(82)旅《平原の国》②
「やっぱりさあ、ツァンに言った方が良いんじゃないの?」
杭を支えながらロッシュが言うと、リシュは杭の頭に槌を振り下ろした後、答えた。
「でも、彼らの問題だし、ラサから口止めされたしなあ」
しっかり打ち込めているか確認した後、次の場所に移動する。
二人が打ち込んだ杭を、フォンがロープで繋いでいく。これが、競技場と観客席の仕切りになる。
「おーい。さっさと打ち込んでくれよ。まだ内側もあるからなー」
杭を運んでいる男が、そう声をかけて通り過ぎる。彼が並べる杭をロッシュたちが打ち込んでいく。それが、今日の仕事だった。
競技場はとにかく広く、一周するのも一苦労だ。内側にもう一周あると聞き、ロッシュはげんなりした。
三人で交代しながら仕事を進めてきたが、意外にも、リシュが一番力仕事をこなすことが分かった。小さかった弟は知らぬ間に大人の男になっていて、頼もしくて、ちょっと寂しい。
「それにしてもさあ、土地の所有って、言ったもん勝ちなわけ?」
その問いには、リシュは答えてくれなかった。
昨日の夜、ラサは言った。
遊牧民は一つ所に住まないから、土地の所有という観念がなかった。空の下に広がる平原すべてが、彼ら一族の土地だったのだと。
それが、知らぬ間に人工の川が作られ、畑に変わっていた。そこは、誰かの所有地で、立ち入ることは許されない。
灌漑工事が進み、畑が増える。それは、牧草地が少なくなることと同義だったのに、誰も気づいてはいなかったのだと。
「母の兄は先進的な人でね、遊牧を止めて畑仕事をすることにしたの。羊を売って土地を買って。でもね、やったことのないことって、上手くいくまで時間がかかるでしょう」
彼は、人に尋ね、肥料や器具を購入し、試行錯誤の末、栽培のコツをつかんだらしい。
「で、気づいたら借金だらけだったの」
水路の水を使うということは、灌漑工事の費用を負担することだと、誰も教えてくれなかったのだ。
「今は土地も売って小作人よ。それでも借金が残って……」
「それを、肩代わりしてきたわけ?」
ラサは、力なくうなずく。そして、そういう家族は自分たちだけではないのだと。
「ねえ。土地の所有なんて、誰が考えたのかしら?」
ラサはそう、寂しそうに笑った。
「で、あの、アムドって奴は?」
「この辺りの資産家で、祭りの主催者の息子よ。改革が始まった時、上手に立ち回って儲けたの。みんなあいつのことは嫌ってるけど、逆らえないのよ」
ラサの美しさに目をつけ、言い寄って来ると言う。
「でも、今年優勝して賞金を渡せば返済は終わり。そしたら、ツァンと結婚するの」
祭りでは、「三駆け」という競技が行われ、優勝すれば大金がもらえる。
十五歳から二十五歳までの若者に限られ、三人一組で参加する。
ラサとツァンとロカは、ここ数年、三人で優勝をかっさらってきたと言う。
「じゃあ、賭けのことはツァンにも話しておこうよ」
「ダメよ。彼に余計な心配はさせたくないし、ロカは緊張して動きが鈍くなるに違いない」
そう、口止めされたのだ。
その日の仕事を終え、ロッシュは馬に乗らせてもらった。
「本当に、初めてなの?」
そうラサが驚くほど、ロッシュはあっという間に乗りこなした。
「ボクは乗れるようになるまで、随分かかったのに」
軍隊仕込みのリシュが、悔しそうに口にする。
ロッシュは、ケケケと笑う。
「リシュは、一度見たら、図面でも文章でも記憶できるでしょ。私はそんなことできない代わりに、一度見た動きを覚えて再現できるんだ。だから、羨ましがる必要なんてないよ」
「そうだね。ロッシュの語学力は最低だ」
リシュの鬱憤を晴らすような口調に、ロッシュはまた笑った。
ロッシュが馬から降りた時だった。
「私も乗っていいかな」
フォンの言葉に、先ずロッシュが驚いた。
「珍しい。何かあったの?」
「いや。私が今まで見た中で、一番美しい動物だ。それで、興味を持った」
「サラナーンに馬はなかったの?」
「よく似た生き物はあったが、こんなに美しくはなかった」
二人はパースの言葉で話していたが、褒めているのが通じたのか、ラサは嬉しそうに手綱を引いてくれた。
