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EN~RIN  作者: 不動坊多喜
第二章

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76/106

(76)旅《山岳の国》①

「寒くなって来たね」

 ロッシュは、黒く染めた髪を隠すように、帽子を深く被った。


「もう、十二月だからね」

 リシュもコートの襟を合わせながら答える。

 見上げる山脈は、すっかり白い雪で覆われている。

「私、雪って初めて見るよ。何か、ワクワクするね」


 ほとんど一か月かけて、一行は沙漠を越えた。

 足元の砂は次第に粒が大きくなり、今は石ころ交じりの土を踏みしめている。

 なだらかな上り道の両側には、葉を落とした木々が立ち並んでいる。


 ナラインについて最初の村では、「この季節に山越えするなんて、正気じゃないね」と言われた。

 それが、かえってロッシュを喜ばせた。

 しかし、これから向かうのは、夏でも雪を頂く峰々。生半可な気持ちと服装では乗り越えられない。

 毛皮の上着や帽子、手袋。靴も雪で滑らないブーツを購入する。


 フォンにも勧めたが、ローブがあるから大丈夫だと言い張った。

 不思議そうに、リシュが問う。

「フォンは、ローブの下には何を着ているのですか?」

「何って……」

 フォンは戸惑った表情でローブを脱いだ。布を肩に引っ掛けて腰で縛っただけの、簡単な肌着を一枚着ているだけだった。

 リシュの顔が引きつった。

「それで、寒くないのですか」

「ああ」

「髪が毛皮代わりなんだよね」

 ロッシュはそう茶化したが、フォンは微笑んだだけだった。


 ラクダを売り、ラマを二頭買った。ラマはラクダの仲間で水をあまり必要とせず、従順で力持ち、険しい山道で荷物を運びあげるのに最適な動物らしい。

「これ、人間は乗っても大丈夫かな」

 商人が笑う。

「そいつぁ無理だぁ」

「そんなの、やってみないと分からないわ」

 そう言うと、ロッシュはラマに跨った。

 とたんに、ラマは座り込んだ。

「こら、立て」から始まって、「お願い、立って」まで、ロッシュがどんなに頼んでも、ぴくっとも動かない。

「重い荷物は嫌がるんでさあ」

 商人が、また笑った。


 ロッシュは、リシュが水を購入するたび、ため息が出るのを抑えられなかった。

(水なんて、いくらでも出せるのに)

 勿体ないと思いつつ、それを言い出せない。洗いざらい告白してしまえば楽になれるのに、そう思っても、やはり言えない。


 だんだん急になっていく上り坂を進む。

 本格的な山越えに入る前に、集落で道を確認した。

 ラマを買った村で聞いた道を告げると、中年の男性は眉をひそめた。

「そのルートは、最近、山賊が出るんだよ」


 山賊は、この夏から出没するようになったと言う。夏場は通行人も多く、その分、被害も多かったらしい。逆に、冬場は人が少ないから、かえって狙われる確率が高くなるだろうと。


「どこかに根城があるだろうと、軍が捜索してくれたんだが……」

「見つからなかったのですか?」

 男は無言でうなずいた。

「道沿いに住んでいる人たちは大丈夫なんですか?」

「道沿いには住んでないからなあ」


 男が言うには、道は細い谷に沿って伸びていて、家を建てられるような場所がないらしい。そこで、山に住む人々は、平らな場所を見つけて木を伐り、家を建て住んでいると言う。


「だいたいが、谷を見下ろすような場所さぁ。だが、それも夏の間だけ、この季節はほとんどみんな、山を下りて暮らしているのさ。それに、村人を襲ったところで、金も何も持ってない。襲うだけ無駄さね」


「別の道はないのですか?」

「無いことはないが……」

 渋い顔をしながらも、この辺りの人だけが知っているというルートを教えてくれた。その道は、頂上を越えるため距離も長く、それこそ人が通らないので、何かあっても助けを呼べないと言う。


 安全だが険しく長い山越えの道と、楽だが山賊が出るかも知れない道。


「どっちを選んでも危険はあるさ。春になるまで待って山越えするか、急ぐなら警護を雇うかした方が良いよ」

 男の言葉に、リシュは不安げに問うた。

「どうする」

 ロッシュの本音は、どっちでも良かった。山賊が出たら返り討ちするだけだ。

 しかし、リシュにそうは言えない。

(ここは、しおらしく行くか)


