(71)旅《砂漠の国》①
遠くに、外郭が見えてきた。
「もっとにぎやかだと思ってたのに……」
ロッシュが思わずそう声を上げたほど、入国待ちの人は少なかった。
「今は船便が主だからね」
「にしても、昔はもっとキャラバンが多かったよね」
「昔は、サルヴァーンの帝都に物資が運び込まれたからね。でも、今は帝都より北にある、リイナという港町の方が栄えているんだ。そちらはガッチャミーのほぼ真東で、ヴィクラというオアシスの方が近いから、キャラバンのルートもそちらに移動したんだろう」
「ちょっと待って。ガッチャミーって、ここだけじゃないの?」
「え? 知らないの? ガッチャミーは五つのオアシス都市を中心にまとまった国だよ。まあ、井戸のようなオアシスも含めたら、二、三十は町があるかな」
「知らない。初めて聞いた」
リシュはため息をついた。
「子供の時、習ったはずだよ」
ロッシュはリシュを憐れむように見つめた。
「リシュこそ忘れたの? 私がきちんと勉強していた日があったかしら?」
リシュは大きく息をつくと、ラクダを降りた。
それから、荷物から紙とペンを取り出すと、それを前に目を閉じた。
「リシュ?」
問いかけると、「黙って」と、何か考えている。
三十秒ほどそうしていただろうか。
パチッと目を開けると、ペンでさらさらと描き始める。二、三分で、美しい地図が出来上がった。
「これが、ガッチャミー?」
「そう。以前ラシード様に見せてもらったことがあったから、思い出してみた」
「それ、何回見たの?」
「一回だけど、十分だろう?」
「やっぱり、私の脳みそは全部リシュに持ってかれたんだ」
「そんなことは起こり得ないよ」
リシュは笑ったが、その笑顔さえ恨めしい。
地図によると、ガッチャミーは国土のほとんどが沙漠で、パースはその沙漠の南東に位置している。北、西、南の三方を山に囲まれ、特に、北から西に連なる山脈は、その頂に夏でも雪を抱くほど険しく、人の訪れを拒んでいる。そのため、キャラバンは、東にあるサルヴァーンへ交流を求めて旅したと言われている。
一方、春になると、雪解け水が枯れ川に流れ込み、沙漠に水と肥沃な土を与えてくれた。川は夏を待たずに枯れてしまうが、一年を通して大地に滲みていく水は、長大な地下水脈となり、ところどころでオアシスとして地上に顔を出している。
その中で最大のものが、ヨギンドラと呼ばれる王都だ。オアシスは楕円を少し曲げたような形をしているが、面積はパースより広いという。
「こうしてみると、オアシスって並んでるんだね」
「地下水脈や枯れ川に沿っているからね」
「パースもその一部だって、よく分かるね」
「そうだね」
「今いるところは、ここ。ヴィノというオアシスで、帝都に一番近い。もちろん、パースにもね。そして、王都、ヨギンドラは、ここ」
そう言って、もっと北西よりを指さした。
「そして、その背後の山が、ナライン。修行僧の国だよ」
「おお。そこに行ってみたいねえ」
「もちろん通るよ。そこを越え、平原の国ファラスを通り抜けたところがホラサーンだからね」
「結構遠いね」
「だから、船を勧めたんだよ」
「でも、遠い方が楽しいよね。さあ、その地図に新たな情報を書き込みに行こう」
リシュは「はいはい」と地図をたたむと、ラクダを引いて門に向かった。
三人の番が来た。リシュが手帳のようなものを取り出す。門を守る兵士がそれを改め、深々と礼をした。ロッシュとフォンは、その風貌をじろじろ見られたものの、咎められることなく門をくぐることができた。
「さっき見せたのは、通行証?」
それは、サラナーンで覚えた言葉だった。
「ああ、よく知っているね。ホラサーンでは旅券と呼ぶけどね」
リシュが、意外そうな顔をして、それを見せてくれた。
手渡された旅券の表紙には、リシュの名前が記され、ホラサーン王朝の発行印が押されている。一枚めくると、渡航歴が記されていた。リシュは航路が主なので、サルヴァーンとその周辺の島国の名前が、それぞれの入国日と出国日と共に記録されていた。
「これは兵士用で、一般の人は、もっと簡単な手形を持っている」
「どう違うの?」
「手形は、住んでいる村の長が発行するもので、目的地と理由が書かれていて、それ以外は行けない。旅券は、どこでも行けるし、階級に応じた特権がある」
そう言って、近く建物に入って行った。
出てきたときには、袋を一つ持っていた。
「路銀だ。給与の前借になるけど、食事や宿泊費は必要だからね」
「確かに、特権だね。じゃあ、それでパーッと行こうか」
「街を見物しながら旅館を探そうか。明日からの準備も必要だし」
メインストリートを歩くと、呼び込みの声が道の両側から響いてくる。
その中から堅実そうな店を選び、食料と水を注文した。
「では、明日の朝、出立の前に取りに来るから、代金もそのときということで」
引換証を受け取り、店を出る。
「面白い仕組みだね」
「軍隊仕込みだよ。個人でも受けてくれて良かったよ」
「それにしても、閉まっている店が目立つね」
