(26)記録①
リシュは、とりあえず、公文書から目を通すことにした。
公文書は同じ書棚に年代順に並べられてあるから、探しやすい。
一番端にある、埃に埋もれた背表紙を手に取る。
最初のページに書かれていたのは『暦の制定』だった。
『一年を冬至、春分、夏至、秋分を境に四つに区切り、それぞれ三等分して一月とする
冬至を新年、一月一日とする』
パースは沙漠の国で、雨季と乾季はあるものの、一年を通して気候の変化に乏しい。
だからこそ、太陽の動きだけが時の流れを感じさせてくれる。
ページをめくり、思わず声を上げた。
「えっ。建国の日じゃないの?」
最初の日付は、一月一日だった。
新年のお祝いに誰が集まりどんな料理を食べたか、などが克明に記されている。
(普通、建国の日から書き始めるような気がするけど……)
自分の感覚がおかしいのだろうか。
自問自答しながら、ページを次々めくっていく。
文書は記録目的のため、まず日付を記し、その日の出来事が克明に書かれている。日が変わればページも変わり、拙い文字だが丁寧に記されている。
戸籍も兼ねているのか、『カルロとシモーネの長男ヴィット誕生』というようなことまで詳細に書かれている。
にもかかわらず、月の乙女に関する記述がない。もちろん、指輪についても。
(そうだ、建国祭の日なら何か載っているはずだ)
パラパラとめくり、建国祭のページを探す。
秋分の後の最初の満月の日、だ。
秋分の日は、すぐ分かった。
日付の下には、月齢や天候も書かれているので、それを頼りに満月の日まで飛ばし読みする。
けれど、目当てのページには、建国祭の一文字もなかった。
(えーと、つまりこれは、建国当時には建国祭はなかった、ってことだよね)
ということは、後からできた祭りということだろう。
それにしても、「建国の日」という言葉さえ見当たらないのは変ではないか?
最後のページまで斜め読みしたが、とうとう「月の乙女」に関する記述は出てこなかった。
(まさか、月の乙女は存在しなかった?)
そんなはずはなかろう。肖像画が残っているのだ。
リシュは一冊目を閉じ、悶々とした思いをぶつけるように蝋燭を吹き消した。
次の日の朝食後、迎えが来たので仕方なく部屋を出た。
城の中庭で剣を持たされ、まずは構え方から。
ラシードの指導は厳しかった。
姿勢が悪いと剣の腹で叩かれる。
相手にその気がなくても斬られそうで、怖いことこの上ない。
「良いか。強豪になれとは言わん。自分の身を守れるくらいにはなれ」
「ボクは体を使うより、頭を使う方が得意なんですが」
「減らず口はここでは不要だ。ほら、また腕が下がっている」
容赦なく腕が叩かれる。
ほんの二時間ほどだったが、今まで使ったことのない筋肉を使わされ、体が悲鳴を上げている。
「こんなに疲れては本が読めません」
「すぐに慣れる」
ラシードはリシュの頭をポンと叩き、ついでに髪をくしゃくしゃにした。
「だから、子ども扱いは嫌だって」
「なら、早く大きくなれ。そして、強くなれ」
二日目の練習の時、ちょっとしたハプニングがあった。
剣を合わせていると、上空から鷹が急降下して、ラシードを襲撃したのだ。
「何だ、こいつ」
ラシードは驚き、後ろに引く。そこにまた鷹が突っ込んでくる。
リシュが叫ぶ。
「アビィ。止めろ」
そう言って、左腕を突き出す。
鷹はいったん舞い上がり、その腕に舞い降りた。
「お前のペットか?」
「そういうわけではないのですが。我が家は昔から鷹匠のようなこともしているので」
「サバクワタリか。見事な鷹だ」
「アビィ。ラシード様に挨拶しなさい」
アビィは、羽を大きく広げ、威嚇するように啼いた。
「随分利口だな」
「はい。きっと上空から見て、ボクが危ないと思ったのでしょう」
「それで、助けに来たか」
「きっと。でも、もう大丈夫です。次からは邪魔をしません」
「そういうのが一羽あると便利だな。色々使えそうだ」
「残念ながら、ボクの一家の言うことしか聞きません」
「賢すぎるのも問題だな」
そう笑った。
三日目の夜のこと。
夕食を食べていると、ラシードがやって来た。
慌ててフォークを置き口元をぬぐおうとすると、ラシードは軽快に笑った。
「ああ、かまわないよ。そのまま食べていてくれ。俺もここで頂くから」
その言葉が終わらぬうちに、食事を乗せた盆が運ばれてきた。
向かい合ってフォークを動かしながら、ラシードが問う。
「それで、今日は何が分かった」
「何も、です」
リシュは、愚痴るように話し始めた。
