願うよ」
その時、部屋のドアが乱暴にノックされた。ドアを開けるとそこには内山と角田、杉森が立っている。
「よお、堂島いるよな。聞きてえことがあんだけどよ」
「雄一は今寝てるんだ。少しは休ませてやれ」
「そんなことより、屋上行きてえんだけど」
馬鹿と煙は何とやらとはよく言ったものだ。高校の時も昼休みに屋上へと出て昼寝をし、よく五時限目をすっぽかしていた。だが、今は外では雨が降っている。部屋の中でも音が聞こえてくるから間違いない。こんな時に屋上に出てどうするつもりだ。
「雨降ってんだろ、今外に出てどうすんだよ」
「馬鹿かお前、傘があんだろうがよ」
傘をさしてまで屋上に行きたいのなら馬鹿は間違いなくこいつだ。だが、こんな奴の相手をしていられるほど俺の体力は余っていない。
「受付のカウンターでも探してみろよ。どっかにあるかもしれないぞ」
俺はそう言って会話を打ち切った。彼らは悪態をつきながらエントランスへ向かっていった。その後、部屋で他愛もない話を続けて一時間ほど経った頃、堂島が起きて来た。彼は起きて早々残した仕事があると言い部屋を出てエントランスへと向かおうとしている。
「仕事ってなんだよ?」
「……壊されたブレーカーを何とか修理できねえかなって」
「それってなんか資格がいるんじゃないのか?」
「黙って迎えを待つなんてできねえ。もし聡の言うとおりこの事件がまだ続くのなら一秒でも早く助けを呼べるようにするべきだ。そうだろ?」
堂島の言うことはもっともだ。だからこそ、もっと人に頼ることも覚えるべきだ。
「じゃあ、俺も手伝うよ。俺も素人だけど人手があるだけでできることが増えるだろ?」
「で、でも聡はこの島の責任者でもないし、一応は客なんだぜ?」
「俺も聡も、茂も雄一も。全員事件に巻き込まれただけの一般人だ。今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ。それこそ、一秒でも早くだ」
「守の言うとおりだよ。それに今は一人で動くのは危ないんだからさ、みんなで一緒に行こうぜ」
赤木と倉本も堂島を説得する。説得が届き、改めて堂島から「一緒にブレーカーを修理してくれないか」と頼まれた。答えは「もちろん」以外ない。
緊急事態下で友情を確かめ合い、ブレーカー修理のためエレベーターがあるエントランスに向かった。客室前の廊下を抜けてエントランスに出ると真っ先に角田と杉森がこちらへ駆け寄ってきた。
「すまん、ちょっといいか?」
「あれ?お前ら内山と一緒に屋上に行ってたんじゃなかったのか?」
「そのことなんだが。聡の言うとおり受付のカウンターに屋上の鍵があってよ。それを取って屋上まで行ったんだ。そしたら内山の奴、自分だけ屋上に出た途端向こうから鍵かけやがってな。『俺一人で楽しんでくる』とかほざきやがって。……それはいつものことだから別にいいんだが、あれから一時間ぐらい経つのに全然降りてこねえんだ。まさかとは思うが、この雨ん中で昼寝してるかもしれないから、様子を見に行きたいんだ。屋上の鍵にもスペアとかってないか?」
「……あるよ。事務室に置いてある。取ってくるから待っててくれ」
堂島は少々呆れてるようだった。おそらくだが、内山のあの乱暴なノックで起きていて、話を聞いていたのだろう。事件がらみではない面倒事が増えてうんざりしているといったところか。
「それにしても、雨の中わざわざ屋上に出るなんて、煙と馬鹿は何とやら……」
赤木が茶化す。角田と杉森は少し顔に青筋を立てているが、まだ何とかこらえているようだ。
「二人は内山が風邪ひかないか心配なんだっけ。……そもそも馬鹿は風邪なんか引かねえだろ」
倉本の言葉に、角田と杉森の二人は相当頭に来ているようだ。自分たちのリーダーが馬鹿にされていれば当然だろうが、あんなのを担ぎ上げている時点でたかが知れている。
「お前ら……。まあ、いいや。あとで内山にチクってやるよ。そんでボコボコに殴られるといいさ」
彼らはスペアキーを持ってきた堂島から鍵を奪いとり、礼も言わず捨て台詞だけを吐くとエレベーターへと飛びついた。エレベーターは二つ設置されているが、地下へ行けるエレベーターは片方のみだ。彼らは偶然なのか定かではないが地下へ行ける方のエレベーターを使って屋上へと向かっていってしまったため、少々待たされることになりそうだ。俺たちはエレベーター上部の電光パネルでエレベータの所在を眺めていた。内山たちのことはどうでもいいが、エレベーターだけは早く降りてきてほしい。電光パネルはついに屋上を表示した。俺はすぐさまエレベーターを呼ぼうとしたが、堂島からストップが入る。
