(41)治療①
「ロッシュ、ロッシュ」
(誰かが呼んでいる。ああ、カボだ)
体が重い。それなのに、ふわあと宙に浮いているような不安定さ。眠りに入る直前の脱力感に近い。
体の痛みが和らいでいくのが分かる。
(ああ、そうか。私、死んだんだ。死ぬって案外心地良いんだ)
「ロッシュ」
カボがまた呼ぶ。半分泣き声だ。
(何をそんなに泣いているのか)
だんだん意識が戻って来る。
ロッシュは薄目を開けた。
「生き、てる?」
「うん、うん。生きてる」
カボが泣きついて来る。
「どう、して?」
死んだと思った。肩をえぐられ、胸を突かれ、何か所もレーザーで焼かれた。
あれは夢だったのか? では、指は?
右手の親指が切り落とされたはずだ。それを見るために、右手を上げようとした。
「!」
手のひらは、剣が突き立てられたまま、地面につなぎ留められている。それなのに、痛みがない。
「ごめんよ。おいらの力じゃ抜けないんだ」
「ああ、……」
体を起こそうとしたが、重くて起き上がれない。仕方なく、左手を伸ばそうとしたが、これも重くて上がらない。そこで、レーザーで肩を焼かれたことを思い出した。
動きが取れないから、剣が抜けない。
困り果てたとき、誰かが剣を引き抜いた。なぜか、血は流れなかった。
剣を抜いた人がささやいた。
「動かない方が良い」
聞いたことのない、けれど、なぜか懐かしい、男性の声。
「だ、れ?」
声のトーンが変わった。優しさが、厳しさになる。
「話は後だ。もうすぐここに皇太后が来る」
とたんに、体中に緊張が走った。今会うには、最悪の相手だ。
「今からお前たちを隠す」
「助けてくれるのかい」
カボが、泣きながら聞く。
男はうなずくと、林の奥を見つめた。切り立った山の斜面に杖を向ける。杖の上部についた輪が、シャラランと音を立てた。
「ディグィン」
たちまち、斜面に大きな穴ができた。
次に、男は羽織っていたローブを脱ぐと、その穴に敷いた。そして、ロッシュに向かう。
「ファイ」
ロッシュの体がふわっと浮き上がり、そのまま空中を移動する。穴に入り、ローブの上に優しく下ろされる。
それから、カボをつまみ上げロッシュの傍に置くと、二人まとめてローブで包み込んだ。
「これから土を戻してふたをするが、死ぬことはない。ただ、相手は皇太后。目くらましが成功するかどうかはお前たちしだいだ」
「おいらたち、何をすればいい?」
「念じろ。自分たちは土だと」
「それだけ?」
「ああ。しかし、それが一番難しい。皇太后と連れの誰かは、きっとお前たちを探し回る。その会話が聞こえても耳を貸してはいけない。雑念が入れば術は効力を失う。できるか?」
「やるしかないんだよな」
「そうだ。何が起きても、自分は土だと信じるんだ」
ロッシュは、あえぎながら聞いた。
「あなたは、一緒に、いてくれないの、ですか」
とたんに、ふわっと温かな気配が自分を包み込むのが分かった。
「大丈夫。常に傍に居るよ。ミーナ」
柔らかな口調が心地よい。安心して、目を閉じる。
(ミーナって、誰? 誰かと間違えてるみたいだけど、ま、良いか)
ほーっと息を吐く。痛みはないが、相変わらず体が重い。
ふわふわ漂う意識の中で、男の声が聞こえる。
「シャウト」
一瞬にして、闇が訪れた。むせかえる土の湿ったにおい。自然な呼吸が許される、わずかばかりの空洞。そこを満たす、和かな温かさ。
(何の心配もない)
左手でカボの存在を確かめる。
カボは不安なのか、顔を手のひらに押し付けてきた。
わずかに指を曲げ、小さな体を包む。
ほどなくして、皇太后の声が聞こえた。
「本当に、ここなのかい」
「はい、確かに。ほら、この通り。血の跡がまだ残っています」
「ならば、体はどこにある?」
「夜の間に獣に食われたのでは? この辺りはオオカミが多いんです」
「食い散らした跡も無いのにか?」
「きっと、巣穴に持って帰ったんですよ。子育ての時期ですから」
