(91)屈辱①
それは、アルが十三歳の時だった。
ドーンという音で目が覚めた。何か崩れる音がそれに続く。
音は何度も鳴り、だんだん近づいて来る。
そこへ、母が駆けこんで来た。
「すぐに逃げる準備をして」
「何かあったのですか」
「敵襲よ」
「敵って?」
どこかの国と争っていただろうか? そんな話は聞いたことがない。
「分からない。とにかく急いで」
服を着替え、靴を履く。
剣を携えた時、ヒューと聞いたことのない音が近づいてきた。
次の瞬間、壁が崩れ、天井が落ちてきた。
「危ない」
突き飛ばされたアルが尻もちをついたとき、目の前で母ががれきの下敷きになった。
「母上!」
必死に瓦礫をどける。その周りに、今度は火の粉が降って来た。
「アル。あなただけでも、逃げて」
「そんな。母上」
「早く。火が回りきらないうちに」
「嫌だ。母上」
母は、アルの手を握った。
「行くのです、アル。そして、約束して。何があっても生き延びると。シードの誇りを忘れず、命を繋いでいくと」
その間にも、炎は燃え広がって行く。
「約束して」
涙をこらえてうなずく。
「約束します」
母は安心したように、アルの手を放した。
そこへ、梁が燃え落ちてきた。思わず飛びのいたアルと母を引き離さんとばかりに、炎は燃え盛った。
「母上!」
「アル、約束よ」
それが最後の会話になった。
壁が崩れる音、炎が弾ける音、それらが母の声を掻き消していく。そして、母は炎に飲み込まれた。
アルは館の外を目指し、走った。もう、振り返りはしなかった。
外に出ると、空が真っ赤だった。館だけでなく、町全体が燃えていた。
逃げ惑う人々に紛れ、アルは走った。
みな、港を目指している。船で島外に逃げるつもりだ。
ところが、前方から敵軍が現れた。
「島民は根こそぎ捕らえよ。抵抗する奴は殺せ」
誰かが大声で命令している。
上陸してきたということは、港は押さえられたに違いない。
となると、逃げられるのは森しかない。
群衆は、森に向かって流れを変えた。アルも、懸命に走った。
何人が逃げ込めただろう。
アルは、炎が見えない場所まで来て、やっと息をついた。すでに、夜が明けている。
大きな木にもたれて息を整えていると、落ち葉を踏む音が近づいて来た。落ち着きかけた体が強張る。
すぐ近くで足音が止まり、声がかけられた。
「アル様。そこにいるのはアル様ですよね」
それは、庭師の息子だった。
「ああ、ラフ。君も無事だったの」、
ほっとした。知っている人間に会うということが、こんなに心安らぐことだとは思ってもいなかった。
「姿をお見かけしたので追って来たのです。あなたは、ご自分が探されていることをご存じですか?」
「探されている? そんなこと、知らない」
「私は港から上がって来る奴らの会話を聞いたのです。シード家の人間は全員殺すようにと命令する声を。今頃、奴らは焼け跡で遺体を探し、ご家族の確認をしているでしょう。その中にあなたがいないことが分かれば、きっと探すでしょう」
「どうしよう。ここにいても、遅かれ早かれ見つかるだろう」
「衣装を取り換えましょう。彼らはあなたの顔を知りません。その剣を携えていれば、私をあなたと思ってくれるでしょう」
「そんな……。捕まったら殺されるよ」
「構いません。領主さまから私たち一家は多大な恩を受けてきました。そのご恩に報いたいのです」
強い口調に押され、二人は衣装を取り換えた。
「これからどうしますか」
「隠れ桟橋に、避難用のボートがあったはずだ。それで、島外に逃げようよ」
アルがそう言うと、ラフは眉をしかめた。
「どうでしょう。海は危険だと思いますが」
「でも、ここにいても仕方ないよね」
「確かに。一か八か、行ってみましょう」
隠れ桟橋は、崖下の洞窟のことだ。入口が切り立った岩場に隠され海から見えないため、そう呼ばれている。
丸一日歩いて、二人はようやく目指す崖にたどり着いた。
