(32)逃避行②
名前の知らない大きな木の下で、二人はロシュナーハを食べた。
カボが一つで十分だと言ったので、ロッシュは三つを平らげた。
「お前、先のことを考えない奴だなあ」
「何とかなるでしょ。とにかく、空腹だと力が出ないからね」
種をしゃぶり、指先についた汁もしゃぶり、やっと人心地ついた。
「それより、これからどうする?」
「おいら、海へ行きたいなと思ってる」
「海! 私も行きたい」
海は、沙漠の国、パースの民にとって憧れの場所だった。
「海ってさあ、大きな水たまりなんでしょう」
「うん。おいらもそう聞いてる」
「見たことないの?」
「あるわけないだろう。おいらもパース生まれのパース育ちだぞ」
「そだねー」
「でも、この国で海って、どこにあるの?」
「うーん」
パースでは、隣国、サルヴァーンには海があると聞いていた。
「でも、ばあちゃんが、故郷には海があるって言ってたから、きっとあるはずだ」
「おばあちゃんは、ここに来たことあったの?」
「ない。けど、ばあちゃんのばあちゃんが言ってたって言ってた。ばあちゃんのばあちゃんが小さい頃は、まだこことパースは行き来したって言うから、本当だよ。きっと」
「カボは、おばあちゃん子だったんだね」
「仕方ないだろ。おいら、ばあちゃんに育てられたから」
「えっ。ご両親は?」
「いたけど、昼間は忙しいし……」
カボは下を向いてぽつぽつ話し始めた。
カボが生まれた時、パースにいた小人は五人だった。カボの両親と叔父と祖母。
両親と叔父の三人は、交代で仕事をしていた。二人は畑仕事で食料調達、もう一人は城に出かけて様子を見て来る。夕食時に集まり情報交換をすると、次の城当番は出かけ、次の夕食まで戻らない。
カボの面倒は、祖母が見てくれた。それは、特別ということではなく、小人社会では老人が子供の世話をするのが当たり前だった。
老人は、小人社会の伝統やしきたり、昔話などを聞かせて育てる。
祖母も、当然、そうした。
「でもな、おいらが三つの時、母ちゃんがネコに襲われて死んじゃったんだ」
「ネコ?」
パースでは、ネズミの被害を防ぐためネコを飼う家が結構あった。
「あいつらにしたら、小人もネズミも変わらないんだろうなぁ」
ロッシュはドキッとした。恐る恐る問う。
「もしかして、鷹に襲われた、こともある?」
「いや、無い。っていうか、逆だよ。鷹はおいらたちを守ってくれる。実際、父ちゃんも助けてもらったことがあるって言ってた」
「守ってくれる?」
「うん。ばあちゃんの話では、昔から鷹は小人の友達だって」
「うちにも鷹を飼ってるけど、あいつらも友達かな」
「うん。お前のこと見に行った時、挨拶したよ。あいつら、賢いよな」
「そっか。知り合いか。そういや、私のこと注目してたんだもんな」
ロッシュは、不思議な気持ちがした。
自分とカボが巡り合ったのが偶然ではない、そんな気がした。
「で、ばあちゃんが言ってたんだ。海には人魚がいるって」
「人魚‼ ホントに?」
「まあ、ばあちゃんもそのばあちゃんから聞いた話だって言うから、本当かどうか知らなかったみたいだけど」
「でも、居るなら会いたいねえ」
「うん。それに、人魚と小人は友達らしいから、仲間のいるところを教えてもらえるかも」
「よし、じゃあ、海に行こう。私も人魚と友達になる」
「でも、海ってどこにあるの?」
「うーん」
「って、っこの会話、さっきもしたんじゃね?」
「ロッシュもバカだけど、おいらも結構バカかも」
そうして、二人して考え込んだ。
ポンと、ロッシュが手を叩いた。
「あ、そうだ。学校で習ったけど、川は海へ流れ込むって」
「パースの川は、沙漠に沈みこんだだけだったぞ」
「うん。あれは、人工の川だから、水路っていうのが正しいらしい。本当の川は、海へ注ぐんだって、先生が言ってた」
「じゃあ、川を探して辿って行けば良いわけか」
「そういうこと。で、さ、川があるのは、丘から見て知ってるんだ」
「どこにあったんだ?」
「丘から見て右手」
「それって、今いるところからどっちだ?」
「えっとね、左手に王宮が見えてその反対側だから」
