(74)旅《砂漠の国》④
朝が来た。
奥のベッドでロッシュが「ファオーゥ」と伸びをしている。
「おはよう。よく眠れたかい」
「うん。ぐっすり。やっぱりベッドは良いねえ」
その逞しさに呆れる。リシュは、ほとんど眠れなかったのだ。
二人は荷物を探り、残っていた干し肉とドライフルーツで簡単な朝食を取った。
「食べ終わったら、すぐ出立しよう」
「役所が開くまで待たないの?」
「うん。兵舎なら早朝から開いているから、そちらへ行こうと思う」
「私は行かない方が良いよね」
「そうだね。その間、昨日の店に行って、頼んでおいた物資をもらってきてくれるかい」
そう言って、引換券と代金を差し出す。
「分かった。それで、待ち合わせはどこにする?」
「そうだな」
広げた地図を前に、少し考える。
分かりやすくて、目立たない場所を探す。
ヴィノは三日月型のオアシスで、えぐれた南側の部分に、丸く街が形成されている。門は、彼らが入ってきた南以外に、東と西の三カ所がある。
「ここにしよう」
指さしたのは、三日月の先っぽだった。
「西門を出たところだね。念のため聞くけど、旅券が無くても出られるよね」
「ああ。門を出たらオアシスが見えるはずだから、真っすぐ行く振りをして、オアシスに沿って三日月の先っぽを少し回ったところで待っていてよ。たぶん、ボクの方が時間がかかると思うから」
そこなら、門にいる衛兵からは見えないし、旅をする人も気に留めないだろう。悪事を働くわけではないが、魔女の噂があるから用心した方が良い。
「くれぐれも、髪は隠しておくようにね」
「もちろん」
大通りで別れ、昨日来た道を南門まで戻る。
兵舎の門を叩くと、昨日と同じ兵が顔を出した。
「この街の管理官に話があると伝えて欲しい」
そう言って、旅券の最後のページを開いた。そこには、
『この者の言葉は私の言葉と思って従うように』
という文字とラシードのサインが、彼の直筆で書かれている。
今まで使ったことはなかったが、こういう時こそ使うべきだろう。
効果はてきめんだった。
「管理官はただいま不在です。すぐに呼んでまいりますから、しばらくお待ちください」
そう言って、管理官の部屋に通された。
どうしようか迷ったが、偉そうにする方が良いだろうと判断し、管理官の椅子に座って待つことにした。
しばらくして、管理官が飛んで出てきた。寝起きの顔で、髪もぼさぼさだ。それを、チクっと指摘する。
「ここの軍の起床時間は、随分遅いのですね」
「いえ、その、昨夜会議があったもので……」
「ほう、どんな議題で?」
「そ、その、まあ、昨今の治安の悪さについてとか……」
「なるほど。それで、どんな結論が出たのですか」
「いえ、その、見張りの強化とか……」
リシュはにやりと笑うと、かまをかけた。
「本当は、会議などなかったのでしょう? そんな話は聞いていませんよ」
途端に、太った武官はしゅんとなった。
「どうか、ご内密に」
「考えておきましょう。それより、治安の悪さですが、本当に対策を立てないと、とんでもないことになりますよ」
「そ、それはどうして……」
「実は、ボクは今、ラシード様の特命を受けてサルヴァーンからヨギンドラに行く途中でね、主なオアシスをすべて回ることになっている」
「そ、それは、視察ということで?」
管理官の声が震えている。頬を伝っている汗は、冷や汗か? いや、これだけ太っているから暑いだけかもしれない。
そんなことを考えながら、「それは、想像に任せよう」と、揺さぶりをかける。
「それより、昨日のことだ。治安を確かめるためにわざと路地裏の宿に泊まったのだが、予想以上の悪さだった。連れの女性が、ああ、目的のために同行してもらった軍の協力者だが、あろうことか宿の亭主が彼女を縛り上げ、ボクにゆすりをかけてきたのだ。売り飛ばすか身代金を払うかと」
一度言葉を止め、相手の出方を伺う。
「そ、そんな、許しがたいことです」
「その通りだ。そこでボクは、彼女を監禁していた二人を切り殺したのだが、これは罪となるかな?」
