(39)建国④
誰かが二人の後をつけたのだろう。いつの間にか、泉の噂が広まっていた。
当然のように、立ち寄る人も出てきた。
「買い出しに行かなくて済むから、楽になったんじゃない」
ラウラが、子供の相手をしながら言う。
アレッサが、数えた小銭をメモした後で答える。
「収入もあるしね」
アレッサの発案で、一人につき革袋一つまでということで、水を売り出したのだ。量を制限したのは、万一、汲み過ぎて泉が枯れたら大変だからだ。
ところが、これが、結構な収入になった。何しろ、元手は只だ。
「量の制限はともかく、金は取らなくっても良いんじゃないのか」
人の好いラウルはそう言ったが、アトワンはアレッサを支持した。
「沙漠を旅する人は、水を買ってから出立する。もし、ここで只の水が手に入るとなったら、街での購入量が減るだろう。そうなると、彼らの商売を邪魔することになる」
「確かに。余計な波風は立てない方が良いからね」
ヴィットもうなずいた。
「なら、貧しい人からは取らないとか」
「貧しい振りをする人間もいるよ」
「疑い出したらきりがないから、線引きは必要だ」
みんなで議論した結果、その場で飲む分は只、袋に詰める場合は街と同じ金額と決めた。
人の出入りが多くなった分、用心も必要になった。
アトワンの指導で、ラウルとヴィットだけでなく、カルロとニコロも剣の練習をした。双子の兄、マウロもやりたがったが、まだ幼過ぎると却下した。
ヴィットは、弓も教えてもらったが、こちらはイマイチ上達が見られない。
「トラウマかも知れないな」
そう、アトワンは笑った
しかし、ラウルの槍はかなりのものになった。気に入った槍を購入し、槍を携えた人を見つけては教えを乞うのだ。上達しない方がおかしい。
「槍は面白い。奥が深いから学ぶほど分からないことが増える」
その言葉は、アトワンをうならせた。
「哲学的だ。ラウルの言葉とは思えない」
ラウラが子供をあやしながら笑った。
「ラウルの言葉じゃないからね。この前師事した旅人のセリフだよ」
ラウルは頭を掻いて退散した。その背中が見えなくなってから、ラウラが小さな声で打ち明けた。
「彼ね、本当は鍛冶仕事をしたいのよ。武器も自分で作ってみたいんだと思う」
ヴィットとアトワンは、顔を見合わせた。
二人は今の暮らしに満足していたが、ラウルはそうではなかったのだ。
泉に暮らし始めて六年が過ぎた。
ある日、帝国から使者と名乗る者がやって来た。
使者、というからには会わなくてはいけないだろうと、礼儀正しいアトワンは農作業をおいて出迎えた。アレッサやヴィットも立ち会うことにした。
ところが、使者の顔を見て、アレッサが大声を上げた。
「フィリッポ」
対するフィリッポも驚いたの何の。
「アレッサ。こんなところにいたのか」
怒りをむき出しにして叫ぶようにそう言った後、ぐるりと面々を見回し、目をむきだした。
「なぜ、お前たち生きているのだ」
その声も表情も、驚きを通り越して恐怖に歪んでいた。おそらく、幽霊を見た気分だったのだろう。何をしに来たのかも忘れたように、泡を食っている。
しかし、そこはアトワン、冷静に話しかけた。
「ところで、帝国が何の御用でこちらに使者殿を差し向けたのかな」
その言葉で我を取り戻したのか、何とか息を整えフィリッポは告げた。
「皇帝陛下は、有難くもこう下知された。この泉を帝国のものとするように、と」
とたんに、アレッサが食いついた。
「はぁ? 何寝ぼけたこと言ってんの? ここは、私たちのもんだよ。皇帝に何の権利があるのさ」
アレッサに対しては、フィリッポも強く出る。
「帝都より西の土地はガッチャミーに至るまで、全て帝国の所領だ。その間にあるこの泉も当然そうである。従って、お前たちはここを追い出されて当然の身。しかし、皇帝陛下は、勿体なくも、ここの管理はお前たちに任せてやろうとおっしゃっておられるのだ。有難くそのお言葉を頂戴すべきだ」
そう言いながら、もう一度、集まって来た面々を確認するように、順に睨みつけた。
その目が、シャラで止まる。表情に、何とも言えないいやらしさが浮かんだ。
フィリッポは、咳払いするとアトワンに向き直った。
「お前たちは犯罪者だ。この泉は皇帝陛下が召し上げて当然だ。そして、お前たちには、再度刑が言い渡されるだろう。しかし」
そこで言葉を止めると、視線をシャラに移した。
「そこの美女を差し出せば、お前たちの罪を許してくださるかもしれないぞ」
すかさず、アレッサが突っ込む。
「何言ってんだ、このスケベ野郎。どうせシャラを自分のものにして、皇帝には嘘八百、報告するんだろ。お前のやることなんてお見通しなんだよ」
アレッサがここまで啖呵を切った以上、交渉は決裂だ。
フィリッポは、五名の兵を引き連れていた。しかし、彼はあくまで使者。戦うつもりは無いようで、携えている剣は宝石を散りばめた、実用には程遠いものだった。