「生きて、どこかへ移動したのではないのか」
「まさか。それは無理です。心臓を突いたのですよ。まあ、僅かにずれましたが」
「でも、無いではないか。誰かが手伝ったに違いない」
「そんな、皇太后さまに逆らうようなことをする人がいるはずないでしょう」
「世辞は要らぬ。とっととお探し」
ロッシュは、それらの会話を無意識に理解していた。会話は、この国の言葉で行われていたので、意味は分からないはずだった。しかし、それを理解できる自分が、自分の奥底にいた。
その自分は助けてくれた男のことをよく知っていて、心から信頼している。彼に完全に自分を預けているから、会話が耳に入っても気を取られることはなかった。
(私は土)
ただ、そう念じ続けた。
一旦遠ざかっていた声が、また戻って来た。
「本当に、女はロッシュではなかったのだな」
「だから、白髪ですよ」
「染めていたかもしれぬ」
「そんなに責められても、私たちはロッシュとやらの顔を知らないのですよ」
「外つ国の言葉で話したのであろう? それこそロッシュの証ではないのか」
「それは……」
何かを探すように、声と足音がうろうろと場所を変える。
「剣を持っていたのであろう? それは、どこへやった」
「鞘も見当たりませんし、誰かが拾っていったのでは? そこそこ良いものでしたから」
「お前は持って帰ろうと思わなかったのか」
「はあ。剣なんて使えませんし、必要ないですから」
「たわけが。二丁も銃を破壊されおって、どの口がそう言う。自分の腕を磨こうとは思わぬのか。何が殺し屋じゃ。見てくればかり気にしおって」
また遠ざかった声が、途切れ途切れに聞こえてくる。
「全く、お前たちが指でなく心臓を持って帰ってくれば、こんなことをする必要もなかったというのに。使えぬ奴らじゃ」
「一緒にいたという小人はどうした」
「殺しましたよ、もちろん。向こう岸で」
「ならば、そちらも見て行こう。先に行くぞ」
皇太后の声が途絶えた。男二人の声と足音が残った。
「やれやれ。なにをそんなに恐れているのか」
面倒くさそうな口調だ。
「あんな傷で生きてたら、人間じゃねえよ、なあ」
「相手は円使いで人間じゃない。だから、怖がっているんじゃないか」
「円使いって言うけど、人間とどう違うんだか。一緒に見えるけどなあ」
「俺は、皇太后の方が恐ろしい。あいつこそ人間じゃない」
「しっ。聞こえたら、即、死だぞ」
声はだんだん遠ざかり、消えた。
静寂が戻っても、二人はじっと念じ続けた。皇太后が戻って来ないとも限らない。
どれくらい、そうしていただろうか。
男の声がした。
「どうやら、城に戻ったようだ。今のうちに移動しよう」
「どこへ?」
「病院だ」
「びょういん?」
「医師に傷を治してもらおう」
「でも、私、動けません」
「心配ない」
次の瞬間、壁が崩れた。
外は、もう、夜だった。
月明かりに、男のシルエットが見えた。後ろで束ねた長い髪が風に揺れている。
杖が向けられる。
「ファイ」
ローブが、ロッシュを包んだまま浮き上がった。
「少し頭を上げた方が良いかな」
その言葉だけで、ローブが動き、体の角度が変わる。椅子に座ったまま浮いているような姿勢になる。
「なんだか、抱っこして、もらってる、みたい」
「居心地が悪いか?」
「ううん。その逆。ふわっとして、気持ちいい」
「そうか」
心なしか、男の頬が、仄かに赤みを増したように思えた。
そして、それを見るだけで、幸福感に満たされた。
「こんな、格好、誰かに、見られたら、大騒ぎ、だね」
「その心配はない。ちゃんと術をかけてある」
「うん」
そうだ。この人と一緒なら安心だ。
「そういえば、名前、聞いてない」
ロッシュの問いかけに、男は微笑んだ。
「私はフォン」
目を閉じて、繰り返す。
「フォン」
「そう、忘れたかい?」
「うん。でも……」
なんだか嬉しい。
そのまま、疲れ果てて眠ってしまった。