ところが、岩場に下りる道をたどっていると、前方に敵の姿が見えた。
慌てて方向転換したが、笛の根が響いた。
「いたぞー。子供が二人だ」
二人は、また、森に逃げ込もうとした。しかし、寝ずに移動していた二人の体力は、もう限界だった。追いつかれ、崖に追い込まれた。
「アル様。私は飛び降ります」
「ここを? 死んでしまうよ」
下は、荒海だ。いや、海ならまだ助かる余地はあるだろう。岩場に落ちたら、その方が恐ろしい。
「でも、その方がシード家の息子らしいでしょう?」
「あっ」
「だから、あなたは捕まっても、決してシードを名乗らず、生き延びてください」
ラフは腰の刀を抜くと「うわー」と叫びながら敵に向かって行った。闇雲に剣を振り回し、彼らの注意を自分に向けようとしている。
「お前たちに、シードの魂は渡さない」
最後にそう叫び、ラフの姿は崖に向かって走っていく。
「シードの息子がいたぞ」
「追い詰めろ」
声に背を向けて逃げる。
しかし、それを待っていたように、大きな手がアルを捕まえた。
後ろから、敵兵の騒ぐ声が聞こえてくる。
「飛び降りたぞー」
「船を回せ。取り逃がすな」
(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……)
アルは、心の中でひたすら謝り続けた。
アルの故郷は、ラニューム海に浮かぶ九群島と呼ばれる島国だ。シナン、サレハ、スバルという三つの大きな島にそれぞれ領主が住み、その周りに散らばる小さな六つの島を合議制で治めていた。
アルの父は、そのシナンの領主だった。
ラニューム海は、北と南の大陸を隔てる海で、たくさんの島が散らばっている。それらの島々は、古来より、二つの大陸を行き来する人々の補給港として発展してきた。
サルヴァーンは海沿いを北に勢力を伸ばしていくうち、ラニューム海が実は湾であることを発見した。そうして、ラニューム海を挟んだ南の大陸にも勢力を伸ばし、帝国と呼ばれるまでにのし上がってきた。
ところが、内陸部にも爪を伸ばそうとした際、魔法で守られた国に二度も大軍を壊滅させられ、国力が一気に落ちてしまった。
その後、五百年の長きにわたり何とか国境を守り続け、徐々に国力を回復した帝国は、今度は海を西に侵攻していくことに決めた。九群島は、その最初の生贄に選ばれたのだ。
数日後、アルは奴隷市場で売られていた。
「さあ、どうだい。この美しい品のある顔」
商人は、アルの顔がよく見えるようにと、髪を引っ掴んで上向かせた、
「ほお」
見物客からため息が漏れる。
小麦色の肌、アーモンド形の大きな目、すっと通った鼻筋、どれも人をうっとりさせる要素を持っていた。
「それでは、千から」
「千百」
「千百五十」
「千三百」
どんどん値が上がっていく。
「二千」
帽子を被った身なりの良い女だ。
「二千五百」
張り合ったのは、太った中年男だ。
「三千」
「三千五百」
突然、幼い、涼やかな声が響いた。
「一万」
アルに勝るとも劣らぬ、美しい少年だった。
隣の老人が、慌てたように注意する。
「坊ちゃま、いくら何でも高すぎです。お父上が何と言われるか」
「それ以上の価値はある。父上だって、きっとそう言われるでしょう」
そうして、一万でアルはその少年のもとに売られた。
「僕はシムカ。君は本当に美しいね。君と友達になりたいよ」
親しみを持った笑顔に、アルは安堵した。
自分を買ったのが同じ年頃の少年ということに驚いたものの、友達探しのためだったのかと納得した。そして、これ以上悪いことは起きないだろう。単純に、そう考えた。
アルは、他の奴隷と一緒に船に乗せられ、海を渡った。
いろいろ思い悩んだため、一週間空いてしまいました。何とか復活しましたが、休み休み進めて行こうと思っています。見捨てず読んでくだされば有難いです。評価もよろしくお願いします。




