(6)処刑①
競技場の外は、熱気に包まれていた。
「通してください。お願い」
二人の女が、群がる観客を押しのけて前に出ようとしていた。しかし、誰も彼もが少しでも前で見たいと身を乗り出し、二人は中の様子を見ることさえできない。
とうとう、背の高い方の女が切れた。
「通せって言ってんだろ、この」
そう言って、前に立つ二人組の間に両腕を突っ込み隙間をこじ開けると、無理やり体を突っ込んだ。
「あんだって? 女は引っ込んでろよ」
押しのけられた男は女の肩に手をかけた。が、振り返ったその顔を見たとたん、慌てて道を開けた。そこを、おどおどと、もう一人の女が通り抜ける。
「どうした?」
不審そうな顔を向けた隣の男に、男は答えた。
「アレッサだ。これから殺される男の関係者だよ」
「どの? 男は三人いるんだろう?」
「全部。一人は婚約者でもう一人はいとこ、最後の一人は弟だ」
「な……」
「連れの女は、そのいとこの妻さ」
ひそひそ話が聞こえているかどうか、二人は前へ前へと、人波をかき分けていく。
ようやく一番前の柵にしがみついたとき、戦いは始まろうとしていた。
「正しい者が勝つ」
それが、現国王の考えであり国の指標だった。
それはつまり勝った方が正しいということで、ずるいものが勝ち、力のない者が虐げられる社会の了解でもあった。
そんな社会が幸せなはずがない。
間違っていると誰もが思っていても、怖くて口に出せない。
たとえば、……。
アレッサは、ここ、帝都から遠く離れた田舎の出身だ。
家はそこそこの農家で、両親と弟と仲良く暮らして来た。
アレッサが十歳の時、夏の干ばつ、冬の豪雨と異常気象が二年続きで起こり、近隣の農家が皆、窮乏した。
父は家族を養うため、近所の人と連れ立って出稼ぎに行き、建築現場で建物から足を滑らせ死亡した。
母は農家を立て直そうといろいろな人に相談し、気が付くと土地も家財もだまし取られていた。
仕方なく、母は兄を頼って帝都にやって来た。
アレッサが十五、弟のヴィットが十一の時だ。
「絶対おかしいよ。この世界。だいたい、父さんがバランス崩して落っこちたなんて、有り得ない。あんなに身軽で器用だったのに」
従妹のラウルも口をそろえる。
「そうだよなあ。俺の働いている作業場だって、もともとは親父の物だったのに、いつの間にか乗っ取られて……」
親父さん、つまり母の兄は優しい人で、妹一家を心から迎えてくれた。
しかし、その優しさが原因で、友達から助けを求められ、保証人になったばかりにすべてを失い、アルコールに手を出した。
「母ちゃんがあんな事故で亡くならなきゃ、もうちょっとましだったろうけどなぁ」
ラウルの母は、夫の分も働こうと、自分にできる仕事を探したらしい。
彼女は、大柄で力も強く気立ても良かったので、色んなところから引き合いがあったそうだ。
ある日、市場で荷下ろしを手伝っていたとき、突然馬が暴れ出した。
馬は荷車ごと暴走し、母親に突っ込んだ。
崩れた積み荷の下敷きになり、母はあっけなくこの世を去った。
「でもな、馬が突然暴れるって、おかしいじゃん。誰かが何かしたに決まってる」
けれど、取り調べも無く、「事故」で片づけられた。
「見舞金も無し。だって、ただの手伝いだからな」
「で、親父の酒がもっとひどくなったわけ」
アレッサたちが転がり込んだときには、すっかりアル中になっていて、酒が切れると手が付けられない状態だった。
そんな兄を庇いながら、アレッサの母は仕事を探した。
「住み込みで家事手伝いをして欲しい。子供は連れて行けないが、その分給金ははずむそうだ」
ほどなく、そんな話が舞い込み、母は迷った末、行くことにした。
一週間ほどして、母は逃げ帰って来た。
裸足で、肌着の上にぼろ布を被り、浮浪者のような恰好だった。
当然、無一文だ。
それからの母は、常に怯え、家に引きこもり、人を避けた。
快活で美人だった母。しっかり者の母。何でこんなに変わったの?