「山賊は怖いから、山越えしましょうよ。フォンは山岳出身だから、何かあった場合の対処に詳しいし。ね?」

 そう振り返る。

 フォンも、「ああ」とうなずいてくれた。

 決まりだ。


 心配顔の男に手を振り、教えてもらった道に入る。

 道はどんどん険しくなり、上り坂はますます急になる。それにつれ、呼吸は荒く、激しくなる。流れる汗は、立ち止まると氷になる。仕方なく、また歩く。

 通る人のない道は、雪も深く、足を下ろすと膝近くまで埋まってしまうこともあった。


 何とかテントを張れる場所を見つけ、一泊した。次の日のことだ。


 珍しく、リシュが昼食を残した。

「頭が痛いんだ」

「大丈夫? 歩ける?」

「多分」

 気になって、少しペースを落とすことにした。

 それが良かったのか、夕食は全部平らげたので、ロッシュはほっとした。

 ところが、夜中、リシュは急に起き上がると、テントを飛び出した。近くの木の根元にうずくまり、げえげえ吐き出した。

 背中をさすってやりながら、おろおろする。


 自分の調理にまずいことがあったのだろうか。確かに、低地と比べて煮え方が違うが、自分もフォンも何ともないのだ。では、いったい何が原因か? さっぱり分からない。


 朝になっても治らず、食べたら吐く。

 食べないせいか、力が出ないようで、少し歩いただけでぐったりしている。

 ラマに乗せてみたが、やはりラマは座り込む。


「よし、おんぶしてあげよう。ほら、子供の時みたいにさ」

 ロッシュは、リシュに背を向けしゃがみ込んだ。

 しかし、リシュは拒否した。

「もう大人だよ。女性に負ぶってもらうなんて恥ずかしい」

「何言ってんの。この際、恥なんか捨てて」

「ボクの方がもう大きいのに。ロッシュがつぶれるよ」


「ならば、私の背に乗りなさい」

 フォンから何かアクションを起こす。それは本当に珍しいことで、ロッシュは思わず聞き返した。

「背負えるの?」

「大丈夫だ」

 フォンはローブを広げるとリシュをくるみ、背中に乗せると腰に括りつけた。

「赤ちゃんの負ぶい紐だね」

 ロッシュが笑うと、リシュは恥ずかしそうに眼を閉じ、フォンの肩に手をかけた。

「フォンの背中って、意外と心地良い」

 そう言って、そのまま眠ってしまった。


 ロッシュは、フォンに並び立つと、その耳にささやいた。

「ずるしてるでしょ」

「ずる? どういうことだ」

「背負った振りでしょ、ってこと」

 フォンの表情が緩む。

「あのゆらゆらが、眠くなるんだよね」

 ロッシュは、サラナーンで、ジャックの病院までローブで運んでもらったことを思い出していた。

「あー、良いなあ。私もおぶって欲しいよぉ」

 そう言って、甘えるように髪を引っ張る。フォンは苦笑したが、返事はなかった。


 しばらく行くと、後ろからラマを連れた若者が一人登って来た。

「こんな時期に山越えですか」

 そう問われ、問い返す。

「あなたの方こそ山越えですか」

「私は、この近くの集落の者ですよ。冬越えの食料を買い出しに行った帰りです」

 若者は爽やかな笑顔でそう言うと、ラマの背に乗せた荷物をぽんぽんと叩いた。

 それから、フォンの背中をのぞき込んだ。

「具合が悪いのですか」

 ロッシュは、簡単に症状を伝えた。

「ああ、それは高山病ですよ。高い山に急に上ると体がついて行かなくなって、こういう症状が出るのです。二、三日休めばよくなりますよ。少し下ることになりますが、私の村で休んでいきませんか」


 ロッシュとフォンは、顔を見合わせた。

 これまた珍しく、フォンが先に口を開いた。

「ご厚意に甘えますか」

「そだね」


 二人は、ラマを引きながら若者の後をついて行った。

 登山道を外れ、脇道に入る。下り道をかなり歩いて、やっと集落が見えてきた。

 若者は右手の集落に向かう。しかし、ロッシュの視線は左手に向いた。

 そこは、林が切れ、雪の先に真っ青な空が見えた。思わず足を踏み出す。

 若者の慌てた声が追って来た。

「ああ、ダメダメ。そちらは崖です。危険ですから近寄らないように」


 一行は、小屋で温かなもてなしを受けた。

 集落の人は皆親切で、文字通り、温かいスープをごちそうになった。それだけでなく、「私は隣に泊めてもらいますから」と、若者は自分の小屋を三人のために空けてくれた。

 フォンも野宿ではなく、今日は一緒に寝泊まりしてくれるという。

 リシュはよく眠っている。

 フォンはその胸に手を当てがい、エナジーの流れを正している。

「明日には元気になりますよ」


 人が居なくなったので、カボが顔を出した。

「ロッシュは指輪があるから平気なんだよ。おいらも何だか気持ち悪い」

「えっ。大丈夫なの?」

「まあね。ロッシュが運んでくれるから、ずっと眠ってたんだ。冷たい空気を吸ったらすっきりするさ」

 そう言うと、外に出て行った。


「そろそろ寝るか」

 フォンが、意味ありげにロッシュを見る。

「そうですね」

 ロッシュは笑いを堪えながらうなずいた。


 そうして、小屋の灯りが消された。


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