(81)旅《平原の国》①
パースの暦で一月半ば過ぎ、一行は平原の国ファラスに到着した。
前回のように旅券を見せ、兵舎に向かおうとしたリシュを、ロッシュは呼び止めた。
「前借は止めようよ」
「どうして? お金は必要だよ」
「うん。だからさ、働いて賃金をもらおうよ」
「働く? 仕事を探すのは大変だよ」
「分かってる。だけどさ、簡単な手伝いをして、その日の食事の野菜を分けてもらうぐらいならできるんじゃないかな」
もちろん、これはフォンのまねっこだ。
「ほら、前借って、結局借金でしょ。それって嫌じゃない。リシュは今、働いてないし」
「まあ、確かに……」
ということで、困っていそうな人を探しながら先に進むことにした。
その日はちょうど市が立つ日で、通りの両側にいろいろな店が天幕を張っていた。
「見て、馬だよ。馬を売ってるよ」
ロッシュがはしゃぎながら近寄ると、店の親父が声をかけてきた。
「嬢ちゃん、馬が欲しいのかい?」
ロッシュがうなずくと、親父は「そうだな」と一行に目を走らせた。
「そのラマ二頭に何かつけてくれるなら、馬一頭と交換しても良いよ」
「ちょっと、高過ぎじゃないの?」
ロッシュが詰め寄ると、親父は首を傾げた。
「何と言ったかな?」
どうやら、発音が悪すぎたようだ。リシュが通訳する。
「高すぎるんじゃないかって」
親父は憐れむような目でロッシュを見ると、ゆっくり口を動かした。
「嬢ちゃん、ラマと馬とでは、価値が違うんだよ」
ロッシュは憤慨して、パース語でリシュに訴えた。
「何だか、バカにされてる気がするんだけど」
「気のせいじゃなく、されてるよ」
それから、親父に手を振ってその場を離れて行く。
ロッシュは、その背を追いかけた。
「ねえ、馬を買わないの?」
「買えないよ。馬は、本当に高価なんだ。特に、この国の馬は名馬で有名だからね。安いものでもラクダの二倍はする」
「そんな……。じゃあ、あの親父はぼったくりって訳じゃないのね」
「じゃないね。馬が欲しいかい?」
「そりゃあ、乗ってみたいけど……。でも、借金してまで要らないよ」
リシュは軽く笑った後、続けた。
「いずれにせよ、もう少し言葉の勉強は必要だね。働きたいなら、特に」
ロッシュは、ぐっと言葉を飲み込むしかなかった。何しろ、あれから毎日レッスンしたにもかかわらず、ロッシュの語彙力はほとんど変化なく、増えたのはリシュのため息だけだったのだ。
市で、二頭のラマを売り、荷運び用のロバを一頭購入する。
余ったお金が当座の生活費だ。
市を過ぎると、右手に麦畑が広がっていた。
「凄いねぇ。こんな広い畑、初めて見るよ」
ナラインの山々からたくさんの川が生まれ、平原を流れていく。それらは途中で合流し、三本の大河になる。二本は国土の北寄りを、もう一本は南寄りを横切り、すべてホラサーンに流れ込む。南の大河はホラサーンで大きく曲がり海に注ぐが、北の二本は、さらにその西隣の国を通り抜け、海に向かう。
大河の流域では、昔から穀物が作られ、豊かな実りをもたらしていた。
また、中間部の草原では放牧がおこなわれ、馬や羊が育てられている。
ロッシュたちが来たのは、丁度その中間部の草原地帯だった。
村人に聞くと、この辺りは川から遠く、昔は全て草原だったらしい。それが、灌漑工事が進み、畑が広がったと言う。
「麦の方が儲かるからなあ。毎年確実に収穫できるし、裏作もできるし。まあ、その分忙しくなったが」
その後、その男の紹介で、三人は別々の場所で畑仕事を手伝った。
ロッシュは草取りを手伝い、野菜を少し分けてもらった。
カボに渡すと、さっそくレタスにかじりついた。
夕方、水路の近くでテントを張った。
「灌漑設備ってすごいんだね。想像してたより、はるかにすごいよ」
パースの水路とはけた違いのその規模に、ロッシュは驚きの声を上げずにはいられなかった。
「ホラサーン北部は鉱山資源が豊富で、それを使った物作りが昔から盛んだったそうだ。灌漑技術だけでなく、銃を開発したのもその地域らしいよ」
「そっか。町全体が鍛冶屋みたいなもんなんだね。それで、ナッシュやトトじいみたいな工夫好きが、水路や銃を考え出したんだ。なんか、もやもやするねえ」
「最初の銃は、人じゃなくて獣を撃つために作られたと思うよ。クマとかオオカミとか」
「ああ、人のためなんだね。そうだよね。『正しく使う』ことが大切なんだよね」
