(33)逃避行③
二人は、日暮れまでに、川にたどり着くことができた。
ロッシュは裸になると、水に飛び込み、体や髪を洗った。
固まっていた土が溶けて、水が茶色く濁っていく。反対に、体と髪は軽くなった。
「風邪がひどくなっても知らないぞ」
春ももう終わりとは言え、まだまだ夜は冷える。
「大丈夫。私バカだし、バカは風邪ひかないっていうし」
「今朝、風邪をひいたって鼻水をすすってたのは誰だよ」
「私バカだから忘れましたー」
そう笑って、両手で水をすくうと、カボに向かって「そりゃ」と投げかけた。
「よせやい」と逃げ回るカボを、追いかけて水を飛ばし続ける。
ひとしきり遊んだ後、体を乾かし、服を着る。
「洗濯したいなあ」
「泥まみれでも死ぬことはない。それより、今日はあの橋の下で寝ようぜ」
「ああ。屋根があるのは嬉しいなあ」
二人は、誰もいないのを見計らって、橋の下に潜り込んだ。おあつらえ向きに、両側には柳の木が生い茂り、二人の姿をすっぽり隠してくれた。
「今夜は安心して眠れそう」
「昨日も熟睡してたくせに」
ふふんと鼻で笑い、目を閉じる。あっという間に眠りに落ちた。
次の朝、おなかの鳴る音で目が覚めた。
カボが呆れたように声を上げる。
「ホントに食い気ばっかりの奴だなあ」
「まあ、これが生きるってことでしょ。食べ物探しに行こう」
茂みから這い出すと、丁度朝日が昇り始めたところだった。
カボをつまみ上げようとして、彼が真剣な表情をしているのに気づいた。
「どうしたの? 何かあった?」
「お前の髪、目立ち過ぎだ」
「これ?」
そう言って、指ですいて見せた。
「やっぱり、うら若き乙女が婆のような白髪って、変だよね」
「そうじゃない。それは白と言うより銀だ」
「銀? かっこいいじゃん」
「ああ。今、朝日を受けてキラキラしていた。遠目でも分かるぞ、きっと」
「別に良いんじゃない? 追われてるわけでもないし」
「甘い。この国では目立たない方が良い。人と違うものは拒否される。おいら、この一年、そんな場面をいっぱい見てきたぞ」
「カボが言うと、説得力あるなあ」
何しろ、ロッシュと出会うまでの一年間、何度も殺されたと言うのだ。その経験からくる考えなら、従う方が良いと思えた。
「考えすぎかもしれないけど、用心に越したことはない」
「うん。分かった」
と言って、どうするか。土手に座って考える。
川風が頬を撫で、気持ちが穏やかになる。
時折強い風がきて、アオザイの裾がはためく。
「よし」
ロッシュは上着を脱ぎ、刀で、スリットより下の部分を切り落とした。
「針と糸って、ないよなあ」
「当たり前だ」
「ほつれて来るけど仕方ないか」
短くなった上着を被る。
次に、ほどいていた髪を束ね、お団子のように丸めて縛る。それを、切り落とした上着の前部分の布で包み込むと、額で両端を結んだ。
「これでどうだ」
「ばっちりだ。髪は見えない。ちょっと変だけどな」
最後に、後ろ側の布を裂き、帯の代わりに腰に結んだ。
「こうすれば、刀を差しておける」
両手が使える方が、何かと便利だ。
「よし、今度こそ食い物探しに出発だ」
勇ましく立ち上がると、カボをつまみ上げ、胸に放り込む。
「また、ここかよ」
「文句言わない」
「まあ、気持ちいいから良いけどさ」
「よこしまな気持ちを起こさない」
橋を渡るかどうするか、ひとしきり相談し、結局渡らないことにした。
「向こう岸は藪続きだけど、こっちは岩場があって楽しそうだよ」
パースの川は用水路、当然、河原も岩場もなかった。
岩から岩に飛び移りながら移動する。ふと、その足を止める。
岩と岩の間に水たまりがある。そこに、魚がいた。
「へっへ。朝食見っけ」
刀を構え、じっと狙いを定める。その手をさっと突き出し、戻すと先端に魚が刺さっていた。
カボが驚いたように言う。
「ネコみたいな奴だなあ」
ロッシュは、笹の葉を獲物のえらに通しながら、ふふんと笑う。
「まだまだ行くよ」
三匹捕まえたところで、「こんなもんかな」と、ひとまず終了する。