対して、騒ぎを聞いて駆け付けたラウルは、長い槍をでんと構えてアトワンの後ろに立っている。その隣で、ヴィットも剣の柄に手をかけた。
「帰って皇帝に伝えろ。この泉は私たちのものだ。帝国には下らないと」
アトワンがそう告げると、フィリッポは口の中でもぞもぞと、歯切れの悪い捨て台詞を残して去って行った。
「あいつ、何て言ってた?」
「さあ。聞き取れなかった」
「捨て台詞さえちゃんと言えないんだねぇ。腰抜け野郎め」
そんな会話を聞きながら、ため息をつくのはアトワンだけだった。
「あいつら、きっと攻めて来るね」
「来るね」
「どうするの?」
「どうするって、守るしかないでしょ。私はあんな奴の下につくくらいなら、死んだ方がましだって思ってるからね」
アレッサが、涙を浮かべながら思いを吐き出す。
「気持ちは、みんな同じだよ」
アトワンはそう声をかけたものの、途方に暮れているのは傍目にも分かった。
そのとき、シャラが口を開いた。
「ロシュナーハの木が守ってくれる。だから、入口だけ固めればいい」
みんなの視線がシャラに集まる。穏やかで、嘘のない口調。
男が魔法をかけた防衛線。その線上にシャラが植えたロシュナーハの木。
「信じて、大丈夫だね」
ヴィットが確信をもって問う。シャラは強くうなずいた。
一か月後、帝国軍が攻めてきた。
「百人隊だな、あれは」
新たに作った櫓の上に立ち、アトワンが言う。
「もっと見くびってくれれば良いのになあ」
ラウルは、そう、ため息をついた。
ヴィットは唇を一文字に閉ざしたまま、櫓を下りて門の真ん中に立った。ラウルも降りてきて、隣に立つ。
三人は、これまでに訓練を重ね、確実に強くなった。とはいえ、それがどの程度のものなのか、果たして戦で通用するのか、全く未知数だ。
今、泉に立ち寄る人々のために解放されているのは、東側だけ。そこに門と櫓が作られた。
他の三方は、ロシュナーハの林に取り巻かれ、道と呼べるものはない。もちろん、木々の間を抜けることは出来る。
百人隊は勢力を分散させるつもりは無いらしく、東側に全員集まっている。
「かかれー!」
敵の大将が馬上で声を上げた。歩兵が、槍を手に、一気に突き進んでくる。
十分距離を引き付けて、アトワンが弓を放った。彼は弓の名手、一本の無駄撃ちもない。
そこへ、ヴィットが切り込む。甲冑のない身軽さで、槍を潜り抜け、敵を切り進む。
二人の攻撃がどれだけ正確でも、百人を同時に相手できない。当然、脇から門にたどり着く輩がいる。それを、ラウルの槍が突く。
堅い守りに、敵の大将は声を上げた。
「相手は三人だ。広がって林を抜けろ。中にいる女子供を捕まえろ」
わらわらと兵が散る。左右に別れ、林に突っ込んだ。
そして、見えない壁に頭をぶつけ、引っくり返った。
「何だ、これは」
「どうなってるんだ?」
敵はパニックに陥った。
倒れた兵やうろたえる兵に、ヴィットは止めを刺して回る。
そこへ、矢を撃ち尽くしたアトワンが降りてきた。
「ヴィット、左を頼む」
そう言うと、剣を手に右に走る。
ヴィットは左に向かった。そこには手練れがいた。
合わせてすぐ分かった。(強い)と。
二合、三合、合わせるごとに、相手の剣が重くのしかかって来る。
(勝てない)
弱気になった一瞬を、相手は逃さなかった。
脇腹に痛みを感じて地に伏した。
半開きの瞳に、剣を振り上げた男の姿が映る。
次の瞬間、雷鳴が轟き、男がヴィットの隣に転がった。
敵が浮足立った。
「ひるむな!」
大将が叫ぶ。その声が終わらぬうちに、馬が突然暴走し、乗り手を振り落した。落ちたところに、ラウルの槍が突き出される。
大将が打たれたのを見て、敵は一斉に逃げ出した。
「ヴィット!」
「大丈夫か」
みんなが駆けてくるのが分かる。
けれど、返事ができない。
ぼやけた視界に、シャラの顔が見えた。
心の中で謝る。
(ごめんね。また、君に戦わせてしまった)
左手が持ち上げられるのを感じる。薬指に、何かがはめられる。嘘のように痛みが引いていく。
目が、しっかり開けられる。
「シャラ」
声も出る。
シャラは微笑むと、ぱっくり口を開けた脇腹の上に、両手で円を作った。
何かささやく。
ラウルの驚く声が聞こえる。
「見ろ、傷口が」
「ホント。塞がっていく」
「信じられない」
「魔法だ」
みんなが驚いている。
体を起こしたヴィットに、シャラがしがみついて泣き出した。
「ありがとう」
そっと髪を撫でる。
塞がったはずの傷口が、痛かった。
数日後、ヴィットは、シャラと共にアトワンを訪ねた。
「三人だけで話したいんだ」
アレッサは、肩をすくめて出て行った。
「人払いまでして、さぞ、大切な話なんだろうね」
ヴィットはシャラと顔を見合わせ、うなずいた。
「実は……」