「船便が増えて、陸路が寂れているんだろう」
「あ、あそこの店、おいしそうだよ」
三人が入った店は、オアシスでとれた魚とフルーツが売りの店だった。
「新鮮な魚って、初めて食べたよ。フルーツも甘くておいしいね」
パースでは干した魚しか売られていなかったし、サラナーンの川で魚を捕まえた時は焼いて食べた。しかし、今食べたのは、生魚を果実酢で締めたものや、切り身にしてピリ辛のソースをつけて食べるものだった。
ロッシュは、リシュの目を盗んで、果物を内ポケットに忍ばせた。新鮮な果物は、きっとカボも喜ぶはずだ。
「今日のフォンは、小食ですね」
リシュが、ふと気づいたように言う。彼の皿には半分ほど残っている。
「私はもともと小食だ。ロッシュの料理は好きなのでたくさん食べるが」
「ああ、聞かなければ良かった」
リシュはため息をつき、ロッシュは笑った。しかし、フォンは笑わない。
「でも、今日は周りの様子が気になって食が進まない」
「周りって?」
周囲を見回すと、伺うようにこちらを見ている客がいた。ロッシュと目があい、慌てて反らす。そんな客は一人ではなかった。そして、その変な雰囲気は、少しずつ広がっているように思えた。
「出よう」
リシュが席を立った。
勘定を払うときだった。女将が、ロッシュの顔を検分するように見つめた後、ささやいた。
「お嬢さん、白髪の魔女の噂は知ってるかい」
「はぁ?」
ロッシュは、思わず頭を押さえた。ずっと被っていたフードを、食事の際、外してしまった。
女将は、小声で話を続けた。
「半年ほど前から、七人組の盗賊がこの辺りを荒らし回っててね、一週間ほど前にその一人が捕まったのさ。そいつは仲間の居場所を聞かれて、みんな白髪の魔女に殺されたって言ったらしいんだ。生き血をすすられて骨までしゃぶられたって。それで、白髪の女性は警戒されてるんですよ。あんたはそんな風に見えないから忠告するけど、気を付けた方が良いですよ」
店を出てすぐ、ロッシュはフードを目深に被った。
ところが、服装などの情報はもう流れていたのだろう。
旅籠に入ろうとすると、「髪を見せてほしい」と言われたのだ。
「申し訳ありませんが、他のお客様が怖がるので……」
「分かった。他を当たるよ」
そんな会話を繰り返し、表通りの端まで来てしまった。
仕方なく横道に入り、路地を進む。
怪しげな飲み屋や安っぽい娼館が軒を連ねている中に、宿舎の看板を見つけた。幸い、ラクダを繋ぐ小屋もある。
「今度は私が交渉してみる」
それからフォンを振り返った。
「フォンはどうする?」
「私は沙漠に戻ります。ターマは野宿が基本ですから」
「うん。じゃあ、また明日ね」
フォンが去って行く後ろ姿に、リシュは声をかけた。
「明日って、旅券がないから出入りできませんよ」
それを、ロッシュが止めた。
「彼は大丈夫。自分で何とでもする」
それから、旅館に入って行った。
ロッシュはフードを外すと、わざと髪を見せた。亭主は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐ真顔になった。
「いらっしゃい。きれいな髪ですねぇ」
「だろ。でもね、白髪の魔女が出るって噂があって、困ってるんだ。この店は泊めてもらえるかな?」
「もちろんですよ。お代さえ頂けるなら、どなたでも」
「それは、きちんと払わせてもらうよ」
「では、お二人ですか?」
好奇心のこもった眼付きで、二人をなめるように見回す。
「そう。姉弟だから、一つの部屋で良いよ。ね?」
最後に、振り返ってリシュに確認を取る。リシュもうなずく。
「姉弟ねぇ」
卑猥な笑顔を浮かべて亭主は番号札の付いた鍵を渡してくれた。
「お風呂は向かいの浴場を利用してください。食事はどうなさいます?」
「もう食べてきたから必要ないよ」
「では、前払いでお願いします」
リシュが勘定を払い、鍵を受け取る。
荷物を部屋に運びながら、リシュが言った。
「あいつ、ぜったい姉弟と思ってないぞ」
「だろうね。まあ、好きなように思わせておけば良いじゃない。それより、先に入浴しても良いかな」
「ああ、ボクは荷物番をするよ。油断しない方が良いと思うから」
久しぶりにお湯につかり、さっぱりした顔で部屋に戻る。
「良いお湯だったよ。リシュも入っておいでよ。交代するよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
リシュが出て行くとすぐ、カボが内ポケットから這い出した。
「ごめんね。窮屈な思いをさせて」
「何の何の。むしろ得したよ」
「何が?」
「おいら、女湯って初めてだったよ」
「そこかよぉ」
そのとき、ドアが激しくノックされた。
カボは急いで荷物にもぐり込んだ。
「どなたですか」
鍵を開けず、声をかける。亭主の声が返って来た。
「大変です。お連れさんが、弟さんが……」
取り乱した口調に、思わず鍵を外した。
ドアを開けた瞬間、男が二人飛び込んで来た。
勢いのままロッシュは押し倒され、押さえ込まれた。




