(5)建国祭④
父の葬儀は、家族だけでひっそりと行われた。
何しろ建国祭真っ只中。
とは言え、祭りを楽しんでいる人など一人もいない。
町こそ死んでいる。
「王様も殺されたって言うし、この国はどうなっちまうんだろうなぁ」
墓掘りの手伝いに来てくれたマルコが、シャベルを突き立て、空いた手で汗を拭く。
彼はこの後また、警備に戻ると言う。
「王の代わりに国を守らにゃならん、か」と、寂しそうに笑った。
墓石の前にロシュナーハの花を一輪供え、冥福を祈る。
そうして、祭りの前三日が終わった。
夜が更けていく。
何度目かの寝返りをうった後、ロッシュは気持ちを決めた。
隣で寝ている祖母の様子を伺う。起こさぬように寝床を抜け出す。
枕元に畳んであった服に着替える。兄のおさがりのズボンは、だぶだぶだが動きやすい。
足音を忍ばせ、居間を抜けると、こっそり外に出た。
満月が、通りを浮き上がらせるように照らしている。
誰もいないのを確認し、駆け抜ける。
振り返り、また確認して角を曲がる。
目的地は、泉だ。
建国祭は、もともと秋分の後の満月の夜に行われていた。
その日、この地に乙女が降臨し、泉が湧き出たと言われているからだ。
王家はそのことに感謝し、これからの繁栄を祈るため、真夜中に泉に立ち儀式を執り行う。
国人はその間、それぞれの家で祈りをささげることになっている。
国ができた当初、祭りはその一日だけだったと言う。
しかし、人口が増えるにつれ、祭りの規模が大きくなり、前後一日を合わせて三日になった。
さらに、交易が広がると利益を求めて期間が延び、百年ほど前から今の形になったという。
「誰だって、祭りは好きだからなあ」
そう、みんなが笑っていた。
穏やかな日々が、遥か昔のように思われる。
(今夜、儀式は行われるのだろうか)
それを確かめたかった。
儀式の内容は知らない。国人が見ることは禁じられていたから。
噂では、泉のほとりにある大岩の前に立ち、岩に向かって祝詞を唱えるらしい。
「それって何の意味があるの?」
聞いても誰も答えられない。
「王族でさえ知らないらしいよ」
そんな噂もあった。
形骸化された儀式。
でも、何か意味があったはず。
泉の前で、ロッシュは息を整えた。
水鏡に満月が映っている。
何かが跳ねて、広がった波紋がそれを揺らす。
大岩の前には、誰もいない。
言い伝えによると、大岩は乙女が魔法で掘り起こし、そこに据えたということだ。
岩が掘り出された後はくぼ地となり、そこから水が湧き出し泉になったと。
だからこそ、大岩の前で儀式を行うのだろう。
国が危機に陥ろうとしている、こんな時こそ儀式が必要ではないのか?
真の王女なら、そうすべきではないのか?
(誰も来ないなら、私が行っても問題ないはずだ)
とは言え、何をするのか?
(とりあえず、祭壇に立つべきだろう)
祭壇は、国の始めから禁忌の場所で、王以外は立ち入れないことになっている。
(大丈夫。私は、王族だ)
自分に言い聞かせるものの、パオラの話が本当かどうか不安はあった。
手のひらをじっと見つめる。
ロッシュの指は、生まれつき他の人とは違っていた。
親指以外の四本の指の長さがどれも同じで、五本の指すべて、骨がないかのように自由に曲げることができた。
小さい頃、親指と人差し指を一直線に広げて見せたとき、青ざめた表情で母が言った。
「そんなことは、人前でするものじゃありません」
そして、これからはこんなことをしないと約束させられた。
だから、他の人には気づかれないよう上手に振舞ってきた。
(もしかしたら、この指は王族の印かもしれない)
王族の祖、月の乙女は魔法使いだった。常人と違う所があったに違いない。
平民は、王族のことを、実はよく知らない。
建国詩で伝えられていることしか知らない。それが事実かどうか疑ったこともない。
(大丈夫。私は、王族だ。そして、王は不在だ)
もう一度、心に唱える。
深呼吸し、勇気を奮い起こして大岩の前に据えられた祭壇に立った。
大岩には、簡単な門が据えられていた。
細い二本の木の柱とその上部を繋ぐ横木。
たったそれだけ。
岩と門との間に隙はほとんどなく、くぐっても岩に激突するだけだ。
恐る恐る門から手を伸ばしてみたが、指先が岩に触れただけ。何も起こらない。
何かあるかと岩肌を撫でてみたが、ごつごつしたただの岩だ。何も起こらない。
今度は門柱をつかんで手を滑らせる。何も起こらない。
門の横木をつかんでぶら下がってみた。何も起こらない。
いったい、何のためにある?
(でも、きっと意味はある)
ここで何をすべきか、しばらく佇んで考えた。
月がゆっくり動き、それにつれロッシュの影も動く。
だんだん影が門に近づいていく。
その影が、門に重なり、門をくぐる形になった時だった。
突然、岩が、溶けるように姿を消した。
ギョッとして周囲を見回す。
大岩は、頑として動かずそこにある。
けれど、門の内側は岩でなく、見知らぬ風景が広がっていた。
荒涼とした台地。
けれど、なぜか懐かしい。
ロッシュは、誘われるように、一歩踏み出した。