城は、既に見えない。そして、太陽は南中を越えていた。
「ちょっと待てよ。私ら東に向かって歩いてたはずだよな」
ロッシュは、立ち上がってうろうろと方角を探る。
「図に描いた方が分かりやすいんじゃないか」
「そうかも」
座り直し、石ころを拾う。それを使って、地面に絵を描く。
「丘から見て右手が川、左手が王宮。それに、正面から日が昇っていた」
「おいらたちは、街を北側から抜け出したから、今この辺りとして、太陽の方向に進めばいいのかな」
「ちょっと変じゃない? だって、今朝は東に向かうため太陽の方に歩いたよ」
「ロッシュ。やっぱりお前バカだ。太陽は動くだろ。今は正午過ぎだから、太陽は南だよ」
「あ、そうか。でも、夕方になったらどうなるの?」
「あ、それもそうだな。西に行っちゃう?」
うーんと、二人して腕を組み、また考え込む。
「馬鹿が二人寄っても無駄だね」
ロッシュが笑った。
「きっちり南でなくても、だいたいで良いんじゃない? 川は東向いて流れてるって分かったから、とりあえず太陽に向かって進もうか」
「そうだな。細かいことは気にしないで行こう」
ロッシュはカボを持ち上げると、また服に押し込んだ。
「また、こんなとこへ。おいらがムラムラってきて、悪さしたらどうするんだ」
「けけっ、だね。カボが弱いの知ってるもん」
「ちぇっ。可愛くない」
ロッシュは、どんどん思った方に歩く。振り返ったり迷ったりはしない。
「さっき、三つの時お母さんが亡くなったって言ってたけど、お父さんと叔父さんも早くに亡くなったの?」
「うん。父ちゃんは病気で、叔父さんは事故だ」
「事故?」
「おいらたち、農耕民族だって言ったよな」
「うん。聞いた」
「畑は、人間が王室付の畑って呼んでる場所だ。あれを管理している」
「管理って?」
「主に害虫の駆除。捕まえた虫はね、鷹のヒナにあげるんだ。仲良しだからね」
「それも、昔から?」
「そう。昔から。で、できた作物を少し分けてもらう。それで、暮らしてきたんだ。でも、人間はおいらたちの存在を知らないから、何にも気にせず鍬を打ち込むんだ」
「じゃあ、鍬で怪我したの?」
「ああ、大けがして、そのままいっちゃった」
「叔父さんの病気は?」
「働き過ぎだよ。大人が一人になっちゃったから、城の見張りと畑と、両方しようとして無理がたたったんだ。で、ばあちゃんと二人になって、でも、ばあちゃんも年だったから……」
「そうか。カボはずっと一人だったんだね」
「ああ。でも、おいらは泣かなかったぞ」
「すいませんね。泣いちゃって」
「でも、カボは、この国の言葉が話せるんだね」
「ああ。向こうで練習したからな。ばあちゃんが、きっと帰れる日が来るからって教えてくれたんだ。忘れないように何世代も伝えてきたんだって。でもな、昔の言葉だから、この国で今使われているのとは、ちょっと違う所もあるみたいだ」
「それで良いからさ、私にも教えて。そしたら、盗賊にももっと早く対処できるし、食べ物下さいってお願いもできるから」
「そだな。じゃあ、何から」
「水は?」
「水は、シャ・ラだ」
「そうか。だからその呪文で水が出るんだ。じゃあ、ク・ロッシュは破壊とか?」
「そう。破砕の方が近いかな。逆に、リ・ロッシュは再生だ」
「へぇー。ロッシュの付く言葉は他にあるの?」
「よく似た言葉でローシュは花だよ」
「花か……。そうだ、試してみよう」
ロッシュは、指で円を作ると、それを通して地面を見た。
芽吹いたばかりの草が風に揺れている。
ハリシュが訓練中につぶやいていた言葉を思い出す。
『エナジーの動きを見つめ、どうあって欲しいか心に強くイメージする』
(花の咲く野原)強くイメージする。
「ローシュ」
反応があったのは、地上の草だけでなかった。
地面がひび割れ、ポコッと芽を出す。一つ、また一つ。
土の中で眠っていた種が目覚め、次々に芽を出し、茎をのばし、葉を広げた。早送りの動画を見るように、つぼみが膨らみ花が咲くまで一分もかからない。野原は、あっという間に花盛りになった。
「すっご」
ロッシュは、自分のしたことに、思わず感嘆の声を漏らした。