「あいつらちょっと待たされただけでキレそうだから、エレベーターはそのままにしておこう。あいつらが降りてくるのを待つんだ」
時間の無駄かもしれないが、後々見当違いな方面で怒って絡まれる方が時間の無駄なので、堂島に従うことにした。五分ほど経っただろうか、エレベーターは再び動き始めた瞬間、背後からものすごい衝撃音が聞こえて来た。重いものが空から降ってきたのか。最初この大雨の影響でホテルの何かが剥がれ落ちたのかと思ったがそうではなかった。空から降ってきたのは内山だったのだ。頭から地面に落ちたのか、首がすさまじい方向に曲がっている。皆がショックで動けず内山の身体が雨にさらされている。背後からエレベーターの到着音が鳴った。角田と杉森はエレベーター内で腰を抜かしている。もう一度内山の死体に目をやると、彼が持っていたであろう傘が空から舞い落ち、彼の身体を雨から守るように死体に重なった。
内山の死体をホテル内に運び込み、皆と同じように広間に寝かせた。内山の眉間にはしわが寄り、口元は痛みに歪んでいるように見える。一体、屋上で何があったのだろう。角田と杉森に話を聞いてみるほかない。エントランスへと戻ると、その二人が周囲に当たり散らしていた。誰から構わずかみつき、「お前が犯人だろ」と何の根拠もない主張を繰りかえしている。
「角田、杉森、ちょっと落ち着けって。……なあ、話を聞かせてくれよ。お前らが屋上に着いた後、何があったのか」
二人はようやく落ち着いたのか適当なソファに腰を下ろすと、ぽつぽつと語り始めた。
「堂島から鍵をもらって、エレベーターで上まで行った。で、この鍵で屋上のドアを開けたんだ。開けてすぐ、内山は柵から滑り落ちていったんだ。……名前を呼ぶ暇もなかった。俺たちがドアを開けた瞬間、ピクリともしないで落ちていったんだ」
そのあと急いでエレベーターで下まで降りて来たということだろう。だが、彼らの言葉を信じる者などこの場にはいなかった。皆それぞれ自分ができる限りの怪訝な顔をして角田と杉森の二人を睨む。普段の彼らの行いもあるだろうが、それ以上に屋上から勝手に滑り落ちたという言葉が信用ならないのだ。
「なんだよ、落ちていったって。お前らのどっちかが突き落としたんじゃないのか?」
「俺たちがそんなことするわけないだろ」
「じゃあ自殺か?内山は自殺するような奴か?違うだろ。それとも自分たち以外の誰かが殺したとでもいうのか?それも違うよな。お前らの話じゃあ屋上にはお前ら以外誰もいなかったんだから、犯人はお前らじゃねえとおかしいだろうが。……そもそも滑り落ちたってなんだよ。突き落としたにしろ、もう少し頭を使えよ」
「違うんだって!……内山はなぜか柵の手すり部分に腹を乗せて、上半身を外に投げ出してたんだ。俺たちがドアを開けた時にはもうそんな姿勢だった。で、ドアを開けた途端何かの重みでどんどん体が柵の向こう側に引っ張られて行って、最後には落ちちまったんだ。俺たちは殺してなんかない!」
この必死な物言い、何かを隠しているとは思えない。もしやこの二人は本当に犯人ではないのか。どちらにしろ、内山には自殺する理由もなければ自殺を選ぶほどの責任感もない。何かのトリックを仕掛けられている可能性を考え、現場である屋上へと向かった。雨は未だ強く降りつけており、屋上の床などは濡れて非常に滑りやすくなっている。何かに躓いたあげく滑った勢いで落ちた可能性も出て来た。屋上へと来たのは、俺と堂島。そして第一発見者の角田と杉森である。屋上には貯水タンクと、まだ使い物にならないアンテナがあるぐらいで、それ以外に何か殺人につながるような痕跡は見られない。角田と杉森二人の案内で内山がちょうど落ちた場所であろう柵を見つけた。とはいっても、ここにも特段何かがあるわけでもない。やはり雨に濡れて滑りやすくなっているぐらいで、それ以外には何も……。俺は内山が落ちた場所から地上を覗いた。かなりの高さで、ここから落ちてしまえば一命をとりとめる可能性はないだろう。そうして下を覗いていると、気になる物を見つけた。一目見た時は壁に使われているレンガがずれているのかと思ったが、質感が違う気がする。よくわからないものはおそらくプラスチック素材だし、それに大きさも全く違う。柵の上から手を伸ばしても届かない。柵の下側から手を通しても、返しのようになっている部分が邪魔をして、例の何かには手が届かない。もう少しで届きそうで、もやもやする。危険かもしれないが、柵から身を乗り出せば……。ん?柵から身を乗り出す?
