(93)屈辱③
「これに触ると、死ぬの?」
「触っただけでは死なない。その露が傷口に付着し、血と混じり合えば毒が体に侵入して死に至る。そういう生き物だ」
「生き物? やっぱりバラじゃないのか」
「父上は、バラもどきと呼んでいる。実際は何かよく分からない」
シムカはこの花の世話を任されているのだと言った。
「でも、危険だからね。外のベンチで話そうか」
二人は庭のベンチに並んで座った。
シムカは、あの花について教えてくれた。
バラもどきはこの島固有の植物であり、島民から「鬼バラ」と呼ばれ恐れられてきたと言う。その毒は、効き目が表れるまで数日かかり、そのため処置が遅れ、症状が出始めた時には成すすべがないのだと。いや、そもそも、どのような処置をすれば治るのかすら分かっていないのだと。
最初の数日は微熱が続き、咳が出る。次第に熱は高くなり、嘔吐するようになる。症状が進むに連れ体はやせ細り、高熱が続き、そのうち痙攣や呼吸困難が起こり、絶命する。
それに目をつけたシムカのご先祖様は、島中の鬼バラをここに集め、独占に成功。その毒を利用し、政敵を暗殺し、公爵にまで成り上がったらしい。
突然、シムカが聞いた。
「寄生蜂って、知ってるかな?」
「他の虫の幼虫に卵を産み付ける蜂のこと?」
「そう。父上は、あれに似ているんじゃないかって」
公爵の仮定はこうだ。
幼虫の体の中で孵化した寄生蜂の幼虫が宿主を食い荒らすように、バラの中にいる何かが、トゲを介して獲物の体に入り込み、その体を食い荒らすのではないか。
「面白いけど、信じがたいね」
「だよね。だって、蜂は仲間を増やすためだけど、バラもどきはそうじゃない。食い荒らして宿主と一緒に死んでいく」
「それが本当なら、何のために食い荒らすんだか分からないね」
「そう、分からないことだらけなのさ」
シムカは肩をすくめて笑った。
アルはもっとバラもどきのことを知りたいと思ったが、シムカは話を変えた。
「ここの暮らしに馴染めないみたいだね」
「ああ。全く」
「気分転換に、僕の部屋においでよ」
「シムカは公爵の息子だろう? そんなことをして良いのかい?」
「大丈夫。言っただろう。友達になりたいんだ」
ふっと思いついた。
(彼を利用して、内側から食い尽くす。バラもどきのように……)
アルは微笑むと、シムカの誘いに乗った。
シムカは、アルが逃げ道を探して辿ったことのある小径に入って行った。
「この先は、行き止まりだろう」
アルが声をかけると、シムカは振り返り微笑んだ。
「そうだね」
そのままどんどん歩いて行く。仕方なく、ついて行く。
バラのアーチをくぐり、路地のような細道を進むと、やはり、壁に突き当たった。
呆れたように肩をすくめたアルの前で、その壁が動いた。
「隠し扉!」
シムカが微笑む。
「どうぞ、入って」
恐る恐る、足を踏み入れる。
そこは、華美で豪奢な公爵の部屋とは、全く違っていた。
実用を重んじた、美しい家具が並び、飾り気のない、シンプルな部屋だった。さらに驚くことに、小さな台所がついていた。
「僕は料理が趣味でね。据え付けてもらったんだ」
「他の人もここに来たことがあるのかい?」
「まさか。君が初めてだよ。さ、座って」
温かい飲み物と、焼き菓子が出される。
「美味しい。これ、シムカが作ったの?」
「そうだよ。気に入ってもらえて嬉しいよ」
アルが飲み干したカップを置くと、シムカは改まった口調で話し始めた。
「いいかい。父上は、自分を喜ばせてくれる少年を優遇する。気に入られたら、かなりの自由が与えられるけど、飽きられたらそれっきり。たとえ声変わり前の少年であろうともガレー船送りだよ。そうしたら死ぬまで漕ぎ続ける毎日だ。僕は君をそんな目に合わせたくないんだ」
「どうして?」
「好きだから。一目見て感じたんだ。僕の一生の恋人だって」
真剣なその瞳に、アルは思わず引き込まれた。
「君には生き延びて欲しい。そのための必須条件は、父に気に入られること。でも、それは、簡単なんだ。コツさえつかめばね」
「コツって?」
「大丈夫。僕が教えてあげる」
シムカの顔が近づいて来た。アルは躊躇なく、それを受け入れた。
シムカの指導が功を奏して、アルは公爵のお気に入りに納まることができた。
そして、公爵の目を盗んでは、シムカとの逢引きを楽しんだ。
「確かに、慣れれば天国だね」
ベッドの上で、そう、シムカと笑いあった。
一年が過ぎたある日、いつものように中庭のベンチに座っていると、欅の陰に人影が見えた。
顔を上げ、驚いた。
(女性!)
この館で、使用人も含め、女性を見るのは初めてだった。しかも、その人は一目で上流階級と分かる装いをしていた。
憂いを含んだ美しい面差しが近づいて来る。その視線が、ふっと、バラからアルに移る。
「見慣れぬ顔だね。フェスタの新しい愛人かい?」
フェスタというのは、公爵の名前だ。それを呼び捨てにする女性……。
恐る恐る、口を開く。
「あなたは、もしかして公爵夫人ですか?」
にっこり微笑む。シムカと同じ笑顔だ。いや、もっと妖艶で、目が離せない。
「お前は、最近入ったというお気に入りだね」
夫人はアルの足首から伸びる鎖をじっと見つめ、ため息をついた。
「可哀そうに。ここでの暮らしは大変だろう」
憐れむようなその口調に、思わずうなずいてしまう。
「意に添わぬことを強いられ、苦労しているのだろう」
優しい言葉が、心に染み入る。
「わらわのところに来ないかい? こんな生活から解放してあげるよ」
「え、でも……」
「フェスタはね、わらわには何も言えないのさ。何しろ、こんな自堕落な夫だ。わらわが夫婦を続けているのは、ひたすら息子のためさ」
「シムカの?」
「おや。あの子を知っているのかい?」
「ええ。友達です。いつもこっそり会ってます。あなたは、その、とてもシムカに似ています。いや、シムカがあなたに似ているのかな?」
アルが戸惑っているのを見て、夫人は鈴が転がるような可愛らしい声を立てて笑った。
「そりゃあ良かった。ここの環境はあの子に良くない。そうだろう?」
アルは、大きくうなずいた。
「俺もそう思っていました」
「わらわたちは、話が合うようだねぇ」
夫人は微笑んだ。あでやかなバラの花のようだった。
「さあ、一緒においで」
誘われるまま、夫人の後をついて行く。
鉄の扉が開いていた。それを潜り抜ける。
二人が通り抜けるのを待っていたように、衛兵が扉を閉め、鍵をかけた。
その音を聞いたとき、初めて不安が胸に沸いて来た。