「どうしたの? ロッシュの言葉とは思えない、すごく良いこと言うけど」
「失礼だね、と言いたいところだけど、実は私じゃなくて、クロキさんの言葉だよ」
「クロキさん? 前にも聞いたかな?」
「私を治療してくれた、本当に凄いお医者さんだよ。何でも知っていてね……。例えば、リシュは酸素って知ってる?」
「さんそ? 聞いたことがない」
「私たち、酸素を吸って生きてるんだって。で、それが無くなると死ぬんだって」
「そりゃ、大変じゃないか。無くなったりしないのか」
「大丈夫らしい。私たちの周りにいーっぱいあるから」
クロキ仕込みの話に、リシュはただ、ただ、驚き、それはロッシュを大いに満足させた。
三人は、数日その街で働き日銭を稼いだ。
お金がある程度たまると食料を買い込み、出立する。食料が尽きそうになると仕事を見つけ、また数日滞在する。それを繰り返し、ゆっくり国土を横断した。
ファラスは広い。普通に旅をしても一月はかかる。それを途中滞在しながら行くので、倍以上かかることになる。
半月が過ぎた頃、大きな街にたどり着いた。
街の北には畑が広がっているが、南は平原のままだ。
その地平に、小さな動く点の群れを見つけ、ロッシュは目を凝らした。何だろうと思っている間にも、それらはどんどん大きくなって来る。そして、その点を追い立てるように囲んで走っている複数の影。
「あれ、馬だよね」
ロッシュは、思わず興奮した。
それは、遊牧民の一団だった。
先頭の馬に乗っているのは、まだ若い女性だ。その後ろを、たくさんの羊がついて来る。その周りを囲むようにして、馬に乗った大人や子供が追い立てている。
遊牧民は、ロッシュたちから少し離れた草地で止まると、テントを立て始めた。
興味津々。飛んで行って声をかける。
先頭の女性はラサという名で、二十一になったばかりだと言う。
気さくな性格らしく、馴れ馴れしく近づくロッシュを笑顔で迎えてくれた。
遊牧民は家族単位で行動すると言い、ここにいるのはラサの家族(両親と祖父母、弟妹たち)と、彼女の父の兄弟の家族、それから、ツァンという若者とその母親だという。
「私らはね、一つ所に定住してないんだ。草を求めてあちこち旅して、一年かけてぐるりと回って、元のところに戻って来るのさ」
「馬と羊を、育ててる?」
何とか単語を繋ぎ合わせて質問する。ロッシュのたどたどしい口調に、ラサは微笑んだ。
「そうさ。馬も羊も、私らが育てたものは最高だ。高値で買い取ってもらえるよ」
「ここは、長く、いる?」
「ああ。祭りがあるからね」
「祭り! ワオ」
ロッシュは祭りが大好きだ。もっとも、パースの民で祭りと聞いて浮かれないのは、ロッシュの知る限り、リシュだけだ。
そして、この国に来て一番上達した言葉を口にする。
「何か、お手伝いさせてもらえませんか?」
「じゃあ、祭りの準備を手伝ってもらおうかな。それから、後片付けも」
「はい。頑張ります」
そうして、祭りが終わるまで彼らと一緒に過ごすことになった。
次の日、杭やら板やらロープやらを満載した荷車が到着した。
「やあ、ラサ。また、綺麗になったね」
御者席から降りてきた男がラサに微笑む。そこそこいい男だが、ラサは顔をしかめた。
「アムドこそ、お元気そうで何よりです」
言葉は丁寧だが、口調はとげとげしい。
「僕の求婚を受け入れてくれる決心はついたかい?」
「あら、まだ諦めてなかったの?」
「君の家は、僕の家に借金がある」
「今年で返し終えるわ」
「優勝できればね」
「優勝するから大丈夫よ」
「今年は、僕のチームが勝つ。そうしたら、どうする?」
「おあいにく、今年も私が勝つわ」
「じゃあ、今ここで、ドルマの神に誓ってくれよ。負けたら僕の妻になると」
ラサが一瞬詰まった。
「誓えないのかい? 自信がないんだね」
「誓えるわ。もちろん」
「決まりだ。みなさん、聞きましたよね。ラサの誓いの言葉を」
周りのみんながうなずく。皆、アムドに肩入れしているようだ。
そこへ、ツァンとラサの弟、ロカがやって来た。
「やあ、ツァン。祭りが楽しみだね」
アムドは笑って去って行く。ツァンはその後ろ姿に眉をひそめ、ラサに聞いた。
「何かあったのか?」
「何も」
ラサは肩をすくめ、笑った。
ロッシュは違和感を覚えたが、口にはしなかった。