「今なら、どんな目にあわされたのか想像つくけどね」
ある日、アレッサが食料を仕入れて帰ると、母が殺されていた。
訴えたが、犯人を捜してくれるどころか、まともに取り合ってももらえなかった。
余所者だったから。
「一人にしちゃいけなかったんだ。私が甘かったよ」
「とにかく悪い奴が多すぎる。自分より弱いものから取り立てて、強いものに胡麻すって」
二人は、寄ると触ると愚痴ばかり言い合った。
「こらこら、そんな話ばかりして。誰かに聞かれたら、不穏分子だって突き出されるぞ」
そう言って優しく諭してくれたのが、近所に住むアトワンだった。
アトワンの家は旧家で、祖父が帝都議会の議長を務めたこともある名家だった。
しかし、父親が大使として訪れた国で身分の低い女性と恋に落ち、妻として連れ帰ったことで祖父と大ゲンカ。議会からも反発を食らい、議員の権利をはく奪された。
特権階級でなくなった父は、たちまち窮乏。
家族を養おうと必死になったが、坊ちゃん育ちで世事に疎く、転落の一途。
「一家心中を図ろうとして、私だけ助かった。母が、かばってくれたんだ」
そして、祖父のもとに引き取られ、今に至っている。
三人とも両親がなく、金もない。
そして、そんな子供は、世間にごろごろいた。
アトワンは祖父から教育を受け、議員権も譲られていた。
「議員は人々の代表である。したがって、与えられた権利は人のために使わねばならぬ」
そう、教えられて育ってきた。
だからと言って、政府に異を唱えるのはリスクが大きい。
せめて自分のできることを。
そう思って、親を失った子供たちに文字を教えたり、仕事を紹介したりした。
それがどうも、悪人たちの気に障ったらしい。
というか、彼らの商売の邪魔になったのだろう。
子供を騙して悪事を仕込むことができなくなるので。
そして、訴えられた。
「アトワンは、反逆を企てている。その証拠に、孤児を集め反乱分子を育てている」
三人の前に、武器が並べられた。剣と槍と弓と、それぞれ一つずつ。
「お前たちの武器だ。誰がどれを使っても良い。よく相談するのだな」
ヴィットがつぶやく。
「おれ、鍬以外の物、使ったことない」
ラウルが応える。
「俺は槌も使えるぞ。鍛冶屋で毎日叩いてきた」
アトワンがため息をついた。彼は、武具は一通り使えた。
「じゃあ、私はこれで」
そう言って剣を手に取った。
「じゃあ、俺、槍でいくわ」
ラウルが続くと、必然的にヴィットには弓が残された。
武器が決まったところで銅鑼が鳴り、対戦相手が出てきた。
男が三人。いずれも甲冑に身を包み、武器を携え、馬にまたがっている。
「三対三。武器も同じ。正しい方が勝つ」
判事がそう厳かに告げた。
「で、どこを狙えば良いの?」
ヴィットが問う。
何しろ相手は頭から足まで、甲冑に守られている。
アトワンは首をひねった。
「うーん。目、かな」
「そうだな。確かに、あそこは開いている」
「あと、継ぎ目とか」
「継ぎ目?」
「関節で曲がるところ」
「確かに。繋いでる金具を壊せばバラけるかも」
「やっぱり兄さんはすごいなあ」
アトワンは、またため息をついた。
この二人は、今の状況をまだよく理解していないのではないか。
「私は、決して無慈悲ではない」
王はそう言った。
「だから、たとえ反乱を起こそうとした首謀者であろうとも、生きるチャンスを与える」と。
「勝てば、命は保証しよう」と。
だから、この勝負勝たねばならぬ。
生きるチャンスを得るために。
三人は、それぞれの対戦相手を見据えた。