(90)思惑⑤
聖都まで来る旅の間も、ロッシュはラシードと距離を置いたまま。自然、リシュも彼と離れてしまった。夜もロッシュと共に野宿し、ラシードのいる宿には近寄らなかった。
(ラシード様は、きっと怒っているだろう)
今までは、かなり勝手なことをしても許されてきた。けれど、今回はどうだろう。
『ロッシュは最優先』
その理由がはっきりしない今、悪い方に考えてしまう。
別れる時、ラシードは言った。
「そうまでおっしゃるなら、無理にはお連れしません。ご一緒するのはここまでにして、私は王宮に報告に上がります」
その言葉は丁寧だが、苛立ちが感じられた。
それは、自分に向けられた次の言葉では、はっきりした。
「ロッシュを家に送り届けたら、すぐ王宮に来るように。詳細はその時に聞く。いいか、すぐだぞ」
「宮仕えはつらいねぇ」とロッシュは笑ったが、自分は笑えなかった。
彼の口調には、今までにない怒りが感じられたからだ。
それでも、逆らうことは出来ない。
ロッシュを家まで送り届けると、リシュは王宮に向かった。
王宮に着くとすぐ、ラシードが言った。
「王太子殿下が直々に話したいことがあるそうだ」
ぞっとした。彼については、良くない噂が多々ある。
「ロッシュのことですか」
「まあ、そうだろう」
「陸路を取った理由については、ハリーを使って連絡した通りです。ロッシュが船を嫌がったのです」
「ハリーは私のところには来なかった」
「えっ?」
「だから兵士たちの報告を受けた後、すぐ後を追わせた。ところがどうだ、『ヴィノの管理官からヴィクラに向けて立ったと聞いたが、ヴィクラに入った形跡はなかった』、そう報告が入った。それから、どれだけ探したと思ってるんだ」
リシュは、血の気が引いて行くのを感じた。
ロッシュの罪を隠したままで、誤解を解くのは難しいだろう。
「しかも、ファラスでは兵舎に寄ることもせず、入国の痕跡を隠そうとした」
ここでも、ロッシュのためにしたことが裏目に出ている。
「まあ、それでも連れてきたということは、反抗の意思がそれほど大きくなかったのだと思っておこう。もっとも、これ以上逃げ続けるのは無理だと思っただけかもしれないがな」
ラシードは、話は終わりだというように手を打って席を立った。
縋り付くように、リシュは問う。
「教えてください。なぜ、ロッシュは最優先なのですか」
「お前は利口さが売り物だろう? 思い当たることはないのか?」
「それは……」
ないことはないが、確証が持てないうちは口にしたくない。もし、彼らがロッシュの力目当てでないとしたら、知らないに越したことはないから。
口ごもっていると、ラシードは指で顎をこすりながら、面白そうに笑った。
「やはり、自分からは言いにくいのかな。まあいい。知りたければ教えてやるが、殿下をこれ以上お待たせするわけにはいかない。歩きながら話そう」
そう言って、先に立って部屋を出た。
「実はな、殿下は以前、身分を隠してパースに赴いたことがあるのだ。そのとき、月の乙女の肖像画を見て恋をしたそうだ」
「肖像画に恋、ですか?」
「そう。しかも、城下によく似た乙女がいるという噂を聞いたと。その乙女を見つけて連れ帰る、それが、私に託された使命だった」
「ちょっと待ってください。じゃあ、ロッシュを手に入れるため、戦を起こしたのですか?」
「そうじゃない。サルヴァーン帝国を滅ぼしたかったのは、私だ。あの国に両親は殺され、故郷は焼き尽くされた。腐った奴隷制度のせいで、私もひどい目に遭った。あんな国は存在してはいけない。だから、侵攻した。王太子がパースに赴いたのは、その作戦の最中だ」
「作戦が先にあり、たまたま肖像画を見た、と」
「そうだ」
そこで、なぜかラシードは足を止めた。振り返り、リシュの瞳をのぞき込むように顔を近づけ、小声でささやいた。
「だから、ロッシュのことは諦めろ」
「諦めろって?」
「お前がロッシュに恋をしていることは知っている。だが、彼女は殿下が望まれている。お前のものにはならない。そういうことだ」
「ちょっと待ってください。ボクとロッシュは姉弟ですよ」