「なあ、角田。お前らがここに来た時、内山はどんな体勢だったって言ってたっけ?」
「え?……柵の上に腹をのっけて、上半身を外に投げ出してたような体勢だったかなあ。それがどうしたよ」
「あとで話す。……堂島、バケツと傘。あとは長い箒ってあるか?」
「……何かに必要なんだな。持ってくる!」
堂島は急いでエレベーターへと向かった。……俺の推理が正しければ、内山は殺されている。それに、誰でも内山を殺せたかもしれない。
堂島が、頼んだものを持ってきてくれた。早速アレを回収しよう。傘の手持ち部分にバケツの手持ち部分を引っかけ、角田に傘の先端部分を持たせ、アレがあるところに下にバケツを構えさせた。あとは箒を使って何とか掻き出せれば……。なかなかの重さではあるが、ようやく掻き出せた。それはゴトンと重い音を立ててバケツへと落ちた。
「なんだこれ?ラジオ?」
この黒い機械はラジオで間違いないだろう。スピーカーもついているし、音量調節用のつまみもある。それに、電波を受信するための収納式アンテナもあり、かなりいいものではありそうだ。ただ、なぜかは分からないが、時折小さく爆ぜるような音がラジオの内部から聞こえてくる。雨に濡れて故障でもしたのだろうか。……いつまでも屋上にいたら濡れて風邪をひいてしまう。ラジオを調べるのは室内に戻ってからだ。
エレベーターで一階エントランスに戻ると、赤木と倉本がタオルをもって出迎えてくれた。雨に濡れた俺たちは髪と体をできるだけ拭いて、屋上で見つけたラジオについて話した。
「なんか、バチバチ言ってるけど大丈夫なのかコレ」
「雨で壊れたかもしれん。とりあえず乾かしてから分解するか」
そう言ってラジオを掴んだ時、腕全体に激痛が走った。あまりの衝撃に俺はラジオを放り出してしまう。ラジオを掴んだ手どころか、腕や上半身の半分にいたるまで痺れて思い通りに動かせない。あまりの衝撃に一瞬気が遠くなりそうになった。
「おい、聡。大丈夫か?」
「コレ漏電してるんじゃないか。大丈夫かよ」
倉本が声をかけて来た。赤木は俺を心配して、俺の目の前で手を振っている。
「……大丈夫だ。一瞬意識が飛びかけただけだ。それにしても、やっぱり故障してたか」
俺は右肩を押さえながら答えた。俺が放り出したラジオは堂島がタオルでくるんで拾ってくれた。その後、堂島は丁寧にラジオの水気をふき取り、違う目的で用意していた工具箱を持ち出した。ドライバーで背面のねじを回し、ふたを開ける。ラジオの中は思っていたよりも複雑な設計をしており、こんなに必要なのかと思うほど配線が多い。そこへ、中学時代からのメカニックである仙波理子が興味津々に近づいてきた。
「ねえ、ちょっとそれみせて。……これ改造されてるね。これはラジオの機能を削ってスタンガンとしても使えるようになってる。さっき飯島君が痺れたのは漏電のせいなんかじゃない」
これが内山の死の原因ではないかと予想を立てていたのだが、まさかこれが改造されているとは思わなかった。
「この電源を入れるところのスイッチ。まずここが改造されていて、電源オフが無くなってる。ラジオを流すか、電流を流すかどっちかってことね。で、今は電流が流れてる。流れてる場所は、この収納式のアンテナ。通電素材だから合理的と言えば合理的ね。……となると、このラジオ、電波拾えないな。たぶんテープを流すための機能しか残ってない」
少々喋るのが早く、なかなか理解が追い付かない。だが、電波を拾う機能がないとすれば、そのテープに内山の死の原因が隠されているのか……?確証はないが、あんな場所に隠されていた以上疑わざるを得ない。
「とりあえず、テープを流してみましょ。このアンテナ部分には触らないようにすれば平気」
仙波の指示にしたがい、堂島がラジオのスイッチを切り替えた。すると彼女の予想通り、テープが回り始める。少ししたのち、テープに録音されていた内容が流れ始めた。
『お前のせいだ。お前が浜田優を殺したんだ。お前は地獄に落ちるべきだ。お前は生きていてはいけないんだ……』
「止めて!」
