(88)思惑③
次の朝、ロッシュとフォンは、ナッシュに連れられ母を訪ねた。
そこは、城壁のすぐそばで、衛兵に守られていた。しかし、元王妃の住まいとは思えないほど小さく、粗末で、ロッシュは思わず息を呑んだ。
近づこうとすると衛兵に止められた。
「ティア様は病のため、どなたにもお会いになれません」
「感染症ですか?」
「それは話せません」
ムカッとして言い返そうとしたロッシュを、ナッシュが押しとどめた。
「母を呼んでください。娘が会いに来たと」
記憶より、少しやせた母が出てきた。疲れた表情が、ロッシュを見て輝いた。
「ロッシュ。本当にロッシュなんだね。生きていたんだね」
ハグした体は、やせた、と言うよりやつれていた。それでも、母の胸は温かい。
(ああ、母さんの匂いだ)
懐かしい香りを吸い込む。幸福感が満ちてくる。
「あそこで座って話をしようか」
母はそう言って、衛兵から離れた花壇の縁に腰を下ろした。
「ナッシュ。私の代わりに水を汲んできておくれ」
ナッシュが桶を持って水場に行くと、母は口を開いた。辺りを伺うように、小声で、けれど、その口調には怒りと戸惑いが感じられた。
「お前は、自分がリロイ王子と取り換えられたとか、口にしたのかい?」
思わず、息を呑む。このことは、やはり母も知っていたのか?
けれど、カボの忠告では、決して認めるな、だった。何だか変だと。
「そんなこと、言ったことがない。誰が、そんなこと言ってたの?」
「じゃあ、やっぱり、リシュが勝手に言ってるだけなんだね」
「リシュが? そんなこと、あの子が言って回ってるの?」
「言いふらしているわけじゃないんだよ。ただ、そういうことを口にしたことがあったようで、それがティアやジュリア様のお耳に入ってね、すごくお怒りなんだよ。二人とも」
ロッシュは、ドキッとした。二人にとって自分は、あくまで赤の他人だ。王女として何かを成すというのは、おこがましい考えだったのだ。
「いいかい。誰かがそんなことを言ったとしても、決して認めちゃダメだよ」
「もちろんよ。私は父さんと母さんの娘だから」
「それを聞いて安心したよ。今の言葉を忘れるんじゃないよ」
母は、そう、念を押した。
そこへ、ナッシュが戻って来た。
「ああ、有難う。ロッシュ、旅の話は、また今度聞かせておくれ」
「私にも、何か手伝わせて」
声をかけたが、母は首を横に振った。
「お前がいると、良くないと思うんだ」
その表情は厳しく、きっとさっきの話が関係するのだろうと推察できた。
母は桶を持ち上げると、小屋に入って行った。
衛兵が、ぞんざいに三人を追い返した。
「あの衛兵、ティア様を守っているんじゃなくて、逃げないように見張ってるみたいじゃない?」
「ロッシュもそう思ったか」
ナッシュは、せき込むように言葉を続けた。
「この国は、何か変じゃないかと思うことがいっぱいあるんだ。でも、おれはあんまり利口じゃないし、何をどうすれば良いのか分からないことだらけだ。リシュも何だか変わっちまったし、誰にも相談できずにいたんだ」
「リシュならきっと大丈夫。もう、元通りだよ。多分」
「元通りって?」
「ナッシュが変わったって思ったこと、私も思った。でも、旅の間に元に戻ったよって」
ところが、リシュは、その日も次の日も、戻って来なかった。
七日目の朝、とうとう我慢できず、ナッシュに告げた。
「リシュの様子を見てくる」
「王宮に行くってことか?」
「うん」
「大丈夫か? 止めた方が良くないか?」
「止めても無駄よ」
「それは知ってる」
大きなため息をつきながらも、ナッシュは王宮まで案内してくれた。
ここ数日、カボとフォンと三人でこっそり話し合いを重ねた。
「だってさ、様子が変だったんだよ」
二人には言わないが、あのキスは、まるで別れの挨拶だ。こうなることを予想していたに違いない。
「もしかしたら、捕まって拷問されてるかも」
「何で? 何も悪いことしてないんだろう?」
「でも、そんな予感がする。何の連絡も来ないなんて、おかしいよ」
「ロッシュをおびき寄せるために、わざと連絡を絶っているのかもしれないよ」
「私が様子を見てきましょうか。魂を飛ばして」
「それもありだけど……。助け出すためには、結局王宮に行かなきゃならないし。それに、落ち着いたら行くと言っちゃったから、やっぱり自分で行くよ」
城門で名前と用件を告げると、すぐにラシードが現れた。満面の笑みをたたえている。
「これはこれは。今、お迎えに上がろうとしていたところですよ」
「お迎えって、リシュに何かあったの?」
「リシュ君には、今、北部の鉱山に視察に行ってもらっています。戻るまで二月はかかるでしょう」
「そんな……」
「姉上は彼の観察眼と記憶力、そして発想力を、もちろんご存じですよね。本当はもっと早くに派遣したかったのですが、陸路を取られたので予定が狂ったのですよ」
丁寧な口調で、暗にロッシュのせいだと責めてくる。それくらい、バカなロッシュでも気がついた。ぐっと唇をかむ。
「しかし、今朝、ジュリア様があなたにお会いしたいと申されて、それで迎えに上がろうと思っていたのです」
「ジュリア様が? 私に?」
「はい。さあ、どうぞ、お入りください。ご案内致します」
ロッシュは、フォンとナッシュを振り返った。
「ああ、お連れの方もご一緒にどうぞ。でも、ナッシュ君は仕事があるでしょう。もう帰ってくれて良いからね」
その口調には、有無を言わせないものがあった。
フォンは招き入れられ、ナッシュは門の外に佇んだ。
鉄の門が閉ざされた。その音が、不安を掻き立てる。
(でも、フォンも一緒だし、カボもいるし。大丈夫。きっと)
そう思い、ぐっと胸を張る。
いくつもの門をくぐり、王宮の深部に向かう。
「ご存じかと思いますが、ジュリア様は王太子の第四夫人として後宮にお住まいです」
そう言って、大きな門の前で立ち止まる。
「ここから先は男子禁制ですから、私も入れません。もちろんそちらの」
そう言って、フォンに目をやる。フォンが自分の名を告げる。
「そう、フォン君。君も入れません。ですから、私と一緒にこちらで待ってもらえますか。部屋を用意しますので」
そう言われれば、従うしかない。
門の向こうには、侍女が待っている。
ロッシュは一人門をくぐり、彼女の後をついて歩き出した。




