(77)旅《山岳の国》②
ロッシュは、ベッドの上で近寄って来るその人を待っていた。
胸の高鳴りが抑えられず、相手が気づいて足を止めるのではないかと心配になるほどだった。そして、そう思えば思うほど、鼓動はますます大きくなった。
(彼は、どんなふうに私を……)
考えるだけで、叫び出しそうだった。それを堪える。
忍び足が、ロッシュの傍で止まる。
ロッシュは芝居が下手だ。だから、待っているのを知られないように、壁に顔を向けて横になっていた。必然、彼の手は背後から伸びてくる。その気配を感じる。
手はロッシュの布団をめくり上げると、胸元に伸びてきた。合わせの部分に指をかけ、そのまま服を剥ぎ取るつもりだろう。
「やっぱ、そっちかよ」
ロッシュが体をひねって跳ね起きた。
次の瞬間、「ぐわぁ」と、野太い悲鳴が上がった。
手にした日本刀は、血を滴らせている。
男は右手を抑えて床に転がった。服を剥ごうとした手は、指先を失っていた。
真っ暗な小屋の中で、ロッシュが跳ねる。
「殺しはダメですよ」
フォンの声が響く。
「殺してない。多分」
ロッシュは目が良い。だけでなく、五感がすぐれている。体温、息遣い、空気の流れなどから、どこに人が居てどう動こうとしているか、どんな暗闇でも感じ取れる。もともとそういう力はあったが、円を使えるようになって一層研ぎ澄まされてきた。
今、小屋には五人の敵がいる。二人はフォンに対峙し、二人はリシュを縛り上げようとしている。そして、小屋の外にも六人ばかり潜んでいるようだ。
(つまり、集落全体が山賊の一味ってか)
ロッシュに手を出そうとしたのは一味の親分だったようだ。
「お頭。今の悲鳴は」
「大丈夫ですか」
声と共に、扉が開き、風と一緒に仲間がなだれ込んできた。それを蹴散らす。
「女と思って甘く見たね」
殺しはダメというので、峰打ちで気絶させる。
それをフォンが、敵が用意していたロープで順に縛り上げていく。
助けを求めて小屋から走り出した男も、隣家から飛び出してきた女も、叩いて叩いてのしていく。
外にいる者を一掃した後は、一軒ずつ順に御用改め、潜んでいるのを引きずり出す。
「一網打尽だよ」
そうして、全ての家を改め、全部で十八名をお縄にした。
カボが長縄を見つけてきたので、一人ずつ縛り上げていたのを結び付けて一括りにする。
せめてもの情けと、その近くで焚火を起こしてやる。
「何時、気づいたんだ」
寒さに震えながら、若者が聞く。
「最初からだよ。私らは、誰も通らないという道を通っていたんだよ。それに、この季節、山人はみな、村に下りているはずなんだよ。しかも、後ろから来たのに下るって、変だと思わない方がおかしいよ」
ロッシュが息巻くと、呆れたようなつぶやきが胸元から聞こえた。
「よく言うよ。おいらが言うまで気づかなかったくせに」
それは無視する。
チッと舌打ちする音が聞こえる。
「あんた達こそ、私らがあの道を通ってるって、何時気づいたんだい?」
「こっちも最初からさ。普通はこちらに来るのに、別の方へ向かった。だから俺が追いかけた」
若者はそう言うと、顎で崖の方をしゃくった。
「なるほど。あそこが物見台ってわけか。それで、近づけたくなかったんだね」
カボの忠告で怪しいと気づいたが、ロッシュとフォンは、わざとそれに乗ることにした。山賊をやっつければ人のためになると思ったからだ。
小屋に入ってからはカボを偵察に向かわせ、相手の出方を伺っていたのだ。
ロッシュは抜き身を持ったまま、山賊の周りを歩いた。一人の女性の傍で立ち止まり、顔を寄せて聞く。
「で、スープには何を入れてたんだい?」
女は、顔をそらせながら答えた。