音声を聞いた途端、橋本がヒステリックに叫んだ。その後も「早く止めて!」だの「うるさい!」だのわめき散らしている。彼女の必死の剣幕に押され、音声を止めた。彼女のヒステリックさは高校の時にもいくらか見たが、今日は特段忌避の気持ちが強い。……ラジオから流れていた音声はどこかで聞いたような声だが、それを思い出そうにも彼女の騒ぎ声に思考を乱され、考えがまとまらない。橋本がいきなり強い拒否反応を示しだすので、隣に居た渡部が「どうしたの?」と心配そうにしている。しかし橋本はパニックに陥っているのか彼女の声は届いていないようだ。
「私じゃない……。私じゃない……。アレはただの冗談で……」
何を言っているのかはよくわからないが、かなり混乱しているようだ。彼女には少々休んでいてもらおう。
「なあ、渡部。橋本を部屋に連れて行ってくれねえか。一人で休ませよう」
「……うん、わかった。ほら、玲子。行くよ」
そう言って渡部は橋本の肩に手を添える。しかし、橋本はその手を振り払った。
「触らないで!私は何もしてないの!」
何か幻覚のようなものにでも囚われているのか、隣の人物を渡部だと認識できていないようだ。
「お願いだからこっち来ないで!ねえ、浜田!私はただの冗談で……」
「玲子?大丈夫?」
渡部は優しく橋本に問いかける。しかし、彼女の反応は先ほど以上に幻覚を恐れているようだった。しかもそれだけではなく、周りの人物すべてが恐れている者の姿に見えているのか、心配して集まってくれたクラスメイトを突き飛ばして外へ走り出してしまった。皆が口々に「待って!」と呼びかけても振り返ることさえせず、雨の中傘もささず、ほとんど手ぶらで出て行ってしまった。今俺たちが置かれている現状を考えると非常にまずい。どこに人殺しが潜んでいるかもわからないのに、一人で外に出してしまった。その上、パニックのせいかわからないが、なぜか舗装された道をはずれ山の方へ入って行ってしまった。
「……早く追いかけないと」
渡部がそう言って外へ出る準備をするが、堂島が手を伸ばして道をふさいだ。
「……どうして止めるの?」
「雨の中山に入るのは危険だ。滑落する危険性が高すぎる。ケガするだけならまだいいが、打ち所が悪ければ死んじまう可能性もあるんだぞ。素人が勢いだけで入っていいところじゃないんだ」
「それは玲子にも言えるでしょ!早く助けに行かないと、玲子がそうなっちゃうかもしれない」
「……せめて、雨が弱くなるのを待ってからだ。我慢してくれ、ミイラ取りがミイラになるわけにはいかないだろ?」
「……わかった」
渡部は堂島の説得にしぶしぶ同意した。
「……でも、雨が弱くなればすぐにでも探しに行くから」
だが、橋本を探しに行くという決意は消えていない。堂島は「今からブレーカーの修理をするために地下に行ってるから、雨が弱くなったら呼んでくれ。俺も橋本探しに協力する」と約束した。
俺たちは当初の予定通り、地下へブレーカーの修理に来た。途中で内山の死という大きなトラブルがあったからこそ、一秒でも早くこれを修理したい。とはいっても、素人目ではどう直せばいいのか皆目見当もつかない。ただ男四人が、壊されたブレーカーを前に立ち尽くして唸っていることしかできない。それに、ここには専門的な道具もない。引きちぎられた二本の配線を無理やりつなげることはできるのだろうが、それをしたところで事務室の電気が安全に復旧するとは考えづらい。結局何もできず、現状を抜け出す方法はないということを再認識したのみだった。諦めて上へと戻ったとき、ちょうど渡部がエレベーターの目の前にいた。
「見て!雨が弱くなってきたの。これならいけるんじゃない?」
あれから一時間近くは経っただろうか。あの大雨はしとしと降る弱い雨へと変わり、雲の切れ目からは青空が見え、光が差し込んできている。もうすぐ完全に雨は止むだろう。堂島も窓から外の様子を確認している。
「……うん。これなら大丈夫そうだな。じゃあ、橋本を探しに行こう」
