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EN~RIN  作者: 不動坊多喜
第二章

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97/106

(97)狂気②

「あんなに急かしていたくせに、着替えですか?」

 ロッシュは、そうぼやいた。


「ええ。体は泥だらけですし、服もボロボロ。その恰好は、王太子に会うには礼儀が足りません。ここに来る前に気づいて、着替えてきて欲しかったです」

 強い口調でそう言われ、自分の身なりを見つめ直す。確かに、礼儀知らずと叱られても当然の格好だ。

 反論できなくなったロッシュは、仕方なく、侍女について行くことにした。


 侍女が扉を開けると、温かい湿った空気が流れてきた。

「温泉を楽しみにしていたと伺っております。もう入られましたか?」

「そう言えば、まだですね」

「では、お楽しみください」


 単純なロッシュは、ちょっと得した気分になり、さっきまでの苛立ちが飛んで行った。

 しかし、服を脱ぐとなると、カボが見つかってしまう。


「あのぉ、一人で入りたいのですが」

「お背中を流させていただきますよ」

「いえ、結構です」

「しかし、そうするようにと、命令を受けております」

「ならば、ロッシュに追い出されたとお伝えください」

「しかし、……」

「とにかく、一人でできるから出て行ってください」


 何とか二人を追い出すと、入れ替わりにフォンが姿を現した。

「フォン。どうして」

「静かに」

 ロッシュが、慌てて口元を押さえる。

「リシュが熱を出して寝ています」

「あいつ、視察とか、嘘つきやがったな」

「バラのトゲに毒が塗ってあったようです」

 それに、カボが反応した。

「それ、リロイ王子の時と似てるぞ」

「あの時は、指輪で治ったんだよね」

「うん」

「じゃあ、これ持ってって」

 ロッシュは指輪を外した。


 指輪を受け取ったフォンの体が、大気に溶けていく。

 ところが、完全に消える直前、思い出したように言葉を発した。

「そう言えば、王太子はロッシュと……」

「はあ? ちょっと、何だって?」

 返事はなかった。



「最後まで喋ってから消えて欲しいよなあ」

 ぼやきながら、手桶で体に湯をかける。

 それから、侍女から手渡された、小さな箱のふたを開けた。思わず笑みがこぼれる。

「石鹸だぁ。懐かしーい」


 クロキの病院では、毎日のように石鹸とシャンプーを使わせてもらった。

 やはり、この国は、パースよりずっと文化が進んでいるのだ。もっとも、シャンプーは見当たらなかった。


 体を洗い、ついでに髪も洗う。黒い水が流れていく。

 さっぱりした体で湯につかると、このまま溶けていくんじゃないか、と思うほど気持ちが良い。お湯は滑らかで肌に優しく、体の芯まで温めてくれる。確かに、病気やけがによさそうだ。


 ほっこりと幸せ気分で温泉を出たが、すぐ、不機嫌が戻って来た。

 侍女が待っていて、タオルで拭いた体に、きつい香りの液体やらオイルやらを塗りたくられたのだ。

 しかも、脱いだ服が見当たらない。

「私の服は?」

「もう必要ないので処分いたしました」

「必要あるよ。大切な思い出が詰まってる」

 サラが見立ててくれた服だ。

「では、洗濯してお持ちします。とりあえず、これをお召しください」


 そうだ、着替える約束だったのだと、仕方なく用意された服を受け取った。

 デザインはシンプルだが、赤い生地に白い糸で刺しゅうを施し、真珠を縫い留めた、豪華なドレスだ。

 ところが、着てみてびっくり。衣服は、上下に分かれていた。しかも、上は胸を隠す大きさしかなく、下着も兼ねているようだ。また、下は巻きスカートになっていて、下手に動くとへそが丸出しになる。それを隠すように、刺繍と真珠が施された長いストールをまとい、腰紐で縛る。スース―と風通しの良い作りが気になったが、これが王太子の前に出るにふさわしい服装と言われれば、我慢するしかない。


 次は頭が攻められた。

「なんとお美しい、銀の髪。王太子もお喜びでしょう」

 どうやら、石鹸で染粉を洗い流してしまったようだ。白髪の魔女の噂が伝わっていないことを祈るしかない。

 侍女はアクセサリを取り出すと、首に耳にと、ロッシュに飾り付けていく。

「こんなに飾り立てないと会えない人なのか? 王太子ってのは」

 ロッシュが悪態をついてもお構いなし。最後に、銀の髪に赤いベールを被せ、それを金のティアラで留めて、やっと終了した。


 侍女が引き下がったので、大急ぎでカボを呼ぶ。

 問題は、内ポケットがないことだった。

「肩に乗って、ストールの内側に隠れておくよ」

「落ちないように気をつけてね」

「ロッシュが暴れ回らない限り、大丈夫さ」

「それは、相手の出方によるね」


 そこへ、侍女とラシードが入って来た。

 満足そうにロッシュを見つめ、「では」と歩き出す。

 謁見室で会うのだろうと思っていたのに、どんどん王宮の奥に進んでいく。

 不安を感じ始めた頃、やっとラシードが足を止め、扉を開けた。


「ロッシュ様をお連れしました」

 内側から、少し高めの、弾むような男の声がした。

「やっと来たか。構わぬ。一緒に入れ」


 ラシードに続いて入ろうとすると、カボが肩をつついた。

「どうした?」

 ラシードと距離を置き、小声で聞く。

 か細く震えるような声が返って来た。

「今の声。ジャコモに毒を渡した男だ」

(では、犯人は王太子。やはり、リシュの毒は……)

 体を緊張が走る。


「どうなされましたか? どうぞお入りください」

 ラシードが促す。

 ロッシュは心を決め、足を踏み入れた。


 最初に目に入ったのは、部屋の真ん中にあるテーブルだった。上には果物を盛り上げた皿が乗っている。その向こうは寝所だろう。半分開いたカーテンの後ろ、一段高くなった場所に、豪奢な寝台が据えられている。

 そして、テーブルの左側、大きなソファの上に、王太子が寝そべっていた。


 ロッシュに向けられた顔に、はち切れんほどの笑みが広がった。ソファから飛び上がると、両手を広げて近寄って来る。

 そこそこの男前だが、その笑顔の裏で何を企んでいるのか。

 警戒を怠るな。そう、自戒する。


「会いたかったよ」と、正しいパースの言葉で迎えてくれる。

「パースに行ったことがあるのですか?」

(行って、王子に毒を盛ったのか?)と心の中で問う。

「そう。それでね、見せたいものがあるんだ」


 ロッシュは、部屋の右壁の前に立たされた。

 壁には巻き上げ式のカーテンがかかっている。

 この窓の向こうに、素晴らしい景色があるのだろうか?


 王太子が、自らカーテンを巻き上げてくれる。

 その後ろに隠されていたのは、窓ではなかった。

 一枚の肖像画。


「これは……」

 立ちすくむロッシュに微笑む、自分と同じ顔。

「月の乙女だよ」

「どうして、ここに」

「パースの城が落ちる前に持ち出した。あの国で、一番価値のある物だ」


(こいつ、何を考えてる?)


 今更ながら、フォンの言葉の続きが気になった。


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