「公式記録を五年分、目を通しました。けれど、月の乙女も指輪も、一行も出てきません。それどころか、建国祭さえ行われていないんです」
「ほう」
「ボクの予想では、一冊目の最初に建国詩があって、縁起? って言うんですよね、学校で習うんですが、建国の理由とか由来とか、そんなものが書かれていると思ってたんです。それなのに、……」
「五冊読んでも出てこない、か」
リシュは、黙ってうなずいた。
「まあ、五百冊あるんだ。気長に読んでいけ」
「そう言われても」
「三日で五冊。一年もあれば読み切れる」
ラシードが笑う。
その声に、リシュは一層、気が滅入るのを感じた。
「建国詩が載った本が早めに見つかることを祈るよ」
ラシードはそう言って出て行った。
リシュはため息をつきながら彼を見送った。
一週間が過ぎた。
毎日、記録に目を通す。
内容は相変わらずだが、徐々に分厚くなってきた。
「さかのぼれば皆親戚」とこの国ではよく言われるが、実際、建国当初は驚くほど人口が少なかった。
一冊目が書き始められたころは、十五人程度。しかも、半数以上が子供だ。
記録の文字も大人のものではない、丁寧だが拙い。
ただし、巻を追うごとに美しい、読みやすい文字へと変わっている。
(成長の証だなあ)
その子供も、十年たてば成人する。
交際範囲も広がって、活動内容も多くなる。
結婚して子供が生まれたり、他国から移住者を迎えたり、そうして人口が増えてきた。
それにつれ、記載事項が増え(なにしろ、戸籍を兼ねている)、ページ数が多くなる。
そして、目を通すのに時間がかかるようになった。
十冊目の後半で、とある一文に目を止めた。
『ヴィット死亡』
人が亡くなったのは初めてだった。
何となく気になり、十一冊目を開く。
さっと目を通したが、死亡者はいなかった。
次は、十二冊目。
ところが、そこでまた、死亡者が出た。
『シモーネ死亡』
その文字から後、筆跡が変わっているところを見ると、この記録を書いていた女性だったのだろう。
記された名前が一つの仮説を生み出し、心を震わせる。
十三冊目を取り出そうとした時だった。
「食事が冷めるぞ」
いきなり声を掛けられ、はっと振り向く。
自分の顔を見て、ラシードが驚いたように目を見開く。
「何かわかったのか? 顔が紅潮しているぞ」
(しまった)と思ったが、もう遅い。
食卓を囲み、報告をする。
「分かったと言うか、単調だった記録に変化が見えたので、少し興奮しました」
「変化?」
「はい。昨日は人口増加についてお伝えしたと思いますが、今日は減少です」
ラシードが、肉を口に放り込みながらうなずく。
「確かに、減少は初めてだ。死亡か?」
リシュは、サラダをつつきながらうなずき返す。
「死因は?」
「それは記載されていませんでした。小さい子供なので、病気かもしれません」
「子供が死ぬのはよくあることだからなあ」
ラシードは、パンをちぎりスープに浸す。
それを見て、リシュは笑った。
「子供みたいですね」
そして、上品ぶって、ちぎったパンにバターをつけ、口に入れた。
「子供に言われたくない。これが旨いんだ」
ラシードはそう反論すると、拗ねたようにスープを飲み干した。
次に、サラダに取りかかる。
「それで、死んだのは一人か」
「いえ。二年後にその母親が亡くなっています」
「子供を亡くしたショックかもしれないな。先王も王子を亡くして後を追ったというしな」
「あれは、近衛隊長が殺したって、暴いたのはラシード様でしょう。それとも、まさかあれ、嘘だったのですか」
肉を切る手を止め、リシュがラシードを見つめる。
「まさか。事実だ。俺は正直者だからな」
「ボクも正直者ですよ」
真意を探るように見つめあう。
ラシードが先に頬を緩めた。
「おい、肉を残すなよ」
「ちゃんと食べますよ。残すとばあちゃんがうるさいんです」
「それなら良い。お前は線が細いから、しっかり食え」
最後に、グラスの酒を一気に飲み干し、ラシードは聞いた。
「それで、その死亡は月の乙女や指輪に関係ありそうなのか」
「それは、どうでしょう」
ハーブティーのカップで手のひらを温めながら、リシュは答えた。
「関係ないなら読み飛ばせ」
そう言いながら、ラシードは席を立った。
その背中に投げ返す。
「関係あるかどうか、分からないから飛ばせません」
笑い声を残して、ラシードは階段を上って消えた。
(確かに、読み飛ばしたほうが良いかも。ただし……)
飛ばすなら、他のページだ。
『死亡』の文字が記された日付は、二つとも違っている。
しかし、共通点がある。
秋分の後の満月の次の日。
つまり、建国祭の翌日。