「ま、まさか。それは当然のことですから、罪など誰が問いましょうか」
「それを聞いて安心した。今後の予定に差し支えがあれば、ラシード様のお手を煩わせることになるのでほっとしたよ」
「いえいえ。ラシード様にご連絡の必要などございませんから、ご安心ください」
「それから、亭主は縛り上げて同じ部屋に閉じ込めてあるが、自分の罪を隠すために嘘をつくかもしれないので、用心してくれ」
そう言って、宿の名前を書いた紙を渡す。
「もちろんです」
「念のため確認しておきたいのだが、まさか、そういう輩と手を組んでいるとか、賄賂をもらって見逃してきたとか、そんなことはないよね」
「も、もちろんでございます。そのようなことがこの街で起こることなど、決して有り得ません」
「では、そのように報告することにしよう」
「あ、有難うございます」
リシュは、ゆっくり席を立った。
「では、ボクはこれで失礼するので、後の始末はよろしく頼むよ」
「は、はい。任せてください」
「ああ、言い忘れたが、この後はヴィクラに立ち寄る予定だ。だが、そのことは他へ漏らさないようにして欲しい」
「もちろん、大丈夫です」
「話の分かる方で良かったです。では」
兵舎を出たリシュは、ほっと息をついた。
これで大丈夫だろう。多分、だけれど。
もしかしたら、早馬でヴィクラに知らせが行くかもしれない。だが、自分たちは別方向に向かう。これで、追撃は避けられるだろう。
それから、ラクダにまたがると、念のため東門に向かった。
門を出ると、何かあったのか人々が連れだって西に向かっている。
これ幸いと、それに紛れて進む。
何が起こったのか聞いてみたかったが、話しかけるのははばかられた。誰かの印象に残って、西の方に向かったと告げ口されるようなことがあってはならない。
その代わり、耳をそばだてた。
老人が一人、手をたたいて喜んでいる。
「これで、畑が耕せる。来年は麦が食えるぞ」
「それにしても、昨日はなかったよなあ」
彼らの行く先には、水路があった。既に多くの人がそこにかかる橋に立ち、歓声を上げている。
リシュも橋の真ん中で立ち止まり、その全貌を振り返る。
オアシスの真ん中、三日月の膨らんだ部分から端を発し、畑の中を横切り、途中枝分かれしながら沙漠に広がっている。オアシスから流れ込んだ水は、水面を風に波立たせながら、新しい畑に流れ込むのを待っている。
昨夜の話では、途中で金が無くなって作りかけということだった。
では、この水路は、一晩でできたということか?
(それこそ、魔法だな)
そう思って、ふと、フォンを思う。
(まさか、ね)
喜んでいる人々の横を素通りする。
間もなく、三日月の先っぽが見えてきた。
ロッシュが退屈そうに待っているのが見える。ラクダの足を速める。
「ごめん。待たせたね」
「ああ。そんなに待ってないよ。何しろね、店の亭主が、なかなか荷物を出してくれなくて」
「用意してくれてなかったのかい?」
「そうじゃないよ。リシュじゃないから信用してくれなかったんだよ。何しろ、治安が悪いからね、この街」
「確かに、悪かったね」
「それに、この髪。やっぱり染め粉を買った方が良いね」
「白髪の魔女の噂は、まだ広がるかな」
「旅館でやっちゃったからね。もっと尾ひれがつきそう」
「なら、次に立ち寄るオアシスで探そうか」
「そうしよう。じゃあ、さっさと出発だ。追っ手が来るかもしれないからね」
「そうだな」
リシュは、含み笑いをしながら答えた。
「ところで、フォンは?」
「さあ。そのうち追いつくでしょ」
「相変わらずだなあ」
彼は、やはり魔法使いなのだろう。そうでなければ、広い砂漠でボクらのいる場所を見つけることなどできるはずがない。
(彼が追いついたら、水路のことを聞いてみよう)
無口な彼が答えてくれるかどうか疑問だが、人々が喜んでいたことは伝えたかった。
(この街は、まだ消滅しないかもしれない)
昨夜の鬱屈した思いが、砂と一緒に風に飛ばされていった。




