(76)旅《山岳の国》①
「寒くなって来たね」
ロッシュは、黒く染めた髪を隠すように、帽子を深く被った。
「もう、十二月だからね」
リシュもコートの襟を合わせながら答える。
見上げる山脈は、すっかり白い雪で覆われている。
「私、雪って初めて見るよ。何か、ワクワクするね」
ほとんど一か月かけて、一行は沙漠を越えた。
足元の砂は次第に粒が大きくなり、今は石ころ交じりの土を踏みしめている。
なだらかな上り道の両側には、葉を落とした木々が立ち並んでいる。
ナラインについて最初の村では、「この季節に山越えするなんて、正気じゃないね」と言われた。
それが、かえってロッシュを喜ばせた。
しかし、これから向かうのは、夏でも雪を頂く峰々。生半可な気持ちと服装では乗り越えられない。
毛皮の上着や帽子、手袋。靴も雪で滑らないブーツを購入する。
フォンにも勧めたが、ローブがあるから大丈夫だと言い張った。
不思議そうに、リシュが問う。
「フォンは、ローブの下には何を着ているのですか?」
「何って……」
フォンは戸惑った表情でローブを脱いだ。布を肩に引っ掛けて腰で縛っただけの、簡単な肌着を一枚着ているだけだった。
リシュの顔が引きつった。
「それで、寒くないのですか」
「ああ」
「髪が毛皮代わりなんだよね」
ロッシュはそう茶化したが、フォンは微笑んだだけだった。
ラクダを売り、ラマを二頭買った。ラマはラクダの仲間で水をあまり必要とせず、従順で力持ち、険しい山道で荷物を運びあげるのに最適な動物らしい。
「これ、人間は乗っても大丈夫かな」
商人が笑う。
「そいつぁ無理だぁ」
「そんなの、やってみないと分からないわ」
そう言うと、ロッシュはラマに跨った。
とたんに、ラマは座り込んだ。
「こら、立て」から始まって、「お願い、立って」まで、ロッシュがどんなに頼んでも、ぴくっとも動かない。
「重い荷物は嫌がるんでさあ」
商人が、また笑った。
ロッシュは、リシュが水を購入するたび、ため息が出るのを抑えられなかった。
(水なんて、いくらでも出せるのに)
勿体ないと思いつつ、それを言い出せない。洗いざらい告白してしまえば楽になれるのに、そう思っても、やはり言えない。
だんだん急になっていく上り坂を進む。
本格的な山越えに入る前に、集落で道を確認した。
ラマを買った村で聞いた道を告げると、中年の男性は眉をひそめた。
「そのルートは、最近、山賊が出るんだよ」
山賊は、この夏から出没するようになったと言う。夏場は通行人も多く、その分、被害も多かったらしい。逆に、冬場は人が少ないから、かえって狙われる確率が高くなるだろうと。
「どこかに根城があるだろうと、軍が捜索してくれたんだが……」
「見つからなかったのですか?」
男は無言でうなずいた。
「道沿いに住んでいる人たちは大丈夫なんですか?」
「道沿いには住んでないからなあ」
男が言うには、道は細い谷に沿って伸びていて、家を建てられるような場所がないらしい。そこで、山に住む人々は、平らな場所を見つけて木を伐り、家を建て住んでいると言う。
「だいたいが、谷を見下ろすような場所さぁ。だが、それも夏の間だけ、この季節はほとんどみんな、山を下りて暮らしているのさ。それに、村人を襲ったところで、金も何も持ってない。襲うだけ無駄さね」
「別の道はないのですか?」
「無いことはないが……」
渋い顔をしながらも、この辺りの人だけが知っているというルートを教えてくれた。その道は、頂上を越えるため距離も長く、それこそ人が通らないので、何かあっても助けを呼べないと言う。
安全だが険しく長い山越えの道と、楽だが山賊が出るかも知れない道。
「どっちを選んでも危険はあるさ。春になるまで待って山越えするか、急ぐなら警護を雇うかした方が良いよ」
男の言葉に、リシュは不安げに問うた。
「どうする」
ロッシュの本音は、どっちでも良かった。山賊が出たら返り討ちするだけだ。
しかし、リシュにそうは言えない。
(ここは、しおらしく行くか)
「山賊は怖いから、山越えしましょうよ。フォンは山岳出身だから、何かあった場合の対処に詳しいし。ね?」
そう振り返る。
フォンも、「ああ」とうなずいてくれた。
決まりだ。
心配顔の男に手を振り、教えてもらった道に入る。
道はどんどん険しくなり、上り坂はますます急になる。それにつれ、呼吸は荒く、激しくなる。流れる汗は、立ち止まると氷になる。仕方なく、また歩く。