フォンは、馬の首を撫でた。そして、見つめ合い、うなずいた。
ひらりと飛び乗ったフォンを乗せて、馬は走り出した。
「あ、危ない」
ラサはそう叫んだが杞憂だった。
一つの生き物のように走る姿を見て、ロッシュさえ呆然とした。
戻ってきたフォンの頬は紅潮していた。馬を降り、その鼻面を愛おしそうに撫でる。
「美しいだけじゃない。賢さも一番だ」
言葉が通じたように馬はヒンと答え、猫のようにフォンにすり寄った。
「いろんな意味で悔しいんだけど」
ロッシュは歯噛みした。
祭りの前日になると、人がどんどん増えてきた。
「みんな、正月を故郷で過ごすために集まるのよ」
ラサは目を細め、懐かしい顔を見つけたと走って行った。
「正月って、もう終わったんじゃないの?」
「ロッシュ。パースとここでは暦が違うんだよ」
知らなかったのかと、リシュが呆れる。
「もう、頭が変になっちゃうよ。パースは秋だったのに、門をくぐればサラナーンは春で、一年経って戻ったら、やっぱり秋で十年過ぎてて、この間山の上で新年を迎えたのに、ここではまだ年が明けてなくて、もう、何を信じたらいいのか分からないよう。私は本当は幾つなんだい?」
リシュは、お腹を抱えて笑い出した。フォンまで声を立てて笑っている。
「安心して、ロッシュ。私なぞ、とうに年を忘れているから」
「フォンに言われても、慰めにはならないよ」
そして、祭りの朝が来た。
ラサとロカは、馬の手入れをしながらツァンを待っていた。
そこへ、ツァンの母親がやって来た。すごく慌てていて、顔色も良くない。
「昨日の夕方、櫓に不備があったので建て替えると。それで男手が欲しいと言われ出て行って。遅くなるから先に寝ていていいよと。でも、朝になっても帰って来ないの」
「呼びに来たのは誰ですか」
「それが、テントの外で話していたので、顔も見てなくて……」
ラサが泣きそうな声を上げた。
「どうしよう。祭りが始まるまでに申し込まなきゃいけないのに。一人足りない」
「私じゃダメかい。ツァンほどではないけど、頑張るよ」
ロッシュの言葉に、ラサは首を振る。
「ただ走るだけじゃないのよ」
「でも、他に人がいないよ。ロッシュなら大丈夫だよ」
ロカの言葉に、ラサも心を決めたようにうなずいた。
「そうね。お願いするしかないわね」
「じゃあ、姉ちゃんは馬を準備して。先に行って順番取っとくから」
そう、ロカは馬で走りだした。
ラサは馬を選び、馬具を整える。
その直後、何か騒ぐ声が聞こえてきた。
反射的に、ラサは走り出していた。ロッシュも続く。
「ロカ!」
目の前で突然のぼりが倒れ、ロカの乗っていた馬が暴れ、落馬したと言う。
フォンも駆けつけ容態を見たが、「骨が折れている」とうつむいた。
「リ・ロッシュで治せないの」
「やったことはあるが、上手くいかなかった」
『レベル5は生きている動物』
『壊すより、元に戻す方が難しい』
だからこそ、ロッシュはクロキに預けられたのだ。
「もう、競技に出られない」
ラサの顔がゆがんで、涙がこぼれ落ちた。
そのとき、フォンが言った。
「私が出よう」
そうしてロカの馬をなだめると、それに飛び乗った。
「申し込みはまだ終わってないのだろう。急ごう」
申し込みは、ぎりぎり間に合った。
ロッシュとフォンは新顔なので、年齢を確認された。
「二人とも十七だよ」
大嘘だが、フォンの見た目は若い。突っ込みも無かった。
「へーえ、ツァンは出ないんだ。さては、尻尾をまいて逃げたな」
後ろで、アムドの声がした。
「これで勝負は決まりだね。誓いを忘れないでね」
ラサの肩は小刻みに震えている。
そこへ、遅れてリシュが到着した。
「私とフォンは競技に参加するから、リシュはツァンを探してくれないかな。あいつらに何かされたに違いないよ。ロカの事故も怪しいし」
「分かった。きっと見つける」
リシュは、ちらっと空を見た。アビィが舞っている。
「じゃあ、頼んだよ」
「そっちこそ気をつけろよ。まだ何か仕掛けてくる気がするから」
「ふん。やれるものならやってみろ、だよ」
ロッシュは、そう息巻いた。