堂島と渡部主導のもと組織された捜索隊は山の中へと消えていった橋本を探すため山の中へと足を踏み入れた。捜索隊のメンバーは、隔離されている笹田と小岩井、その監視役を務めてくれる木下。さらに、傷心中の角田と杉森を除いたクラスメイト全員であり、全員で手当たり次第に探すという人海戦術である。俺は地面をじっと見ながら探していた。あの雨の中で土を踏めば足跡がつくに違いない。彼女が消えていった方面を予想し、雑草があまり生えていない獣道のような場所を重点的に探した。俺はその捜し方のまま山の中腹まで登ってきていた。見下ろせば峯井と武内に出会ったであろうベンチが見える。ここをもう少し上がれば遊園地も見えてくるはずだ。ずっと下を向いていたせいか首が痛む。ストレッチとして二、三回ほど首を回し、気を取り直して捜索に当たった。捜索隊は皆メガホンをもって捜索に当たっており、橋本を見つけた際にはそれで伝達するという打ち合わせになっている。まだどこからも橋本発見の知らせは届いていない。もう少し上ったとき、何かが草をかき分けたような跡を見つけた。もしやと思い近づくと地面にはしっかりと足跡が残っている。どうやら足跡はこの先に続いているようだ。俺はメガホンを握りしめ、足跡を追った。
地面に着いた足跡はどんどんと山の頂上へと向かっている。頂上には確か展望台とプラネタリウムがあったはずだ。橋本はそこにいるのだろうか。草木の隙間から展望台が姿を現した。だが、足跡はそこへと向かっていない。ここから左にそれている。雨の中建物に入ろうとしないとはどういうことだろう。濡れるのが好きなのか?疑問はままあれど、彼女の手がかりはこれしかない。余計な考えを振り払い、足跡の追跡を再開した。
この足跡はどんどん険しい方向へと進んでいる。少し足を踏み外せば下まで滑り落ちてしまう。俺にできることは足跡がその方面へと途切れていないことを祈るばかりだ。その祈りに効果はあったのか、足跡は意外と毅然な足取りでまっすぐ進んでいる。足跡は等間隔で、動揺や不安というようなものは一切感じられない。……なんだか変だ。碌に山に入る準備をしていない者がここまで歩くだろうか。普通なら先ほどの展望台に歩みを進めるか、どこかの木の下で雨宿りをするだろう。……この足跡はどこへと向かっているのだ。その答えは案外早く見つかった。
鬱蒼とした山道を歩き続けていると、向こう正面に少し開けた場所を見つけた。足跡はやはりそこへと続いている。俺があの場所を見つけたあたりで足跡の間隔も広くなっている。……ここらあたりから走り出したのか。一体あそこには何が。俺も足跡につられて少し早歩きになった。あと少しだ。空も晴れてきており、一日ぶりの太陽が目にまぶしい。……開けた場所は小さな花畑だった。その花の色は青紫色で、兜のような形をしている。そして、どこかで嗅いだような刺激的な匂い。……間違いない、ここはトリカブトの群生地だ。ここに橋本の姿はない。そもそもこれは本当に橋本の足跡なのかと疑心暗鬼気味に花畑を見渡す。すると少し離れたところに踏み潰されたトリカブトを見つけた。それは点々と森の奥へ続いている。花を踏みつけて奥へと進んだのか。橋本か、それ以外の誰かは分からないがこの足跡の主がどこへと向かっているのか確かめるべきだろう。俺は足跡をなぞって森の奥へと進んだ。
この時俺はこの先に一連の事件の犯人が潜伏している小屋でもあるのかと妄想を膨らませていた。だが、現実はそのようなものではない。森へと入った足跡はすぐさま方向転換し、今まで歩いた道の方へと進み始めた。今歩いているところはちょうど、先ほど滑り落ちたら危ないなと見下ろしていたところであり、舗装されている道がよく見える。その後、足跡はわざと草を踏むような歩き方に変わり、鬱蒼と生え茂った雑草の中では踏みつけられた草を探すのは難しい。何とかそれらしい跡を探し出して追跡していくが、結局峯井と武内に会ったあのペンチあたりまで戻ってきていた。