通る人のない道は、雪も深く、足を下ろすと膝近くまで埋まってしまうこともあった。
何とかテントを張れる場所を見つけ、一泊した。次の日のことだ。
珍しく、リシュが昼食を残した。
「頭が痛いんだ」
「大丈夫? 歩ける?」
「多分」
気になって、少しペースを落とすことにした。
それが良かったのか、夕食は全部平らげたので、ロッシュはほっとした。
ところが、夜中、リシュは急に起き上がると、テントを飛び出した。近くの木の根元にうずくまり、げえげえ吐き出した。
背中をさすってやりながら、おろおろする。
自分の調理にまずいことがあったのだろうか。確かに、低地と比べて煮え方が違うが、自分もフォンも何ともないのだ。では、いったい何が原因か? さっぱり分からない。
朝になっても治らず、食べたら吐く。
食べないせいか、力が出ないようで、少し歩いただけでぐったりしている。
ラマに乗せてみたが、やはりラマは座り込む。
「よし、おんぶしてあげよう。ほら、子供の時みたいにさ」
ロッシュは、リシュに背を向けしゃがみ込んだ。
しかし、リシュは拒否した。
「もう大人だよ。女性に負ぶってもらうなんて恥ずかしい」
「何言ってんの。この際、恥なんか捨てて」
「ボクの方がもう大きいのに。ロッシュがつぶれるよ」
「ならば、私の背に乗りなさい」
フォンから何かアクションを起こす。それは本当に珍しいことで、ロッシュは思わず聞き返した。
「背負えるの?」
「大丈夫だ」
フォンはローブを広げるとリシュをくるみ、背中に乗せると腰に括りつけた。
「赤ちゃんの負ぶい紐だね」
ロッシュが笑うと、リシュは恥ずかしそうに眼を閉じ、フォンの肩に手をかけた。
「フォンの背中って、意外と心地良い」
そう言って、そのまま眠ってしまった。
ロッシュは、フォンに並び立つと、その耳にささやいた。
「ずるしてるでしょ」
「ずる? どういうことだ」
「背負った振りでしょ、ってこと」
フォンの表情が緩む。
「あのゆらゆらが、眠くなるんだよね」
ロッシュは、サラナーンで、ジャックの病院までローブで運んでもらったことを思い出していた。
「あー、良いなあ。私もおぶって欲しいよぉ」
そう言って、甘えるように髪を引っ張る。フォンは苦笑したが、返事はなかった。
しばらく行くと、後ろからラマを連れた若者が一人登って来た。
「こんな時期に山越えですか」
そう問われ、問い返す。
「あなたの方こそ山越えですか」
「私は、この近くの集落の者ですよ。冬越えの食料を買い出しに行った帰りです」
若者は爽やかな笑顔でそう言うと、ラマの背に乗せた荷物をぽんぽんと叩いた。
それから、フォンの背中をのぞき込んだ。
「具合が悪いのですか」
ロッシュは、簡単に症状を伝えた。
「ああ、それは高山病ですよ。高い山に急に上ると体がついて行かなくなって、こういう症状が出るのです。二、三日休めばよくなりますよ。少し下ることになりますが、私の村で休んでいきませんか」
ロッシュとフォンは、顔を見合わせた。
これまた珍しく、フォンが先に口を開いた。
「ご厚意に甘えますか」
「そだね」
二人は、ラマを引きながら若者の後をついて行った。
登山道を外れ、脇道に入る。下り道をかなり歩いて、やっと集落が見えてきた。
若者は右手の集落に向かう。しかし、ロッシュの視線は左手に向いた。
そこは、林が切れ、雪の先に真っ青な空が見えた。思わず足を踏み出す。
若者の慌てた声が追って来た。
「ああ、ダメダメ。そちらは崖です。危険ですから近寄らないように」
一行は、小屋で温かなもてなしを受けた。
集落の人は皆親切で、文字通り、温かいスープをごちそうになった。それだけでなく、「私は隣に泊めてもらいますから」と、若者は自分の小屋を三人のために空けてくれた。
フォンも野宿ではなく、今日は一緒に寝泊まりしてくれるという。
リシュはよく眠っている。
フォンはその胸に手を当てがい、エナジーの流れを正している。
「明日には元気になりますよ」
人が居なくなったので、カボが顔を出した。
「ロッシュは指輪があるから平気なんだよ。おいらも何だか気持ち悪い」
「えっ。大丈夫なの?」
「まあね。ロッシュが運んでくれるから、ずっと眠ってたんだ。冷たい空気を吸ったらすっきりするさ」
そう言うと、外に出て行った。
「そろそろ寝るか」
フォンが、意味ありげにロッシュを見る。
「そうですね」
ロッシュは笑いを堪えながらうなずいた。
そうして、小屋の灯りが消された。




