(36)建国①
夜明け前、甲高い鳥の悲鳴にヴィットは目を覚ました。
「どこから聞こえてくるのかな」
鳥は、助けを求めるように叫び続けている。
寝ぼけ眼をこすりながら、ラウルが柱の上を指さす。
「あそこじゃねえか」
見上げても、下からは何も見えない。
「兄い。肩車してくれよ」
「はあ。面倒くさい。ほっとけよ」
そう言いながらも、しゃがんでくれるのがラウルだ。
視界がぐっと高くなり、柱の上部も見えた。
「蛇だ。蛇がヒナを襲ってる」
蛇が大嫌いなラウラが声を上げた。
「すぐ追い払って。絶対こっちに越させないで」
「じゃあ、何か、棒のようなものを」
手渡された棒で、蛇をつつき落とそうとする。
「あっ」
蛇は落ちたが、巣も落ちた。
「キャー」
ラウラが悲鳴を上げる。
愛妻の危機に、ラウルは蛇を踏んづけ蹴飛ばした。
その弾みで、ヴィットも落ちた。
飛ばされた蛇は、アレッサが石弓で仕留めた。
「今日の朝食が手に入ったよ」
その逞しさに、アトワンはため息をついた。
落ちてきたヒナは三羽。しかし、一羽は首を折って死んでいた。
「何のヒナかな?」
ヴィットが腰をさすりながら聞く。
物知りなアトワンが答える。
「多分、サバクワタリだな」
「ええ。怖いじゃないの」
「親はどうしたのかしら」
「アレッサが殺したんじゃないか? ほら、石弓で」
「え、じゃあ、夕べ食べちゃった、あれ?」
全員、言葉を失くし黙り込んだ。
廃墟を出発して三日目。
アレッサが悲鳴を上げた。
「大変だよ。このままじゃあ、水が持たない」
「姉貴にしちゃ珍しい。計算違いかい」
「あんたたちが飲み過ぎるんだよ」
「でも、暑いし、飲まないと死んじゃうよ」
「計算違いの原因は、馬よ」
ラウラが冷静に答える。
「馬が飲む分を考えてなかったわ」
馬も人間と同じ、暑いと喉が渇く。しかも、今まではせいぜい子供を乗せて庭を一周するくらいだったのが、今は重い車を引いている。疲れもたまるし飲む量も増える。
「ラクダと同じくらいに考えてたのが甘かったというわけね」
ラクダについては、買った時に商人に聞いたので問題なかった。
「それに、ジャヤとチャヤの分も」
ラウルが、サバクワタリのヒナにサソリを与えながら笑った。
サバクワタリは、肉食だ。
昨日までは、蛇を細かく引き裂いて与えていた。アレッサは「もったいない」と反対したが、ラウラが「絶対、嫌」と突っぱねたので、蛇は人間でなく鷹の食料になった。
今日はたまたまサソリが襲ってきたので、それを捕まえたが、明日からの食料が心配だ。
「今日はこの辺りで野宿かな」
「また、サソリが来ないかなあ」
「蛇の方が、食いでがあるよ」
男性陣の会話に、ラウラは震えながら顔をしかめた。
「来るのは嫌だし、来なければヒナが可哀そうだし、もうイヤ」
真夜中、ヴィットは、微かな振動を感知して目を開けた。
(地震?)
しかし、大地は静かだった。
(違う。空が揺れている)
揺れを感じる方角を見上げる。満月だ。
その光の前に、いきなり何かが現れ、落ちてきた。
(流星?)にしては、大きい。
「人だ」
目の良いヴィットが叫び、走り始めた。
隣に寝ていたアトワンは、その声で目が覚めた。ヴィットの後ろ姿を見て、何事かと跳ね起きると、後を追いかけた。
続いて目覚めたラウルも、寝ぼけ眼をこすりながら後を追う。
五分は走っただろう。ヴィットは、ようやく砂の上に投げ出された女性を見つけた。
「女神?」
月の光と同じ色の髪に縁どられた白い肌と、花のように美しい顔。
ヴィットは、一瞬で心を奪われた。
自分と同じ年頃のその女性は、横たわったまま両腕を伸ばし、指先で円を作った。
「シャ・ラ」
吹き出した水にヴィットは後ろに飛びのいた。
「何が、起こった?」
手の中から溢れ出た水を顔面で受け、女性は起き上がった。
「大丈夫かい」
呼びかけに振り向いたものの、目に生気がない。
「どこか痛いのかい」
空から落ちてきたのだ。けがをしていない方がおかしい。そう思ったが、女性は痛がっている様子もない。
「どうして空から落っこちたんだい? 名前は?」
反応はない。
そこで初めて気づいた。
「言葉、分かりますか?」
やはり返事はない。代わりに首を傾げている。
そこへ、みんなが追い付いてきた。
「どうしたんだ」
「その女性は?」
「空から落ちてきたように見えたけど」
ラウルが天を仰いで笑った。
「まさかぁ。空から人が突然現れるなんて……、うぇ?」
変な叫びをあげ、ラウルが後ろに飛びのいた。つられて、他の四人も同様に飛びのく。
空から杖が矢のように飛んできて、ヴィットの前に突き刺さった。砂煙が立ち、思わず目を閉じる。
その目を開けた時、杖の傍に男が立っていた。
男は杖を引き抜くと、長いローブをはためかせながら、ゆっくりと近づいて来る。
アレッサはアトワンに、ラウラはラウルに、それぞれしがみついた。
男たちはそれぞれの妻を抱き寄せ、背に匿った。
ヴィットは、腕に重さを感じ振り向くと、女性が自分の腕に縋りついている。握る手に力がこもっている。
(この男を怖がっている?)