俺は山道を歩き回った疲労感と、結局何も見つけられず戻ってきた徒労感から、ベンチに座り込んでいた。山は静かで、おそらくまだ橋本は見つかっていない。俺は疲れでぼんやりした頭で、あの足跡のことを考えていた。あの足跡は一体誰のものなのだろうか。もし、橋本のものだった場合、橋本自身は一体どこにいるのだ。あの足跡通りに歩いたとして、最後はこうして舗装された道路に出て来たということは足跡から見て間違いない。ここから上へ登っていったのか、それとも自力でホテルへと戻ったのか。ホテルへと戻っていた場合は周辺を捜索していた誰かに見つけられているはずだから、ホテルへと戻ったということはないだろう。となると、ここから上に登っていった……。遊園地か。いやしかし、遊園地にも人手は行っているはず。まだ見つけられていないのか、それともそこにはいないのか。いや、あの足跡が橋本のものだとして、なぜ彼女はトリカブトを摘んでいるんだ。特に毒に詳しくなくとも、非常に危険だということはどこかしらで聞くものだろう。それに彼女は碌に持ち物を持たず、着の身着のまま飛び出していった。そんな人間が素手で毒を摘むのか。……やはりあの足跡は橋本のものではない。あの足跡は、ここで起きた事件の犯人のものだろう。そう考えた場合、トリカブトが摘まれていた理由に説明がつく。この事件を起こすためだ。トリカブトの存在に関しては、ここの植物園に行きさえすれば誰でも知ることができる。ということは、突発的な犯行なのか?毒をわざわざ現地調達する意味などないだろう。もし見つからなかった場合計画が台無しになってしまう。しかし、突発的にしてはブレーカーの遮断や、ラジオの改造など妙に手のかかることをしていることが引っ掛かる。やはり計画的な犯行なのか……。いやしかし毒は現地調達というのはさすがに計画的とは言えないだろう。……まったくもって犯人の心理がわからない。一体何を考えているんだ犯人は……。いや、今はそんなことどうでもいいだろう。今最も重要なのは橋本を無事に見つけ出すことだ。事件の犯人については警察に任せるべきかもしれない。……休憩もそこそこに気を取り直し、捜索を再開するためベンチから立ち上がった。ちょうどその時、近くから悲鳴が聞こえて来た。少しして堂島の「見つけたぞ」という声も聞こえた。声の方向から考えるに遊園地か。俺は急いで坂を駆け上がった。
遊園地前にはすでに何人か集まっていた。佐川に三島、森田と白川がいる。そして先ほどの声の主である堂島もいた。先ほどの悲鳴からも察せられるが、何やらよくないことが起きているようだ。クラスメイトを集めてはいるもののその場から動かないようにと頼み込んでいる。堂島の視線は何度も案内所らしき建物へと注がれている。どうやらあそこに何かがあるらしく、それを堂島はあまり人眼には出したくないようだ。そして少し離れたところには、先ほどの悲鳴の主であろう渡部がベンチに座り、顔を覆っていた。俺は事態の把握のため、堂島に話しかけた。
「なあ、何があったんだ?さっきの悲鳴は?」
「……全員がそろってからにしたいんだ。待っててくれないか?」
「あの案内所に何かあるのか?」
堂島はハッとして、すぐに反応してしまったことを悔やんだ。それを見ていた佐川は一気に畳みかける。
「渡部は泣いてるし、理由を聞いてもうんともすんとも話しちゃくれねえ。それに加えて堂島も何かを隠したいみたいだな。一体そこに何があるんだ?もうごまかしは効かねえぞ」
佐川はそう言って案内所を指さす。いくら聞いてもごまかされ続ければ堪忍袋の緒も切れるというものだ。佐川の言葉の端には怒気が見え隠れしていた。しかし、それでも堂島は口をつぐんでいる。一緒にいた三島がしびれを切らし、案内所へと歩みを進めた。
「頼む。待ってくれ」
堂島は必死に三島を止める。だが、あの体格差ではそれも無意味だ。三島は簡単に堂島を振り払い、案内所のドアへと手をかける。そして三島は動きを止めた。ガラス張りのドアから中の様子を見たようだが、一体何があるのだろう。俺も急いで案内所へと駆け寄った。ドア越しに見えたのは、橋本の姿だった。ただし、彼女は二階の手すりから縄でぶら下がっていた。
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