「そうではないだろう? お前も知っているのではないのか?」
「何を?」
「ロッシュとリロイ王子は、生まれた時に取り換えられた。そうだろう?」
「だ、誰がそんなこと……」
「考えれば分かることだ。王は王子を欲しがっていた。同じ場所で産んだのは、万一のことを考えて、取り換えやすいようにだろう。初めから画策していたのじゃないのか?」
「そんなはずありません。母がそんなことをするなんて、有り得ない」
「王妃に頼まれても?」
「それは、もっと有り得ません。第一、同じ日に産もうと思って産めるものではないでしょう? それに、男か女かは、生まれてからでないと分からないじゃないですか」
「そうだな。生んだ後に思いついたのかもしれないな」
「そんな……」
自分と同じことを考える人間が他にもいたのだ。
知らなかっただけで、当時、パースでは噂になっていたのかもしれない。だからこそ、母はあんなに激しく否定したのではないか。
「私は、パースに潜入する前から、密かに情報を集めていた。リロイ王子がお前の兄に似ていたことも、ロッシュが月の乙女にそっくりだということも、全部収集済みだった」
「じゃあ、ボクを部下にしたのも……」
「あの一家で一番賢そうで、一番操りやすそうだったからだ」
あまりの衝撃に、リシュは言葉を失った。
「実際、お前の働きは期待以上だった。銃の改良といい、ロッシュを見つけ出したことといい、そこまでできるとは思っていなかった。その点は誉めてやろう。だがな、ロッシュは諦めろ」
「だから、ロッシュは姉だから……」
何とか言葉を絞り出す。間髪おかず、ラシードが否定する。
「お前は自分がロッシュと姉弟でないと知っていたから、恋心を抱いたのだろう?」
「違う」
「初めて会った時、私に言ったよな。『ロッシュを妻にしたいと願っているなら、やめた方が賢明だと。絶対後悔する』と。子供らしい嫉妬だ。実に解りやすい」
「違う……」
「だがな、お前の気持ちは関係ない。肝心なのは、殿下のお気持ちだ」
「ロッシュの気持ちは? ロッシュが拒否したら?」
「殿下が望まれたものは全て叶える。それが私の使命だ。拒否はあり得ない」
「有り得ない?」
「どんな手を使っても叶える。そういうことだ」
それから、また歩き出した。
その背に縋るように、追いかけ、問う。
「フォンは……」
「あんな男、いつでも処刑できる」
振り返りもせず、歩く。
リシュは立ち止まった。どうすれば良いのか、分からなくなった。
ラシードは、会話の中で、「俺」ではなく「私」を使った。
それは、二人の関係が終わったことを示していた。
今まで追いかけてきた大きな背中は、完全に自分を拒否している。
信じていたものがどんどん崩れていく。
このまま進むのが怖い。
廊下の端でラシードが立ち止まり、振り返った。
よろよろと、歩き始める。
扉が開かれ、背中を押されるようにして、部屋に入る。
正面の椅子に、王太子が座っていた。
リシュはひざを折り、首を垂れる。
「お前がリシュか」
「はい」
「ラシードから聞いている。何でも、ロッシュに恋するあまり、私に会わせないようにしているそうだな」
「違います」
「ロッシュはお前の姉ではないのだろう?」
「違います」
「嘘をついても、為にはならんぞ」
「嘘ではありません」
「ならば、裁判しよう。ラシード、あれをここに」
運ばれてきたのは鉢植えだった。赤いバラが一本、すっと背筋を伸ばすように咲いている。
王太子が厳かな口調で言う。
「両手で茎を握れ」
茎には、露を宿した長いとげが幾本も出ている。それを素手で握る。
「もっと強く」
痛みをこらえて握りしめる。赤い血が、茎を伝って流れ始めた。
「よし」
満足そうにそう言うと、王太子は笑った。
「お前が嘘をついていないなら、神は助けてくれるだろう。だが、嘘をついている場合は、死の神によって断罪されるだろう。結果が出るまで牢に入れておけ」
血まみれの手首に、枷がはめられた。
祖母の言葉が蘇る。
『お前は賢い。じゃがな、世の中には、ずるい大人はわんさか居る。驕るな』
ばあちゃん。ボクはどこで間違ったのだろう?




