(87)思惑②
五日目の昼過ぎ、リシュが「ほら」と前方を指さした。
リシュが指さした方を見つめ、ロッシュは思わず声を上げた。
「うわっ。きれい」
美しい円錐形の山が、裾までくっきり見えている。
「あの山の麓が、聖都ダワーヒーだよ」
「聖都なんて大げさな、と思ってたけど、あの山を見れば納得だね」
「あのカラルム山の山頂には、ホラサーンの守護神、カラマ神を祀る祠があるそうだよ」
「行ったことはないの?」
「ああ。そこへ行くことができるのは、神官と王家の人々だけだ。何でも、千年も昔、あの山が火を噴いたそうだ。神官が占うと、『人柱を建てよ』と結果が出た。そこで、王女が自ら人柱になり、山を鎮めた。人々は王女を神として祀り、祠を建てた。そんな伝説があるそうだよ」
「山が火を噴くって、どういうこと?」
「うーん。実は、ボクもよく分からない。でも、今でも火を噴いている山が、ホラサーンの更に西に行けばあるそうだよ」
「それって、すごく怖いんじゃない」
「うん。でも、そういう場所は温泉が湧き出るって」
「温泉?」
「地面からお湯が湧き出しているんだ。しかも、その湯につかると、傷や病が癒えるらしい」
「ホントに?」
「ロッシュも入ると良いよ。そりゃあ、気持ち良いから」
「へぇ。それは楽しみだねぇ」
「そう言えば、ボクが行った温泉の近くには、伝説の神官が占いを行ったといわれる場所があって、祭殿が建てられていたよ。今は裁判が行われるそうで、『裁きの丘』と呼ばれてる。壮麗な建物だったから、ついでに見ると良いよ」
「そうだね。話のタネに見物するか」
次の日、地平の向こうに街並みが見え始めた。
「聖都、ダワーヒーだ」
初めは何とも思わなかったロッシュだが、近づくほどにその大きさに圧倒された。
家がひしめいている。その間を抜ける道には、石畳が敷き詰められている。道には人が溢れている。
それは、ロッシュがこれまで見たどの街よりも大きく、美しく、活気があった。
「こんなに大勢の人間がいるなんて。いったいどこから湧いて来たんだ」
「ここはまだ、ほんの入り口だよ。中心街は、もっと人が多い」
「嘘だろう」
「そのうち壁が見えてくる。その内側が、本来の聖都だよ」
産業が発達するに連れ人口が増え、入りきれなくなった人々が外壁の周りに新たな街を築いたのだと言う。
その、旧市街の外壁にたどり着くまで半日かかった。
門をくぐると真っすぐ大通りがあり、そこを二時間ばかり歩けば王宮に着くと言う。そして王宮は、パースよりも広いと言う。
そこで再び、ラシードから誘いがあった。
しかし、ロッシュは頑として譲らなかった。
「そうまでおっしゃるなら、無理にはお連れしません。ご一緒するのはここまでにして、私は王宮に報告に上がります」
ラシードの言葉は丁寧だが、苛立ちが見え隠れした。
リシュに向けられた言葉は、もっと露だった
「ロッシュを家に送り届けたら、すぐ王宮に来るように。詳細はその時に聞く。いいか、すぐだぞ」
リシュが無言でうなずく。
「宮仕えはつらいねぇ」
ラシードから離れると、ロッシュは笑った。しかし、リシュの表情は硬かった。
大通りを離れ、外壁沿いの道を行く。鍛冶屋はここでも町外れだ。
ごちゃごちゃとした家並みをくぐり抜けるように進むと、槌の音が響いてきた。小さな頃から慣れ親しんできた音だ。リズムよく、心が弾む。
扉を開けても、誰も気づかない。みんな自分の仕事に集中しているからだ。集中力の低下は、作品の仕上げに関わるだけでなく、事故につながる。
工房はパースにいた時よりも大きく、働く人も多かった。フェルおじさんが、職人の差配をしている。ナッシュは、何か細かな作業をしているようだ。
壁際に、トトじいが座って目を光らせている。もう、引退したのだろうか。
不意に、リシュが耳元に顔を寄せてきた。
「ボクは王宮に行かなくてはならないから、ここでお別れだね」
耳元がくすぐったい。
「お別れって、大げさな。すぐ帰って来るんでしょ」
「どうだろう。もう、ずっと軍から離れていたからね。分からないよ」
見上げたリシュの瞳は、慈しむように自分を見ている。その瞳が近づいて来た。唇が、そっと頬に触れる。
「じゃ」
そう言って、リシュは微笑むと出て行った。
呆然と立ちすくんでいると、がらんがらんと大きな音がした。
トトじいが、「本日終了」と、鐘を叩いている。
その目はこちらを真っすぐ見ている。思わず手を振る。
顔を上げたナッシュが叫ぶ。
「ロッシュ? ロッシュだよな」
その声に、レオもフェルおじさんもこちらを向く。ナッシュが駆け寄って来る。
「ただいま!」
次の瞬間、ロッシュは三人にもみくちゃにされていた。
何事かとざわつく職人たちの中で、トトじいが鐘を叩き続けていた。
「本日終了」
ナッシュは、二歳になる娘のレイラを膝にのせ、ロッシュの話に耳を傾けている。奥さんのハーラは、大きなおなかで夕食を並べて行く。
「夏になる前に、二人目が生まれるんだ」
「いいねぇ。幸せそうでほっとしたよ。で、母さんは?」
ナッシュは沈黙し、妻と顔を見合わせた。
「何かあったの?」
「いや、母さんには、何もない。ティア様のお世話をしに行ったきり、戻って来ないんだ」
パースの元王妃、ティアと母は幼馴染だ。彼女は、偽王ジャコモが殺された後、三人の娘と共に城を出たが、そのままホラサーンに移住したと言う。
「パースには住みづらかったんだと思うよ。何しろ、いろんな噂が飛び交っていたからね」
ジャコモはティアを、大臣は長女のジュリアを愛人にし、あとの二人の王女たちは娼婦のように扱われていたと言う。
「そんな……」
「よほどつらかったんだろうな。次女のマリア様は自害なされて、ティア様も心を病まれているらしい。ジュリア様とラウラ様は王宮に入られて、お幸せだということだが……」
それを聞いた母は、すぐティアを見舞った。そして、それきり戻って来ないらしい。
「私にも、何か手伝えることはないのかな」
「そうだな。明日一緒に出掛けよう。きっと喜ぶよ。とても心配していたから」




