(57)秘密②
建国祭の夜、リシュはナッシュと共に大岩の前にいた。
もうすぐ真夜中というのに、祭りの喧騒は途絶えることなく聞こえて来る。多くの人が浮かれて飲み歩いているのだろう。
王家が途絶えてしまった今、儀式を行う人は誰もいない。この場への立ち入りを禁止する者もいない。夜中にここに来ようという酔狂な奴もいない。そして、他人の行動を見咎める輩もいない。とは言え、二人はここに来るまで、慎重に行動した。
「ボクの仮説が正しければ、今年何かが起こるはずだ」
「去年は何も起こらなかったけどな」
二人は、昨年の建国祭にもここに来ていた。
「うん。それはそれで正しいんだ」
リシュは、公文書に記載されていた事実と、そこから導いた仮説を話し出した。
「最初は、ヴィットという子供だ。一巻で誕生していたから九歳だったはず。その彼が、秋分の後の満月の日の翌日に死亡していた。その二年後、彼の母、シモーネが同じ日に死亡。その二年後、今度は父、カルロだ。最後は妹、アレッサ。これは、六年後だった。
一家全員が同じ日に亡くなるなんて、おかしいと思わない方がおかしい。何か理由があったはずだ。じゃあ、どんな?
九歳と言えば、わんぱく盛り。大人の言うことなんか聞かない年じゃないか。多分彼は、夜中にここへ来て門をくぐってしまったんだ。別世界への入口をね。
恐らく、入口はすぐに閉じ、彼は戻って来れなくなった。
そのことを知った母親は、どうする? きっと、後を追うと思わないか? 連れ戻すつもりで。でも、何かあって戻って来れなかった。
もしかしたら、妹は見ていたかもしれない。二人が門をくぐるのを。それを父に告げたとしよう。そしたら、父は迎えに行く。
残った小さな娘を一人で生かすのは危険だ。そう判断した王は、六年待たせた。そして、旅立たせ、二年後にお触れを出す。建国祭を行い、その夜は儀式のため立ち入り禁止と。もう二度と民が異世界に紛れ込まないように」
「その話は、お前が考えたのか?」
ナッシュが驚いた声で問う。
リシュは笑った。
「もう一冊、王の補佐官の私記を見つけてね。はっきりとは書かれていないが、そこに書かれたことと合わせて推測した話だよ」
「じゃあ、お前は、ロッシュがその異世界とやらに行ってしまった、と思っているのか」
「ロッシュだけじゃないかも知れないと思っている」
「他にもいると? それは誰だ?」
「分からない。でも、そいつが指輪を持ち出したんじゃないかって」
探しても見つからなかったという指輪。異世界に持ち出されたとしたら納得できる。ただし、誰が、どうやって、王宮から持ち出したか、それがさっぱり分からない。
「やっぱり、魔法使いかなあ」
ため息とともに吐き出す。
「魔法使い? そんな者、いると思ってるのか?」
「いたようだよ。男が一人、異世界からきて、門を作って帰って行ったって、書いてあった」
「その男、何のために門を作ったのかなあ」
「いつか、月の乙女が帰れるように門をつけたんじゃないかな」
「帰るってことは、月の乙女も異世界から来たってことか?」
「どうも、そうらしい」
「それも私記とやらに書かれているのか?」
「まあ、ぼんやりと。書いた人もよく分からないみたい。全部、想像だよ」
「で、その想像は、お前の考えと同じなんだな」
リシュはうなずいたあと、ポツンと付け加えた。
「もしかしたら、指輪が帰りたがっていたのかもしれない」
ナッシュは降参というように両手を上げ、そのまま頭を掻いた。
「俺、リシュはもっと現実的だと思っていたよ。こんなおとぎ話みたいなことを考えるなんて」
「そうだね。地に足ついてないよね。でも、そうとしか考えられないんだ」
話しながらも、リシュは門をじっと見つめている。きっと、何か異変が起こるはずだと、信じて。
月が動く。
二人の影が動く。やがて、その影が門をくぐった。
しかし、何も起こらなかった。
時間と共に、影は門から出て、大岩に移った。
リシュは、じっと待った。ひたすら、門を見つめて立っていた。
夜が白み始めたとき、リシュはため息をついた。
「仮説は外れた。ボクは間違っていたようだ」
ナッシュはまだ岩を見つめたまま、「そうかな」と答えた。
「そうだよ。もう、夜が明ける。やっぱり、おとぎ話だったみたいだね」
しかし、ナッシュは岩から目をそらさない。
「お前、昔言ってたよな。父さんが殺されて、ロシュナーハの枝が切り落とされたとき。指輪が消えたから森の魔法も消えたのでは、みたいなこと」
「そう言えば、言ったかな」
「俺はあれを聞いて心底驚いたんだ。確かにそうだって。お前が賢いのは知っていたけど、そんなことまで考えるんだって」
ナッシュは言葉を切ると、ゆっくりリシュを振り返った。
「だから、きっと、お前の言う通り、指輪は異世界に帰りたくて、ここを出て行ったんだ。それで、少しずつ魔法が崩れて、この門は開かなくなったのかもしれない」
「じゃあ、もう二度と、ロッシュには会えないのかな」
その声は、鼻声だった。泣き顔を見られたくなくて下を向く。
「お前、ロッシュに懐いてたからなあ」
ナッシュは、大きな手でぽんぽんと頭を叩いた。
「今日も、ロッシュのところに行くつもりだったんだろう。それで、銃を持ってきたんだよな」
(ああ、やっぱり気づいてたんだ。こっそり、持ち出したつもりだったのに)
涙が頬を伝う。顎にたまって、ぽたんと落ちる。
「でも、俺は、お前までよそに行っちまったら、どうして良いか分からないよ。ばあちゃんなんか、どれだけ寂しがることか。もちろん、母さんも……。だから、お前には悪いけど、俺は、門が開かなくて良かったと思うよ」
ナッシュの手が、優しく髪を撫で続ける。
「それに、今日開かなかったからって、これから先もずっと閉じたままとは限らないさ。いつか、不意に開く時もあるんじゃないかな」
そんな日が、本当に来るだろうか?
リシュは歯を食いしばって、泣き声をこらえた。しかし、涙は後から後から湧き出て、地面に落ち続けた。
太陽が地平から現れた。祭りの後半戦が始まった。




