(94)屈辱④
屋敷に通され、まず、服を脱がされた。
夫人は、アルの背中を見てため息をついた。
「可哀そうに。こんな焼き印を押されて。わらわが消してあげよう」
「消せるのですか? どうやって?」
アルは驚き、期待した。
「簡単だよ。上から焼き鏝を当てるだけだ」
「ええ。それは……」
その時には、もうアルは衛兵に両腕をつかまれていた。そのまま隣の部屋に引きずり込まれると、長椅子の上にうつ伏せに押し倒された。
「止めろ! 止めてくれ!」
泣き叫んだが、無駄だった。
鏝を背中に押し付けながら、衛兵が憐れむようにささやく。
「夫人の仕返しに巻き込まれて、お前、これから大変だぞ」
苦痛に耐えながら、聞く。
「い、今までも、こ、こんな、ことは、あったのか?」
「ああ。飽きたら去勢されてガレー船送りだ。耐えろよ」
「こ、公爵様は……」
「もちろん、お怒りにはなるようだ。だが、自分の悪癖が原因だと自覚があるようで、何も言ってこない、言えないのさ」
アルを押さえつけている兵が、言葉を継いだ。
「それが分かっているから、夫人はお気に入りをかどわかしてくる。まあ、頑張って生き抜けよ。ほら、次は、夫人の印だ。今消した、その下に押すぞ」
「嘘だ……」
言葉が終わる前に、公爵の印より大きな焼き印が押し付けられた。
(最悪だ)
あの顔と声に騙された。
シムカに似ているというだけで、油断してしまった自分が情けない。
アルは裸のまま、夫人の部屋に引き立てられた。
ソファに身を沈めた彼女の表情も口調も、打って変わって冷酷だった。
「お前はシムカの友達だそうだな」
「はい」
「あの子はね、そりゃあ美しい赤子だったよ。フェスタは大喜びさ。わらわも嬉しかった」
夫人は目を閉じ、うっとりとした表情で上を向いた。
次の瞬間、瞳をかっと見開くと、恐ろしい形相で早口にしゃべりだした。
「それなのに、フェスタは、あの子を自分のおもちゃにしてしまったのだ。息子に手を出すなど、ケダモノのでもせぬことを。だから、わらわは、ここに移り住んだ。シムカを連れてきたかったのに、あの子がそれを拒否した。毒されておるのだ、もう。あんなに可愛い子供が」
夫人は、また、言葉を止めた。その沈黙が怖かった。しかし、次の言葉が発せられるのは、もっと恐ろしかった。
「もう一度聞く。お前はシムカの友達だそうだな」
「はい」
「つまり、そういうことだ」
「あっ」
何を言わんとしているのか、やっと気づいた。
「お前もケダモノ以下じゃ。だが、わらわは寛大じゃ。命は奪わん。その代わり、ケダモノにふさわしい生活を送ってもらう」
そう言って、首輪がはめられた。両手は鎖でつながれ、両足には重りをつけ、動くこともままならない。さらに、獣に衣服は必要ないと、裸のままだ。
「おまえは今日からわらわのペットじゃ。わらわを楽しませることだけに専念すれば良い。そうすれば、お前にも良い思いをさせてやろう」
「こんな状態で、何をすると言うのです。ろくに動けもしないのに」
夫人は、アルを見下すように笑った。
「言ったであろう。お前はペットじゃと」
それから、ソファのひじ掛けに座った猫の耳の後ろをかいた。ネコは目を細め、あごの下を伸ばした。その鼻面に、夫人は頬を寄せる。ネコは舌を出し、ぺろぺろとその頬をなめた。
「分かったか」
そう言って、つま先をアルの方に伸ばす。
「近う寄れ」
立ち上がって近づこうとすると、パンと何かが頬に当たった。「痛い」思わず声が出る。下を見ると、鉄の扇が落ちていた。
「ペットは四つ足じゃ」
怒りを堪え、四つ這いになると、夫人に近づいた。そのまま顔を上げ、こみ上げる屈辱を押さえて、足の甲をなめた。
「おお。よいよい。そうやって、わらわを楽しませておくれ」
そうして、更なる屈辱の日々が始まった。
夫人の足元に座り、一日を過ごす。
夫人が移動するときは、衛兵に鎖を引かれ、四つ這いでついて行く。もちろん、裸足だ。
食事の皿は、食堂の床に置かれる。それに顔を近づけ、犬のようにがつがつと口で食べる。時折、肉の付いた骨が床に投げられることがある。最初、それを無視したら、頭から熱いスープをかけられた。
「主人の肉を分け与えられたと言うのに、何じゃ、その態度は」
そうののしられ、鞭で打たれた。
それからは、かじりついて肉をかみちぎり、骨をしゃぶることにした。そうすると、夫人は満足そうに笑い、また、肉を投げてくれるのだ。
ソファに座った夫人が鎖を引っ張れば、それを合図に、夫人の体を舐め回す。
気に入らなければ、鉄扇でぶたれる。
(いつかきっと逃げ出してやる)
そのために必要なのは、体力だ。そう考え、暇があれば鍛錬に励んだ。腹筋や腕立て伏せの他、鎖の重さを利用して手足の筋肉を鍛える。
自分の武器は何だ?
鏡に映る自分を見つめ、自問する。
美しい顔、逞しい身体。そして、鏡に映らない頭脳。これを、最大限に生かす。
ちょうど十代の成長期、身長が伸び、胸板が厚くなり、どんどん逞しい体つきになる。
それにつれ、アルを見る夫人の目が変わって来た。ペットではなく、男として見ている。アルは、それを見逃さなかった。
いつも自分を見ているくせに、目が合うと頬を染め、目をそらす。まるで少女だ。
ある日、呼ばれもしないのに後ろから忍び寄り、首筋に口づけした後、耳元でささやいた。
「手足が自由になれば、もっと喜ばせてあげられるのに」
夫人はくすぐったそうに身をよじった後、恥じるように体を離した。
そして、次の日、首輪以外の鎖が外された。
立場が逆転したことを感じた瞬間だった。
寝所を共にするようになると、夫人は本音を漏らすようになった。
「こんな辺鄙な島になど、来たくはなかった」
「フェスタとの婚儀を決めたのは皇帝、逆らうことは出来なかったのだよ」
「フェスタも最初は良い夫だったのに、息子を生んだら用済み扱い。酷い話ではないか」
アルは、その一つ一つにうなずき、同意を示した。
(その腹いせに虐待される俺たちはどうなの?)とは、決して口にせず、ひたすら同情して見せた。
もうすぐ十六歳になろうかという、ある日、夫人はいつものように不満げにしゃべり始めた。
「明日の午後、皇帝がお見えになると連絡があったの」
「この館にですか?」
「まさか。フェスタの館にじゃ」
「それでは、明日はそちらに行かれるのですね」
「そうじゃ。気は進まぬが仕方ない。フェスタとは仲睦まじい振りをせねばならぬ。鬱陶しいことじゃ」
「お帰りは遅くなるのですか」
「遅いどころか、皇帝がお帰りになるまでこの館には戻れぬ。お前と離れるのは寂しいことじゃ。早く帰ってくれれば良いのじゃが」
夫人が本気でため息をつくのを見て、内心ほくそ笑む。
「お帰りになったら、たっぷり楽しみましょう」
急に、夫人の瞳が鋭くなった。
「留守を良いことに、逃げようなどと画策せぬようにな」
「まさか」
そう答えた自分の声が震えていませんように、そう願った。




