(92)屈辱②
アルが連れて来られたのは、サルヴァーンの『海の要塞』と呼ばれる島だった。
治めているのは、フェスタ・ラ・ローゼン公爵。アルの故郷を焼き尽くした海軍の総督だ。
彼は船団を三つに分け、三つの島に同時に夜襲をかけた。まず、主力艦に備えた大砲で町を破壊し、次に中型船から投石器を使って火のついた藁束を飛ばし、町を焼き尽くした。その後上陸し、住民を片端から捕え、奴隷として売りさばいたという。
「何でも、それぞれの領主は、一族もろとも根絶やしにされたらしいぜ」
「うちの親方様は、やることが徹底しているからなあ」
「シード家の一人息子は、崖から海に飛び込んだって」
「助かったのかい?」
「いや。荒波にもまれて、岩礁で顔面がえぐられ、人相の判別もつかないほどだったって。身に着けていた刀剣の紋章から、それと分かったらしいが」
そんな会話を、船の上で耳にした。
(ということは、私は死んだことになっているんだ)
アルは庭師の息子に感謝すると同時に、強く心に決めた。
母との約束を果たすためにも、彼の命を無駄にしないためにも、生きて行かねば、と。
館に着き、最初に行われたのは、焼き印だった。
背中に熱く焼けたローゼン家の家紋、バラの印鉄を押し付けられた。
身分は偽っていても、領主の息子。泣き声などあげるものか、そう思い必死にこらえようとしたが、悲鳴は止められなかった。
「きれいな子だねえ」
「坊ちゃんが、公爵の代わりに見繕ってきたそうだよ」
「じゃあ、公爵が戻ってくるまで下働きでもさせるか」
そうして、鞭で打たれながら、館の内外でこき使われた。
公爵が戻ったその日、アルは体を洗い、美しい衣装を着せられ、公爵の前に連れ出された。
ただし、足枷と重い鎖はつけたままだ。
「ほう。これは美しい子だ。シルクのレースがよく似合っている」
公爵は一目でアルを気に入ったようで、目を細め微笑んだ。
「さすがはシムカ。見る目がある」
それから、グラスのワインを一口飲み、ため息のように言葉を発した。
「何と言ったかな、あのちっぽけな島国。あんな田舎にこんな美少年がいたとはな」
公爵は、自分が滅ぼした国の名前さえ憶えていなかった。
それが、一層、アルの怒りに拍車をかけた。
歯ぎしりしながら無言で公爵を睨みつける。
そんなアルにお構いなしに、公爵は愉快気にグラスを傾ける。
「お前、本当はシード家の嫡男ではないのか?」
頭から冷水を浴びせられたような衝撃が体を走り抜けた。
(ばれていた……)
続く恐怖に体が固まる。
公爵は、その変化を楽しむように微笑み、うなずいた。
「よいよい。真実など必要ない」
それからグラスを開け、二杯目を注いだ。
「あそこの息子は、それはそれは美しいと評判だった。一度会いたいと思っていたのだよ。願いが叶い、私は喜んでいるのだ。しかし、生きていると知れたら、殺さねばならん。それは、余りに勿体ない。それよりも知らぬふりして楽しむ方が、互いのためだろう」
(つまり、認める必要はないと、殺す気も無いと……)
これは、喜ぶべきことなのか?
とりあえず、命はつながったようだと、息をつく。体はまだ強張ったままだ。
その思いに止めを刺すように、公爵が言葉を発する。
「お前の両親を殺し、故国を焼き尽くした私が憎いか?」
アルは唇を引き結び、顔を上げた。口を閉じたまま、心で叫ぶ。「当たり前だろう」と。
口にしなかったのは、今叫んだところで何もできないことが分かっていたからだ。それよりも、母との約束——何があっても生き延びる——を守りたかった。復讐は、その次だ。生き延びなければできないことだ。
「よいか。強い者が正しいのだ。負けたということは、間違っていたということだ。生き残ったお前は、間違いを犯さぬよう、私の言う通りに生きなさい。そうすれば、正しい方向に導いてあげよう」
「強い者が正しい?」
「そうだよ。それがこの世界の真実で、帝国の理念だ」
公爵はにっこり笑うと、ワインを口に含んだ。そうしてアルを抱き、口移しでそれを飲まそうとした。
アルは激しく拒絶し、こぼれたワインが白いレースの服に染みを作った。
次の瞬間、平手が飛んできた。
「私に従うよう言ったはずだ。逆らうことは許さない」
強い力で抑え込まれ、アルは、されるがままになるしかなかった。
体の自由は奪われても、頭の中までは奪えない。
『強い者が正しい』
ならば、きっと強くなる。この男よりも強くなってみせる。
そうして、ローゼン家とこの島を焼き尽くしてやる。祖国がされたように。
「新入りか」
放り込まれた部屋には、同じ年頃の美少年が七人いた。
一人が、アルの腫れ上がった頬を見て笑った。
「僕も記憶にあるね。でもね、抵抗するより受け入れる方が楽だし、幸せだよ」
「そうそう。ご奉仕するだけで、良い生活ができる」
みんなが同調する中で、太い、大人の声が響いた。
「子供の内はな」
彼は体格も大きく、この中で一番年上だった。
「俺は、もうすぐお役御免だ。後は死ぬまでガレー船だ」
その場の空気が暗くなる。皆顔を伏せ、口をつぐんだ。
「どういうこと?」
「つまりさ、公爵は少年に興味がある。青年は必要ない。お前が来たから、俺は用無しだ」
彼は歪んだ顔でそう言うと、そっぽを向いた。
アルが買われたのは、彼の補充だったのだ。そして、彼はその夜の内に姿を消した。
一週間は七日。だから七人。
アルの担当は土曜だった。
しかし、嫌悪と拒否が先立って、どうしても公爵を怒らせてしまう。
(どうして、みんなはこの生活が幸せだと言えるのだろう)
彼らに許された自由は、中庭を歩くことだった。
アルは、逃げ道を探して、重りを引きずりながら、広い庭を毎日うろついた。
他の少年たちは、「僕たちもそうだったよ」と、笑いながら部屋でくつろいでいる。みんな逃げ道を探したが、見つからなかったのだと。
(本当に逃げられないだろうか)
広い庭は、いたるところにバラが植えられてある。木々も茂り、迷路のようだ。陰で何かあっても、人目に付くことはないだろう。
片隅に、小さな建物がある。温室のようだが、いつも鍵がかかっている。
周囲は高い塀に囲まれ、足枷をつけたまま乗り越えるのは無理だろう。
欅の大木の陰に鉄の扉を見つけたが、外側から鍵がかかっているのだろう、押しても引いても動かなかった。
ところが、ある朝、温室の扉が開いていた。
中をのぞくと、鉢植えが並んでいた。バラだ。いや、バラでない?
確かめたくて、足を踏み入れる。
どの鉢も、まっすぐ伸びた茎の上に、赤い花が一輪ゆれている。
どう見てもバラだが、そう言い切れない違和感があった。それが何かは、植物に詳しくないアルには言葉にし難かった。
茎には長く鋭いとげが伸び、その先に丸い露がきらめいている。
何だろうと、人差し指を露に伸ばした。
「触るな。死ぬよ」
びくっと手を止め、声を振り返る。
温室の扉の傍に、シムカが立っていた。