言葉が通じないと知っていて、声をかける。
「大丈夫だよ」
男はヴィットの正面に立った。
「*&%$#?」
何か分からない言葉を発し、女性に向けて手を差し伸べた。
しかし、女性は嫌だと言うようにかぶりを振ると、ヴィットの後ろに回り、怯えたように背中に顔をうずめた。その震えが、背中から伝わって来る。
ヴィットは両手を広げて男の前に立ちはだかった。
「この人は嫌がっている。追いかけて来たのかもしれないけど、諦めて帰れ」
男がヴィットを見つめる。痛いほどの視線だ。
視線はヴィットを品定めするように、上から下に動く。
検分が済んだのか、男は諦めたようにため息をついた。
それから、手にした杖を地面に突き刺し、何か呪文を唱えた。と、杖が勝手に動き出した。
砂の上に曲線を引きながら、すごい速さで進んでいく。どこまで行ったか見えなくなって、しばらく後、反対側から戻って来た。
戻ってきた杖を抜くと、その穴に、何か丸いものを埋めた。
次に、男は杖を持った右手を前に出し、また、別の呪文を唱えた。
足の下の地面が揺れ始める。
ヴィットはまだ怯えている女性を抱きかかえると、揺れのないところを目掛けて走った。他の四人もそれに続く。
「あ、あれ……」
泣きそうな声で、ラウラが指さす。
さっきまでいた場所が盛り上がり始めた。たちまち砂の山ができ、その山が割れ、巨大な岩が頭を出した。それが、どんどん姿を現し、とうとう宙に浮きあがった。
大岩は空中を移動し、少し離れた地面に着地した。
岩があった場所は大きく陥没し、底から水が噴き出てきた。水はみるみる穴を満たし、大きな泉になった。
男は岩に近づくと、その正面の大地に杖を突き刺した。次に杖を折る。短くなった杖は、彼の手の中でにゅにゅっと伸びる。それをまた大地に突き刺し、折る。また伸ばし、三度折る。それを二本の杖に渡し掛け、門を作る。できた門の前に立つと、今度は呪文を唱え始めた。
男がほうっと息を吐き、呪文が終わった。そのまま女性を振り返り、もう一度、手を差し伸べた。
女性は、やはり首を横に振った。
男は寂しそうに微笑むと、一人、門をくぐって行った。
果敢にも、アトワンが門に向かって歩き出した。
「止めて」
アレッサが泣き声を上げた。
「大丈夫だ。くぐりはしない。というより、これは……」
みんな彼の周りに集まり、呆然とした。
アトワンの手が門の向こうの岩に触れている。
「ただの木の枠だ」
その言葉を、ヴィットも手を伸ばし確認した。
「男が帰ったから、もう閉じたんだ」
「開くことはないのかしら」
「ないんじゃね?」
ラウルの言葉に、ヴィットは笑った。
「兄いは楽観主義だからなあ」
それから、女性を振り返った。
表情には、まだ少し怯えが残っている。
「名前は何て言うの?」
そう言ってから、言葉が通じなかったことを思い出した。
「おれの名前はヴィット」
自分を指さし、「ヴィット」と繰り返す。
次に、女性を指さした。
通じたか通じなかったのか、女性は首を横に振った。
「じゃあ、シャラにしよう。シャラって、この国の金の神様の名前だよ。君の髪の色と同じだ。それに、君がこの国に来て最初にしゃべった言葉もシャラだったからね」
もう一度、自分を指さし「ヴィット」、女性を指さし、「シャラ」と笑いかけた。
女性は、自分の胸に手を当て、確認するようにつぶやいた。
「シャラ」
そこで、初めて微笑んだ。
それは、全ての者に幸福をもたらす笑みだった。