「眠り薬だよ。あんたたち、ちゃんと飲んだはずなのに、どうして……」
「すみませんねぇ。そういう類のものは効かないんですよーだ」
ロッシュはまた歩き、お頭の前で再度立ち止まる。飛んだのは、右手の中指と人差し指の先だった。今は、そこに包帯を巻いてある。フォンが手当てしたものだ。
「指先は残念だったね。でも、私に手を出そうなんてするから高くつくんだよ。命が助かっただけましだったと思いな。それより、ここはあんたたちが作った村かい? それとも、奪った村かい?」
お頭はむすっと口を閉ざしていたが、ロッシュが切っ先を喉元に向けると、渋々開いた。
「奪った村だ。住んでた奴らは全部殺した」
「で、ここを根城にしたわけか。それで、どうやって軍の取り調べを凌いだのさ」
「賄賂を渡せば、いくらでも見逃してくれる」
「賄賂か。腐ってるな、どこもここも」
「それで、こいつら、どうするの?」
カボが問う。
「このままにして立ち去る。春になったら誰かが見つけるでしょ」
「そんな、明日には凍え死にしちゃうよ」
女が悲鳴を上げた。
「じゃあ、今、一思いに殺しちゃうか」
ロッシュが刀を振る。
悲鳴が一層大きくなる。
「殺すのはダメだ」
フォンの言葉に、ロッシュが反論する。
「殺した方が後腐れ無くて良いよ」
カボも同意する。
「生かしておいたら、山越えの人がまた襲われるよ。男は殺されて、女子供は売られるんだ」
「そうだよ。私みたいに純潔を奪われる乙女が増えるんだよ」
「奪われてないだろう」
「そういう問題じゃないよ。どっちが人助けか考えて」
フォンは、苦虫を噛み潰したような表情で考え込んだ。
空が白み始めた頃、ようやく決断したのだろう、顔を上げた。
「分かった。運に任せよう」
唖然とするロッシュを前に、フォンは動き始めた。
縛り上げた一同を立たせると、崖の手前に誘導する。
「俺たちを突き落とそうってのか」
反抗し、逃げ出そうとする者もいたが、フォンの髪が許さなかった。引っ掴んで引き戻す。その髪の動きを見ただけで、一同は震えあがった。
「化け物だ」
「俺たち、こんな化け物を相手にしようとしていたんだ」
「お願いだ。助けておくれ」
口々に呪いの言葉を吐きながら、震え始めた。
物見台からの景色は最高だった。うねる山道が、雪を被った木々の間に見え隠れする。その先には、クリームの上のベリーのように、集落の赤い屋根が散らばっている。そのさらに向こうから、太陽が顔を出してきた。
全員が並んだところで、フォンは呪文を唱え始めた。風が渦巻き、山賊達を持ち上げると麓の村目指して緩やかに下り始めた。
「甘い」
ロッシュが、それに突風を吹きつけた。
下りかけていた山賊の塊が、勢いよく舞い上がった。そして、急降下。
悲鳴の余韻を残して、塊は駆け下りて行った。
カボがポツンとつぶやいた。
「無事に村にたどり着けるかなあ」
ケケケとロッシュが笑う。
「それこそ運しだいだね。それにしても、生きてる奴が居たらなんて証言するのかな。私の時は白髪の魔女だったけど」
「蛇の髪の化け物だろうね」
「魔女とどっちがましかな」
ロッシュとカボが笑い合うのを、フォンは苦々し気に見つめている。
その表情がおかしくて、ロッシュはまた笑った。
小屋に戻ると、リシュが目を覚ましていた。
「ここは?」
「夏の間、村の人が過ごす山小屋だよ」
「ああ。よく見つけられたね」
「それより具合はどう?」
「もうすっかり良いよ」
「じゃあ、出発だね」
フォンが、ボソッと付け加える。
「山賊の心配はもうないから、楽な道を進もう」
リシュは変な顔をしたが、黙ってうなずいた。
それがおかしくて、ロッシュはまた笑った。