その間、カボは、土手で食べられそうな植物を探していた。
「それ、生で食うのか?」
「まさか。焼いて食べるよ」
「どうやって火を起こす気だ?」
ロッシュは、にやっとした。
「円を使ってみる」
土手下の狭い河原で、石を丸く積み上げかまどを作ると、拾い集めた枯れ木を積み上げた。
炎が燃える様子をイメージする。
「フィア」
火は起こらない。
呪文は間違っていないはずだ。ハリシュがこれで火を起こすところを見たから。
『集中力が足りない』
そう自分を鼓舞するハリシュを思い出す。
(そうだ、集中だ)
心を落ち着け、再度イメージする。
「フィア」
火は起こらない。
「フィア」
三度目の正直で、薪が燃え出した。
「やったね」
大きく息をつく。残った疲労感を押しのけ、木の枝に刺した魚をかまどに渡し、炙る。
焦げないように火加減に注意を払う。片面が焼けたら裏返す。
「もういいかな」
魚を引き上げると、待ってましたとカボが言う。
「次はこれだ」
手には、小さい芋の子を幾つも持っている。それを、火の消えかけた薪の上に放り込むと、かまどを壊し、熱々の石で埋め込んだ。
「もしかして、マルイモ?」
「そう。種が畑から飛んできたんだろうな。あっちに自生してた。小さいからすぐ火が通ると思うよ」
「余熱で蒸し焼きか。考えたなあ。じゃあ、その間に魚を食べるか」
そうして、焼き立ての魚を一つ手にすると、その腹にかぶりついた。
「うん。いけるんじゃない」
味付けをしていない魚は、正直物足りなかったが、空腹は最大のソース。あっという間に一匹平らげた。
「カボも食べなよ。味はないけどおいしいよ」
「いらない。小人は草食なんだ」
そう言って、見たことのない草の茎をかじっている。
「へーえ。肉の味を知らないなんて、人生損してるね」
「それは、魚だろ」
「魚肉だよ」
そして、二匹目にかぶりつく。
「その草は、おいしいの?」
「おいしいわけじゃないけど、腹の足しにはなる」
「それは、パースになかったよね」
「ああ。初めて見るけど、毒はなさそうだし、かじってみたんだ」
「私でも食べられるかな」
「止めた方が良い。人間にはあくが強すぎる。たぶん吐くぞ」
「じゃあ、止めるわ」
そして、三匹目に手を出す。
それも、あっという間に平らげる。
「芋はまだかな」
「そうだな。見てみるか」
大騒ぎしながら熱々の石をどけ、灰の中から芋を取り出す。
「うん。ちょうどいいな」
「そう? こっちはまだ少し硬いよ」
「欲張って大きいのを取るからだ。小さい方が火が通りやすいに決まってるだろう」
焼き立ての魚にほくほくの芋。
「やっぱり、火の通った物っておいしいねえ」
まだくすぶっているかまどを見て、小人は眉をしかめた。
「また、燃え出したら大変だな」
ロッシュはニヤッと笑った。
「シャ・ラ」
水をかけると、かまどはシューシューと音を立てて冷えて行った。
「便利だねえ」
「すぐそこに川があるのに」
「でも、入れ物はないし、こっちの方が楽じゃない。まあ、ちょっと疲れるのが難点かな」
ロッシュは立ち上がった。
カボを服に押し込み、また歩く。海を目指して。
川は緩やかにカーブし、岩場は少し先で崖になっているのが見て取れた。
仕方なく、土手を上り、道に戻る。幸い人影はない。
しばらくして、ロッシュは嫌な気配を感じて振り向いた。
「どうした?」
「いや。誰かに見られている気がして」
「大丈夫か?」
カボの声が強張っている。
「うん。勘違いみたい。誰もいない」
「用心しろよ」
「うん。分かってる」
足が自然と速くなる。
何かに追われている。気配は感じるが、振り返っても姿はない。
(それに、あれは何の音?)
虫の羽ばたきにも似た、うねるような音が微かに聞こえる。
けれど、振り返っても何もない。
うねりは少しずつ大きくなってくる。
振り返る。何もない。
(違う、上だ)
見上げた空に、不思議な物体があった。それが、急降下してくる。
好奇心よりも恐怖が勝った。
ロッシュは走り出した。




